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わんわんらっぱー

DIYやオーディオから社会問題までいろいろ書きます。

チベットは政教一致の封建農奴制下にあった。

2018-11-16 19:32:02 | 宗教
 昔、「セブン・イヤーズ・イン・チベット」という映画を劇場で見た。
チベットの美しい自然が大画面で堪能できる映画であったが、素人目にもハリウッドの宣撫工作映画なのだというのが分かった。
チベットを良く描き、進駐してきた中国共産党幹部を悪く描いている。
だが、どんなにチベットを良く描いても、人民の生活レベルは低く、とても良い政治とは思えない。あまりリアルに描いたために中世まるだしのチベット社会に、とても思い入れを持てなかった。中共幹部の言うところの「宗教はアヘンだ!」の言葉が、むしろ説得力を持ってしまっていた。

 ブラッド・ピット演じる、主人公ハインリッヒ・ハラーは元ナチ新鋭隊だった。
『「シュテルン」が暴露したのは、ベルリンの連邦資料館で発見されたハラーの原資料。80ページにわたるこの資料によると、1912年7月6日に生まれたハラーは1938年5月4日にナチ党に入党し、党員番号「6307081」を持っていた。ナチ親衛隊のメンバーでもあり、所属部隊は「38部隊」、隊員番号は「73896」。資料にはハラーの手書きの履歴書もあり、ハラーが1938年4月1日に親衛隊での活動を始めたことが記されている。それ以前の1933年10月からもオーストリアで当時非合法だった突撃隊の活動に尽力していたという。この履歴書には、襟にナチスのシンボルをつけたハラーの証明写真も貼られている。』
http://j.people.com.cn/94709/6562097.html


ダライ・ラマが発した公文書が残っている

○旧チベットにおけるダライ・ラマの猟奇的仏事の命令書
ダライ・ラマが支配するチベットではとても人間の行いとは思えない残虐で猟奇的な仏事が行われていた。これは、ダライ・ラマ誕生日の祝賀仏事に使う人間の腸、頭、血、皮を徴収する命令書である。
「ダライ・ラマの誕生日祝賀のため、下密院全体成員は「忿怒十五施回遮法」を唱えねばならず、この仏事のために、湿った状態の腸一本、頭蓋骨二個、各種の血液(浄血と汚血とがあるらしい)、人間の皮丸々一枚が必要であり、至急送ってくるように。 」
http://xizang.is-mine.net/buddhistservice.html


 河口慧海『チベット旅行記』というのが凄まじい。これでは、中世以前である。

○河口慧海『チベット旅行記』の「第九十回 不潔の都」
「けれどもかえってラサ府の市街の道の悪い事といったら仕方がない。高低の多い所で町の真ん中に深い溝が掘ってある。

溝は大小便の溜池 その溝にはラサ婦人のすべてと旅行人のすべてが大小便を垂れ流すという始末で、その縁には人糞(じんぷん)が行列をして居る。その臭い事といったら堪らんです。まあ冬は臭いもそんなに酷(ひど)くはございませんけれども、夏になると実にその臭いが酷い。それで雨でも降ると道のどろどろの上へ人糞が融けて流れるという始末ですから、その臭さ加減とその泥の汚い事は見るから嘔吐(おうと)を催すような有様。一体ラサというのは神の国という意味で、いわゆる仏、菩薩すなわち外護(げご)の神様の住処(すみか)で非常に清浄な土地であるというところから神の国という意味の名をつけられたのである。けれどもその不潔なところを見ると、確かにパンデン・アチーシャがいわれたごとく糞喰(くそくら)い餓鬼の都としか思えない。実に不潔なものです。

私はシナの不潔をしばしば耳にしましたけれど、恐らく糞の中、糞の田圃(たんぼ)を堂々たる都の道路として歩くようなそれほど不潔な所はあるまいだろうと思います。もちろんラサ府には糞食い犬が沢山居りますけれども、なかなかその犬だけでは喰い切れない。犬も糞の新しいのは悦んで喰いますけれども古いのは喰わない。だから古い奴が沢山残って行く勘定になるのです。 」
http://xizang.is-mine.net/kawaguchiekai.html#8

河口慧海『チベット旅行記』の「第八十六回 驚くべき葬儀」
「食人肉人種の子孫 さてその死骸を被(おお)うて行ったところの片布(きれ)その他の物は御坊(おんぼう)が貰います。その御坊(おんぼう)は俗人であってその仕事を僧侶が手伝うのです。骨を砕くといったところがなかなか暇が掛るものですから、やはりその間には麦焦(むぎこが)しの粉も食わなければならん。またチベット人は茶を飲みづめに飲んで居る種族ですからお茶を沢山持って行くです。ところが先生らの手には死骸の肉や骨砕(ほねくず)や脳味噌などが沢山ついて居るけれども、一向平気なもので「さあお茶を喫(あが)れ、麦焦(むぎこが)しを喫(あが)れ」という時分には、その御坊(おんぼう)なり手伝いたる僧侶なりが手を洗いもせず、ただバチバチと手を拍って払ったきりで茶を喫(の)むです。その脳味噌や肉の端切のついて居る汚い手でじきに麦焦しの粉を引っ掴んで、自分の椀の中に入れてその手で捏(こ)ねるです。

だから自分の手について居る死骸の肉や脳味噌が麦焦しの粉と一緒になってしまうけれども平気で食って居る。どうも驚かざるを得ないです。あまり遣り方が残酷でもあり不潔ですから「そんな不潔な事をせずに手を一度(いっぺん)洗ったらどうか」と私がいいましたら「そんな気の弱いことで坊主の役目が勤まるものか」とこういう挨拶。で「実はこれがうまいのだ。汚いなんて嫌わずにこうして食って遣れば仏も大いに悦ぶのだ」といってちっとも意に介しない。いかにもチベットという国は昔は羅苦叉鬼(ラクシャキ)の住家で人の肉を喰った国人であって、今の人民もその子孫であるということですが、成程羅苦叉鬼の子孫たるに愧(は)じないところの人類であると思って実に驚いたです。」


CIAがダライ・ラマ側に武器や資金の提供や軍事教練を施していたのは知っていたが、ダライ・ラマを国外へ逃亡させて悲劇のヒーロー仕立てにしたのもCIAだったそうだ。

CIA とチベット:関係者の証言


以下ポストセブンの記事を転載。
○CIA ダライ・ラマ側に対中闘争の資金と武器の援助していた

 中国人民解放軍が1949年にチベットに侵攻し、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世を事実上の軟禁状態にし、監視下においていた際、米中央情報局(CIA)がチベット支援のため、ダライ・ラマ側に年間18万ドル(当時のレートで約6480万円)と軽火器を提供するとともに、チベット兵に軍事訓練などの支援を行なっていたことが分かった。米ニューヨークを拠点とする中国専門情報Webサイト「多維新聞網」が報じた。

 米政府が1959年3月のダライ・ラマのインド亡命後、資金援助などを行なっていたことは知られているが、それ以前にもCIAが資金とともに軽火器などを提供していたとの事実が明らかになるのは初めてだ。

 それによると、ダライ・ラマの密使が1951年、ニューデリーの米国大使館とカルカッタ(現在のコルカタ)の米国領事館を訪れ、当時独立国だったチベットが中国共産党に対抗するために、ダライ・ラマへの支援提供や武器の援助を要請した。

 これに対して、東西冷戦下で、共産主義のアジア各地への波及を恐れていた米政府はダライ・ラマへの資金援助などを了承するとともに、機関銃などの軽火器を提供することを決めた。さらに、チベット国内のほか、米国の米軍基地でチベット兵に軍事訓練を行なうことも約束した。

 これらの交渉はダライ・ラマの2番目の兄、ギャロ・トンドゥプ氏が担当していたが、ダライ・ラマにとって交渉結果は事後承諾の形で報告されており、いまでも平和主義者で、非暴力主義で知られるダライ・ラマが当時、軍事闘争路線を承認したというわけではなさそうだ。

 CIAがチベット軍を援助し、中国人民解放軍相手のゲリラ戦を支援する作戦は「セイント・サーカス(St. Circus)」とのコードネームで呼ばれ、チベット内の2か所の基地で3000人のチベット兵を武装させて軍事訓練を実施し、活動資金も提供したという。

 1959年にダライ・ラマがインド亡命した後も、軍事的支援は続けられ、訓練は中国国境に近いネパール北西部の拠点を中心に行われた。また、CIAはゲリラ戦を行なうチベット人兵士259人を米コロラド州の基地に連れて行って軍事訓練を実施したという。訓練のプログラムは殺人、射撃、誘拐、爆撃、爆弾製造などで、訓練を受けたチベット兵は神出鬼没に中国領内に現れ、人民解放軍部隊を相手にかなりのダメージを与えたとされる。

 ところが、これらの資金提供や軍事援助は1969年に突然中止となる。当時のニクソン政権の大統領補佐官だったヘンリー・キッシンジャー氏が対中関係改善を模索していた時期と符合しており、ニクソン大統領の決断だったとみられる。
NEWSポストセブン2012.7.15
http://www.news-postseven.com/archives/20120715_129207.html


(1/2) Free Tibet -- True History of Tibetan People and CIA

The CIA's Secret Expedition to Lhasa (2002)









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