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実写を超えるリアリティを産んだアニメーション作家、巨匠高畑勲監督を追悼する。

2018-04-29 21:24:51 | アニメ
(敬称略)
 映画よりも現実味を感じるアニメーションを作り、戦後アニメーション開闢者の一人である、アニメーション監督高畑勲氏が亡くなられた。宮崎駿・高畑勲の2人は様々なアニメ作品を通じて、人を語り、世相を読みあげ、日本社会への警鐘を乱打してきた。
 何しろ、宮崎駿の夢には高畑勲しか出てこないとまで言われ、鈴木敏夫プロデューサーによると、宮崎は高畑勲ただ一人のためにアニメーションを作っているとまで言わしめるほどに、宮崎は高畑への一方的な片思いが存在する。
 鈴木敏夫の「吹かし」が多分にあるにしても、商業的失敗覚悟、巨額損失計上前提で、高畑に「となりの山田くん」に続いて「かぐや姫の物語」という作品の製作の場を与えた宮崎・鈴木の渾身の配慮が、その偏愛を裏付けるとも言える。
 常日頃、私が思うに、存命中にその仕事を賞賛しなければ意味がない、と思うのである。であるから、今更高畑勲を顕彰しても、お墓の中には届かない。それでも、拙い文章を通じてでも語らざるを得ないほど、高畑作品とその相方であった宮崎作品に私は強烈な影響を受けているが故に、高畑の死は衝撃なのである。

 作品の時系列から言えば、「太陽の子 ホルスの大冒険」(1968)の存在が大きいということになる。本作ホルスはかなり遅れてみた。いわゆるアニメ解説本のたぐいから、アニメーションの歴史的な意義が幾度も語られていた作品であった。ホルスの斧を「鎖鎌術」を用いて縦横無尽に振るい、激しい戦闘を行う場面から始まる。とにかく登場人物が激しく動くのだが、最後の方の群衆シーンでは止め絵を左右に揺するスタイルとなっており、製作過程で力尽きた感がでている作品である。当初1年の所を3年の月日を費やして製作にあたったが、事実上未完成での公開に至るという所が高畑勲的と言える。これにより、プロデューサーの原徹は東映動画を辞職に追い込まれたが、後に原は高畑・宮崎のプロデューサーしての役割を担っていく。
 作品内容は農本主義と労働者の団結を基礎としており、東京大学仏文出身の高畑の理想とする思想的な面が強くでている。当然のように当時のソ連では高い評価を受け、日本国内でも初めてディズニーに並ぶ作品が登場したと評された。

 東映動画はホルスの大冒険製作にあたって演出(現在の監督)に大塚康生を指名したが、大塚は固辞し高畑を監督に推薦した。高畑と宮崎は学生時代から政治運動を通じて既知の間柄であり、宮崎は高畑の導きで東映動画に入社したとされる。平のアニメーターに過ぎなかった宮崎がホルスで要職を担ったのは、宮崎の演出にかける積極的な働きかけによるものであるが、高畑が宮崎を重用する判断を行っている。
 ホルスはアイヌ民族風の人々で構成されており、苦境にある人々を描いていく高畑作品の出発点となっている。
 宮崎にとって高畑は単なる上司と部下という立場を超えて、アニメーション演出の師であり、古典的生産社会を理想とするマルクス主義的な視座からの理念を育んだ思想における師でもあり、後にタッグを組んで「風の谷のナウシカ」を生み出すに至るまでの共同作業体としての同志でもあった。

 ホルスで協同して作業にあたった大塚康生は東映動画退社後の高畑・宮崎の就職斡旋を行い、後に鈴木敏夫を高畑や宮崎を紹介して、大塚自らが行っていたプロデューサーとしての役割を鈴木に引き継がせている。また、高畑・宮崎をキャラクターデザインや作画で支える近藤喜文を日本アニメーションに就職させたのも大塚である。

 高畑は日本アニメーション時代には『アルプスの少女ハイジ』『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『ペリーヌ物語』『赤毛のアン』に関わっている。
 ハイジ・三千里・アンは高畑作品と言えるが、フランダースの犬とペリーヌは森康二(もりやすじ)の作風である。
 日本における元祖アニメーターと称されている森康二は自著で高畑・宮崎を「天才」とか「雲の上の人」と絶賛している。同業者をこんなに褒めそやすのも珍しい。
 この5作品は世界名作劇場の黄金期であり、ハイジは現地ロケハンに1年を費やしたとされる。

 緻密なロケハンと、丁寧に日常を描くことがアニメーション足り得ることを証明した作品群であり、それまでアニメーションを席巻していた劇画などを原作にした、劇的物語展開作品以外の世界を切り開いた。

 私は5作とも全編を観ているが、母をたずねて三千里を再放送で最後まで見ることが出来なかった。マルコがアルゼンチンで旅費で貰った丸めて所持していた札束を駅で盗まれてしまい、その後の苦境を察して観るのを止めてしまったのである。
 後の「火垂るの墓」も1回は通して観ているが、辛くて最後まで観る事ができないのである。そんな作品は他にない。本来、実写の方が恐ろしく、悲しいはずなのだが、なぜかデフォルメされたキャラクターの方が感情移入してしまいやすいのである。私の頭がアニメ脳になってしまっているのか、高畑の実写をも乗り越える演出によって為せる技なのか判然としないが、私は高畑の演出力によって発生する魔力なのだと考えている。

 「赤毛のアン」にはキャラクターデザインに近藤喜文を起用している。今から見ても萌え要素抜群のデザインである。それまでは東映動画風であり、森康二的なキャラクターデザインが世界名作劇場の流れであり、今にして思うと顔の輪郭は「ポプテピピック」しているし、目が「小林さんちのメイドラゴン」の小林さんなのである。それに比べてアン・シャーリーは目が大きくて可愛らしく、顔の輪郭もシャープである。しかも、近藤はアンが1歳成長するごとに明瞭に顔のデザインを描き分けて設定している。

 明らかにアン・シャーリーのデザインは「カリオストロの城」のクラリスや、「風の谷のナウシカ」のナウシカの原型となっている。また、アンの声優オーディションでは、山田栄子と島本須美が争ったが、高畑は特徴のある声をしているヘタウマ山田栄子を抜擢したが、宮崎は島本須美を後の作品で使うことを想定したとされ、クラシスもナウシカも島本須美が演じている。

 この近藤喜文がもたらしたキャラクターデザインよる萌え要素力を宮崎は後々全開で作品に取り入れていくことになる。高畑も宮崎もスタジオ・ジブリ後継者として近藤喜文を重用し、近藤は『耳をすませば』では監督を担っているが、1998年に急逝している。
 後にジブリを引き継ぐ者として、森田宏幸、細田守、庵野秀明、新海誠、片渕須直、米林宏昌の名前が出たが、結果的に宮崎駿的美少女演出追求家としては「借りぐらしのアリエッティ」「思い出のマーニー」「メアリと魔女の花」を監督した米林宏昌が担ったと言える。というのも、米林の画力が凄まじい。作画の比較はあまり意味が無いと断った上で言えば、米林のイラストは宮崎や近藤を超えている、ようにすら見受けられる。

 高畑はナウシカのプロデューサーを務め、一山当てたご褒美に『柳川堀割物語』(1987)の製作に入るも、例によって大幅に製作期間も制作予算も超過して、宮崎は所沢の自宅を抵当に入れて銀行融資を受けるハメに陥る。

 「火垂るの墓」(1988)では、ジブリは高畑の「火垂るの墓」制作班と、「となりのトトロ」制作班に別れて、2本立て上映を目指すのだが、近藤喜文の争奪を巡って高畑・宮崎で激しい鬩ぎ合いが演じられた。
 世間一般では高畑勲の代表作は「火垂るの墓」となっているし、実際岡山で空襲を受けた経験のある高畑としても、反戦の意志を指し示す重要作品であることは間違いない。
高畑は最晩年には『「火垂るの墓」には戦争を抑止する力足り得ない』とアベ政治への批判を口にしていた。
 私にしては珍しく「火垂るの墓」は野坂昭如の原作である小説を読んでいる。なぜ「蛍」が「火垂る」なのかは、岡田斗司夫の解説で知ったのだが、蛍のように夜空を演出する焼夷弾を火垂ると称しているのである。
 主人公の清田(せいた)が我を張らず良い子を演じれば、生き抜くことも可能であったと称する人も居るが、これも最近知ったのだが、都市部の大空襲や戦争で親を失った疎開先の膨大な孤児を戦後の日本政府は「無かったことにした」のである。今話題の森友学園は大阪大空襲で発生した孤児を収容する施設として発足している。
 米軍の駐留経費に国家予算の3分の1を計上しながら、孤児への配慮はGHQに指示されるまで放置したのである。戦災孤児の餓死者数は判然としない。なにしろ、1945年から1949年までの餓死者数が公表されていないのである。
 戦中よりも戦後の方が食糧事情が悪かった。闇米摘発はGHQが日本人民による蜂起を抑止するために意図的に食料流通を抑えたという説も有り、そういった事情がまた戦災孤児を追い込んだ。
 戦争は終戦(敗戦)すれば終わりではく、むしろ、戦後に本当の生き地獄がやってきたのであり、無数の清田や節子が発生したのである。

 高畑は絵は描けなかったが音楽には造形が深く、譜面を読めたし、楽曲から譜面を起こすことも出来たそうである。作品で使用する楽曲には、かなりのこだわりがあったそうだ。
「魔女の宅急便」(1989)では音楽演出として参加している。
 
 以後、「おもひでぽろぽろ」(1991)、「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994)と日本社会の世相を描く作品を監督した。
 フレデリック・バックから影響を受けて、「となりの山田君」(1999)「かぐや姫の物語」(2013)では人物と背景が一体となるような作風に転じた。
高畑が写実性を捨てて、商業的な採算性を度外視する芸術路線へ転向したのは宮崎と同じ作風を維持しても意味がないという判断によるものとされている。

 私は片渕須直監督の2016年の話題作「この世界の片隅に」を観て、なんとなく高畑勲的な作風を感じた。それは前作「マイマイ新子と千年の魔法」よりも「この世界の片隅に」はより淡い色彩で描かれており、フレデリック・バック的な絵作りの傾向が観て取れた。演出家として緻密なロケハンと聞き取り調査と膨大な資料の読み込みから再現される背景と、細かい日常動作の描き込みは高畑勲的演出を想起させるものであった。
 後に知ったのだが、「魔女の宅急便」を起案したのは片渕須直であり、演出補として残った片淵はストックホルムなどノルウェー各地をロケハンして、緻密な街づくりを映像に反映させている。
 評論家の宇野常寛も「この世界の片隅に」をして片淵を高畑演出の継承者と評しており、やはり、そうなのかと思い至った。

 高畑勲の遺産は属人的な技術などで継承されており、高畑死しても、その遺志はアニメが作り出す虚構の映像世界に生きていると言うこともできる。

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岡田斗司夫ゼミ11月27日号「『この世界の片隅に』で見えたTVアニメーション崩壊前夜!中抜きでアニメ業界総ブラック!業界のおカネ事情は?~アニメ・イズ・デッド第二弾」対談・山本寛(アニメ-ション監督)


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