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高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

メッセージ

2015-03-02 18:25:50 | 最終講義
最終講義の当日にメッセージを寄せていただきました。たくさんの人が書いてくださったので、紙が足りなくなったのは残念でした。

東北大学時代
 持田幸良(横浜国立大学、東北大学植物生態学研究室の後輩)
 鈴木和男(田辺市、東北大学植物生態学研究室の後輩)
 津田 智(岐阜大学、東北大学植物生態学研究室の後輩)

 高野義教(東北大学植物生態学研究室卒業生)
 富田 勉(東北大学植物生態学研究室の指導学生)
 須田知樹(立正大学、東北大学植物生態学研究室の指導学生)
 芝田史仁(東北大学植物生態学研究室の指導学生)
 後藤 晋(東京大学、東北大学植物生態学研究室卒業生)
 佐々木 洋(仙台二華高校、東北大学植物生態学研究室の学生)
 関 剛(森林総合研究所、東北大学植物生態学研究室卒業生)
 永松 大(鳥取大学、東北大学植物生態学研究室卒業生)
 茂田井英代(神奈川県、東北大学植物生態学研究室の指導学生)
 赤塚 謙一(岩手大学卒業生)

東京大学時代
- 研究室
 橋本幸彦(東京大学大学院生物多様性研究室指導学生)
 上田弘則(東京大学大学院生物多様性研究室指導学生)
 佐藤善和(東京大学大学院生物多様性研究室指導学生)
 松沢友紀(東京大学大学院生物多様性研究室卒業生)
- 博物館
 清水晶子
 三河内彰子
 鹿野研史
- 農学部
 立川君子(東京大学農学部)

麻布大学
 滝沢達也(動物応用科学科)
 植竹勝治(動物応用科学科)
 菊水健史(動物応用科学科)
 茂木一孝(動物応用科学科)
 土屋 亮(獣医学科)
 折戸謙介(獣医学科)
 蒼見桂子(非常勤講師)
 岩崎くるみ(動物応用科学科学生)
 坂倉(動物応用科学科学生)
 岡部翔太(元動物応用科学科学生)
 吉村勇輝(獣医学科卒業)

麻布大学野生動物学研究室
 多田美咲
 坂本有加
 宗兼春香
 佐野朝実
 戸田美樹
 笹尾美友紀
 萩原もえか
 遠藤嘉甫
 鈴木里菜
 安本 唯
 柏木美香 
 山尾佳奈子
 小森康之

その他
 中川尚史(京都大学)
 杉浦秀樹(京都大学)
 藤田志歩(鹿児島大学)
 小池伸介 (東京農工大)
 八木正徳(東京農工大)
 森永由紀(明治大学)
 三谷奈保(日本大学)
 仲谷 淳(農水省)
 光明義文(東大出版会)
 井澤健輔(山と渓谷社)
 北森芳徳(福音館)
 川崎浩・敦子(「倫風」)
 佐野寛子(都立国立高校)
 渡辺智恵子(Avanti)
 岸本真弓(WMO関西)
 菅野康太(SYNAPSE Lab.)
 山下(あーすわーむ)
 園田陽一(地域環境計画)
 諸藤聡子(共和コンサルタンツ)
 南部成美(日本オオカミ協会)
 今井奈保子(日本熊森協会)
 白 如嵐(東大留学生)
 薬袋幸(町田市)

最終講義の感想

2015-03-02 09:41:26 | 最終講義
最終講義を前にして、あるいは聞いたあと、感想を寄せていただきました。

<友人、知人より>
Maria Galindez-Silva Dear Sensei
橋爪善博(東北大学の同級生) ご退官おめでとうございますー蝶友達として
木場英久(桜美林大学) 高槻先生の思い出
伊藤文代(前小平市教育委員長) 「唱歌『ふるさと』の生態学」の感想
岸本真弓 (野生動物保護管理事務所)最終講義を拝聴して ― あれはカラタチ?ー
森井良子(小平市教育委員長) 私の知らなかった高槻さん
今栄博司 (東北大学卒業)高槻さんの最終講義
井澤健輔(株式会社山と溪谷社自然図書出版部)高槻先生の最終講義を聴いて-『唱歌「ふるさと」の生態学』担当編集者より
橋本幸彦(東京大学大学院修了) お疲れ様でした-クマを調べた橋本
久保麦野(東京大学総合研究博物館) 記載と標本の蓄積に尽くされた高槻先生
中川尚史(京都大学大学院) 最終講義を聞いてー金華山仲間
政岡俊夫(前麻布大学学長) 来てもらってよかった
鈴木和男(田辺市) 最終講義と仲間集め
内山 隆(千葉経済大学) 総合芸術のような
薬袋啓一(町田市) 最終講義-ラグビー仲間
柿沼 薫(東京工業大学) 草原を歩く若者
吉田裕之(環境科学研究所) 森に問いかける
関本克宏(「日経バイオテク」) こんなことを考えていたんだ
原 慶太郎(東京情報大学)私にとっての回帰
金成かほる(外務省) 観察の大切さ

麻布大学の卒業生からもいただきました。
<麻布大学卒業生>
立脇隆文(平成22年度修士修了) いきものの記録装置としてのいきもの好き
奥津憲人(平成22年度卒業) 土の中の絵の具
坂本有加(平成22年度卒業) 手紙と、書くこと
藤本彩乃(平成22年度卒業) 地元に戻って感じる季節
瀧口晴嵩(平成23年度卒業) 生涯の仕事 ― 後輩へ
海老原 寛(平成24年度修士修了) 学生時代にしてほしい観察
戸田美樹(平成24年度卒業) 手作りパン
小森康之(平成25年度卒業) この一年で体験したこと – 鳥を飼い、教える職場で -

現役の学生が「Observation」という機関誌に書いてくれました。
<>麻布大学の学生
鈴木詩織 ヤマネに出会えた!
望月亜佑子 いっしょに歩いたアファンの森
鷲田 茜 フンとの出会いからはじまった
富永晋也 「つながり」の大切さ
宮岡利佐子 高槻先生と歩く森
山本 楓 1年を振り返って

最終講義 回帰

2015-03-02 01:01:01 | 最終講義
最終講義では代田真理子麻布大学獣医学部動物応用科学科長が私の略歴をご紹介くださり、そのあとでパワーポイントを使いながら話しました。以下は講義後に配布した冊子の内容ですが、実際の講義ではアドリブで楽しい話をして、会場がわき、なごやかな雰囲気で進みました。

回 帰  – 動植物を観察した半生 –
2015年3月7日




 最終講義
 ある学生との出会い
 少年時代
 東北大学
 研究のスタート-金華山のシカの食性
 ササを調べる
 日本各地のシカの食性
 シカの個体群学的研究
 シカの角
 渡米
 東京大学時代
 留学生との邂逅
 学生の指導
 その後のシカ研究
 アファンの森での調査
 研究成果とその展開
 研究展開の背景
 観察
 私にとって論文を書くということ
 本を書く
 種を蒔く
 標本作り
 展示
 恵まれていたということ
 一隅を照らす
 結びに


最終講義の感想を読んで

2015-03-02 01:00:33 | 最終講義
 私の最終講義は楽しく、よい雰囲気だったと思います。その感想を寄せてくださった方の文章や当日書いていただいたメッセージを読みながら感じたことを書き留めておきたいと思います(敬称略)。

 うれしかったのは、最終講義を聞いて感動を受けたとか、心に沁みたという意味のことを書いてくださった方が多かったことです(川崎浩、川崎敦子、三河内、橋本、薬袋)。とくに私が話した「つながり」に印象づけられた人がかなりいました(菅野、佐野、萩原、小池)。
 おもしろいもので、多岐にわたった講義の内容のどの部分が印象に残ったかは人によってかなり違いがあったようで、それは受け側の琴の波長が違うからだと思いました。
 講義では私の少年時代からの生き物好きのことを紹介したのですが、それは通常の講義では話さないことですから意外感とおもしろさを感じた人が多かったようです(関、岸本今栄橋本持田三河内)。このことを内山さんは「自分の興味から発した核が、場を得て時間とともに形を整え、いくつもの枝葉を広げ花をつけ、その花の核には、起点につながる「回帰」があった。というふうに解釈しています。」と美しい表現をしておられます。
 30代から40代にかけては金華山と五葉山の野外調査に明け暮れ、多くの人を引きずり込みましたから、そのことが印象に残っているという人がたくさんおられます(鈴木和男高野富田関本佐々木永松赤塚)。
 生態学の研究では長時間かけなければわからないことがあります。私が根気強い性格から長期的な継続研究をしていることに印象を受けた人もいました(橋本)。
 また私が記述的な研究や標本を重視することに印象づけられた人もいました(上田佐藤久保立脇)。
 東大から麻布大学に移ったことには当然ながら私なりの大きな決断があったのですが、そのことの意味を最終講義を聞きながら考えた人もおられました(政岡滝沢)。
 講義の中で私にとって論文を書くこと、本を書くことなどについての考えを話しました。そのとき私は論文を書くことは自分と自然の関係であって、人の介在は重要ではないことだと言いました。そして、その行為は「森の話を聞くこと」と表現しました。吉田さんはそのことが印象に残ったようで、「少ししか理解できていないにも拘わらず、判ったような誤解をし、「森に問いかけもせず」に結論付けをしている現在の自分を恥じました」と記しておられます。出版関係の方は私が本を書くことは自分の死後にも残ることだといったことが印象に残ったようで、なるほどと思いました(井澤)。
 これに関連して、現代生物学の主流である解析的実験手法だけに依存することを批判し、古くさいと思われる観察を重視すべきだという主張をしました。それが心に残ったという人もいました(金成)。こうしたこと全体から、麻布大学の先生にはもう少し深い部分、たとえば私の研究姿勢、教授会や大学院の発表会での発言などに印象づけられたこともあったようです(土屋植竹滝沢菊水茂木岡部)。
 私がいっしょに野山を歩いて動植物のことを説明したことが印象に残り、そのことがそれまでと自然の見え方を変えたということを書いた人もいました(藤本多田美咲宗兼萩原)。これについては文集「つながり」のほうにたくさんの寄稿がありました。このことは学生の皆さんが感じたようですが、講義ではなく、野外調査や、実習、講義、卒論指導などのことを懐かしんだ人も少なくありません(多田美咲、坂本、宗兼、佐野、戸田、遠藤、小森、笹尾、鈴木里菜、萩原、安本、山尾)。
 私の半生を聞いておもしろかったと感じると同時に、講義の組み立てに感心してくれた人もいました(鈴木和男内山)。
 中にはいわば「余技」ともいえる、音楽(茂田井後藤松沢)や詩(中川)についておもしろさを感じた人もいたようです。
 講義の後半では研究内容を離れて、自分が育った時代や家族、周囲の人々のことなどを話しました。そのことの印象を書いてくれた人もいました(薬袋柿沼)。

 このように、私が話した最終講義をひとつの樹に喩えると、太い枝を描き、その先に細い枝と葉を、いくつかの枝には花や果実を描いたつもりです。そこを訪れた鳥や昆虫は通り過ぎた枝もあり、その先の枝先の花にとまったということもあったようです。ひとつだけ付け加えると、私が潜ませていたのに誰も気づかなかった果実がありました。それはいくつか紹介した詩は私が筆で書いたということです。察するに、今はワープロのフォントが発達しているから、それを使ったと思ったのではないでしょうか。字を丁寧に書くということを長らく忘れていたので、一字一字を心を込めて書くというのもなかなか楽しいものでした。