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観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

手紙と、書くこと

2015-03-01 11:06:04 | 15

平成22年度卒業 坂本有加

タイムカプセルの手紙
 先日、小学校の同窓会に出席した。会の目的はタイムカプセルを開けることだ。私のタイムカプセルは、小さな赤いランドセルに、お守りや名札、図工の授業で作った針金でできた犬、そして手紙が入っていた。13年後、25歳の私へ。クラス全員が、未来の自分に向けて書いた手紙だ。何が書いてあるのかすごく気になった。でもその場では読めなくて、家に帰ってこっそり読んだ。恥ずかしくてすべては書けないけれど、中にこんな一文が書いてあった。
 『今、私は小学六年生ですが、二十五歳の有加さんには思い出がいっぱいあると思います。それらを忘れないで下さいねぇ。』
我ながら、なかなかいいこと言うじゃないの?と思った。それから、とても大切なことだと思った。
 私が入れたタイムカプセルはもう一つあった。茶色い封筒に「○○さんへ」と書かれた、友人に宛てたものだった。その友人とは何年も会っていないし、同窓会にも来ていなかった。私はその封筒の存在自体を忘れていた。驚いて眺めていると、その友人の近所に住んでいる同級生が渡しておくと言ってくれたので、よろしくと言って頼んだ。そして家に帰ってからというもの、その封筒のことがものすごく気になっている。中身を見なかったからだ。
 入っているのは、ちゃんとまじめに書いた手紙だろうか。その封筒の中には、受け取ったら嬉しいものが入っていたのだろうか。休み時間に書いた落書きなんか入れていないだろうか。こんな考えが頭の中をぐるぐる回るが、答えは出ない。手紙は中身が気になる。

結婚式の手紙
 昨年は高校や大学の友人たちが結婚して、結婚式にたくさん出席した。そして式では、みんな手紙を読んだ。ふだん言えない気持ちを今、新郎から新婦へ、こんどは新婦から新郎へ。今から読まれるその手紙には何が書いてあるんだろう、たくさんの友人知人、親族の前でその手紙を読むのはどんな気持ちなんだろうと想像して、どきどきしながら聞いていた。とくに新婦から両親への手紙は感動する。私はいつも、新婦さんが手紙を読み始めるところで、お父様と一緒に泣いてしまう。
もちろんほかにもステキなシーンはあるけれど、私はいつも結婚式というと、手紙を読む場面が印象に残っている。誰かから誰かへの手紙というのは、ふだん読んだり聞いたりはしないから、新鮮なのだと思う。

書くこと
 私は手紙でも何でも、何かを書くというのが苦手だと思ってきた。もともと好きでも得意でもなかったし、文字を書いては消すのを繰り返す子だった。そして小学生の時、国語の授業で作文を書いていたとき。いつものように、少し書いては「ちがう」と思って消しゴムで消していると、ちっとも進まないし、原稿用紙が黒っぽくなってきた。それを見た担任の先生に、「消しゴムで消してはいけないよ。」と言われた。
 今なら、先生の意図が分かる。でもその時は分からなかった。多分、なんで消したらいけないの?苦手なんだから、仕方ないじゃない。漢字をまちがえたって書き直したらいけないの?くらいに思っていた。作文は嫌いだった。
なんとなく書くことに苦手意識をもったまま高校生になると、大学受験に向けて小論文を書く練習というのがあって苦痛だった。一番たいへんな思いをしたのは3年生の秋に自己推薦書とかいう書類を書いたことだ。入試を受けるために必要な書類で、自力で書かなければならない。担任の先生に添削を受けながら、何週間もかかって泣きながら書いた。それでもある日、先生から、「君の文章はななめ読みしても、大体なにが書いてあるか分かる。」と言われた。褒められたのが分かると、とっても嬉しかった。
 その書類と面接の試験をクリアして麻布大学に入学し、野生動物学研究室に入室すると、オブザベーションという名前の機関誌があって、2~3か月ごとに原稿を書く順番が回ってきた。大体、どんなことを書いたのか覚えている。覚えているということは、そこに思いを込めるために努力なり苦労なりをしたからだと思う。そうするうちに、じつは文章を書くのが嫌いじゃないかもしれないと思うようになった。3年生の時には、ロードキルに遭ったタヌキを解剖するときの気持ちについて書いた。その文章はもともと、研究室での作業などを記録しておく記録ノートに書いたもので、研究ノートと日記が混ざったような使い方をしていたので、立脇先輩の手伝いとしてタヌキの解剖をしたことと、その感想を書いておいた。記録を残すことの大切さを知り、記録を付けること自体を楽しいと感じ始めたのがこの時期だった。このタヌキの文章は、高槻先生と南先生の共著『野生動物への2つの視点 ─”虫の目”と”鳥の目”』に載せて頂いた。自分の文章を、本に載せて頂ける日がくるなんて。とてもありがたく、恥ずかしさよりずっと誇らしい気持ちが大きかった。
大学を卒業して就職すると、多かれ少なかれどんな仕事でも文章を書くことが必要になってくる。今の仕事では、報告書という書類を作ることが多い。もう小学生みたいに原稿用紙に鉛筆で書くことはなくて、パソコンにキーボードで入力してはいるが、今でも書いては消すのを繰り返している。Back SpaceキーとDeleteキー、あとCtrl + Zのショートカットキーには大変お世話になっている。キーを打つ回数の半分くらいは消したり戻したりするキーじゃないかと思うが、消しても切り貼りしても跡が残らないのでとても快適だと思う。書く前に考える時間が長く、書いても直したり悩んだりするので、報告書ができるまでに時間がかかって、時々やっぱり向いてないと思いながらも、なんとかやっている。
 こうして書いたり削ったりしながら、なんとか文章が書けるようになったのは、これまでお世話になった方々からきっかけを頂いたり、とにかくやってみた経験のお陰なのだと思う。ほかにも人前で喋ることが平気になったとか、車の運転ができるようになったとか、料理とか色々なことも、同じように教わったり続けたりすることで、少しずつできるようになった。それらは大切な経験であり、思い出となっている。小学6年生の私がそこまで考えていたとは思えないけれど、今の私に「思い出を大切にしてね」と言ってくれたことで、書くことについて思い返してみて、そんなことを思った。


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