高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

「人間の偏見 動物の言い分」の書評

2018-06-10 08:10:22 | 私の著作
6月10日の読売新聞の書評欄に宮部みゆきさん(作家)が素敵な書評を書いてくださいました。

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タヌキのウンチ

2018-06-01 15:59:04 | それ以外の著作
昔ばなしのイメージ
 私は最近タヌキを調べています。
 タヌキと聞いて知らないという人はいません。それは子どもの頃に「かちかち山」や「ぶんぶく茶釜」の話を聞いているからでしょう。「かちかち山」のタヌキはおばあさんをだましたりする悪い動物である反面、ウサギの仕置きのあまりに厳しさにかわいそうなにも感じられます。「ぶんぶく茶釜」の方では、まぬけだけれど、恩人にお礼をしたいと一生懸命な動物というイメージがあります。
昔ばなしでは「知っている」タヌキですが、実際に目撃したことがある人はそう多くなく、その姿も、イラストなら思い浮かぶけれど、実物は知らないという人が大半のようです。タヌキよりも動物園にいるレッサーパンダのほうがよほどよく見られているかもしれません。まして、タヌキが実際にどういう生活をしているかということになると、みなさん「さあ?」と頼りない返事になります。研究上でもわからないことの多い動物なのです。
 タヌキは漢字では「狸」、つまりケモノ偏に里と書き、里山にいる動物であることを表しています。里山というのは昔ながらの農業地帯のことです。タヌキは世界的に見ればけっこう珍しい動物で、東アジアにしかいませんが、日本ではかつては身近な存在だったのです。道を歩いているのを見ることもあったし、畑の作物を食べられたりしました。だからこそ、「かちかち山」では、おじいさんに捕まえられたり、ウサギにお仕置きされたりと、憎まれる存在にもなったのです。

いまも都会に住むタヌキ
 そういう里山に活気があった時代とは違い、現代の都会では、せいぜい野良ネコやカラス程度しか野生動物を見かけなくなってしまいました。ですから、自分はタヌキとは無縁だと思っている人もいるかもしれません。
 しかし、多くの野生動物が郊外から山に追いやられてしまった中で、いまもタヌキだけが東京都心を含む都市にも生き延びているのです。東京都心の23区でもほとんどで生息が確認されているし、もちろん明治神宮や皇居のような豊かな緑があるところにはタヌキが暮らしています。
 一方、同じように里山で暮らし、同じように昔ばなしにもよく登場するキツネやノウサギは都市からはいなくなってしまいました。それは、キツネは神経質で警戒心が強く、自動車が走るような環境を嫌い、いなくなってしまうからです。一方、ノウサギは草はらに住んで植物の葉や芽などを食べるので、まとまった緑地がないと生きていけませんし、耳がとても良いので騒音にも耐えることができません。
 この点、タヌキは騒音などにも耐え、残飯でも食べるし、あまり広くない緑地でも生きてゆけます。こういうたくましさ、融通のきく性質が都市環境での生息を可能にしているようです。

ウンチの調査
 では、実際彼らはどんなふうに都市で暮らしているのでしょう。私は東京西部の小平市にある、津田塾大学に生息するタヌキを調べています。


津田塾大学で撮影されたタヌキ


 タヌキの食べ物を知るために、一緒に調べている仲間と大学内の林を歩くと、「タメフン」を見つけました。タメフンというのはタヌキのトイレのことです。タヌキは決まった場所に糞をします。複数の個体が共有しているようで、タメフンに来たタヌキはほかのタヌキの糞の匂いを嗅いでから、その上に「上書き」をするように、お尻を近づけて糞をします。
 見つけたタメフンから定期的に糞を回収し、細かいフルイの上で水道水を流して顕微鏡で調べます。するとタヌキが食べた物がわかるというわけです。
 調べてみると、津田塾大学のタヌキにとっては果実が重要な食べ物だということがわかりました。季節ごとに見ると、夏にはムクノキとエノキの実のほか、昆虫も食べます。秋から冬にはカキとイチョウ(ギンナン)を食べ、果実のとぼしい冬の終わりから春にかけては、ネズミの毛や骨、鳥の羽根などを食べているようです。

ウンチのつながり
ところで、タメフンがあるところには、夏になるとムクノキやエノキ、イチョウの芽生えがたくさん生えてきました。タヌキは植物の実を食べることで、種子を運んでいるということです。植物からすれば、タヌキにおいしい果肉を食べさせて、中に入っている種子を運ばせているのです。
 私の興味はタヌキそのものにもありますが、むしろタヌキがほかの生き物とどうつながって生きているかに興味があります。動物がほかの動物や植物を食べるということは、そのことを通じてほかの生き物とつながっているということです。
 タヌキは果実を食べて種子を運ぶということで植物とつながっていますが、タヌキとつながりを持つのは植物だけではありません。小さなバケツで簡単なトラップを作って大学キャンパスに置いてみたところ、翌日、数匹の小さな糞虫(ふんちゅう)が入っていました。調べてみるとコブマルエンマコガネという糞虫でした。


コブマルエンマコガネ


 ファーブル昆虫記に出てくるスカラベ(糞ころがし)よりはずっと小さく、長さ六ミリメートル程度の黒くて地味な糞虫です。飼育して観察してみると、五匹のエンマコガネがピンポン球ほどの馬糞を一日かからずにバラバラにしてしまったので、驚きました。こうして糞虫によってタヌキの糞も食料として利用され、また分解された養分が土に戻されていることがわかりました。


すぐそこにいるタヌキ
 コツコツと調べると、ありふれたタヌキがほかの生き物と確かにつながって生きていること、それぞれの生き物が懸命に生きているということが実感できました。
 子どもは動物が好きなものです。動物園に行けばゾウやライオン、場所によってはパンダもいて子どもたちは大喜び、だから動物園に行くのは特別にうれしいことです。そういう花形動物は絵本にもたびたび登場しますから、子どもの頭の中には、いろいろなイメージや想像がふくらみ、親しみを感じていることでしょう。
 それに比べると、タヌキはとくに大きくもなく、かわいくもなく、パッとしないかもしれません。でも、どこか遠くの国から来て、飼育員に餌をもらい、コンクリートの上で糞をしている動物園の動物とは違い、タヌキは、たとえ目撃しなくても、私たちと「ニアミス」するほど近くで暮らしている動物です。私たちが目にしている木になった実を食べ、私たちの足許からつながった土の上に糞をしているのです。そのことを想像するのは楽しいことです。
「あそこの林にタヌキがいるかもしれないよ」、そう声をかけてあげたら、子どもたちの想像は、きっと大きくふくらむことでしょう。

 
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それ以外の著作

2018-06-01 15:53:49 | それ以外の著作

野生動物による農業被害拡大の背景にあるもの 「自治研」, 60: 16-24. 2018年12月

タヌキのウンチ 童心社「母のひろば」2018.6 こちら

日本の山とシカ問題 山と渓谷 2018.7(No.999):143-154.

「越智祐一という人 「感染症の3要素」説を改め、戦後の日本獣医界を立て直し、麻布大学を作り変えた人」29pp., 麻布大学いのちの博物館 2018.9.4


餅と動物たちのかかわりについて. 「高尾の森」通信, 71: 4-5. 2018年8月

森とシカと日本人、「自然保護」 566: 16-17. 2018年9・10月 こちら
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アファンのフクロウの食べ物

2018-06-01 02:56:51 | 報告
アファンの森にはフクロウがすんでいて、架けた巣箱に営巣し雛を育てます。


巣箱にネズミを運んできた親フクロウ(2012年撮影)


 一つの巣で育つ雛の数は大抵2羽ですが、今年は4羽も巣立ちました。


今年最初に巣立ったフクロウの雛(2018.5/16, アファン の森財団提供)


 私たちはこの巣に残されたフクロウが食べて吐き出したものを調べています。その分析試料を確保するため、6月14日にアファンの福地さんが巣箱まで登って回収してくださいました。アルミ製のハシゴで巣箱まで登って巣の底の巣材を取り出してくれました。これを持ち帰って少しずつ小骨を取り出します。




巣材を取り出すアファンの森の福地さん


 フクロウはネズミを食べることに特化した猛禽類で、巣に残されたものもほとんどはネズミなのですが、ときどき鳥の羽や骨、ヒミズ、ヤマネなども出てきます。
 おもな食べ物であるネズミには、森にすむアカネズミ、ヒメネズミのタイプと草原や牧場などにすむハタネズミのタイプがあります。この2つのネズミは歯の形がまったく違うので、下顎骨が出てくれば識別ができます。




 これまでの調べで、アファンの森のフクロウが利用するネズミの数のうち、アカネズミ系は比較的安定していますが、ハタネズミは年によって大きい変動があり、アカネズミ系を大きく上回る年があるかと思えば、それより少ないこともあることがわかっています。ハタネズミのようなネズミは年により数の変動があることが知られており、同じ仲間のレミングが爆発的に増えることがあります。「ハーメルンの笛吹き」という童話で、ネズミが笛を吹く男に導かれて川になだれ込むという描写がありますが、この「ネズミ」はハタネズミ系のものだと考えられています。
 さて、持ち帰った巣材はもともとはチップ材ですが、その形で残っているものは少なく、分解して粉のようになっています。そこから適量を取り出してバットに広げ、少しずつ点検しながら、丁寧にピンセットで取り出します。


バットに取り出した巣材


 取り出されるネズミの骨にはさまざまなものがあります。わりあい目につくものとしてPの次のような形をしたものがありますが、これは寛骨、つまり腰の骨です。これにもいくつかタイプがあるので、ネズミの種類によって違うものと思われますが、私には区別はつきません。それから大腿骨もわかります。これは付け根に「骨頭」と呼ばれる球状のコブのようなものが付いていて特徴的なので区別できます。人間でも大腿(太もも)は360度どの角度にも曲げることができますが、それはこの構造があるからです。大腿骨の下には膝の骨である「脛骨」があります。多くの動物では脛骨と腓骨が並行に走っていますが、ネズミの場合、脛骨と腓骨は上下の部分で癒合し、ちょうどバイオリンの弓と弦の関係になっています。


検出されたネズミの骨


 前脚の方では上腕骨が特徴的な形をしており、中央の少し上に人の鼻のような突起があります。上腕骨は上で肩甲骨につきますが、肩甲骨はあまり出てきません。薄いので、おそらく消化されてしまうのだと思います。上腕骨の下には尺骨と腓骨がありますが、腓骨細長いだけで特徴がありません。消化されてしまうのか、小さすぎて見つからないだけなのかわかりません。尺骨は上腕骨との関節部が半円形にくびれているのでわかります。
 こういう四肢骨のほか、頭部が割れたものも出てきます。


ハタネズミの頭骨


 この分析で一番重要なのは下顎骨です。これはアカネズミ系とハタネズミではっきりと違います。



 最大の違いは歯で、アカネズミ系の臼歯は普通の哺乳類によくある歯根がありますが、ハタネズミの臼歯は変わっていて、縦筋がいくつもある洗濯板のような特異なものです。



 下顎骨全体の形も違い、写真ではわかりにくいですが、ハタネズミの方が厚みがあります。

 この違いはネズミの食性と関係しており、アカネズミは主に果実など栄養価の高い植物質を食べますが、ハタネズミは繊維質の葉や地下部なども好んで食べます。そういう食べ物は歯を摩滅させますから、ハタネズミの板状の歯は伸び続けます。これに関連してハタネズミはよく発達した盲腸を持っており、ここで繊維質の食べ物を発酵させて利用します。

 これらのどれにも該当しないひょろ長い骨があり、鳥の脚の骨だと思われます。クチバシも出てきます。

 さて、アカネズミとハタネズミの下顎骨の数をグラフにすると下図ようになりました。これを見ると、アカネズミは比較的安定しているのに対して、ハタネズミはそれよりやや少ないことが多いのですが、2016年は飛び抜けて多くなっています。同じようなことは2002年にも記録されました。


アファンの森のフクロウの巣に残されたアカネズミとハタネズミの下顎骨の数の推移


 詳細はわかりませんが、ハタネズミが何らかの理由で急に多くなることがあるようです。アファンの森にはアカネズミ系のネズミが多いのですが、周りに畑や牧場があり、ハタネズミはそういう場所にいるので、フクロウは、ハタネズミが増えた年には少し遠出をしてハタネズミを捕獲するものと思われます。

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バイリンガル

2018-06-01 01:13:51 | エッセー
深刻な問題というのではないのだが、子供の頃から「自分はほかの子と違うんだな」と思っていたことがある。物事に熱中するために、周りのことがわからなくなったり、忘れ物をしたりするので、自分には何かが欠けているのかなと思った。そういうことは劣等感となった。それから4歳のときに生まれ育った(といってもわずか4年だが)町から少し離れた町に引っ越した。山陰では町が違えば言葉が違う。私が生まれた倉吉は因幡だが、引っ越した米子は伯耆だから、言葉がかなり違うのだ。通じないということはないが、アクセントも言い回しも(一部だが)単語も違うので、「あ、地元の人でないな」とすぐにわかる。
 引っ越したとき、周りの子供の話す言葉が、それまで馴染んでいた言葉と違うということを知った。子供の私はすぐに習得したが、親はそのままだった。思えば、父は九州出身で、倉吉出身の母とは違う言葉を話していたから、それ以前から言葉は人によって違うということはなんとなく感じていたのかもしれない。学校に行くようになり、友達の家に行くとおじいさん、おばあさんがいるのにうちはいないことも違うということもわかった。そういう風に自分は他の子と違うのだなと思っていた。

 さて、言葉である。私が生まれた倉吉という町では「あの子はしょうからだけえ、かなわんなあ」という。「あの子はいたずらで困ったもんだ」という意味である。文字で書くとあまり違わないが「あの子」も東京では「の」が高いが倉吉では平板にいって「あの子は」の「は」が高くなる。「しょうから」というのは「性」がカラい*、つまり性格がきついということから、大人の言うことを聞かない子のことを言う。引っ越した米子では「あの子はしょうからだけん、かなわんわ」という。その後、島根県の松江に引っ越したが、ここは出雲だから、さらに違い「あのさんはいけずだけん、かなわんねえ」という。「いけず」は「いけない」で、関西では意地悪のことをいうが、出雲弁ではいたずらっ子のことを言う。
 これは一例だが、全体の音の流れや、言葉の強さなども違い、倉吉が一番おっとりしており、松江は上品な響きがあり、米子が一番カラッとしている。

* 「からい」は山陰ではもっぱらしょっぱいの意味で使い、「辛い」は「胡椒がらい」という。味噌汁の味噌が多すぎると「からい」というが、少なすぎて水っぽいと「あまい」という。「甘い」のではなく、「あいつは仕事の詰めがあまい」の「あまい」ににて、程度が足りないというニュアンスだ。で、「しょうから」の「から」は逆に程度がきついことだ。

 英会話の勉強でマスターするためといっていろいろ理屈を言うが、子供はそんな理屈は知らなくても、単語もフレーズも、どう言う状況でどう表現されるかをトータルに覚える。というのは、子供にとって一緒に遊ぶと言うことは、同じ言葉を使うことが前提となり、違う言葉を使う子は「よそ者」になるからだ。そうなるとどこかよそよそしい雰囲気、心を開けないものが生じる。別に意地悪でそうなるのではなく、ごく自然にそう感じるにすぎないのだが・・・。
 ともかく私は4歳にしてこの世の中には違う言葉を使う人がいるということを知った。そして友達はそうではなく、一つの言葉しか使わないことも。幼い私は、家では倉吉の言葉を使い、玄関を出ると米子弁を使った。だから、我が家に友達が来て私が米子弁で会話しているのを聞いた母は目を丸くしていた。
 中学生になると英語を学ぶようになった。あまりおもしろいとは思わなかったが、ラジオから流れてくるアメリカンポップスを聞くのが好きになり、その英語は大好きだった。初めは意味もわからず聞いていたが、学校で習う英語の文法などがわかるようになったら、辞書を引いて歌の意味を理解するようになった。学校の英語の先生の発音は全然違うと思った。家では英語の教科書もポップス風に読んだが、学校では歌のように発音するのは恥ずかしいので、カタカナ英語にしていた。その感じは外で米子弁を使い、家で倉吉弁を使うのと似ていた。
 「言葉を変える」というのは、文法を考えながら文章を組み立て直すということではなく、雰囲気全体のチャンネルを切り替えると言う感じだった。だから、大学で仙台に行った時も、仙台弁を楽しんだし、違う地方から来た友達の方言を聞くのも好きだった。テレビなどで地方の人の話すのを聞いてその地方を当てる訓練をし、かなりの正解率になった。

 そういうわけだから、私は外国語を・・・、とは言えないが、「違う言葉」を使い分けられる人間だと思っている。それは程度の違いはあれ、地方から大都市に出た人が必要に迫られてしていることだ。

 ジャレド・ダイアモンドは驚くべき博学で、生態学で人類史を語り尽くす人だが、最近読んでいる本にバイリンガルのことを書いていた。それによるとアメリカで一つの言葉しか使わない子と、バイリンガルの子の成績を比較したら、後者の方が成績が悪いと言う結果が出たそうだ。私はちょっと意外であり、不満でもあった。だがそれは経済環境などが大きく違う集団を比較したものなので、比較として不適当だったということを明らかにし、後半では適切な比較をしたら、むしろ逆であったという。その理由は、脳の訓練にあるという。バイリンガルの人は毎日どっちの言葉を使うかを判断するから、脳をトレーニングしているのだという。実際、バイリンガルの人はアルツハイマーになりにくいという。

 自分の腹の中の言葉が口から出る言葉と同じものであるとしか思えない人と、そうでないことを知っている人では、大げさに言えば世界観が違うと思う。
 ある東京の下町に生まれ育った人が東北弁を聞いて「なんで普通に言わないんだろう」と言った。その人は、自分がそう感じることにつゆほどの疑いも持っていないようだったが、東北人は思ったことをわざわざわかりにくく話すとでも思っているのだろうか。同様のことはアメリカ人からも感じる。彼らは自分の話す言葉は世界中で通じると思い込んでいる。東京人やアメリカ人は、自分たちと違う言葉の人を気の毒に思っているようだが、私に言わせればそれは逆で、違う人の立場になれないという意味で気の毒なことだ。

 「せごどん」では薩摩や奄美の言葉が字幕付きで語られるが、リアリティがある。しかしこうなったのは最近のことで、長い間ドラマは東京弁だった。私は前々から思っていたのだが、赤穂浪士は赤穂の言葉、つまり神戸市あたりの方言で喋っていたはずだ。討ち入りが関西弁だとするとだいぶ雰囲気が違うはずだ。

 人はお母さんのお腹の中にいる時から耳にした言葉を聞いて心地よいと感じる。生まれてからは、それがどういう状況でどう使われるかを体得してゆく。それが「腹にある言葉」であり、多くの場合、それが「口から出る言葉」でもある。しかし、事情によりその両者が違う人がいる。そちらの方が少数派だから、そちら側の人が多数派に合わせる。そして多数派が哀れんでくれる。私はその少数派だったから、周りに合わせることをしてきた。そのことを「大変だねえ」と同情してくれる人もおり、曖昧な返事をしていたように思う。だが腹の中ではその方が良いと思ってきた。だから方言が好きだった。東京弁にはない表現があると嬉しかった。東京人が持たない感じ方や物事の捉え方をする世界があるのは当然であり、それは素晴らしいことであり、標準化することはそのすばらしいことを失うことだから、してはいけないと思ってきた。
 それを見事に表現してくれたJ・ダイアモンドを読んで溜飲を下げる思いがした。私は「他の子と違」っていたのは事実であった。それをコンプレックスに感じていたが、いまではそうではないと思っている。

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