高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

森とシカと日本人

2018-09-01 06:44:25 | 私の著作

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動物を守りたい君へ 感想

2018-07-01 20:21:27 | 私の著作
本書への感想には今のところ批判的なものはなく、好意的に受け止められているようです。やさしいことばでわかりやすく書かれていると指摘した人が多かったのはうれしいことです。高槻

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みさどん 2018/11/18
動物を守ることは環境全てに目を向けること。分かりやすく、ほとんどの人が知らない事例もあって、感銘を受けた。高槻さん、とても文がお上手だ。こんな学者さんが国の政策を引っ張っていってほしい。大人に読んでほしい。

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ひろろ 2018/10/27
野生動物の研究者である著者が,やさしい言葉を選びながら中高生向けに書いた本です。著者が終始強調しているのは,「リンク」の重要性です。リンクとは,動物と動物による単なる「食物連鎖」にとどまらず,たとえば昆虫が花の受粉をお手伝いをするといったことなども含めた,自然環境全体の,壮大かつ繊細な関係性のことと理解しました。オオカミを「邪悪な存在」と捉えて絶滅に成功した結果,「邪悪じゃない」動植物までもが絶滅の危機に瀕した過去の失敗事例なども,分かりやすく説明されていました。自然を守ることの難しさを学べる良書です。

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温水プーギー 2018/09/02
★5。大学で生物学を学んでいたが、生態学の話題やペット家畜の現状については知らないことが多かったので、とても勉強になった。特に「人間目線で動物を可愛がることと動物目線に立って愛護することは違う」というメッセージが心に沁みた。中学生前後でこの本に出会えた、動物好きな子供は幸せだと思う。

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ma273c 2018/08/18
動物を守るためにはちゃんと動物のことを知らないとだめ、ってことを学ぶための本。ペットと野生動物で章が分かれてるので具体的なことを想像しつつ読みやすい。子供が中学生くらいになったら読ませたい一冊。ただ反原発の話はいらなかったかなぁ。

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あさぎこ 2018/08/08
ペット、家畜、野生動物について、それぞれの章で分かりやすいが無駄の無い丁度いい量の説明が為されている。「守る」と言っても、例えば家族の一員であるペットの病気を治すといったような目の前の生き物の命を守るというより、まずはペットというのはどういうものなのか、どういう関わりを持っているのか、という所まで遡る。著者は野生動物の専門家なので、ペットや家畜よりも野生動物ひいては生態系についての話が充実している。大人にも十分にタメになる本で、ぜひともオススメしたい。

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yuri 2018/07/02
老若男女にとてもわかりやすい 生き物を大切にするということを正しく理解できる本 読み終えたら少し世界が広く見えるかもしれない

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Masayuki Takahashi 2018/06/25
ネタバレツイッターでお勧めだとのツイートが流れてきたので、少しだけど自然保護活動などやってるので、それの勉強のために読んでみた。 この本はペットについてというよりは生物多様性について述べている。 意外で重要だと思ったのは、今は絶滅してしまったトキの例で、餌場の田んぼと近くに寝床の森というセットがないと生きられい、そのためただトキを保護してもだめだということ。同様のケースが多々あり生物を守るということは、守りたいものだけでなく、全体を考えなければいけないことが書かれている。大変ためになった。

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肝胆 2018/06/13
ペットから野生動物、昆虫、森までひとつらなりに論じられているのを読み進むうちに自分の視野が広がるのを感じます。文章はやさしく、生態系に目配りした動物論として一読をすすめます。アニマルラバーとはまったく違う次元の立ち位置にあって、一方でピーター・シンガー的な「動物の権利」論に対しては批判的です。人間と動物(自然)の関係について考えたい人にとっての真の意味での「入門書」。

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モルモル 2018/05/19
動物との関わり方を考えさせられる本でした。 なぜ人間のやることには歯止めがきかなくなってしまうんだろうと絶望的な気持ちになる一方で、この便利な生活も手放せない。

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hiyohiyomaru 2018/05/15
「野生動物を助けたい」という中学生の気持ちへの答えとして書き出されるこの本。動物を守ることとは具体的にどのようなことかを洗い出す過程で、食べること、動物植物、農業、人間の暮らしとの繋りのこと、人間同士の多様性、原発事故のことへと拡がる。ジュニア向けのやさしい文章がとてもわかりやすい。これは大人こそ読むべき。

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てんきゅ 2017/09/18
動物を守るには、自然のつながりの知識が必要。引力の法則で、海に流れ込む栄養を、鮭は身体に貯めて川に戻り、熊は鮭を食べて、糞で森に栄養をもどす。「鮭が減るから熊を殺してしまおう。」って無知な発想は怖いね。


「本来、生き物はつながって生きていて、人間もそのつながりの一部であったのに、いつのまにか自分たちだけの閉じた世界に生きているような錯覚を持つようになってしまいました。」木を見て森を見ない、合理的で不正義で横暴で暴力的な行為の結果、多くの動植物が絶滅した。「世界は人間だけのためにあるのではない」レイチェル・カーソンが『沈黙の春』で訴え、今を生きる私たちがようやく到達した自然観が、アイヌの人々にとっては当然のことだったとは。動物を守りたい気持ちは、自然や地球を守りたいと思う気持ちにつながる。
2016年 9月12日

春木
動物を守るということはどういうことか、分りやすく書かれていて良かった。全ての生き物は繋がっている。その事に改めて気付かされた。
2016年 6月19日

Moeko Matsuda
自分のことを、感情的過ぎるのかな、と思うことがある。人間の利害と関係なく生きている動物達のことを思う時だ。私は動物が好きだし、子どもの頃から身近に彼らが生活が普通だったが、今でも「動物を飼う」いう表現には違和感を覚える。血統書にしか興味を持たない人々や、ペットショップに行くことを楽しめる人間のことを、心底軽蔑してきた。この本を読んで、そんな自分の感情的な部分と向き合うことができたように思う。優しい気持ちだけでは何も出来ない。私もちゃんと考えるから君も考えて欲しい。そんな切なる祈りがこもった本。
2015年7月27日

八ヶ岳高原でニホンミツバチと暮らす四季

若い世代の良き話し相手として、このシリーズを注目してください。わたしたちもまた、きみたちの明日に刮目しています。 . . . ("岩波ジュニア新書の発足に際して"より)
35年前、中学生、高校生を主な読者対象として創刊された岩波ジュニア新書。一流の執筆者が、その時代のホットな問題を取り上げて、難しいテーマを平易な語り口で解説してくれる。"古い世代"もおおいに気に入って愛読しているシリーズ図書の一つだ。
その岩波ジュニア新書の最新刊が、10月18日に発刊された「動物を守りたい君へ」。
「本当に動物のためになることってなんだろう?」. . . 帯に書かれたやや挑発的なコピーが暗示しているように、"動物を守りたい"ので獣医を目指す中学生や高校生へのメッセージの形をとりながら、実は、短絡的な動物愛護精神や、近視眼的な環境保護の問題対処活動に対する大人への辛辣な批判とも受け止めた。
著者は麻布大学の高槻成紀教授。八ヶ岳自然クラブのフクロウグループが、巣箱から回収した巣材や遺留物を提供している先生で、研究室の学生を連れて八ヶ岳南麓へも何度か現地調査に見えている。
というわけで、「フクロウと森林伐採」の章では八ヶ岳南麓のフクロウについても数ページを割き、我々フクロウグループの活動にも触れていただいている。

とかちのいきもの。
2014-03-06(Thu)
「動物を守りたい」生き物が好きな人間なら誰もが1度は抱く気持ちだと思います。
しかし、動物を守るとは、具体的にはどういうことなのでしょう?気持ちを実現するにはどうすればいいのでしょう?

この本は、家畜やペットと人間との関わりから、野生動物と私たちの生活との関わりまで、幅広い話題をカバーしています。そしてこれらの話題を通して、「動物を守るとは何か」を考えるヒントを随所で与えてくれます。

中・高生向きに書かれた本で、とても読みやすい文章で綴られています。いくつもの実例や、時には詩を挙げて、いきもの同士の繋がりを教えてくれます。研究者ならではの視点から、分かりやすい話題を提供してくれるので、思わずハッとさせられました。

「動物を守りたい」という気持ちを持つ方なら、その気持ちの意味を確かめるために、この本を読まれてみてはいかがでしょうか。

空飛ぶ色いろnatsuno7
本日、Earth Day。ちょうどこの本を読み終えました。著者がいうところの生物のリンクの重要さ。「風が吹けば桶屋が儲かる」なんて言い方もあるけれど、仏教の輪廻転生なんて言葉も彷彿として、生物学の本だけれど、哲学的でもあります。難しいことばが使われていないので、ココロに「沁み」ます。
人が見ることは植物にとってはなんの意味もありません。
たしかに。花からすれば、「まあキレイ」と寄ってくるニンゲンより受粉の助けをしてくれる虫こそウェルカム。
体の大きさ、力、攻撃などを基準にすれば「強い」大型肉食獣は、生態学的に見れば実は一番ひ弱な動物なのです。
だからと言ってむやみに保護しても、かえってひどく「リンク」を壊すことにもなりかねません。モンゴルの草原に野生馬を復活させようとするとき他の動物のテリトリーを侵さないか調査研究がされたそうです。まさに「冒険者たち」な「研究者たち」ですが、現実は地味で単調で、根気のいる調査だったそうです。
もっとも記録されている絶滅というのは鳥や哺乳類が中心で、実際には昆虫や貝類などもたくさん絶滅しています。しかし、人はそういう動物にまで目が届かないために、気がついたらいなくなっていたとか、その存在さえ知られないままに絶滅したものもたくさんあります。
日常のささやかなことでも、環境破壊をしないこと、そういうことを意識的に考えてみようと思うのでした。


「動物を守ることの意味を考えてもらいたい」
投稿者 synodos 投稿日 2014/9/26
野生動物の研究をしている高槻成紀さん(麻布大学獣医学部教授)が、「困っている動物を守ってあげたい」と思う人に「動物を守ることの意味を考えてもらいたい」と思って書いた一冊。人間の愛情を押し付けないで、ペットと付き合うために考えなくちゃいけないこと。人間が生きるために飼育し食べる家畜のためにできること。そして絶滅しかけている、あるいは繁殖しすぎている野生動物と人間との間にある問題を解決するために持っていたい「リンク」という発想。人の歴史の中で、長く深い関係を築いてきた動物たちと、これからも一緒に地球で暮らして行くために思い出したい、つながりについて考えさせてくれる一冊。

kanai0010さんのレビュー 2014年6月15日
野性動物との関わり、ペットとの関わり、家畜との関わり、共生について、そして東日本大震災のこと…。今まで言葉では「動物全体」「地球環境」「持続可能な」といいながらも、ついつい木をみて森をみず、動物個々の事象(例えば絶滅危惧種だったり、ペットの殺処分やや家畜の問題だったり、それぞれその時々自分の興味あるトピックで)となりがちだった自分というものにということに改めて気づかされました。
ジュニア文庫だけあって分かりやすく、語りかけるような言葉ですーっと胸に響きました。
子どもにも、おとなにも、一読をお勧めしたい一冊です。

読書感想文にピッタリです。
投稿者 いちご 投稿日 2015/4/21
読みやすく、分りやすい良い本です。
中学生の読書感想文用に購入しましたが、書きやすかったようです。

読書感想文
投稿者 momiji 投稿日 2015/10/19
中学生の子供の読書感想文用です。とても良い本で、内容は偏っていないので、安心できました。オトナの私が読んでもとても面白く感じました。

みとくみさんのレビュー 2014年4月23日
これは珍しく?学生から教えてもらった本。とても勉強熱心な女子学生が高校生の頃、この本に出会うことで視野が広がり、自分の本当にやりたいことに気付くきっかけとなったという。本書の内容を聞いていると、視点を変えることで見えるものや世界は変わってきて、善悪というのは一義的に決めつけられないというような内容だと話していた(ちゃんと理解できていたらうれしい)。私も読むと学びが多そうなので、本棚に入れておく。

理科や社会の断片的な知識がつながる
tcryuさんのレビュー 2014年3月23日
 この本で、我が家では初めての試みとして、うちの小学生中学年の子供たちに中高生向けのジュニア新書を読み聞かせしてみました。そうしたところ結果的に我ながら素晴らしいと思える教育的効果があげられたので、今後もこのような本を探してぜひまた読み聞かせに使ってみたい、と思うまでの良書でした。
 本書の何がそんなに良かったかというと、まず話題が子供たちにとってわかりやすいところから始まっているということです。子供たちも「動物を大切にしたい」という気持ちは当然持っています。さらに植物の受粉や動物の生態の話などは、授業でも断片的に少しずつ習っていることなので、全然わからない話ではありません。それで本書の良いところは、それらの断片的な理科や社会の知識が、筆者の実体験や具体的な地名によって肉付けされ、深められ、つなげられていくことです。理科の別の単元で習ったことがつなげられたり、理科で習ったことと社会で習ったことがつながったり、本書を読むとまるで社会科見学に行ったかのような効果があります。動物を大切にするという身近でわかりやすい話が、東北大震災、福島やチェルノブイリの原子力発電所の事故や、高度経済成長期の環境破壊までいつのまにかひろがっていくので、無理なくそこまで興味を持続することができます。東北大震災に関連して「ナラの木」の詩も良かったです。その詩が本書に全編転載されていなかったのはやむを得ないことでしょうが残念だと思いましたが、すぐにウェブ検索して見つけることができました。地方版の訳も見つけられたし、盛岡版の朗読をyoutubeで見つけることもできました。動物からは脱線とはなりましたが、方言に触れる機会ともなりました。
 画像を検索して見せたりクイズを交えたりなんかして、「ちょっとコレ楽しくてためになる授業になっちゃってんじゃないの」と自己満足までしてしまいました。子供たちの感想も「動物や自然の間にリンクがあるというのがよくわかった。アイヌの人たちが昔から地球は人間だけのものでないことを知っていたというのに感心した」など読書感想文のお手本みたいな感想を述べていました。お勧めです。
いいね!

candraさんのレビュー 2015年2月3日
いわゆる果実にはベリーとナッツがある。キャンディーはベリーに似ている(赤くて丸い)、という指摘が面白かった。

こ げ つさんのレビュー 2014年1月9日
これは良著です,ペットも含め動物と向き合うとはどういうことかということを,岩波ジュニア新書ということもあり大変わかりやすく書かれている。
海の恵みを鮭が森に運ぶ,というのには大変驚いた。

空のように、海のように
http://papi4883.exblog.jp/20956510

易しい言葉で語るのは難しい。
子供の伸びしろは果てしない、大人が断定してしまってそこで切らない注意が必要だ。
だからと言って大人が教えていかなければならないものもある。易しい言葉で伝えることの難しさがそこにある。

「私の住んでいる地球は人間だけのものではない。」という考えがこの本を貫いている。
トキやコウノトリは当時でも大都市だった江戸の空を飛んでいた。
今は日本原産のそのトリは絶滅して同じDNAを持つ外国産のトリが手厚い保護を受けて、佐渡や兵庫で放鳥され初めている。
トキが絶滅したのはよく言われる化学肥料や害虫駆除剤、乱開発だけが原因ではない。
大正時代に農民達が猟銃をもつようになって食料としてきたことが一番大きな原因になっているという。

シカやクマやイノシシやサルの害が問題になっているがオオカミが絶滅した以外に多くの原因があり人災であることをこの本は伝える。

なぜ動物を守らなければいけないのか、生物多様性が持続可能な世界をつくるというのが一般的な解答だが、著者は易しい言葉でそれを語る。「地球は人間だけのものではない」というのがベストアンサーだ。

著者は原発について厳しく語る。原発被災は人間ばかりでなく多くの動物達をも巻き込んだ。放置され飢え死にしたペット、殺処分された家畜達。動物達の犠牲はあまりにも理不尽だ。植物を含めて生き物達もおそらく何十年も被爆の重荷を負う。

その教訓になぜ学ばないのか。政権は原発再稼働に動いている。「地球は自分たちだけのもの」という勝手な思い込みがそこにある。動物と共に生きることが人間らしく生きることではないだろうか。

戦争や環境破壊、飢餓や伝染病等人類は大きな課題を抱えている。
「動物を守ること」、それは大人たちが易しい言葉で子供達に教えなければならない一番大切なことではないか、著者の声が心に響く。

科学読物研究会
http://www.kagakuyomimono.com/hon/8sekitsui/mamoritaikimihe/mamoritaikimihe.html

著者は動物生態学の研究者です。動物が好きで、けがをしていたり困っている動物を助けたいと考える子どもたちは多いでしょう。動物を守るということはどういうことかを、「ペット」「家畜」「野生動物」の3つに分けて具体的にわかりやすく書かれています。
ペットのいる生活の魅力はもちろんですが、ペット産業の隆盛の裏で売れ残った子犬が殺処分されたり 飼い主に捨てられて毎年20万匹以上のイヌやネコが安楽死させられていることもあえて書かれています。アライグマのような外来種のペットが逃げ出したり、捨てられて野生化して、在来種の動植物を食い荒らす問題も指摘されています。
 家畜は人間が生きるために飼育して食べる動物ですが、暗くて狭い部屋に閉じ込められ病気にならないよう薬を打たれて、時期がくれば処理される一生を送る動物に生命倫理という点で疑問だといっています。私たち消費者は 家畜の命をいただいているわけで、その動物が生き物として生きている間できるだけ健康でいられるように、と意識することはとても大切なことだと思います。
 野生動物を研究している著者は、動物の持つ特徴だけでなく、生き物のつながりや環境との関係を知ることが大切だと例をあげて紹介しています。人間と森とフクロウと森のネズミ、草原のネズミの複雑な関係や、モンゴルの絶滅種タヒ(野生馬)の復活が詳しい調査研究のもとに書かれています。アメリカのイエローストーン国立公園では、オオカミは1932年撲滅されましたが、オオカミに食べられていたシカが増えすぎて食害が増え、若い木や草がなくなり土砂崩れや洪水が起き、川も変化してビーバーが消えたそうです。そこでまたオオカミを放したらビーバーも戻ったそうです。このことからも生き物は様々なことでつながっているのがわかります。もちろん人間もそのつながりの一部です。世界は人間のためだけではないということ、地球上のいろんなつながりの中で人間も動植物も生きているのだから、動物を守るということは地球を守ることだという著者に私は心から共感しました。原発事故の半径20キロ以内の野生動物や家畜やペットのことも書かれています。この著者の『野生動物と共存できるか 保全生態学入門』(2006年岩波ジュニア新書)も合わせて読むと、いっそう野生動物のことがわかるでしょう。                 

Moeko Matsuda
自分のことを、感情的過ぎるのかな、と思うことがある。人間の利害と関係なく生きている動物達のことを思う時だ。私は動物が好きだし、子どもの頃から身近に彼らが生活が普通だったが、今でも「動物を飼う」いう表現には違和感を覚える。血統書にしか興味を持たない人々や、ペットショップに行くことを楽しめる人間のことを、心底軽蔑してきた。この本を読んで、そんな自分の感情的な部分と向き合うことができたように思う。優しい気持ちだけでは何も出来ない。私もちゃんと考えるから君も考えて欲しい。そんな切なる祈りがこもった本。

pugyu
怪我をした野生動物を治療することは動物を守ることになるのか。そんな切り口から、動物と環境の関係について分かりやすく説明してくれます。マルハナバチとサクラソウの関係は、絶妙なバランスで生き物が暮らしていることがよくわかりました。気温だけでなく雪の深さも重要なのだと。人間は閉じられた空間で生きているわけではない、自然を管理できるわけではない、ましてや自然は人間のためにあるわけではない。アイヌの教えをちゃんと知りたくなった。

れいか
比較的面白かった♪「つながり」の大切さを改めて感じる。様々な事情を知れた。シデムシとかの実験楽しそう。花の綺麗さはもともと人間のためじゃなく、残すため。大切な源を確認させてくれる

摩天楼
リンクの大切さをとても強調されているが、このことについて、動物保護にある程度関心があっても知らない人は少なくないだろう。この著者のように、広い視野を持ち、柔軟な思考のできる人が増えることが、動物保護には不可欠であろう。

かける
この本にはペット、家畜、野生動物と人間の付き合いかたについて考えてさせられるような内容がかかれている。特に野生動物はリンクを考えていかなければいけないのだと思った。

白花豆
ハチ公は忠誠心から渋谷駅に通ったのではなく、日課から軌道修正できなかっただけなど、実も蓋もない真実を暴くが、人間の感情や都合に合わせてペットや家畜、野生動物を扱うことに注意を促し、本当に動物や環境を守るための提言をする。糞虫の課題に取り組んだ学生に「池田さんも森の話を聞く耳を持てたのだな」と調査対象だけではなく、環境、存在、他の昆虫や植物とのリンクまで含めた研究をこのように表現する。好感のもてる先生。また大震災と原発事故後のペットや家畜、野生動物たちにも言及。人間の愚かしさを再認識した。
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人間の偏見 動物の言い分 感想

2018-07-01 04:10:56 | 私の著作
いい本はいつ読んでも一定の満足を得られる。 だけど、こういうのを読みたいと思っていたタイミングでいい本に出会うことはなかなかなく、今回は稀有な体験で、満足度も高水準だった。 都市生活者が大半を占める現在において、動物のイメージは簡素化・貧困化の一途をたどり、よくわからないものに対する畏敬は鳴りを潜め、よくわからないからとにかく排除してしまえばいいという蛮行が常態化しつつある。 生きものに対する尊敬と愛情、地道な調査の積み重ねと科学的な論考。 我々は互いに関係し合っていることを再認識させてくれる良書。

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神様として崇められていたニホンオオカミは明治政府が施した教育改革により欧米の価値観が輸入され、次第に悪魔の象徴と見なされたことが絶滅に繋がった⁉我々が動物に対して抱いているステレオタイプなイメージの根源を歴史的・文化的な側面などから読み解きつつ、動物豆知識も豊富に紹介してくれる一冊。命に優劣を付け、人間を害する存在は徹底的な駆除の対象とする。実はこれ、無知や偏見が生んだ行いだとしたら?作物を荒らす害鳥であるスズメとも共存共栄の道を歩いたお百姓さん。無駄な殺生を控えるために必要なのは知識と日本人が歩んだ道。

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宮部みゆき
 本書を読んだ後、アニメ映画『ズートピア』に登場する動物キャラクターのうち、実物を見たことがあるもの、触ったことがあるものが何種類いるか数えてみたら、私の生活はまさに著者が書いているとおり「存在感があるのはペットだけ」の都市生活者のものだと身にしみてしまった。
 その外見や生態が情報として「知られる」動物たちは、ほとんどのヒトにとって実体ではなくイメージの存在だ。神話や伝説、ファンタジー小説のなかのキャラクター付けされた動物たちも、イメージの集合体である。そのイメージ=「想像と解釈」はどこから生まれてきたのだろう? パンダはなぜ人気者なのか。ヘビはなぜ気味が悪いのか。タヌキやキツネが「化かす」のはなぜか。
 様々なイメージは、ヒトと野生動物や家畜との関わり合いの歴史に根ざしている。ではヒトの未来には、また新たなイメージを生んだり、共有することができるほど豊かな動物たちとの関わりがあり得るだろうか。そんな関わりを維持してゆくにはどうしたらいいのだろう。ぜひ著者の考察に触れてみてください。(イースト・プレス、1700円)

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 高槻成紀『人間の偏見 動物の言い分 動物の「イメージ」を科学する』は、動物にまつわる言葉を取り上げ、その背景にある意味を考え、ヒトが動物に対してイメージを持つときのパターンを考え、動物を解説する。
 恐怖心や不快感が嫌われる動物を生む。例えば蛇。
 かわいらしい動物は好まれる。例えばパンダ。
 危険であり、気味が悪く、不潔な動物、あるいはそのようなレッテルを貼られた動物は嫌悪される。このことは室内にいる小動物への非寛容と、その結果としての徹底駆除の姿勢に典型的に見ることができる。動物のヒトとして難しい時代に入りつつあるという。
 DNAは不変であるが、それが自然に発露できなくなり、都市生活の質的変化は、動物の死を隠す。

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zisuke 2018/10/08

人間の都合や好みだけで動物を見てはいけない。蝿も蚊もGも、糞虫も大切な仲間です。

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知佳 2018/10/02
480. ⑴たくさんある動物にまつわる言葉 ⑵動物へのイメージはどこからきたのか? ⑶ペットとしての動物 ⑷家畜としての動物 ⑸代表的な野生動物 ⑹利用される「野生」動物 ⑺動物観の変遷 ⑻私たちは動物とどう向き合うか

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江楠 巻菜 2018/08/28
マムシは虫の中の虫。マトリはワシ。それにしても偏見がすぎるやろ…ヘビかわいいやん…黒目がちなこもいるし…。、つまりその偏見をどう無くすか?興味ない人にもわかってもらうには?答えは理解であり知識である。偏見に打ち勝つのは智。

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江楠 巻菜 08/31 01:44
ダニがいること≠有害であること。農家が獣害で困っていても、駆除がニュースになると困ってる実感がなくて動物=かわいいの認識の都市部の人からクレームが入って現場が混乱するって獣害対策の人も言ってた。

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江楠 巻菜
江楠 巻菜
正しくない理解が偏見なのだから偏見に打ち勝つのは正しい知、というのはただのトートロジーかも。でも座標にしたい。
2018/08/31 13:57

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遊々亭おさる 2018/07/01
神様として崇められていたニホンオオカミは明治政府が施した教育改革により欧米の価値観が輸入され、次第に悪魔の象徴と見なされたことが絶滅に繋がった⁉我々が動物に対して抱いているステレオタイプなイメージの根源を歴史的・文化的な側面などから読み解きつつ、動物豆知識も豊富に紹介してくれる一冊。命に優劣を付け、人間を害する存在は徹底的な駆除の対象とする。実はこれ、無知や偏見が生んだ行いだとしたら?作物を荒らす害鳥であるスズメとも共存共栄の道を歩いたお百姓さん。無駄な殺生を控えるために必要なのは知識と日本人が歩んだ道。

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toyoguchinobuyuki
いい本はいつ読んでも一定の満足を得られる。 だけど、こういうのを読みたいと思っていたタイミングでいい本に出会うことはなかなかなく、今回は稀有な体験で、満足度も高水準だった。 都市生活者が大半を占める現在において、動物のイメージは簡素化・貧困化の一途をたどり、よくわからないものに対する畏敬は鳴りを潜め、よくわからないからとにかく排除してしまえばいいという蛮行が常態化しつつある。 生きものに対する尊敬と愛情、地道な調査の積み重ねと科学的な論考。 我々は互いに関係し合っていることを再認識させてくれる良書。

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私は、ゆずというペット動物と暮らしているわけですが。
テレビで愛らしい動物の様子を放映していても、それがペットか野生動物か、はたまた家畜か。
そのようなことは意識して見ていなかったなぁ、と思いました。
パンダのシャンシャンは、かわいいけれど野生動物。
農家さんが大切に育てている野菜を横取りする、にくたらしい猿や猪、熊とおなじ。
鹿も野生動物だが、奈良では神様の使いとして保護される一方、ジビエブームの昨今食べられることも多い狩猟動物。
日本人の動物を見る目は、その生活史の中で、食料調達の変遷に従って形成され、その基盤となる生活が大きく変化した明治を境に、また変わってきたそうです。
猫飼いとしては、猫のイメージ変遷も知りたかったけど(そんな下心で読み始めたけど)、ぜんっぜん違いました、この本。(^0^;)
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「人間の偏見 動物の言い分」の書評

2018-06-10 08:10:22 | 私の著作
6月10日の読売新聞の書評欄に宮部みゆきさん(作家)が素敵な書評を書いてくださいました。

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皇居のタヌキの糞と陛下

2016-10-01 21:20:38 | 私の著作
2016.10.8


<はじめに>
 明仁天皇陛下を筆頭著者とする皇居のタヌキの食性に関する論文(英文)が公表された。このことが報じられてから、複数の人から「タヌキの食性を調べるってどういう意味があるんですか」とか「新種発見とか絶滅危惧種ならわかるんですが、タヌキって珍しくないんじゃないですか」といった質問をもらった。それは私自身に対する質問でもあるような気がした。多くの人がこの論文に興味を持ちながら、学術論文であるからと敬遠して目にすることがないのは残念なことだ。そこで、タヌキの食性を調べてきた者としてこの論文の解説と感想を記してみたい。

<動物の食性を調べること>
 タヌキの食性、つまり「何を食べているか」を調べることはタヌキに関する生物学のひとつの項目である。分類学、形態学、生物地理学、行動学など、それぞれの分野についてタヌキで調べる価値がある。食性解明は、生物学の類型でいえば生態学の項目のひとつといえる。調べた結果、「タヌキには果実が重要で、冬には哺乳類、夏には昆虫も増える」などの事実が明らかになる。食性解明には、そういう動物学的な情報のひとつを提供するという意味があり、それを目的に調べられてきた。これは遡ればギリシア時代からの博物学の延長線上にある。
 生態学が発達してくると、生態学の目的である「生物と環境との関係」についての理解が深まってきた。個別の生き物の生活史を解明するだけでなく、その生き物が生態系の中で果たしている機能や担っている役割を解明するという視点が生まれてきた。植物は光合成をする生産者で、その葉を食べる草食動物がおり、その草食動物を食べる肉食動物がいるとみられるようになった。そういう視点に立てば、それぞれの階層内のバッタとシカは、葉を食べるという同じ役割をしているとか、フクロウとキツネはネズミを食べるという同じ役割をしているという見方がなされるようになった。これはイギリスのエルトンが提案したアイデアで、そのように見ると生き物は鎖でつながっているように見えるので「食物連鎖」と名付けられた。重要なのは個々の種の情報でなく、生態系の構造と機能をとらえるようになったということである。
 そのように考えると、「タヌキの食性」を調べることにも、図鑑的な知識をひとつ加えるという研究もあれば、タヌキが生態系の中でどういう役割を担っているのかという視点に立つものまでさまざまである。私たちも「タヌキの食性」を糞を集めて分析したが、興味はタヌキの種子散布という役割の解明にあったので、糞から検出される種子に注目し、識別するだけでなく、数も調べ、さらには実験的にソーセージの中にプラスチックのマーカーを入れて、タヌキの移動距離を解明するなどの工夫もした。こちら
 つまり、同じ「タヌキの食性」という課題でも目的意識によって相当違うものになるということである。その意味で、今回公表された皇居のタヌキの論文が、どういう目的で研究されたかを紹介したい。

<論文の作り>
 論文の導入部である序ではまず、タヌキは日本列島にすむ中型の食肉目で、東京では1950年代までは捕獲されるほどいたが、1970年代の都市化によって減少したことが書かれている。それに続いて、しかし最近は都内でも回復し、1990年代後半の調査では皇居に定着していることが確認されたとある。こうして日本列島レベルから東京、千代田区への絞り込みがおこなわれている。
 これに続いて、タヌキは決まった場所でトイレのように「タメフン」をすること、2006年から翌年にかけて調査をして皇居のタヌキの食性が明らかになったことが書かれている。ただし、1年きりの調査であり、年次変動については調べてないということが添えられている。実際、ツキノワグマやニホンザルでは年によって果実の豊作、凶作があって、それに応じてクマたサルの食性が大きな年次変動をすることが知られている。これが皇居のタヌキではどうであろうかというのが解明すべき課題であるとする。
 この論文の序は、科学論文としての一般的な形を踏み、過不足なく書かれていると思う。しかし、私にはもう少し聞きたいことがある。それは、天皇陛下が皇居で調査をされたことに触れて欲しかったということである。日本中で、あるいは世界中で、自分のすむ場所の生き物のことが知りたくてコツコツと調べている人がいる。それはもちろん学問の世界に科学的に調べた情報を提供するという意味をもつが、同時に「自分のすむこの土地にあるもの、いるもののことを知りたい」という人間ならだれでも抱く好奇心に発したものであり、陛下の場合はそれが皇居でされたということなのだと思う。
 陛下はハゼの分類学者でもあり、動物がお好きなのだと思う。その陛下が皇居内にタヌキがいて、タメフンを調べれば食べ物がわかると知られたときに、「これを調べてみたい」と思われたと察する。私は論文全体を読んで、行間からそのことを感じた。

<論文の内容>
 この論文を読んで、私にとって印象的だったことがいくつかある。まず糞から検出された種子が種または属まで識別され、その数が58にもおよんでいることである。これは一箇所での結果だから、これまでの研究と比べて破格の値である。識別は植物分類学者の門田裕一氏が担当したようで、私も個人的に知っているが、植物の知識は桁外れの人だ。専門家なのだから当然といえば当然だが、糞から検出される微細な種子を同定するのはたいへんなことである。

<わかったこと>
 さて、この分析でどういうことがわかったかというと、皇居のタヌキの食性においては森林に生える植物の果実が重要だということである。出現頻度が高かったのはムクノキ、クサイチゴ、エノキ、クワ属、イヌビワなどクサイチゴを除けば高木あるいは亜高木である。クサイチゴはキイチゴの仲間でも明るい場所に生えるモミジイチゴやニガイチゴと違って暗い林に生える。このうちムクノキ、エノキなどは何カ月にもわたって出現するが、クサイチゴ、クワ属などは短期間にしか出現しなかった。



 東京郊外の里山的環境のタヌキの食性ではヒサカキやジャノヒゲのように森林の内部に生える植物の果実も重要だが、明るい場所に生えるヤマグワやサルナシなどの果実もよく利用される。これに対して、皇居のタヌキの食性では森林の樹木や低木が主体を占めていた。このことが皇居のタヌキの食性の最大の特徴だと思われる。ただし、このことは2008年の論文でも指摘されていた。




<継続されたこと>
 この論文で重要なのは皇居では5年間調べてもタヌキの食性にあまり違いがなかったことが明らかになったことである。私たちは長野県黒姫のアファンの森や仙台の海岸のタヌキの糞を3年ほど調べているが、年によってかなりの違いがある。そもそもタヌキの食性は場所によっても、季節によっても、年によっても大きく違い、その柔軟性こそがタヌキの特性といえる。東京のような大都市の中にでも生き延びていること自体が、タヌキが状況に応じて臨機応変に生活様式を変えることができることを反映している。そのタヌキの食性が5年間安定していたことの意味はどういうことであろうか。
 私は皇居には行ったことがないが、写真集などをみると鬱蒼とした森林があるようである。明治神宮には何度か行ったが、高いクスノキやカシ類が覆う鬱蒼とした林なので、皇居の林もそれに近いのだと思う。タヌキは里山によくいる動物だが、里山の林は雑木林や人工林である。人工林は暗くてタヌキの食べ物になるようなものもあまりないが、雑木林は食べられる実のなる低木やつる植物も多く、昆虫なども豊富である。また雑木林は季節によって大きく様相が変化し、生える植物や昆虫なども変化し、年によっても大きく変化する。タヌキはそういう環境で生き延びてきた動物なのである。「狸」という字は日本でタヌキを指す漢字だが、文字通り「けものへんに里」、その特性をよくとらえている。
 ところが皇居では5年間、基本的にはムクノキ、エノキ、タブノキなどの森林の植物の種子が毎年同じように出続けた。これはタヌキの食性としてはユニークなことといってよい。この事実から、この論文ではタヌキの食性の安定性は、皇居の森林が安定した食物供給ができるからだと締めくくっている。つまり、タヌキの食性解明を目的にしているが、その結果を生息地との関係性において捉え、動物の生活が環境の影響を受けることを、皇居の森のもつ特徴との関連で示したものとなっている。

<ふつう気づかれないこと>
 ところで、私が感銘を受けたのは、論文の最後に添えられた付表である。そこには縦に植物の名前、横に糞を採集した日付がずらりとならび、一番下に「同定不能」としてその種子数もあげてある。これが書いてあるおかげで、全体で何個の種子が出て、そのうちどれだけが識別できたかがわかる。それは「要するに何がわかったか」には現れて来ないことだが、同じ研究をしている我々には、いわば論文の質をうかがう重要な情報となる。それに、この表には回収をしなかった日はグレーにしてある。結果に関する情報としては、回収日だけで十分なのだから、回収しなかった日が明示されるのはあまりないことだ。それを全部示すことで、5年間にどれだけの日数に採集しなかったかが一目でわかる。これを見て、実際に糞の採集をした私は、残りのこれほど多くの日に採集されたのかと圧倒されるような思いを抱いた。この表を掲載したのは共同研究者の意向なのか陛下のご意向なのか測りかねるが、私には陛下の誠実なお人柄が反映されているように思えた。

<そのほかに感じたこと>
 <皇居という場所>
 以上が私の解釈を添えながらの論文の紹介である。これを読んで私が感じたことはすでにいくつか書いたが、この論文から直接読み取れる生物学的成果を離れて、もう少し書いてみたいことがある。
 皇居はもともと江戸城であり、明治の近代化によって日本の首都になった東京に天皇家がお住みになることになり、そのお住まいとしてここが選ばれた。東京の街は関東大震災や太平洋戦争の大空襲で壊滅的な被害を受けた。しかし、その度に不死鳥のように蘇った。もっとも蘇ったというのは人の目から見たことで、戦後の復興は、失われた家屋の再建や、バラックをビルに建て替えることであると同時に、森林や田畑を宅地やビル街に変えることでもあった。それは人口を増やし、住民の生活の利便性をあげることだったが、野生動物にとっては住処を奪われることだった。シカやイノシシは江戸時代の末にはいなくなったと思われるが、キツネは戦後もかなり後までいたし、イノシシも郊外にはいたはずである。しかし1964年のオリンピックのあと、キツネはいなくなり、ひとりタヌキだけが生き延びた(もっとも最近ではハクビシンやアライグマもすむようになったが、これらは外来種である)。そう考えると、タヌキは東京の発展の中で例外的に生き延びた日本の野生動物ということができるだろう。その末裔が幾多の歴史的出来事を見てきた皇居に生き延びているということがこの研究の背景にある。

 <陛下のお姿勢>
 皇居の森という東京に残された貴重な森林の価値を考えて研究者が調査をするというのはありえることで、実際、皇居の動植物の調査がおこなわれた。これにより皇居にタヌキが生活していることが確認され、そのことがこの研究の契機となったようだ。私は、ここで重要なのは「皇居の住人」である天皇陛下が調査地の提供をされただけではなく、自らが主体となって調査をされたことにあると思う。お忙しいご公務、とくに東日本大震災のあとは、ご高齢を顧みず被災者を励ます活動をされながらのことなのだから、タヌキの調査は誰かに任せてもよかったはずであるが、そうはなさらなかった。しかもバードウォッチングなど、よくある自然愛好者のするような調査ではなく、タヌキの糞を採集して分析するという、ふつうの人なら敬遠するような調査を進んでおこなわれたのである。私にはそれがどのくらい大変なことなのか、想像すらできない。たくさんのタヌキの糞を採集して分析した者としていえば、強烈な匂いのする糞を拾うのも、水洗するのも、とても忍耐力と根気のいることである。それはやった者でなければわからない。私のように並外れて動植物が好きで、大学をリタイアして時間のある者でさえ、ときにうんざりし、ときに「明日でもいいか」と棚上げにしがちな作業である。それだけに、これをお忙しい日々の中で5年間も継続された陛下に、大いなる敬意と、強い共感を覚えないではいられない。世界にはいろいろなロイヤルファミリーがあり、能力や人徳で慈善事業活動をする人や、才能があって芸術やスポーツに長けた人もおられるに違いない。生物学に詳しい人がおられることはイギリス王室などの伝統として知られている。しかし自らが野生動物の糞を拾って顕微鏡を覗く人はいないに違いない。

 <純粋な好奇心>
 冒頭にふれたように、生物学は素朴な博物誌の時代を経て、厳密な実証性と高度な機器を使う精緻なものになった。また論理性の展開により、個々の種を見るのではなく大きい系を把握する視点ももたらされた。しかし、どのように形を変えてもその根源にあるのは対象を知りたいという好奇心にあることは変わることはない。とくに自分が住む場所の地形や鉱物や動植物を知りたいというのはわれわれの本能的な欲求ではないだろうか。しかし、そのことを私たちは現実の生活の中で置き忘れがちである。そのことを、天皇陛下は皇居のタヌキの糞を分析するという直球勝負で遂行された。

 <筆頭著者>
 共著であるこの論文の執筆過程を私は知らないが、かなりの部分を専門家がお手伝いしたことは想像される。しかし筆頭著者として最終的な責任は陛下が持たれるわけであり、最終原稿を読まれて、これは書かない、これを追加してほしいと言われることはあったに違いない。科学論文としてできあがった序に何の不足もないが、願わくば、この研究をどういうお気持ちで始められ、続けられたかを聞けたらどんなにかすばらしいことだろうと思った。

<役に立つとはどういうことか>
 このエッセーの冒頭にこの論文の価値や意義を問う声があることを書いた。それはひとつには「役に立つ研究」という価値観から発せられるものであろう。あるいは類稀れなものは価値があるが、ありふれたものは価値が小さいという発想によるものであろう。だが、タヌキの糞分析はそのどちらでもない。狭い意味で世の中に役に立つわけではないし、珍しいものでもない。これを調べさせたのは、素朴な知的好奇心そのものである。同じことをしている私は、タヌキを含むすべての命には等しく価値があり、それぞれが懸命に生きていることから感じる、敬意に似た思いがある。そういう考えからすれば、珍しいものは大切にするが、ありふれたものは顧みないという姿勢に批判的な気持ちがある。陛下にそういうお気持ちがあったかどうかは知る由もないが、私には、陛下もすべての生物に対する等しい価値を見出されているように思える。
 この論文について考えてきた。天皇陛下にとっては、原生自然の貴重な生物を研究されることも可能であろうが、そうではなく、日本列島にありふれたタヌキを選ばれた。それは生き物に対する博愛的な姿勢によるものであろう。そしてそれを正確に長期的に分析するという科学的姿勢で遂行され、論文を完成された。翻って、今の日本社会は経済を最優先し、効率こそが重要であるとし、しばしば利己的になり、自分に有利なものを優先し、そうでないものを軽んずる。この論文はすべての点でこれらとは対極的なものである。もし、そのことの意味を考え、この社会の在り方について立ち止まって考える契機になるとすれば、これほど「役に立つ」ことはないだろう。私にはこの論文には、そういう広く、深い意味があるように思える。

<昭和天皇のこと>
 さらに付け加えれば、私はどうしても裕仁昭和天皇のことを思ってしまう。裕仁天皇も生き物がお好きだった。しかし昭和という時代はこの国が戦争に突き進んだ時代であり、裕仁天皇がタヌキの糞をお調べになることを許さない時代だった。そのことを思えば、人の運命を思わずにはいられない。明仁陛下は類いまれな純粋さで自分の求める生き物への好奇心を持ち続けられ、ご高齢になられても、なおそれを実行された。それは明仁陛下であるからこそ成し得たことであるに違いないが、しかし、平和な70余年がなければ、実現されなかったことでもあると思う。この論文に接して、そういうことも思った。

追記:陛下による皇居のタヌキの研究を含め、タヌキについて「タヌキ学入門」という本を書きました。






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「動物のくらし」

2016-04-01 20:26:42 | 私の著作
私の気に入ったページを紹介します。


私は全巻のなかでこの絵が一番すばらしいと思います。ちょっと怖いくらいリアリティがあります。


これは私が担当したシカの項の最後で、雪の中でやせたシカのようすが無彩色の中にみごとに描かれています。


シジュウカラの巣のようすですが、描写の技術としても最高レベルにあると思います。






タヌキについてはその生活の一年を、その特性とともに紹介しましたが、果実を食べ、種子散布の役割をしていることを説明しました。


ひとつひねりました。タヌキの本にタヌキのないページを作りました。足跡だけを描くことで想像力をかきたてる効果を狙いました。


これはモグラから見た(モグラは目が見えないのですが)地上の世界の想像図です




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タヌキ学 感想

2015-10-05 21:13:10 | 私の著作
ありがたいことに多くの感想をもらっています。そしてその多くは好意的なものです。そうでないもののうち、建設的なものについて私の考えを書いておきます。

読書メーター

Satomi (2016年7月12日)
タヌキだけでなく、野生生物との共存について考えさせられる本でした。3.11で津波の被害を受けた自然は、意外と早く立ち直りつつあった。けれども、復興工事でせっかく生えてきた植物や戻ってきたタヌキがいなくなってしまったそうです。物事は、いろいろな側面から正しく理解して、考えないとダメですね。

涼色桔梗(2016年6月5日)
「けものへん」に「里」と書いて「狸」ってくらい、タヌキは人里に近くないと生きられない野生動物。アライグマでもアナグマでもハクビシンでも無いから注意。野毛山動物園でみんな並んでるから見比べると吉。糞の山から生態を研究するのは、好きでも大変そう…

小鳥遊小鳥(2016年5月26日)
まず、巻頭の写真が可愛いです。秋のタヌキってこんなに太るのね…… 著者は生態学の専門家ですがタヌキのイメージについての説明もわかりやすかったです。

ムージョ(2016年4月19日)
タヌキの生物学的説明からイメージの変遷。そして今日の生息環境の問題と一通りが学べる本。タヌキに関するイメージが実物とはずいぶんかけ離れていることが興味深い。身近な動物でありながら実はそれほど人と接触してこなかったということか。信楽焼きのタヌキがわりと最近個人が作ったというのも驚き。タヌキが食べる果実がどれも美味しそうでちょっと食べてみたくなった。著者は交通事故に対策がなされていないというが、町田には20年以上前からタヌキ道が作られている。使用状況は不明だけど。事故調査の際その話は聞かなかったのかな。

とりぞう(2016年4月13日)
「タヌキは同じイヌ科のキツネに比べると四肢が短く、太っている」なんていうあたりまえ(?)のことから、「アナグマはタヌキに似ているが、実はイタチ科」なんていうちょっと使ってみたくなるフレーズなど。「タヌキ学」があるのかどうか知らないけれど、タヌキのみならず動物好きには必ず得るものがある本。

みそ(2016年3月31日)
可愛い挿絵に惹かれて手に取った。中盤以降は調査記録的な記述が多い気がした。今日のタヌキのイメージがどう作られていったかという推理は興味深かった。

asiantamtam(2016年3月23日)
本一面タヌキタヌキとタヌキがゲシュタルト崩壊。タヌキが普通に生きていけるような里山が残っていったらいいのになあ。

ソラ(2016年3月18日)
タヌキには、どこか惚けていて親しみがわくイメージがある。本作では、昔話でお馴染みのタヌキを、食性や生態を分かりやすく述べられており、筆者のタヌキ愛が伝わってくる。意外だったのは、環境への適応力で、大都会でも生息していける種としての強さに驚いた。人間が生活範囲を広げていくにつれ、動物たちの棲家はどんどん狭められていったが、上手く生き残る術を身に付けた、まさにタヌキ親父的な立ち回り方は自分が持つタヌキの印象とはかなり違っていた。環境破壊が進み、これ以上タヌキ達が住む場所を追われる世の中にはなって欲しくないなあ

tall_hemlock(2016年3月16日)
シカが専門の方のタヌキの本で、生態学的なことだけでなく文化にも結構触れていて興味深い。東日本震災の後にタヌキが戻ってきた話も。  読み終わった翌日にロードキルされたタヌキ…通り過ぎざまにちらっとしか見てないからタヌキかハクビシンかわかんないけど、に遭遇してちょっと見につまされる思い。でも、「タヌキのための道を作った話は聞いたことがない」とあったけれど、「平成狸合戦ぽんぽこ」の頃にどっかでタヌキ道(車道の上だか下だかに設けたタヌキ横断用の通路)作ったという話はあった気がするなあ。

ayukaeru(2016年3月16日)
タヌキ愛にあふれている!イラストが非常にかわいらしい。タヌキ好きだ〜なんて健気なんだろう。そんな思惑なんて意に介さず、タヌキたちは淡々と生きているのだ。

木崎智行(2016年3月8日)
人間にどんなイメージを持たれるかは、その動物の生存に対して大きな影響を与えます。タヌキはどうでしょうか。ぽんぽこ腹鼓のポン太でしょうか。カチカチ山の残忍なタヌキでしょうか。人を化かすいたずらもの?やっかいなタヌキ親父?老練な古狸?タヌキ顔のおっとり優しいあの娘?たんたんタヌキのぶーらぶら?タヌキほど多彩なイメージを持たれている野生動物は他にいないかもしれません。なぜそんなにたくさんのイメージを持たれるようになったのか。日本人の暮らしの変遷や生態などから著者が考えます。他の野生動物が姿を消していく中、逞しく

夜兎(2016年3月7日)
たぬきがマイブームなので読んでみた。付かず離れずの関係でたぬきと暮らしていきたい。毎日餌をもらいに訪ねてくるけど、決して触らせないし一定の距離を保ち、餌を貰ったら少し離れた場所で食べる、みたいな。自然との共生という意味でも、付かず離れずのたぬきを。

詩ごとのblog(2016.3.5)

これはかわいらしくも、まじめでおもしろい本なのですね。
私はタヌキについてほとんど知らないけれど、
読めます。

イヌ科である。
というような、非常に基本的な情報からはじまって。

周囲の環境に合わせて、柔軟に餌を選ぶこと。
そのため、「これしか食べられない」
「これがなくなったら生息できない」
ということが、あまりないようなのです。

都市部でも見かける(私は見かけたことがありません)理由は
そのあたりにあるようですね。


しかし、やはり胸が痛むのは
交通事故で命を落とす件数が、多いということです。

とにかくざっとでも読んでみると、
あたりまえのことではあるけど

命は自然という舞台があってはじめて存在すること、

自然とは、人工物の対義語であること、

などが理解できる。


理解だけじゃだめということも。


都市部にもっと緑地を増やしたいと
やはり思うようになりますね。

ただ、緑地っていっても、
小さな緑地が途切れ、途切れにあるようでは
野生の動物たちのすみかとして不十分なようです。


というのも、
ある程度の距離を移動することが、彼らには
必要だから。


都市部になんらかの手を加えるときには
(例えば川沿いの土地をどう処理するか)、

人間以外の命が、ひきつづき生きていけるように
考える必要があると思います。

そのとき、必ずしも人間にとって
便利な結果だけを望むわけにはいかない。

そこがたぶん、いちばん人々を納得させにくいところでしょう。

先入観とか誤解とかによって
かえって不自然な環境、つまり人工的な環境を作ってしまうことも
ありますよね。

整備という名の、破壊です。


自然とは、お庭のお花畑のようなもの。
そういう先入観をもっている人が、多いのではないでしょうか。


よくよくまわりを見ると、そんなカラフルなお花だけが
集まって咲いている場所は、
あまりないはず。
しかも、なぜか外国原産のお花を
植えたがる人が多いのは、
いったいあれは、なぜでしょうか。


本来の自然とは、
もっと地味なものだと思いますね。
枯れたものは枯れたまま
季節が巡ってくるまでそこに放っておく。

その方がいい。

野々ゴリラ(2016年2月26日)
 タヌキについての入門書であり、イラスト付きでわかりやすく説明されています。本書はタヌキの基礎データから始まり、世間でのイメージについて、自然環境との関係、人と社会との関わり、と続きます。本書を読むと、タヌキは都会でも被災地でも生息できるたくましい生き物であることがわかります。しかし現代日本のように経済成長ばかりを優先し自然を破壊すれば、そのタヌキさえ生きていけなくなってしまうのではないかと、著者は最後に警告します。

魚京童!(2016年2月21日)
誠文堂新光社の栁千絵さんとは何度も議論し、ときに意見がぶつかることもあったが、よい本にしたいという思いは一致していた。

shiropiyo(2016年2月16日)
タヌキに思い入れがあるので手に取ったのですが、非常に楽しく読ませて頂きました。本書の中で高槻先生のタヌキ愛(?)が想定外のユーモアを生み出しています。

たくのみ(2016年2月14日)
タヌキのことに詳しくなる、というよりタヌキ雑学の入門書。キツネ、アナグマ、アライグマに比べ、世界での分布は狭い(アジアの一部)。震災後のタヌキの復活ドキュメント、ちょっと上から目線の問答解説Q&Aは読みにくいけど、画像が豊富で絵が可愛い。身近なだけにあまりにも知らないことが多かったタヌキ。ユーモラスな彼らの写真で癒されたい人にはピッタリです。

かい(2016年2月13日)
キャラクターとして、野生動物として、タヌキを解きあかした一冊。とはいえ「入門」とつく上に著者の専門は生態学なので、そちらがメインの本である。キャラクターとしての参考文献はほとんどあげられていない。それにしても挿し絵がかわいい。

yamakujira(2016年2月11日)
第4章の「東日本大震災とタヌキ」に、震災からまもなく5年を経た時期に発行する意味を思う。壊滅した沿岸部に戻ってきたタヌキが、防潮堤工事で追い払われる現実を嘆く。田老の被害を見れば愚行を重ねているとしか思えないのに。最終章の「タヌキと私たち」では「玉川上水とタヌキ」が近所の話題なので興味深かった。でも、グラフと本文の記述にズレを感じたのは理解不足だろうか。読んでみると、なるほど、タヌキという感じが獣偏に里と書くのが頷ける。生態については物足りないけれど、書名が「入門」だからね。

ㄜƕ(2016年2月6日
タヌキはイヌ科!!!!!

Daisuke Azuma(2016年2月2日)
タヌキの生態だけでなく、文化的な面からも考察されていて、化かすイメージ、狐と比べて間が抜けたイメージ、タヌキおやじのイメージ、等考察されていて面白い。生態のところも楽しく読めた。しかし震災でいなくなったタヌキが戻ってきたのを研究することで被災者を励ましたいみたいなくだりはどうかと思うし、あまつさえせっかく戻ってきたタヌキが防潮堤の工事で追い払われた、と批判的に書くに至っては神経を疑う。タヌキをかわいいのかわいくないのと言っていられるのも日々の生活が安定してあってこそで、そこをはき違えてはいけないと思う。

高槻:私の主張が理解されていないようで残念です。まず震災で被害を受けたタヌキが戻ってきたこと。このことで被災者が勇気付けられると思うことが「どうか」ということの意味が私には理解できません。それはふつうの感覚ではないでしょうか。あれほどの災害を受けながら植物も昆虫も鳥もけものもしっかりと生をまっとうしていることは、私にはいのちのすばらしさの象徴のように思えます。
 このことと、堤防工事のことはまったく別の話です。私は津波を防潮堤で防ぐことには、たくさんの意味で批判的です。これについて同様の結論に達した研究者は数多くいます。日本列島は本質的に津波を宿命のように受けるのです。まさに「日々の生活が安定」するためには、防潮堤を作るという、自然をねじ伏せるような姿勢は日本列島では逆効果なのです。東日本大震災はそのことを学ぶ最大のチャンスであったにもかかわらず、まったく学ぶことをしないで防潮堤を作ることに私は批判的です。なぜ「神経を疑い」ますか?論理的に書いてほしいものです。研究者は行政のすることを賛同するものだとお考えでしょうか?申し訳ありませんが、それはまちがいです。自分の研究の結論から批判すべきとなれば批判する、それが科学者の態度です。私は日本列島で日本人が暮らしてゆくには、自然に立ち向かうのではなく、自然とおりあいをつけることが肝要だということを半世紀の研究人生で学びました。この本にもそのことを書いたつもりですが、残念ながらこの方には読み取ってもらえなかったようです。


しぇるぱ(2016年2月1日)
シカと植物群落との関係を研究するのが得手のようです。当然、シカ、クマ、タヌキなどとも親しい。根が真面目な人なんでしょうね。懸命に面白くしようと筆を掻き立てているが、面白くない。東北大学で学んで研究生活に入ったのだそうです。後に東大で教授してます。東日本大震災が起きました。海岸は津波で破壊され、植物は塩害で枯れました。タヌキの溜め糞があると聞き、調査に赴きました。植生は回復し、タヌキも戻ってきました。巨大堤防を築く工事が進行し、溜め糞は重機で蹴散らされました。タヌキは再び海岸から追い払われました。

高槻:不思議なことにおもしろくない本を最後まで読まれたようです。根が真面目なひとなんでしょうね。ふつうのレトリックであれば、おもしろくないといったあとに、その理由を述べることで説得力をもたせるのですが、この人はただ目次を写しただけのような記述をし、感想が書いてないため、読む人を納得させることに成功していません。

Saku(2016年1月23日)
狸のことを知らなくても、生きて行く上では全く支障がないのだけれど(笑)この本では狸の生態だけでなく、人を化かすとか腹鼓を打つとかどこか抜けているとかっていうイメージが付いたのは何故かという観点からも 語られているのが面白い。意外に都会にも狸は棲息しているというのに驚き。読み進めていくうちに狸に親近感がわいて、3.11で被災し居なくなった狸が戻ってきたところで、帰ってこれて良かったね狸!ってなった。

あんこ(2016年1月23日)
「ケモノヘンに里と書いてタヌキと読みます。人にとって身近な野生動物です。ほんとんどの東京23区で生息が確認されています。」えええっ?うちの近所では見たことないぞ。でも、もしかしたらいるかもしれないタヌキは、あらためて見るところころしててかわいい。シティーダヌキの生態についてもうちょっと知りたくなった。

ささ(2016年1月21日)
たぬきかわいい。意外に知らない狸というものに少しばかり迫れた気がした。質問コーナーは誰かから寄せられたものなの?寄せられたものに対してなら、辛辣すぎやしませんか?

高槻:最近の若い人の反応でおもしろいのは、大人にきついことを言われたことがないものだから、正論をきちんというだけで「辛辣だ」「きつすぎる」「上から目線きらい」などということです。もし世界の同年代の人と交流するつもりなら、それではまったく通用しないことを覚悟してください。こういうふうにしてしまったのは私たちの世代の責任で、まことに申し訳ないことです。

Book Hunting

帰り道、住宅街の物陰から、ひょいとネコが出てくる。だが、ネコにしては歩き方がおかしい。しっぽも太い。なんだ、タヌキじゃないか。という程度には、タヌキに化かされたことはある。こんなふうに身近にいるといえば、タヌキは身近にいる。しかし詳しいことは、ほとんど知らない。いや、知っていることなど皆無に等しい。ここはひとつタヌキ学に入門とくか?

そして、タヌキといえば、キツネである。内山節の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』は、べらぼうに面白かったので、タヌキも同じように面白いことを期待する(安直)。なお、2月10日に荻上チキのラジオ番組「Session-22」に著者の高槻が出てた。音声はこのリンク先から聞ける。かなり渋い声してる。

里山はもちろん、東京23区のほとんどで生息が確認されている一方、その生態はほとんど知られていないタヌキ。

どこにすんでなにを食べているのか、どうして化かすと思われたのかなどの基礎知識から、津波後の仙台湾にヒトより早く戻ってきた話など、野生動物の専門家がひとつひとつわかりやすく解説。

タヌキへの親しみと敬意を与えてくれる一冊

投稿者 dynee 投稿日 2016/1/8

生態学を専門とする筆者ではあるが、本の内容は人間から見たタヌキの文化的イメージなどにも触れており、タヌキを網羅した内容となっている。3.11後のタヌキの糞の組成を調べた記述は非常に興味深く、彼らの逞しさに改めて驚嘆するばかりである。また添えられたイラストも非常に愛らしく、まさにタヌキ学入門の名を冠するに相応しい入門書である。

深夜放送
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シカ問題を考える 感想

2015-10-05 09:50:47 | 私の著作
読書メーター


科学に佇む(2016年7月10日)
複数シカ本をあたった中でこれがまずイチオシ。手軽な新書で、全方位目配りで、濃い。ほかには『シカと日本の森林』『シカの脅威と森の未来』『世界遺産をシカが喰う』などがあるが、おおむね専門書仕様が過ぎて一般の入門には推しづらい。

イグアナの会 事務局長(2016年6月28日)
急激にシカが増えたことで、山が壊れていく。農作物への被害。林業への被害。生態系の変化。。。シカが急増の原因は、森林伐採によるシカの食糧増加、牧場の増加、暖冬、ハンター数の減、オオカミの絶滅。。。。いいテーマだし、よく調べられていると思うのですが、、、ロジックツリーが見えづらく、読みづらい。なんで、著者が何をおっしゃりたいのかが、研究者でない私にはよくわからない。

MOKIZAN(2016年6月27日)
この四半世紀で鹿が急増し、様々な懸念事象が発生している。とくに食害により、森林の世代交代は勿論、最早不毛地帯と化し、地盤崩落の危機に陥っている地域が増えているとのこと。同様のケースは、とうに無人島になった島で、住民が置き去りにした山羊が繁殖、やはり食害で草木が繁らず地肌が露出し、風雨の度に土砂が海岸伝いに流出している画像を見たことがある。林野庁あたりで、もみじ肉の普及国家プロジェクトを立ち上げ、意義ある鹿捕獲策を検討、着手しませんか。それとも浅草あたりで、鹿革なめす?にしても本書あとがきは秀逸と感じる。

光影光(2016年5月7日)
タイトル通り、近年、ようやく問題視され始めたシカ問題について書かれているのですが、シカ問題を通して、自然の営みについて、我々人間について考えさせられる本でした。

yamakujira(2015年12月29日)
各地で問題視されているシカの食害と対策について考察する。高山植物が食われ、草原が裸地化して、斜面が崩落するなど、自然環境に与えるシカのインパクトは座視できないほどだと、あらためて驚愕した。オオカミの絶滅、積雪量の減少、狩猟圧の低減、山村の過疎化など、さまざまな要因が一気に噴出した感じだね。シカ柵の設置で凌ぐのも限界となった現在、当面は心を鬼にしてシカを駆除するしかないだろう。環境省が主導して、啓蒙活動と並行しながら都市住民の非難を怖れずに、思い切った駆除対策を施してほしい。

now and then

シカ問題、つまりニホンジカが増えすぎ、日本のあちこちで被害が出ている問題のことなのですが、前から関心があるので、関連した本をこれまで何冊か読んできました。
しかし、著者の高槻先生が冒頭で書かれている通り、どちらかというと研究発表的な難しいものばかりでした。そんな中で、長年シカと植物の関係を研究されてきた高槻先生が、一般の読者向けに書いた新書です。
シカの被害…と言うと、農作物への被害を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、実際はもっとグローバルに森林・山地の植物への被害が深刻になっています。
急増するシカの話で真っ先に出てくるのは、今や石巻市内ということになった金華山のシカの話。現在あの小さな島に400頭のシカがおり、これはかなりの高密度なのだそうです。そのため、慢性的なエサ不足で、島の植生にも大きな影響を与えています。
農作物への被害はわかりやすいですが、森林の植物への影響は、都市部に住んでいる私たちには日頃目にすることがないだけに、日本全国そんなことになっているとはと思うほどのもの。先生は「森を食べ尽くす」とまで書かれています。植物に影響が出ると、森に住む他の昆虫や動植物にも影響が広がるというわけです。
後半は、なぜこれほどまでにシカが増えてしまったのか、原因と思われることを1つ1つ考察していくのですが、諸説あるもののズバリの正解は浮かんできません。それは複合的な要素もあるからですが、最終的には日本の農村社会の崩壊が招いたことなのではという結論に達しています。


趣 深 山

『シカ問題を考える』高槻成紀著 山と溪谷社 2015年12月25日初版

著者は動物生態学、保全生態学を専攻してきたが、今日のシカ急増の背景を動物生態学から説明しよう試みたが、どの要因でも十分に説明できない。

1 森林伐採による食料の増加
2 牧場の存在
3 地球温暖化による暖冬
4 狩猟圧の低下
5 オオカミの絶滅

そして 著者の手には余る大きな課題として
6 農山村の変化
に 大きな要因があるのではないかと論じている。

「かつての農山村は人がたくさんいて、密猟を含む野生動物の頭数抑制や徹底した草刈りが行われたから、草食獣にとっての食糧は乏しく、身を隠すところもない、近づきたくても 近づけない場所であった。」


実際 かつての山村は人が溢れて 活気があった。
きれいに手入れされた田畑は動物の入るスキがなかった。
しかし いまでは 山村では 人口が減少し 耕作放棄地 廃屋 人手の入らない里山、山林が いたるところにも 野生動物が闊歩している。

シカ問題解決に向けての 取り組みも 本書のなかで 紹介されているが 著者の動物生態学の立場だけでは どうにもならない 山村の活性化の課題を提起している。


http://blog.goo.ne.jp/shumiyama/e/9eaa1c31ba8a75cfc83b7f1a192db497

16.1.28
【書評】●高槻成紀著『シカ問題を考える』●
     ~バランスを崩した自然の行方~ ヤマケイ新書

 乙女高原でお世話になっている高槻さんがまた,本を出されました。すごいペースです。
 高槻さんの本は、このメールマガジンでも何回か紹介しました。
 メルマ319号で紹介した『唱歌「ふるさと」の生態学』
  http://fruits.jp/~otomefc/maga319.html
(ヤマケイ新書)もそうだったのですが、今回のこの本も、このテーマで書くとしたらた高槻さんが一番ふさわしく、しかも、書くことが一番求められているの
は「今」だよなと心から思える本です。

 この本は,今,日本中で問題となっているシカの急増に伴う自然保護問題を解説した一般の人向けの本です。今,シカ問題を知らない人のほうが少ないと思います
が、シカが増えることによって、そこの自然にどんな影響があるのか、その影響をどのようにして「見とる」のか、そもそもシカとはどんな動物なのか・・・など、シ
カ問題に対峙するための基本的な知識と、向き合うさいの立ち位置や考え方の方向性を示唆してくれる本です。
 たとえば、シカが増えるということは、その土地の土も問題を抱えてしまうし、花だけでなく虫にまで影響が及ぶし、森林の更新にも影を落としてしまいます。ま
た、シカの増加が害になる動植物ばかりかと思えば,シカがたくさんいた方が生存に有利に働く動植物もいます。具体的に、どんなことが起きているか想像がつきます
か?

 この本には高槻さんと麻布大学野生動物学研究室の皆さんが乙女高原で行ってきた調査観察の成果も書かれています。見慣れた写真も出てきますよ。私たち乙女高
原ファンにとっては、それもこの本の魅力のひとつです。

 シカが急増した「背景」には何があるのか?も考察しています。森林伐採による食糧の増加? 牧場の存在? 地球温暖化による暖冬? 狩猟圧の低下? オオカミ
の絶滅? それぞれについて疑わしい点、それだと断定すると出てくる矛盾点について分析し、最終的には農山村での暮らしのあり方の変化であると言っています。

 シカ問題は、乙女高原でも顕在化し,最近,シカ柵を作ってもらったばかりです。多くの人でシカ問題を考え,そのよりよい解決方法を探っていくためにも、ぜひご一
読をお勧めします。

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16.1/1
『シカ問題を考える』高槻成紀著 山と溪谷社 2015年12月25日初版

著者は動物生態学、保全生態学を専攻してきたが、今日のシカ急増の背景を動物生態学から説明しよう試みたが、どの要因でも十分に説明できない。

1 森林伐採による食料の増加
2 牧場の存在
3 地球温暖化による暖冬
4 狩猟圧の低下
5 オオカミの絶滅

そして 著者の手には余る大きな課題として
6 農山村の変化
に 大きな要因があるのではないかと論じている。

「かつての農山村は人がたくさんいて、密猟を含む野生動物の頭数抑制や徹底した草刈りが行われたから、草食獣にとっての食糧は乏しく、身を隠すところもない、近づきたくても 近づけない場所であった。」


実際 かつての山村は人が溢れて 活気があった。
きれいに手入れされた田畑は動物の入るスキがなかった。
しかし いまでは 山村では 人口が減少し 耕作放棄地 廃屋 人手の入らない里山、山林が いたるところにも 野生動物が闊歩している。

シカ問題解決に向けての取り組みも本書のなかで紹介されているが、著者の動物生態学の立場だけではどうにもならない山村の活性化の課題を提起している。

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となりの野生動物

2015-10-04 22:46:04 | 私の著作
いちおし!楽しいもの調査隊
2016年01月17日
今日の一冊は、高槻成紀著「となりの野生動物」
です。

 東京23区にも生息するタヌキ、
すみかを追われたウサギやカヤネズミ、
人が持ち込んだアライグマ、
人里に出没したり、田畑に被害を与えたりするクマやサル、シカ。
 
 野生動物は、私たち人間にとって身近な「隣人」です。

 私たちはその隣人のことをどこまで知っているでしょうか。

 野生動物の生態から人間との関係性まで、
「動物目線」で野生動物を見続けてきた著者が伝える、
野生動物について考えるキッカケになる一冊です。

 高槻さんは、元東京大学教授で動物生態学、保全生態学を研究していました。
でも、小難しいところはちっともなくて、
軽妙洒脱な筆致で、気軽に読める本になっています。
1章ごとに各動物が取り上げられていて、
昔話に出て来るイメージから人間がその動物をどうしてそう捉えてきたのか、
など、面白い語り口に引き付けられます。

 理系の学者先生の書く本は、
論文を書くクセが抜けないせいか、
だいたい一般人には読み辛いものですが、

この本は、エッセイのようで非常に読みやすいです。
それでいて長年、フィールドワークをしてきた高槻さんの経験が
随所にちらっと、しかし控えめに出て来て、
なかなか深い読み物でもあります。

各章が独立しているので、
好きな章から読むことが出来るのもいいですね。

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カヤネズミのかわいさは異常。露出が少ないだけで有名になれば、かわいい動物特権で本気で保護してもらえるはず。著者はネズミがもってきた負のイメージを背負っていると考えているようだけど、新しい世代ならネズミ自体との接触機会が少ないので、あまり抵抗がないはず。
 そしてハムスターのたぐいは愛玩されているのである。
 茅場がカヤネズミのために保全されれば、ノウサギも保護されて、ノウサギが増えればオオワシの個体数にもいい影響があるかもしれない。もしかしたら、トキよりもカヤネズミの保護は連鎖効果が大きい?

 となりの野生動物はタヌキのしっぽに縞はない。縞があるのはアライグマである。など人が抱きがちな身近なはずの動物への勘違いに触れた本。なぜそんな勘違いが起きたのか、歴史的な経緯から考えている。
 最初に勉強になることは少ないと書いていたが、100kgを超える大型動物で冬眠するのはクマだけであり、大型で冬眠するのは恒温動物として矛盾しているという指摘がとても面白かった。
 さいきんは暖冬によって冬眠しないクマがちらほら観察されるようになっているが、彼らの生理にとってはどうなのかなぁ。

 野生動物に対する著者の考え方には頷けるところも首を傾げるところもある。都会の人を「動物を良く知らないため、感情的に保護を求める」集団とみているが、もっとも厄介なのは「ともかく攻撃的になっていれば、一段レベルの高い自分だと思いこめる」人々なのではないか。
 彼らは彼らで対象への理解を深めることをせずに場当たり的な殺戮で問題解決から遠ざかっていく恐れが強い。

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2015.2.14

暮らし・環境・人との関わり、というタイトルから、人為も含めた生き物の生態、の話だと思っていたら、冒頭のタヌキがいきなりカチカチ山とかタヌキおやじとか、そういうイメージの話からでびっくりする。どうもタヌキは間抜けというイメージが付いている。
この導入部は、ムズカシクないよ、というアピールだろうか。タヌキは狸と書くように里の生き物で、今も東京23区すべてにすんでいるという。高速道路での死亡動物も一番はタヌキだ。
著者は、自動車は公共の整備による道路で発展してきたのに自動車会社はロードキルを減らすためにその利潤を還元したりしない、と責める。
それでもなおタヌキは人里ちかくに暮らしている。タヌキなんていなくても困らない、という人が多いだろうけど、みんなだいすき「環境」問題は、そういうのも含まれるんじゃないだろうか。

続いてウサギ。これもイメージから。学校でウサギを飼うのは情操教育の一環、のようだけど、もともとは日清・日露戦争での兵員の防寒のため、ノウサギが穫られて激減したので、軍部が学校でウサギを飼え、と文部省を動かしたのだそうだ。

イノシシ。シシとは肉をさし、イノシシとは本来「猪の肉」らしい。十二支では亥(い)、の一文字だが、やはり獣としては「イ」だけでよいようだ。見た目やイメージとは違い、人里に斥候を送ったり、1メートルの障害物も飛び越え、60kgの重いものも持ち上げるというスーパーな動物。

アライグマ。外来種だが野生化している。アライグマはタヌキ以上に環境適応力がありそうだ。著者はここでもペットの放逐と、そしてその後に起こる生態系の混乱への無理解に怒る。

こういう感じで9種の動物が紹介される。それぞれイメージからはいる導入部は、社会が動物にイメージを持つ、ということ自体がおもしろそうだと思ったからだ、というおよそ自然科学者らしくはない理由からだった。
最後に、逆に動物からみた人間のイメージが語られている。
「人口が3倍にもなって、世界中から食べ物を買って、エネルギーを輸入して、都市に集中し、地方で人口が減って、僕たちが増えたらけしからんという。わからないことだらけだ。」これはシカの言い分の抜粋。ベタだがそのとおりだ。けれど、この問題も林業家にとっては大きい問題でも、都市生活者にとってはあまり関心が持てない。
無関心はすなわち無知であり、無知は誤解を生んで決断を誤る。シカ以外の里山動物もみな田畑を荒らしたりするから生産者は困る。だが都市生活者は生産そのものに対しても無関心から決断を誤るループにあるかもしれない。

この動物はこう思われているけど、本当はこうなんです、なんていうだけの話ではない。やっぱり「暮らし・環境・人との関わり」だった。
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野生動物と共存できるか 感想

2015-10-03 22:08:37 | 私の著作
共存は難しい
投稿者 志村真幸 トップ1000レビュアーVINE メンバー 投稿日 2015/9/22
 著者は保全生態学の研究者。
 岩波ジュニア新書で、中高生向けにわかりやすく書かれている。
 著者は日本でシカ、サル、クマを対象としているほか、モンゴルでモウコガゼル、スリランカでゾウなども研究しているらしい。モンゴルの茫漠たる草原で動物たちを追いかけた体験談なども盛り込まれており、おもしろい。
 人間の生活と、野生動物との衝突に関する現状がいろいろと挙げてあり、一部については解決例も示されている。基本的には人間側に立ち、しかし、動物への対処も可能なかぎり手厚くというスタンスだ。科学的な態度を徹底している点が特徴。
 野生動物との共存はかなり困難なようだが、それでも可能性はあると思った。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2014/11/28 23:17
 以前読んだ、同じ著者の「動物を守りたい君へ」がとても良かったのでこちらも子供に読み聞かせしました。同じように良書でした。こちらの方が焦点が絞れているとも言えます。
 とても良いのは総合的だということです。基本的には生き物の話であるわけですが生態学ということで、社会科的な視点が必要になっています。たとえば、スリランカやモンゴルの暮らし、そこの人々の考え方や、ほんの少しだけれど歴史も。この本を読むと、多面的なものの見方をしなければいけないとか、人は社会全体で間違った通念を持ってしまうことがあるといった、とても大切なことが生き物という親しみやすい具体例を通して学べます。「かわいい!」とか「かわいそう!」とか表面的な衝動で終わってはいけなくて、詳しく検討して意見・行動すべきである、ということは知性に本質的なことだと思うんです。
 難易度が、親が適度に解説を加えながら小学生に読んでやるのにちょうどよいです。中学生なら自分で読むのにいいでしょう。
 「ラクダはラクダだが、ホルゴルはラクダではない。」

大人が読んでも手ごたえあり
投稿者 chairo 投稿日 2014/2/14
子供向けに簡単には書いてありますが
そうだそうだと納得することが多く、大人が読んでも
十分にいろいろ考えさせられる本でした

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2014/03/07 14:54
保全生態学入門のサブタイトルどおり理解しやすく目的を達成できた。
第1章の生物が消えていくの中で、農業基盤整備事業を農業基本整備事業と書き違えたり、暗渠排水の説明が咀嚼不十分からか間違っていて気になった。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
2013/07/27 14:21
生物の保全には生態の保全が必要、つまりその生物を取り巻く環境の保全こそが重要。
そこで力を発揮するのが、「保全生態学」。
本書はこの保全生態学の基本について丁寧に書かれてます。

今どんな問題が起きているか、絶滅とは、保全生態学とは、その実践とは、生物に対する価値観とは…
そういったテーマごとに多くの具体例で話をしてくれるので、とてもわかりやすい。

設定されてる読者層が中学生くらい(たぶん)のジュニア新書らしいつくり。
語りかける文体なので、非常にとっつきやすいです。

ただこの「ジュニア新書」、侮るなかれ。
読んだことのある人はわかると思うけど、「どこが『ジュニア』だ」と感じさせるしっかりした内容の本が多い。
本書もそのひとつ。

ウニや貝を食べて漁業被害をもたらすラッコを駆除したら漁獲高が減った。
サケの遡上による海・川・山のつながり。
オオカミをめぐる自然観・動物観の変化。

こういう内容はそれなりに知識を得てきた大人でも知らない、おもしろくて興味深いことだと思う。
大人にこそオススメ。

本書には、筆者の野生動物への愛と尊敬が満ちている。
「どうにかこの想いを知ってもらいたい」という熱のあるいい本。

筆者は動物を好きになってもらいたいと言う。
それは「かわいいから好き」だというのではなく、理解してほしいということ。
人間にとってどんな生物であるかは関係ない、その存在自体に価値があるし尊ぶべきだ、というわけですな。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++
2012/10/16 22:59
野生動物とわたしたち人間とのつながりについて、とても分かりやすく書かれていた。日本のみならず、世界の野生動物や植物についても、興味関心を広げていきたいと思った。

ジュニア本と侮るなかれ!生物多様性入門に最適
投稿者 maimai 投稿日 2011/1/30
生物多様性については、いまだに個人や企業として何をすれば良いのかよく分からないし、十分な理解がないままに「何をすればいいのか?」という答えを出すことに急いだり、アクションリストに先走ってしまう雰囲気になんとなく抵抗感がありました。

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2012/08/23 21:02
ジュニア新書ということで子供むけに書かれた内容。
しかし生態学を知らない大人が読むにもわかりやすくてよくまとまった内容だった。
子供向けなのに「科学的な知見から」ということを徹底していたところがよかった。

私は大学である程度生物学を勉強したので、「生態学全般」に関してこの本を読むことで新たに発見したことは多くなかったけれど、恥ずかしながら個々の事象については新たに知ったことが多かった。
子供たちにこの本の内容を知ってほしいのはもちろんだが、ジュニアと言わず様々な人が読む価値があると思った。

アイヌの人々の考え方と保全生態学の考え方に通じるものがある、という記述に共感した。『カムイ・ユーカラ』(山本多助)を今度読もうと思った。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++
2012/06/23 14:12
子供が読んだので語ろうと読む。自分の小学校時代に子供だけで山に冒険しに入りニホンカモシカを見た時は感動した(実は小学校にもシカが時々出没するほど田舎だった。熊に遭遇しなかった事が幸い)。小中で好きだった人の父親はハンターだったな…などと懐古。以降は本からの引用です//飼育動物と野生動物。メダカ。農業基本整備事業…田んぼに大きな変化。外来生物。農業被害、ラッコ、ウニ、昆布、漁獲高減。生息地の破壊。1900年は20億未満。世界中の島々…ヤギ…捕鯨のため。

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2011/04/16 12:46
是非ともこどもたちに読んでほしい一冊。
ペットと野生の生き物の違いは何?恐竜の絶滅とアマミノクロウサギの絶滅はどうちがう?同じ野生生物なのにトキは守って、シカを駆除するのはなぜ?
オオカミは欧米では悪者、日本では神様として扱われるのはどうして?
これらの答えは簡単ではありませんし、ひとつではないかもしれません。野生生物に触れ合う機会が激減し、ほとんと隔離状態ともいえる現代のこどもたちといっしょに考えながら読みたい本です。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++
2010/12/19 14:32
この前に読んだ「捕食者なき世界」ウィリアム・ソウルゼエンバーグ著
や、「沈黙の春」レイチェル・カードン著の読破メモも書けていないけど
先にこっちをやっつける。

本書は
人間と野生動物とがどのようにしたら共存できるか!というノウハウ本ではなく
野生動物との共存を例に
1)動植物のつながりあいの重要性
2)単純なメディアから情報だけで信用せずに深く考える力
3)価値観や文化や生活習慣の違いの認識
を、判りやすく伝えている。

2010.12.12
生物多様性については、いまだに個人や企業として何をすれば良いのかよく分からないし、十分な理解がないままに「何をすればいいのか?」という答えを出すことに急いだり、アクションリストに先走ってしまう雰囲気になんとなく抵抗感がありました。

そんなモヤモヤしたなか、本書は、「そもそも何が問題なのだろう?」と自問自答させられるような、本質的な問いを投げかけてくれます。

動物は好きだけど、ペットと野生動物は全く違う。
何故そもそも野生動物は絶滅しているのか。
保全にとって大切なのはどういうバランスなのか。
そもそも人間優越、自然支配、自分たちの当たり前を見直す必要はないだろうか。
本当の豊かさとは。

ジュニア向けの本なので非常に分かりやすく、また著者のとても熱い思いが伝わってくる良書です。子供のころこんな本を早く読んでおけば良かったなぁ。としみじみ思いました。

f087022の日記
2010-06-26
 20世紀、特に後半になって野生動物に関する問題が多くなっている。生息地や個体数減少のような問題であるが、その大半は人間が原因である。この本はそのような時代において、人と動物との付き合いを示す一冊である。全体的に話し言葉でつづられているため、とても読みやすい本である。

 まず第一章では野生動物に関する問題をメダカ、ツキノワグマ、サル、シカ、ヤギ、マングース、ラッコを例に解説している。

例えばツキノワグマとサルでは農業被害や人に危害を加えることが問題になっている。この問題の原因は生息地が少なくなっていることや、食べ物が少なくなっていることが挙げられる。しかしそれらの原因のほとんどは人間が関係している。奥山の伐採であったり、山の恵みを過剰に採取したりしているのだ。このような問題を考えるうえで重要なことは安易に目先の結論に飛びつくのではなく、事実を確認し、長い期間、広い視野をもつことである。

第二章では「絶滅」について書かれている。

はじめに、イギリス、北アメリカでの出来事を紹介している。イギリスやアメリカでは現在は動物愛護や自然保護の精神が根付いており、大きな国立公園などを設置している。しかし、時代をさかのぼるとその精神は、多くの動物の犠牲の上になりたっていることがわかる。イギリスでは産業革命以降、森を切り開いたことでヒグマやオオカミなどが絶滅。アメリカでは食料、羽毛のためにリョコウバトが絶滅し、バイソンは娯楽のための射撃に利用され、激減した。これ以外にも多くの動物を絶滅させている。絶滅は自然界ではごく普通におきる現象であり、とても長い期間での出来事である。しかし近年の絶滅は人間が原因であり、かつてないスピードで起こっている。

絶滅した種の特徴を考えることで、これ以上の悲劇を引き起こさないヒントを得ることができる。ジャイアントパンダやガンジスカワイルカは生息地が限られる。何らかの理由で生息地の環境が変化すれば絶滅してしまう種だ。またスペシャリストと言って、特定の食べ物しか食べない種がいる。これらの種は食物に融通が利かないため、人間による環境変化が起きた場合に絶滅する危険性がある。スペシャリストの反対の言葉はジェネラリストと言われる。一方で生物学的な特徴ではなく、人間による利用ができる種も絶滅の危険がある。天然資源と考えられ、スポーツ狩猟に利用され激減する。また人口問題で食料、住居が必要になり動物たちの生息地を奪ってしまっている。

野生動物絶滅に対する深刻さに気付き、世界各地で保護運動が展開されている。絶滅が危惧されているジャイアントパンダ、タヒ、アホウドリを保護する運動を紹介している。これらの動物の減少した理由は生息地の減少であったり、乱獲であったり、人間が原因である。ここでは、保護に携わった人々の努力が記されている。保護するために研究が重ねられ、生息地を確保し、繁殖させる。これらには長い期間が必要で、失敗はつきものである。国同士の国際的な協力や、多くの人の協力が必要であることがよくわかる。

第三章では生態学、保全生態学の考え方やそれを通じた生物のつながりを解説している。まず分類学、生理学、遺伝学などを総合し保全生物学が生まれた。そのなかで生態学は生物と環境、生物個体同士、種間の関係などを研究対象にしており、保全にはとても重要な学問である。保全生物学の中で特に生態学に重きを置く学問が保全生態学である。保全生態学の考え方で、キーストーン種、アンブレラ種、フラッグシップ種、コリドーがある。キーストーン種を金華山のシカを例に解説している。キーストーン種というのはその生態系で最も影響の強い種を言う。またアンブレラ種の解説するためにコウノトリが例になっている。コウノトリを守ることで、関係する小動物、植物が守られる。フラッグシップ種はその名の通り、旗のように目立つ種である。パンダが例になっている。パンダは生物学的にも特徴があるのだが、世界的に人気があるということで特別である。その人気を利用することも大切なことだ。この言葉は保全生態学というより、保全のための言葉である。コリドーは回廊という意味である。人間によって森が減少し、小さな森がとびとびに存在するようになる。範囲の狭い森林では生息できなくなる種が出てきてしまう。広い範囲の森を再生することは困難であるが、狭い範囲では可能であるかもしれない。ということで小さな森をつなげようという考え方が生まれた。それがコリドーである。

次は生物同士のつながりをオオカミ、サケを中心にして解説している。まずオオカミはヘラジカと森林との関係である。オオカミが減れば、ヘラジカが増え、森林が荒れる。その逆もある。自然界の微妙なバランスが存在し、それは時間的にも場所的にも存在する。サケはクマやタカとの関係が記されている。遡上してきたサケをクマなどが食べ、山で糞をすることで栄養が山に運ばれる。その栄養は森林に吸収され、健全性が保たれるのだ。

生物同士が複雑な関係を持つことが分かる。保護する対象のみを考えるのではなく、もっと広い環境を守ること、微妙なバランスを保つことが大切である。

第四章では筆者の研究に関する体験が書かれている。

まずは岩手県五葉山一帯で起きているシカの食害に関する体験である。シカが増え、山に食べ物が無くなると人里に下りてきて、農作物を食べてしまう。筆者はシカが増えすぎていることを収集したデータから示し、シカを減らす提言をした。そして行政と地元ハンターと共同し、農林業被害を減らすことに成功した。このプロジェクトは筆者にとって初めての経験であり、研究成果を対策に生かしたいと思う経験であったそうだ。

このほかに、モンゴルにおけるモウコガゼルの研究や、鳥の渡りに関する研究が記されている。これらは研究者の実際がよくわかるように書かれている。網を張って対象を捕獲したり、地味な作業はつきもののようだ。動物には国境がないが、人間にはあり、それらの相互協力がなければ研究は成り立たない。また行動範囲が広いため、調査器具の進歩が研究に大きな影響を与えることもよくわかる。

第五章ではクマ、サル、シカ、ヤギを例にしてどういう取り組みが必要なのかを解説している。クマやサルは山が荒れ、農山村が衰えて農林業被害につながっている。シカも同様であるが加えて自然林に影響を与えている。ヤギは人間が持ち込んだ外来種であり、その被害が広がっている例であった。それぞれ違った性質の問題を抱えている。違った性質を見極めるためにはそれぞれに綿密な調査を行い、必要なデータを集めることで、科学的な判断をとることができる。これらの問題はメジャーになりつつあるが、里山の動物のようにありふれたものの保全は遅れている。

第六章では人と動物との関わりを通じて、その国の人を理解しなければならないという筆者の考えが述べられている。ここではモンゴル、スリランカでの体験が書かれている。モンゴルでは家畜との関係、スリランカではゾウとの関係が例に挙がっている。この章では同じ人間でも環境が変われば、生活習慣が違い、その違いによって自然環境や野生動物に対する考えが異なることがよくわかる。国によって、人によって様々な価値観を持っている。その例をオオカミ、アイヌ民話を例に書いている。

生物保全に必要なことは、本当に動植物を好きになること。動植物をよく知り、理解することである。また自分にとって当たり前なことが、実は違うかもしれないと常に疑うことで、様々な価値観を理解することである。

野生動物の価値として、「薬や食料になる可能性がある」とか、「美しいものを見て感動できる」とか、人間にとって役立つから価値があるとする人がいる。しかし、いま地球上の生命のほとんどが人間より先に生まれ、互いに微妙なバランスをとりながら生きてきたのだ。そのこと自体がかけがえのないことであり、価値があるのだ。動物が地球に存在している価値は、人間の存在には関係がなく、人間も動物も同じ価値であると認めることが必要である。だが人間は特異な存在であることは理解しなければならない。特異ということは知能が発達し、あまりにも大きな力を持ち、人口が増加し、資源を使いすぎているということである。だからこそ立場を正しく評価し、野生動物の立場を考慮して、いかに生きるかを考えていかなければならない。

本書で筆者はさまざまな野生動物の問題を紹介している。そのなかには筆者の経験した出来事が多く含まれている。実体験が交えられていることで、現実味があり、研究者の苦難などがよくわかる。問題に対する研究後の対策では行政などとのやり取りもあり、交際的な協力の必要性もわかる。動物のことだけでなく、その土地の特徴などの描写もあり、関わった地元民とのやり取りもある。そういった人間との関わりから、価値観の違いがあることがわかる。価値観の違いが異なる環境から成立した生活習慣や異なる宗教などが関連していることも書かれている。岩波ジュニア新書であるから、やさしい言葉で書かれているが宗教の価値観などにも言及し、生物保全にはさまざまな分野を知っておくことが必要であることがよくわかるだろう。保全生態学の考え方もわかり、生物の関わろうとする子どもにはとても参考になる本であると思う。また全く関係のない人でも生態学についての考えや、野生動物に関する問題についてよくわかるだろう

【釋知恵子 2006/12/22】
 とにかく読みやすく、わかりやすい。野生動物の現状と問題に人間の営みがどんなに関係しているのか、それを解決するために何を考えて行動しないといけないのか、実例が随所に織り込まれ、著者の考えるところがよくわかる。特にいいなと思ったのは6章。暮らす環境の違いで野生動物に対する考え方もいろいろあるんだから、自分の価値観が全てと思わず疑ってみようというところ。スリランカの人が、バナナをゾウに食べられて被害が大変でも、「ゾウを殺すなんてとんでもない、ただどこか遠くに行ってほしいだけだ」と答えたという例とともにストレートに伝わってきた。

【六車恭子 2007/02/23】
 人里に出没するツキノワグマ、農作物を食べるサル、国立公園の貴重な植物を食いつくすニホンジカ・・・、いま野生動物たちに何が起こっているのか。ここ数十年の人々の暮らしの変容が背景にあるという。かって北アメリカで起こったリョコウバトやバイソン、インド洋のモーリシャス島のドードー、イギリスのヒグマ、オオカミ、そして日本のオオカミ、これらは生物の進化の過程で起こった絶滅ではない。彼らの生息地の森林が切り開かれ人的要因で滅ぼされたのだ。その滅びの途上にある野生動物は枚挙にいとまがない。保全生態学の見地から人知を結集して危機を脱した野生たちもいるのだ。真に豊かである意味を野生動物との関わりで探ろうとする好著。何を知り何をしなければならないかを見極める、保全生態学の果たす役割は大きい。

【和田岳 2006/12/04】
 著者は、もともとシカの研究者。海外では、モウコガゼルやアジアゾウの研究や保護活動に関わってきた。そんな著者が、動物好きの子どもに向けて、哺乳類をおもな題材に、保全生態学を、そして、人と野生動物との付き合い方について書いた本。
 野生動物と言いながら、出てくる大部分が中型~大型の哺乳類。というのは、少し片寄ってる気もする。でも、出てくる動物になじみやすいという意味では、大型哺乳類を中心にするには間違ってないかもしれない。近年、日本で問題になっているクマ、サル、シカの問題についての、著者なりの考え方も示される。
 この本を読んで、少しでも多くの人が、野生動物との付き合い方について多少でも考えてみて欲しい。という意味でお薦めの本。ただ、全体的に牧歌的というか、現実のきれいな側面しか紹介していない感が強いのが、少し気になるところ。子ども向けだから?

【西村寿雄 2006/08/05】
 この本は〈ジュニア新書〉とはいうものの、子どもたちがすっと手にする体裁の本ではないかもしれない。しかし、今の人間にとってかけがえのない自然観について切々と説いている。わたしたち大人が手ほどきをしてでも、ぜひ生徒たちに伝えたい本である。
 最終頁に著者は〈野生動物の価値〉について問いかけている。〈いま地球上にいる生命は、おたがいにつながりを保ちながら生きている。そのこと自体かけがえのない価値をもっている」と語りかけている。〈保全生態学〉という新しい学問分野から、今の野生動物の実態と研究過程が紹介されていく。シカやクマ、サル問題を考える材料を提供してくれている。

ヲチ後感想文

ウニやアワビを食害するので、ラッコを駆除した。
漁獲高は上がるかに思われたが、逆に下がってきた。
なぜか。
ウニが増えすぎて、ジャイアントケルプを食べ尽くしてしまい、ウニやアワビはもちろん、その他の海中の生き物の生活の場が失われてしまったから。

クマの話、ニホンザルの話、オオカミとシカの話などでよく聞く話なんだけど「自然環境を守る」ことの難しさを研究者の立場で著したもの。

豊かさの基準を少し変える必要があるんですよね。
便利であること=豊かさではないってことで。
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シカの脅威

2015-10-03 19:48:47 | 私の著作
http://d.hatena.ne.jp/yoshitomushi/20151005/1444003395
まるはなのみのみ

2015-10-05
【書評】シカの脅威と森の未来―シカ柵による植生保全の有効性と限界Add Star
読書 | 09:03

私はシカ柵が嫌いだ。今年はシカ柵により痛ましい事故もおきたが、それ以上に、囲い込みによる自然と人間との乖離間が半端なく、人間の生きるゾーンと(シカを含めた)自然環境ゾーンと区別されているようで嫌なのだ。最近は道路へのシカの飛び出し防止柵がいたるところに張り巡らされていて道路から森林に入るにも一苦労だったり、河川伝いに人家周辺にシカが入り込まないように河川沿いにシカ柵が張り巡らされていて河川内に降りるにも柵を潜れそうなところを探さなければならなかったりと、たいへんな思いをさせられることも多い。本書で扱われているシカ柵は、植生の保全目的のものが多いので設置は仕方ないところであるが、本当ならないほうが良い。それはこの本の中のどの著者も同じように考えているようだ。

本書を読み、勉強になったことが2つあった。1つは単にシカ柵を設置しても植生の成立過程や性質により、基の植生が成立するとは限らない点。もう1つは、シカの移動経路として大規模林道等が使われており、その法面緑化がシカの移動期の主要な餌場となっていて、そのような開発行為がシカの増えすぎを助長している可能性がある点。後者は何となくそうかな、と感じていただけに、やっぱりそうだったのかとすごく納得させられた。

地域ごとの今まさに動いている著者らの報告はとても勉強になる。お勧め本。

余談だけど、ショッキングな写真も多かったが、加藤真「生命は細部に宿りたまう――ミクロハビタットの小宇宙」に出ていた写真が、1987年と2003年の全く同じ構図で対比されていたので、こちらの方が思いっきり殴られたようにインパクトが強かった。
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食べられて生きる草の話

2015-10-03 12:28:02 | 私の著作
2015年10月 2日

たくさんのふしぎ2015年10月号「食べられて生きる草の話」は金華山のシカのお話!

タイトルだけではよくわからなかったのですが、中を開いてみますと、牡鹿半島の先端にある金華山(石巻市)に住むニホンジカとノシバ(野芝→日本に昔からある芝)のお話でした!
近年は、あちこちの森林でシカによる食害が広がっている話を聞きます。もちろん金華山でもそうなのですが、ノシバにとってはそのシカが大きな味方になっているのです。

40年ほど前は、ススキ原だった金華山が、徐々に増えてきたシカによって食べられていくうちに、今はノシバの芝生になっていきました。シバはシカにモリモリ食べられることに強いのです。芝は芝刈りをすることによって他の雑草などが生えにくくなるのですが、シカが芝刈り機のような役割を果たしているのですね。

しかも…です。ノシバの種は、一度シカに食べてもらって糞となって出てきたほうが、発芽率が高いとか。どうしてなのかは読んでいただくとして、まさにシカと共生しているような植物ですねぇ。金華山の芝は日本のノシバであることは知っていまして、観光地なので芝生を貼っているものだとばかり思っていました。あれは言わばシカが作り出した風景だったのですね。

著者の高槻先生は、植物にとって迷惑なシカも、芝は食べられても平気…逆に助かっているという、動物と植物の関係が見えてきて「自然の話」が見えてきたとありました。私も目を開かれたような気がして、子供向けの本ながら最後はちょっと感動しました。

シカの脅威と森の未来―シカ柵による植生保全の有効性と限界
前迫 ゆり 文一総合出版 2015-08-03

植生学的な観点からみたシカの害とシカ柵の調査研究をまとめたもの。金華山にもシカ柵があり、「たくさんのふしぎ」の中にも出てきます。思っていた以上にシカの食害が全国に広がっているということがわかります。そしてシカ柵にはもちろん限界もあるということも。
シカが若い木や森の下草を食べ尽くしてしまうことは「驚異」ではあるのですが、かつてシカが日本各地で激減したのは、人間が狩猟によって捕りすぎ(おそらく食べた)たからですし、森林面積がどんどん減っているのも、ほとんど人間の仕業。そうでなくても、江戸時代後期には、人間が増えすぎて、燃料にするために木を伐っていたので、日本各地の里山は丸裸だったそうです。シカを食べるオオカミを絶滅させたのも人間ですし。

日本の森に昔から住んでいるシカを、森林から排除してしまうのも「自然」ではありません。芝のようにシカからの恩恵を受けている植物もあります。何が「自然」かということなのでしょうね。

本当は人間が増えすぎることが一番不自然なのかもしれないですね。「絶滅危惧種」という言葉を聞くたびに、人間の身勝手さも少し感じます。

読んで、人間ももう少し謙虚になって、自分たちも「動物」であることを思い出したほうが良いのではないかと思いました。

『食べられて生きる草の話』(「たくさんのふしぎ」2015年10月)
高槻成紀/文 福音館書店

 著者が長年,宮城県にある金華山で観察したシカとシバ草の関係をまとめた記録がもとになっている。まずは,金華山の地形紹介から入る。金華山は,10km2ほどの島に500頭ものシカが棲んでいるというかなり高密度のシカの
生息域となっている。次に,著者が調査に入った1975年頃の様子が描かれている。シカの頭数もうんと少なく,地面をほとんど覆っていたのは…シバではなくススキだった。背丈も大きいススキが島の地面を覆っていた。ところが1985年ではススキはどんどん背が低くなり,1990年にはススキは影を潜め,シバ草が面積を広げるようになった。ここで,著者は疑問を持つ。ススキと同時にシバ草もシカに食べられているのに,どうしてシバ草は増えているのか。このことをつきとめるために,著者は大学構内でシバを植え,10cm四方の中だけをハサミで刈り取りシバの生育を見たり,ススキも刈り取ってススキの生育も見る。3年後には見事な結果が出る。ススキはほとんど生育せず,刈り取ったシバ草は青々と茂っていた。植物界では知られていることなのだが,シバは地下茎を持っていて刈られたらまた芽を出す習性なのだ。金華山では,シカが日光を遮るススキを食べ,シバ刈りの役目も果たしていたというわけである。ここで,さらに著者は「シバ草の種はそんなに飛散する構造ではないのに,どうしてこんなに広がるのか」と疑問を持つ。著者は,さらにシカの役割を考えて実証していく。さて,シカはシバ草を食べる(刈る)と同時に,どんな役目をしていたのでしょうか。「40年前には聞こえなかった自然の話が今ははっきり聞こえます。」と著者は結びに書いている。別書でこの著者の『唱歌「ふるさと」の生態学』(山と渓谷社)もなかなか楽しい本である。                  

遠い日
2015年9月17日:おーちゃんママ
「食べられて生きる草の話」高槻成紀・文/菊谷詩子・絵 宮城県金華山のシカとそのシカが食べる芝との関係の研究を40年にわたって続けてきた高槻さん。シカに食べられることで、消滅するのではなく逆に増えていく芝の謎をわかりやすい実験を含めて解説する。シカと芝の絶妙なバランスがおもしろい。環境というものの応用能力、自然の意思ともいうべき変化が興味深かった。

40年たって聞こえてきた自然の話
投稿者 りあーな 投稿日 2015/12/29
シカとその餌となる植物の関係を、日本各地で40年以上にわたって研究してきた高槻成紀さんの想いがつまった絵本です。著者の研究の出発点となった宮城県の金華山島での40年にわたるシカと植物の研究をとおして、ようやく聞こえてきた自然の話。
「いま、この鹿山の景色をみると、40年前には聞こえなかった自然の話がはっきりと聞こえます。」
この挿話は、ソロモンの王が指輪をはめると動物の話が聞こえたことを引いて、自然をよく観察し、必要なら実験をすると「自然の話が聞こえてくる」という、著者がもっとも伝えたかったこと。とてもいい絵本です。

絵はとても気に入りました
投稿者 Cosyo 投稿日 2015/12/8
絵本のような内容だとは思わずに購入。うちの高学年には向かなかったようです。新聞コーナーをもっと充実させて読みやすい形になればよいかも。
毎月購入はしません。
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2014年

2011-04-01 11:32:53 | 私の著作

2014.12.12
『唱歌「ふるさと」の生態学』の読後感想を紹介したいと思いますので、お寄せください。内容を「動植物」、「里山」、「社会」、「歌」、「その他」の5つに分けて紹介します。なお、場合によって一部省略することをご容赦ください。

2014.11.1
唱歌「ふるさと」の生態学~ウサギはなぜいなくなったのか?>がヤマケイ新書として出版されることになりました。この本は、国民的な愛唱歌である「ふるさと」に「ウサギ追いしかの山」という歌詞があるのに、実際にウサギを見たことのある人がほとんどいない不思議をとりあげ、それが日本の里山の変貌によるものであることを生態学的視点から解き明かします。同じ視点で「小鮒釣りしかの川」から日本の水の問題、「山は青き」から日本の森林や林業の問題も解き明かします。こうした考察から、過去半世紀に起きた日本の社会の変貌とその意味を考えます。12月12日の発刊予定です。



あとがきより
 これまで私は生物学の本を書いてきたが、この本はそれだけではなく、音楽や社会のことにまで言及した。私はもちろん生き物は好きだが、歌や絵や子供も好きだ。ただ、生き物以外のことは私の私的な別物だと思ってきたが、本書の執筆の過程で、そうしたことが融け合うように反応するのを体験した。

 本書の出版が私の大学人としての最後の年に当たったというのも思えば不思議な気がする。私が退官の年まで無事に研究を続けることができたのは、ようやく独り立ちした頃から暖かく見守っていただいた東北大学時代の故飯泉茂先生、故菊地多賀夫先生、その後、東京大学、麻布大学で出会った多くの研究仲間、同僚のおかげであることを改めて思い、感謝でいっぱいである。学生諸君とは調査に分析に苦楽を分かち合うことができ、幸せな研究生活を過ごすことができた。そして私が少年の頃にもった生物学者になりたいという夢を支えてくれた両親、半生をともに歩んでくれた妻、知子、そして我が家に光とぬくもりをもたらしてくれた娘や孫たちにもお礼を言いたい。


2014.7.16
アファンの森の調査
 すっかり夏の装いで、間伐林もこんなに緑が濃くなりました。


ヒヨドリバナはとくにチョウに人気の鼻で、この日もヒョウモンチョウ類がたくさん旧蜜に来ていました。


 クルマバナは前にもみたことがありましたが、これほどまとまった群落は初めて見ました。これにもミドリヒョウモンが来ていました。


2014.6.25-26
伊豆半島でシカの影響調査
 各地でシカが増えて植生に強い影響を出しています。その程度を評価するためにいろいろ工夫されていますが、あまりに専門的で論文にはなってもふつうの人には採用しにくいものばかりです。今求められているのは、広い範囲でたくさんの調査がおこなわれることで、そのためには植物をある程度知っている人であれば可能な簡便な方法を確立することです。そういう考えでこれまでの経験を活かして8項目をチェックすればよいマニュアルを作ってみました。それをいくつかの場所で適用して、「行けそうだ」というところまで来たので、今年の夏はそのことを実証することに決めました。
 それで伊豆半島の天城山を中心に調査に行きました。天城山では、最初たいしたことないと思っていたのですが、道路を登るにつれ、はっきりとシカの影響がわかるようになり、ある高さを超えると、林の下はなめられたように植物が少なくなり、林縁にはシカの食べない植物だけが目立つようになりました。それどころか真っ昼間なのに道路脇でシカが草を食べている姿さえみました。


天城の万三郎と呼ばれる山の途中まで登りましたが、生えているのはアセビとコアジサイくらいでした。


そのほか土肥峠、達磨山、戸田峠などを経由し、修善寺を通って熱海のほうに抜けました。


人工林の多さにも驚きました。マニュアルに改良点もわかりました。

2014.6.7
文一総合出版という出版社があり、生物系の本を出しています。同好の人であれば「ハンドブック」シリーズの出版社といえばおわかりかと思います。そこが「このは」という雑誌を出しています。なかなか内容のある雑誌で着に入っています。
 この「このは」が骨の特集号を出すことになり、相談をもちかけられました。麻布大学には動物の骨の標本はたくさんあるので、撮影協力をし、解説文を書きました。カメラマンと編集者が来て、多少の荷物をもっていましたが、二人で運べる程度のものでした。標本室で撮影をはじめましたが、三脚にカメラをつけたのはいいんですが、白い骨だから黒いバックがよいと思いました。壁は灰色で、よくないので、暗幕をもってきていると思ったのですが、出て来たのは幅1mあまり、長さ2mくらいの黒布です。ネコの標本ならまにあいそうですが、ウシやウマもあるのでどうするのかと思っていたら、頭の部分の背後の布をおいてそこを写し、それから肩、腹、尻と動かして行きます。あとでゲラが送ってきたのをみたら、見事に合成されて真っ黒なバックに馬の骨がありました。
 それができて送ってきましたが、なかなかの出来でした。骨についてさまざまな記事があり、これまでにない本になったと思います。骨のことを知らない人、1200円です。内容は3000円くらいはあるので、ぜひ進化の産物としての骨の魅力を味わってみてください。






アファンの森に隣接する国有林でスギを間伐するようになりましたが、間伐材を出すのを重機を使わないでウマで搬出しています。岩手県からわざわざウマに来てもらっています。たくましいウマでした。この「馬搬」がいかに合理的で、森林にやさしいかを教えてもらいました。

間伐林は明るくなり、いろいろな植物が出てきましたが、たとえばこれはヤマブドウです。こういう動物に食べて運んでもらうベリーをつける植物が出て来るのに注目しています。

暗くて何も生えていないようにみえる人工林の土の中にはこういう動物散布の種子が眠っているのです。実際、タヌキのため糞場で観察すると、ミズキの実生がみられました。

動物たちが森林の動態に一役買っていることが垣間見えてきました。

2014.4.26
アファンの森の春の調査に行きました。以前、群落ごとに花と訪花昆虫の関係がどう違うかというテーマで調べたことがありますが、2011年の秋にとなりの国有林の人工林が間伐されたので、そこもルートに入れて調べることにしました。そのルートを決めて、初めてのデータとりをしました。

カタクリの群落があり、ちょうど見頃でした。

生き物好きの学生二人なので、鳥やヘビやトカゲをみつけて大喜びしていました。
 

2014.3.21
高尾にある多摩森林科学園はときどき行っていましたが、とても立派な林があるので、ここで調査をしたいと思うようになりました。それで新しく研究室に入った学生を誘って下見に行きました。立派なスダジイの木があったので、その前で記念撮影しました。



2014.3.13
アファンの森で、一年間の調査報告会がありました。植物、クモ、水生動物、鳥類などの報告に続けて、麻布大学の3年生の岩田さんが種子散布者としてのタヌキのこと、望月さんが人工林の間伐効果のことを話しました。それから4年生の小森君がカエルの微生息地選択、食性の話をしました。カエルの糞を調べたこと、その顕微鏡写真に聞く人から歓声が上がっていました。それから萩原さんがリスとネズミによるクルミの散布の話、笹尾さんがテンナンショウの受粉者の話をしてくれました。ニコルさんは発表内容も発表のしかたもすばらしかったと絶賛してくれました。



2014.3.9
アファン会員の集いがあり、ニコルさんと川崎さん、高槻がアファンの森の生き物について話をしました。川崎さんは私たちがアファンの森で調査をする前からおおに鳥類の調査をしてこれらたので、フクロウの餌について私たちが調べたことも紹介しました。そのほか糞虫などの働き、いまの4年生が調べているテンナンショウ、リスとクルミ、カエルの食性なども紹介しました。

2014.2.28-3.3
金華山でシカの調査をして来ました。



2014.1.26
乙女高原フォーラムがあり、テンの糞分析をしている足立高行さんのお話をきき、そのあとに研究室の加古菜甫子さんが卒論の内容を話してくれました。

2014.1.25
「Synapse」という科学を一般に広めようという活動をしているグループに招かれて、岩波ジュニア新書「動物を守りたい君へ」を呼んで来た人に集まってもらって、質問に答えるという集まりがありました。たいへんに知的刺激に満ちた集まりでした。
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