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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

小平での「イーレ構想」に発表

2022-03-26 20:13:36 | 講演
 3月26日、小平市小川公民館で「鷹の台のまちと新公園を語る会」(ひとえん会主催)という講演会がありました。

 中央大学の辻野五郎丸先生が「玉川上水・分水網の今後の活用と課題」という話をされました。江戸時代の江戸の水路網が玉川上水を軸としていたこと、作られた時点で玉川上水の深さは1メートルほどに過ぎないこと、玉川上水を世界遺産にすることを目標とするなら通水しなければならないこと、かつては水の話はしにくかったが、最近はその動きが活発化して、行政も動くようになったというような点が印象的でした。

 私は「玉川上水イーレ構想」という話をしました。これは以前にこの会に呼ばれた時、玉川上水に行く前に立ち寄れる「博物館のようなもの」があったらいい、ただしお金にはならない、という話をして、公園で街を活性化するという目的の会だから、多分却下されると思っていたのですが、どういうわけか取り上げられてもう一度話して欲しいということになりました。それで講演では鳥類調査も紹介して、その施設を「イーレ」と呼ぶことを提案しました。イーレとはギリシア語で「行く」「歩く」などの意味で、「玉川上水を歩くための入り口」という意味です。私がこの提案をしたのは鷹の台には以下の好条件があるからです。
1)小平は玉川上水の真ん中にある
2)この場所は玉川上水にも鷹の台駅にも近い
3)鷹の台には大学が多いので、イーレで玉川上水の解説をする学生が確保できる
4)イーレで展示する内容は動植物については十分あり、今後、玉川上水の水、土木工事、歴史などについて情報を確保できる
そしてイーレができれば、次のような利点があると話しました。
1)魅力ある展示ができる
2)老人から昔の玉川上水や生活の話を聞くなどすることで、老人の活躍の場を作れる
3)これらが機能すれば、子供から老人までのコミュニケーションが生まれ、玉川上水の価値を次世代に引き継ぐことができる

 3番目にひとえん会の相馬一郎さんが鷹の台全体の活性化について非常に総合的、かつ具体的な話をされました。注目されるのは建築家の隈研吾さんが小平市の仕事をされることになり、相馬さんはこれまでにも隈氏と交流があり、この仕事の中で隈氏も玉川上水の重要性を強調しておられたということで、これは小平市を動かす非常に大きな力になると思いました。それでイーレが実現したら、私は博物館を作った経験が活かせると思います。花マップの蓄積情報が活かされると思うと楽しみです。


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講演 モンゴル牧民の知恵に学ぶ 2019.5.4

2019-05-06 20:13:02 | 講演
2019年5月4日に公園でモンゴル祭りが行われ、そこにある図書館でモンゴルカレッジ2019が行われました。4つの話題が提供され、私は「モンゴル牧民の知恵に学ぶ」と題して講演をしました。

 私は2002年以来、毎年モンゴルを訪問しています。初めはモウコガゼルの季節移動を調べることからはじめ、タヒ(モウコノウマ)などを調べ、今は家畜の放牧のことを調べています。最近はアイラグ(馬乳酒)のことも調べています。そうした調査の中で、私たちの常識では気づかないことに気づくことがあり、それがモンゴル牧民の伝統に基づくものであることを知って「なるほど」と思うことがありました。そうしたことを3つお話しします。





 よく「モンゴルの草原は土地生産性が低い。もっと効率を上げるべきだ」と言われます。その一つとして、土地に定着して家畜に濃厚飼料などを与えたり、耕作地を作って施肥したりしたほうがいいという「アドバイス」です。私たちはモンゴルの伝統的な放牧である遊牧(季節ごとにゲルを移動させ、草原を広く薄く利用すること)の意味を知りたいと考え、実験をしました。ヒツジとヤギを伝統的な遊牧とゲルの近くに固定する放牧をしてもらい、それぞれ10頭の体重を毎月測定してもらいました。下の写真が固定放牧をしてもらったゲルです。



その結果が次のグラフです。





 ヒツジもヤギも初めのうちは両群で違いはありませんでしたが、秋から冬にかけて固定群では痩せが大きくなり、翌年の春、夏になっても移動群には追いつけませんでした。
 このことの意味は、一見非効率に見える遊牧は、草原を過度に利用することなく、かつ家畜を健康に育てることができるということです。一時的に「効率を上げ」ても、草原が荒廃したら持続的に長い間利用することはできなくなります。そのことがこの実験でわかりました。この内容は以下に公表しました。こちら



 次に調べたのは、「ブルガン県はアイラグ(馬乳酒)の名産地として有名ですが、それはなぜか」ということです。つまりブルガンのアイラグはなぜ美味しいかということです。ただ、これはなかなかむずかしいことで、ブルガンの各地からアイラグを持ってきてもらって品評会をしたのですが、「おいしい」というのは評価が難しく、大抵の人は「うちのアイラグが一番だ」というのです。それで、この答えは私たちのような自然科学者にはむずかしすぎると思われました。
 ただし、私たちができることとして、実際にアイラグを生み出すウマが何を食べているかを明らかにすることがあります。調べる前に文献を調べましたが、驚いたことに、牧畜の国モンゴルなのに、家畜の食べ物を定量的に調べた論文はありませんでした。
 これを調べるにはいくつかの方法がありますが、一番確かなのは糞分析です。新しい糞を拾って顕微鏡で調べると、表皮細胞の特徴から代表的な植物を量的に評価することができるのです。ブルガン県のモゴドというところで、モゴド谷とオルホン川の近くで、ウマ、ウシ、ヒツジ・ヤギの3種の糞組成を比較しました。



 こういう景観の場所です。


 上がモゴド谷で、南北に長い谷の中央に時々水が流れる貧弱な川があります。下がオルホン川沿いで、川の近くには沖積地があります。



地形の模式図は次の通りです。



 その結果は次のようになりました。



 はっきり分かるのはウマではどちらの場所でもスゲ(Carex)が多いということです。スゲは湿地に生えます。



 ウマは自由に動き回るので、好きなスゲを食べに湿地に行きます。



 これに対して、ウシの糞ではイネ科が多く、その主体はノゲガヤ(Stipa)で、斜面に生えています。地形図のSのところで、ゲルはここに設置されます。ウシは夕方、ゲルにいる子牛にミルクを与えるため戻ってくるので、あまり遠くに行きません。そのため、斜面のノゲガヤのある場所で過ごすことが多いようです。糞の組成はそのことを反映していると思われます。



 ヒツジ・ヤギは基本的にウシと似ていました。ウシ、ヒツジ、ヤギは皆ウシ科に属し、シカなどと同様、「反芻獣」と呼ばれます。4つの胃を持っており、第1胃と第2胃の中に微生物がいて発酵します。こなれていない植物は食道を逆流させて再び咀嚼し、また飲み込みます。これが反芻です。こうして通常は分解しにくいイネ科の葉を利用することができます。そのようにウシとヒツジ・ヤギは消化生理が共通なので糞組成が似ていることも納得できます。ヒツジ・ヤギもスゲを好みますが、牧童が誘導して丘などに連れて行くので、あまりスゲは食べません。牧童は草原を過度に利用しないようにしているのかもしれません。



 こうして家畜ごとの食べ物がわかりました。ウマがスゲをよく食べることはわかりましたが、だからブルガンのアイラグがおいしいかどうかはわかりません。今、ブルガン以外の場所のウマの食べ物を調べつつあります。

 第3に調べたのは、では家畜が草原を利用し、その利用が過度になったら当然、植物が減ります。植物量が少ないのは当然草原が荒廃していることですから、草原の維持という点で問題だと思われます。私たちはこのことを牧民に聞きましたが、その答えは「家畜はナリンウブス(長い草)を好む。ナリンウブスはよく伸びるから大丈夫だ」という意外なものでした。そこで、このことをブルガン・ソムで調べました。こういう景観です。



 ゲルの近くでは家畜の滞在が多いので植物は貧弱になり、ゲルから遠ざかると草が多くなり、マツムシソウやヤナギランなどの花が咲き乱れています。1m四方の調査区をたくさんとって植物を調べました。



 植物の種類も、量も、高さもゲルの近くは貧弱で、遠くほど豊かだということが示されました。その内訳をもう少し丁寧に調べてみました。



 双子葉草本はゲルの近くで少なくなりましたが、イネ科は違いがなく、スゲはむしろ多いという結果でした。そこで、一工夫をして実験をしました。スゲが生えているところに柵を作って柵の内外の比較をすることで、生産量と、家畜による「持ち去り量」を調べました。



 そうすると、ゲルの近くでは生産量はゲルの遠くと違いがなく、持ち去り量はむしろ多いということがわかりました。この成果は以下に公表しました。こちら

その秘密は成長点の位置の違いにあります。



 スゲはこういう形をしており、柵内では草丈が高いですが、柵外では家畜に食べられて低くなっています。



 双子葉植物は成長点が茎の先端にあって成長するに伴い成長点も高くなっていきますが、スゲでは地表近くの節に成長点があり、内側から新しい葉が次々と湧いて出てきます。




 これを切るとどちらも背が低くなりますが・・・・




 しばらくすると、双子葉植物は枯れていましますが、スゲは問題なく回復します。つまり一見した植物量(現存量という)は少なくても、生産したものは家畜のお腹の中に入っているのです。



 一見、貧弱に見える草原も、シロザなどの雑草の場合は荒廃しているということになりますが、スゲであれば決して荒廃はしておらず、次々に湧き出しており、家畜を養う力(牧養力)は大きいのです。それには水分が十分にあるという環境条件が必要ですが、家畜が糞をすることで肥料を供給していることも影響しているものと思われます。



 こうしたことを通じてわかったのは、土地生産性が低いとか、現存量が少ない草原は荒廃しているはずだという私たちの「常識」は湿潤地域のものであり、それらは乾燥草原には当てはまらないということです。モンゴル牧民はそのことを生態学的な知識によって理解しているのかどうかはわかりませんが、伝統として体得しているのだと思います。そう思えば、浅知恵で「アドバイス」するのは大きなお世話と言わざるを得ません。それどころか、私は自然と人間の関係を工業生産物のように効率を上げることだけで評価してきた私たちの価値観(この「私たち」というのはおそらく西洋的というのが正しい)を、モンゴル牧民の知恵に学ぶことによって見直すべきだと思います。学ぶべきは私たちです。













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フクロウ・ワークショップ

2018-12-15 20:08:13 | 講演


12月15日と翌週の22日に麻布大学いのちの博物館のイベントとしてワークショプ「フクロウの巣からネズミの骨を取り出す」を実施しました。親子連れを中心に31名の参加がありました。

 はじめに当日の内容の解説をしました。それは次のようなものでした。フクロウはネズミを食べることに特殊化した鳥である。八ヶ岳では八ヶ岳自然クラブが長年巣箱をかけて観察をしており、麻布大学で10年くらい巣に残されたネズミの骨を分析している。それによってわかったのは牧場に近い巣ではハタネズミの割合が高く、森に近いとその割合が低くなること。ハタネズミは牧場のような草原にいて草の葉や根など消化しにくいものでも食べるが、アカネズミは森林に住んでおり、果実や動物質など栄養価の高い食物を食べること。フクロウの巣に残った下顎でハタネズミとアカネズミは区別できることなどでした。

 それからネズミの骨の解説をしました。動物の骨にはむずかしい漢字で細かく名前がついており、とくに子供には覚えられません。それでこのワークショップではいくつかの骨にニックネームをつけることで覚えやすくする工夫をすることにしました。前肢の下、つまり肘から下を尺骨といいますが、この骨は上腕骨との関節部分が半円形にえぐれているので、見ようによっては人が大声をあげているように見えなくもありません。そこでこれを「歌うおじさん」と呼びます。腰骨は「寛骨」といいますが、これは左右が分かれて出てきます。それを見るとアルファベットのPに見えるので「P骨」としました。また後肢のヒザから下を「脛骨」といいますが、脛骨は腓骨と並んでいます。それがネズミの場合は癒合しているので「脛腓骨」と呼ばれます。これはバイオリンの弓に似ているので「バイオリン」としました。


ネズミの骨の説明図


 理解をはかるために、以前の展示で使った粘土模型などを展示し、見てもらいました。


ネズミの骨の粘土模型など


 もう一点、今年特別に説明したことがあります。それは弘前のリンゴ園のフクロウのことです。12月2日にNHK総合テレビで弘前のリンゴ園のフクロウのことが紹介されました(「青森のリンゴ園 救世主はフクロウ!」こちら)。それはリンゴ園で働く人が高齢化したためにリンゴの大きい木が伐られて、作業のしやすい若い木に植え直したらネズミにかじられる被害が出るようになった。それに困って、殺鼠剤などで駆除しようとしたが効果がなかった。それは大きい木にはウロ(樹洞)があってフクロウが住んでおり、フクロウがネズミを食べてくれていたのに、それがなくなってネズミが増えたのではないかと考えてフクロウの巣箱をつけたら、フクロウが営巣し、その周りではネズミが減ったという話でした。私(高槻)はこの研究を指導した弘前大学の東先生と長年の知り合いで、相談の結果、そのリンゴ園の2つの巣から巣材を提供してもらうことになり、このワークショップで分析することにしました。

 この説明の後、6つのテーブルにおいた巣材を分析してもらうことになりました。はじめに骨の取り出し方を説明しました。



骨の取り出し方を説明する


分析を始める


皆さんたいへん熱心に分析し、小さい子には長すぎるのではないかと心配しましたが、退屈することなく、集中して分析をしていました。


作業のようす1


作業のようす2(12月22日)


作業のようす3(12月22日)


「これはなんですか?」
という質問に行ってみるとモグラの手だったので、標本を持って行って
「ほら、これと同じでしょう?足に比べてこんなに大きい」
「掘るからだ」
「そうだね、トンネルを掘るから手が特別大きいんだよ」
というと、歓声が上がりました。
しばらくすると小さな男の子が取り出したものを持って来たので、見るとサワガニの体の腹部でした。これはK2という場所の巣から出たもので、周りが湿地なので、毎年サワガニが検出される場所です。

子供達は学校でも理科の勉強をしますが、学校では主に理解して覚えるということをすると思います。でもここでは現物を目の前にして、実際にフクロウが何を食べていたかを自分が明らかにするということですから、楽しくて仕方がないようでした。
 そのほか、鳥の羽毛、胸骨、卵の殻なども出て来ました。弘前のサンプルからはハタネズミが多く出て来て、テレビに内容と符合する結果でした。
 途中で田中さんに八ヶ岳のフクロウを観察し、撮影した写真で、巣立ちの様子などについて解説してもらいました。


八ヶ岳のフクロウの観察結果を説明する田中さん


 初めて出会った人が会話をし、大人が子供に説明したりするなど、楽しい雰囲気で作業が進みました。


「ネズミの頭があったよ」


大人が子供に説明する

取り上げた骨はネズミの骨格を描いた紙の上に並べ、最終的にはシャーレに入れてもらいました。


取り出したネズミの骨をネズミの骨格を描いた紙の上に並べた


作業が進み、調べ終わった巣内の細かな物質が増えて来た


そうこうするうちにあっという間に終了時間の3時が近くなりました。それで感想文を書いてもらい、感謝状を渡しました。


感謝状を手渡す


最後に記念撮影をしました。


記念撮影 12月15日


記念撮影 12月22日


参加者からの感想は こちら
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タヌキのポン!への感想など

2018-01-13 10:26:48 | 講演
アンケートより
参加者にはタヌキファンが多かったのですが、私はタヌキそのものが好きということでなく、タヌキを自然の中で位置付け、ほかの動植物とのつながりをもって生きていることを知ることが大切だという話をしました。それについての感想がありました。


植物、動物、昆虫というつながりを知ることができた。それぞれに目的や役割があり、不要な存在はないのだと思った。タヌキに限定されないはなしでおもしろかった。

地味なイメージのタヌキを取り上げてくれてとても楽しく拝聴しました。

動物を知るためには植物について知る必要があるのだと思いました。知ることで偏見から解放されるという言葉が強く印象に残りました。

タメフンから芽が出るというのが印象的でした。種子散布するのは鳥類だけだと思っていました。

「タタヌキのポン」たくさんありがとうございます。タヌキは身近にいるんですね。タヌキを守ることは動植物だけでなく私たちの環境にも関する重要なことだと思いました。

ため糞から芽が出たはなしが印象的でした。言われてみれば「そりゃどうか」ですが・・・。タヌキとキツネの模様をとってしまうとシルエットは似ているというのは意外でした。

タヌキが自然の中で役割をもっているということが印象的でした。

東日本大震災のあと、津波の被害があった場所でも1年でたくましくタヌキが生活していたことがとても印象的でした。

子供観察会が紹介されましたが、名前は知っているけどよく知らない、そんな身近な動物のことを知ることで得られるおもしろさは、子供だけでなく、大人にもワクワクすることだと思いました。

知らなかったこと、芽からウロコの「ポン」がたくさんありました。タヌキが環境変化に応じて食物を変えて生き延びること、果実食が種子散布に寄与すること、津波で全滅したタヌキと植物が復活したこと、糞虫など印象的でした。

糞虫についての感想もありました。

糞虫がいることを知って驚きました。糞虫が自然にとって大事な役割をしていることを知ることができてよかったです。

糞虫ということばを初めて知りました。

糞虫!ぜひ私も見つけたいと思いました。

糞虫という虫の存在をはじめて知り「ポン」でした。

糞虫にまで話の範囲を広げられて、タヌキだけでなく、人間や環境まで視野に入れられていたことが印象に残りました。

企画にたいする評価

動物園では地味なタヌキかと思いますが、すばらしい企画をありがとうございました。

あっというあいだでとても楽しい2時間でした。

とても楽しいひとときでした。あっというまに時間が過ぎて行きました。

タヌキに興味を持っている人の多さが印象的でした。タヌキ好きとしてはうれしいです。

期待以上におもしろかったです。

タヌキと人とのつながりについて

タヌキが変わったのではなく、人のとらえかたが変わったというのが印象的でした。

タヌキの生息地が減ってきているのが印象的でした。子供は偏見がなく、教えたらわかるのに、大人は偏見が強く、動物のことを自分の目線でみすぎだと思います。

メダカが絶滅危惧種だと初めて知りました。

地球は人間のためだけにあるのではない。そう思います。動物が暮らしやすい環境が人間にもよい環境だと思います。

タヌキだけでなく、生物多様性、生命倫理にもつなげてもらったのはよかった。

昔話などはタヌキに対する人間のとらえかたが変わったのは、人間社会がサービス経済し、第一次産業の割合が低下したことが関係していると思った。

「地球は人間だけのためにあるのではない」という言葉を胸にすえて生きていきます。

差別の心を持たず、偏見をもたないできちんと生きていきたいです。

高槻の話についての感想

高槻先生は絵が上手で会場の人たちとも盛り上がり、楽しい講演でした。

先生のお話、とても興味深く聞くことができました。ギターも弾かれるとても楽しい先生ですね。生き物好きの自分としてはもっといろいろなことを知りたいと思います。

高槻先生の食性調査と短歌が印象的でした。

高槻先生のお話とイラストはとてもユーモアがあって楽しく聴かせてもらいました。大学を退職されてもお元気に活躍されていて尊敬します。

先生がとてもユーモアがあっておもしろかったです。暖かい共生の環境を守りたい。

高槻先生のお話とてもおもしろかったです。また定期的にこのような会を期待しています。

非常に中身の濃い講演会でした。最後の合唱がたいへんよかったです。
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タヌキのポン!

2018-01-13 08:29:58 | 講演

2018年1月13日に多摩動物公園で「タヌキのポン!」と題して講演をしました。200人もの方が来られ、広い会場でしたが、ほぼ満席でした、


会場のようす

以下はそのときの記録です。

 はじめに、動物園にいるさまざまな動物のイラストをホワイトボードにはりつけて、タヌキがどういう動物の仲間なのかを知ってもらうことにしました。多摩動物公園のおもな動物のイラストを用意していたのですが「どういう動物を見ましたか?」と聞いたら、ユキヒョウとかシフゾウとか、用意していないものが飛び出したので、その場で描いたのですが、うまく描けませんでした。でも会場の空気はやわらぎました。それで、タヌキがクマ、ライオン、オオカミなどの仲間だということを確認しました。


動物のイラストをはってグループ分けをする。写真提供 多摩動物公園


 さて、タヌキと聞いて「それは何のことだ?」という人はいません。知っているのです。でも、タヌキがどういう動物で、どういう暮らしをしているかということを知っているかというと、実はほとんどの人はよくは知らないはずです。その意味ではパンダも同じです。みんなが知っているのに、あれが野生動物だということを正しく認識している人はほとんどいません。
 それでもパンダは貴重な動物であり、研究者は機会があるなら調べてみたいと思いますが、タヌキは珍しくもないし、とくに不思議な性質を持っているわけでもないので、誰も注目しませんでした。私はそれに挑戦してみたいと思いました。

 タヌキは「お人よしな動物」というイメージがあります。キツネと比べると胴体が太く、足が短く、目の周り、肩などに黒い模様があります。


キツネとタヌキの体型


 このように、見かけはイメージに影響しますが、私たちはこの模様に強い印象を受けるようです。タヌキとキツネとアライグマの顔を、毛を短くして、模様なしで見ると似たりよったりですが、模様をつけるとタヌキとアライグマが愛嬌のある顔に見えます。私はタヌキとキツネの顔の輪郭に、キツネとタヌキの模様を描いてみました。するとどう見ても輪郭はタヌキでも、模様がキツネのものはキツネにしか見えません。それだけ、模様が強い印象を与えるということです。


左は上がタヌキ、下がキツネの輪郭で、中央は正しいもの、右側は模様を逆にしたもの


 ある人がパンダの目の周りの模様を画像処理をして、白くしましたが、そのパンダは全然かわいくありません。私たちはパンダのあの目の周りの模様にだまされといるといえるかもしれません。これを紹介したら、会場から歓声が上がりました。
 今日の話の中で、「ポン!」と手を打ったように納得できたら「タヌキのぽん!」ということにします。
人が模様に影響を受けやすいというのは「タヌキのポン!」です。

 さて、私は小平に住んでいますが、玉川上水があります。ここにはタヌキがすんでいますが、これをセンサーカメラで撮影したら確かに撮影されました。ところが周辺の「孤立緑地」(連続しない公園などの緑地)では撮影頻度が低く、連続した緑地である玉川上水のほうがタヌキにくらしやすいようだということがわかりました。これも「タヌキのポン!」です。


玉川上水と孤立緑地でのタヌキの撮影率


 この地方は江戸時代に検地がおこなわれ、雑木林と畑地がほぼ半々だったことがわかっています。それが、開発される中で緑が減っていきました。まだ小さな緑地は点々とありますが、タヌキがすむにはある程度の広さが必要ですから、緑地はあってもタヌキがいないというケースがよくあります。しかも玉川上水を横切る道路ができ、今後も予定されています。そうなると今の玉川上水でもタヌキのすめない場所が増えると危惧されます。


細い緑である玉川上水のまわりにはたくさんの緑があり、タヌキもたくさんいたはずですが、緑地が孤立するとタヌキはすめなっくなりました(X印)。しかも道路が玉川上水を分断すると玉川上水さえタヌキがすめなくなるかもしれません。

 さて、私は玉川上水に接した緑の豊かな津田塾大学に着目しました(こちらもどうぞ)。調べてみたら、確かにタヌキがいました。そして、タメフン場をみつけて、マーカーによって調べたら、その動きがわかってきました。

 また、糞を分析をして、タヌキの食物の季節変化が明らかにしました。タヌキは果実を軸とし、果実がなくなる冬や春に哺乳類や鳥類を、春と夏には昆虫を食べていました。


津田塾大のタヌキの糞組成の季節変化


 ただし、津田塾大のタヌキがよく食べる果実はギンナン、イチョウ、ムクノキなど高木種に限定的で、郊外のタヌキがよく食べるキイチゴ類、クワなど明るいところに生える低木類の種子は糞から出てきませんでした。それはなぜか?
 ここで重要なのは、糞から出てきた小さな種子の名前がわかること、それだけでなく、その種子を含む果実、その果実をつける植物がどこに生え、どういう育ち方をするかという知識が役に立つということです。私は日々、果実や小動物の標本を作っていますから、種子の多くは名前がわかり、その植物の生育状態がわかります。だから、糞を分析すると、そこからさまざまなストーリーが読み取れるのです。

 津田塾大学のタヌキの糞からは、カキノキ、イチョウ、ムクノキ、エノキがよく出てきました。これらは栽培植物を含めて高い木です。なぜ明るい場所に生える低木の種子が出てこないのでしょう。調べてみたらその理由がわかりました。津田塾大学の林はシラカシを主体として常緑広葉樹で話の下は暗くて、キイチゴなどは生えていないのです。その理由もわかりました。今から90年前に津田塾大学の前身がここに移ってきたとき、砂嵐がひどいので、シラカシなどを植林したという記録がありました。そのために林は暗く、下生えが乏しいために、タヌキは高木の果実が落ちてきたものを食べるしかないということなのです。このストーリーが読み取れましたので、「タヌキのポン!」です。


津田塾大のタヌキの糞からよく出てきた種子


その果実


 関連して、別の分析例を紹介しましょう。仙台の海岸にはタヌキがすんでいましたが、2011年の東日本大震災のときに9mもの津波が襲いました。タヌキは全滅したはずです。ところが1年半後に戻ってきたことが確認され、私の知人が2年後にタメフンを見つけて送ってくれました。それを分析したときも、植物について「読み取り」ができました。多かったのはドクウツギ、テリハノイバラ、ノブドウなどでした。ドクウツギとテリハノイバラは海岸に生える低木で、津波のときに破壊的なダメージを受けたはずですが、根は残り、2年後には花を咲かせ、実をつけて、タヌキが暮らせる環境が蘇ったのです。これは私にとって感動的なことでした。これも「タヌキのポン!」です。



仙台海岸の津波後に復帰したタヌキの糞からよく検出された種子

上の種子をつける果実


 さらに仙台海岸のタヌキは人工物も食べていました。


仙台海岸のタヌキの糞から検出された人工物。上左:ゴム手袋、上右:輪ゴム、下左:発泡スチロール、下右:ポリ袋


 つまり、環境の変化に応じて食べ物を変え、たくましく生きる、これがタヌキの真骨頂。だからこそ、都会でも生き延びているのだと思います。これも「タヌキのポン!」です。

 そこで、津田塾大学のタヌキの食性を論文に書きました(仙台海岸は未完)。



 タヌキの食性の論文といえば、2016年に天皇陛下が皇居のタヌキで、同じ糞分析をして論文を書いておられます。



 思えば、世界広しといえど、タヌキの糞をひろって分析する人などそうはいません。それを天皇陛下がしておられることを知り、私は「同志」のような共感を覚えたのでした。そこで私は次のような短歌を作りました。




 これを紹介したら、会場から拍手が沸きました。

 さて、タヌキは果実を食べて栄養を得ているので、食べることを通して得をしていると思いがちですが、植物からすれば、ただ果実をプレゼントしているわけではありません。植物側からみれば、果実を提供して、タヌキを利用して種子を散布させているわけです。




 実際、タヌキのタメフン場にはムクノキなどの芽生えがたくさんあります。これにより「タヌキが森林で種子散布という役割を果たしている」ということがわかりました。「タヌキのポン!」です。

 タヌキが糞をすると種子が運ばれますが、それと同時にその糞を利用する糞虫がいる可能性があります。そこでトラップを作って玉川上水に糞虫がいるかどうかを調べたら、コブマルエンマコガネがよくいることが確認されました。コブマルエンマコガネを飼育したら、ピンポン球ほどの馬糞を1日でこなごなにばらすことがわかりました。


ピンポン球くらいの馬糞をおいた容器に5匹のコブマルエンマコガネを入れたときの分解過程


 その動画を紹介したら、会場から歓声があがりました。

 それから2つの子供観察会のようすを紹介しました。ひとつはタヌキの糞分析、もうひとつは糞虫の観察です。
 糞分析のときは、子供にタヌキの話をして、笹薮をかき分けながら進んでタメフン場に行きました。







 そしてセンサーカメラの結果をみたり、糞を水洗いして中身を拡大鏡でみてもらうなどしました。

 また頭骨の観察もさせたので、子供はしたことのない体験に大喜びしていました。最後に「タヌフン・ミニ博士認定証」と手作りの紙粘土のタヌキをプレゼントしました。これは私にとって初めての、とてもよい体験になりました。



 夏には糞虫観察をしました。




 前日にトラップをしかけたところ、9個のトラップ全部に8匹くらいのコブマルエンマコガネが入っていて、子供たちはとてもよろこびました。


トラップにはいっていたエンマコガネ


 それを武蔵野美大にもっていって、顕微鏡でみてスケッチを描いてもらいました。



 子供にしか描けない、のびのびとした個性的な作品でした。



 この観察会では発泡スチロールでタヌキの模型を作って消化のようすを説明し、また紙粘土で糞虫の拡大模型を作りました。




紙粘土で作ったコブマルエンマコガネの模型


 最後に糞虫と犬の糞をお土産にわたしました。


糞を渡されて鼻をつまむ男の子


 あとですてきな手紙が届きました。



 子供達は糞虫について大人のような偏見を持っていませんでした。それで、私は考えました。私たちはきれい、きたない、かわいい、気味がわるいなど、見かけで、あるいは見もしないで偏見を持ちがちだということです。しかし糞虫の例で見たように、正しく平明な目でながめれば、きたないどころか偉大な役割を果たしていることがわかります。つまり、偏見は知らないところから生まれるということで、逆にいえば、相手を知ることは自分が陥りがちな偏見から解放できるということだと思います。

 ここで少し違う話題に移ります。よくタヌキやキツネは化かすといいます。その化け方もタヌキはちょっと失敗したりすることになっています。私なりにそのわけを考えてみました。
 野生動物は人や敵に追われたとき、逃げながら藪に入ったりするときにチラと後ろを振り返ります。できるだけ追ってから逃れるためです。人間だと、たとえば万引きをする人は辺りをチラチラとうかがったりします。信念を持った、たとえばマララさんのような人は、権力が「悪いこと」とすることでも堂々と挑戦しますが、野生動物でそんなことをしたら殺されていまいます。だからタヌキに限らず、サルでも同じ行動をします。しかしタヌキやキツネは人里に住んでいました。江戸にはタヌキもキツネもいたことがわかっています。当時の江戸は夕方になれば暗くなり、家の先には暗い空き地があり、そこにはいろいろな動物や化け物がいると信じられていました。そういうところで、タヌキが人に追われてクルリと振り向いてチラリと睨んだら、人は「あやしい」と思ったはずです。あやしい奴だから何か人に悪さをするだろう。ああいうやつはきっと化かすにちがいないとなったのかもしれません。これはちょっと自信がないので「タヌキのポン!」と言うのは控えましょう。

 いずれにしてもタヌキはいつでも日本人のそばにいました。室町時代にできたとされる「かちかち山」のタヌキは畑の作物を荒らす害獣として描かれ、おじいさんにつかまって縛られて、おばあさんに「こいつを狸汁にしろ」と言われます。タヌキはおばあさんをだましておばあさんを汁にしていまいます。それを怒ったおじいさんがウサギに頼んでカタキをとってもらうのですが、そのやり方はとても残酷なものです。背負った薪(まき)に火をつけて火傷させ、お見舞いにいって薬といって唐辛子をすりこみ、最後は船に乗って漁に行き、自分は木の舟に乗り、タヌキは泥の舟に乗せて、沈めてしまいます。
 時代が下って「分福茶釜」ができますが、こちらは貧しくやさしい古物商の若者がタヌキを助けたら、お礼にといって茶釜になってお茶好きの和尚さんに買ってもらって恩返しするのですが、お茶を沸かすことになると、熱くてがまんできなくなり、タヌキに戻ろうとするのですが、胴体の茶釜はそのままのおかしな姿になる。それを活かして綱渡りの見世物をして人気を博し、お金を得て、若者に恩返しをするという話で、ここでは害獣の姿はなく、マヌケでお人よしの動物として描かれています。
 そして現代では無邪気な少年のようなイメージで、人を化かすでも、まして農業被害を出す迷惑な動物でもないイメージに変わっています。
 もちろんタヌキそのものが変わったのではなく、タヌキをみる日本人の目が変わったということです。平和な時代が続けば動物にもおだやかな視線が注げるようになるということだと思います。

 タヌキと日本人との関係を考えると、タヌキは柔軟な生活ができ、環境が変わったら変わったで、食べ物でも生活パターンでもシフトすることができるというのが特徴です。驚くべきことに東京の都心でも生き延びています。最近、友人からもらった立川駅の線路の脇を悠然と歩くタヌキの動画を紹介したら、「へえー」という声が上がりました。
 しかし、このたくましいタヌキも、配慮なく生息地を奪えば行き場を失っていなくなってしまう危険性は大いにあります。人が自分たちの利便性だけを追求することを続ければタヌキは生きていくことができなくなってしまいます。

 このことから、小さな鳥であるミソサザイのアイヌ民話を紹介しました。
 美しい森にクマが現れての乱行をしました。




それをみたミソサザイが人の姿をしたサマイクルの神にクマをこらしめてくれといいました。ツルやフクロウの神は「お前みたいな小さなものに何ができるか」とバカにしましたが、サマイクルの神は「ミソサザイさん、がんばってくれ」といったので、ミソサザイは感激しました。




鳥たちが6日間、戦うあいだサマイクルの神は片方の足を準備しただけでした。それからまた6日かってもう片方の準備をしました。最後に穴に入ったクマにやを放ってとうとう退治しました。



森に平和がもどってきたとき、サマイクルの神が「ミソサザイさん、私の手にとまりなさい」といってその勇気を讃え、小さいからといってバカにしたり、偏見をもつことはよくないと言いました。




サマイクルの神は続けました。「実はもうひとりほんとうの勇者がいたのです。それはホタルです。ホタルがクマの目のまわりで光ってくれたので、弓を射るときの目印にできたのです。神が創るものに無駄なものはないのです」と言いました。





 そのことからレイチェル・カーソンの「地球は人間だけのためにあるのではありません」という言葉を紹介しました。そう考えると、ここまで残され、タヌキがくらせる玉川上水をこれ以上破壊してはならないし、そのための努力をしなければならないという思いを強くします。そのことは日本中のタヌキについていえることだし、タヌキの未来は、私たちがこの国をどういう国にしようとしているかにかかっていると思います。

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 このあと動物園のタヌキ担当の中島亜美さんのお話と、質問の紹介がありました。最後に「ビリーブ」という歌を歌いました。歌うときに、モンゴルやスリランカで写した写真を紹介しました。

 玉川上水のタヌキがすめなくなるかもしれないという話のあとだったので、「世界中の希望をのせて、この地球はまわってる」
「世界中のやさしさでこの地球を つつみたい」
「いま素直な 気持ちになれるなら 憧れや 愛しさが大空に はじけて耀るだろう」
といった歌詞が心に共鳴しました。



 会場からアルトのパートを歌う人のとてもよい声が聞こえました。きれいにハモっていました。

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