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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

モゴド・アイラグ博物館の準備の記録

2019-09-07 10:45:31 | 報告

モゴド・アイラグ博物館の準備をするために2019年8月29日から9月6日までモンゴルを訪問した。私は麻布大学いのちの博物館の設立の関わり、現在も上席学芸員として博物館活動をしているので、この活動に参画した。以下はその記録である。

明治大学の森永先生の提案でモゴドにアイラグ博物館を作ろうということになった。と言っても、博物館の新しい建物ができるのではなく、モゴドのカルチャーセンターという公民館のような建物の一角を展示に使うという程度のものということだった。そこで次のようなイメージを考えた。フフル(アイラグを作るための皮袋)とアカシカの頭骨が確保されたので、今後家畜の頭骨を手に入れ、解説パネルを壁に貼るというものだ。


博物館の一角のイメージ(2019.7.13)


ところが、その後、地元が博物館構想に割合乗り気で、ゲルを半分にしたような空間を準備したということで、次のようなイメージを考えた。ゲルは壁面と天井がオレンジ色の棒の骨組みでできており、学術的な展示にはなじまないので、半分をゲルの雰囲気を残してそこにフフルなどを置き、半分には薄い灰色のボードを立てて、そこに台を置いて展示物を並べるものとした。


ゲルの中のイメージ(2019.8.18)


 8月29日にウランバートルに着き、翌日に板が手に入る店に行って説明したら、意外にも機械化が進んだ工場のようなところで正確に採寸した板と台を作ってくれた。1枚が33kgもあり、6枚を作ってもらったので、そのために車1台を出してもらうことになった。


「板工場」の様子(2019.8.30)


モゴドに着いてカルチャーセンターに行った。役場が火事になったため、事務所がここを使っているというので、机が並んでいた。奥に写真で見ていたゲルがあり、フフルが並べてあった。フフルを吊るす台とかき混ぜる棒はモゴドに住むスフエさんが作ってくれたものということだった。
 センター長であるニルグイさんに会い、博物館とはどういうものかを説明した。というのは、どうやら「人目を引くもの」を展示するのが博物館と思い込んでいるようなフシがあったからだ。もっともこれは日本の大学人でも同じなので驚くには及ばない。そしてアイラグを科学的に調べたことの成果を展示すること、博物館には展示と同じほど、あるいはそれ以上に標本類を集めて整理する機能が重要であること、そしてモノだけでなく、教育活動をおこなうことが重要であることを話した。


博物館についてレクチャーする私(左)。
その奥にいる帽子をかぶった人がネルグイ所長


 そのにわか仕立てのレクチャーのパワーポイントはモゴドに着いてから急いで作った。その中に、麻布大学いのちの博物館で行なった日本の江戸時代の馬具の展示内容があった。これを紹介したのがニルグイ所長に響いたらしく、モンゴルのアイラグ関係の物を集めて並べたいと言っていた。また、博物館に教育活動をする機能があるという話をした。今回の訪問中に企画された天気予報の教室はこの活動の一つと位置づけることができる。これを聞いたネルグイ所長は夏休みに教室をしたいと話していた。ネルグイ所長が示した、このような前向きの反応は、レクチャーの効果があったと言えることだった。
 しかし、準備したボードは伝統的なゲルにはそぐわないから出して欲しいということになったし、家畜の頭骨は展示したくないとのことだった。これはレクチャーの意味が十分に理解されなかったことを示すが、森永先生の判断で、ここは時間をかけて理解してもらうこととし、相手側の提案を飲むことにした。
 この点は我々の意思が伝わらなかった点だが、驚いたことに、そして嬉しいことに、写真パネルなどを見て、所長がこの部屋全体を博物館に使ってよいと決断したことだ。これは予想した以上の「成果」であった。しかも、「家畜の頭骨は置きたくない」ことの代替案として、別室に家畜の頭骨を置くことになったので、さらにスペースが確保されることになった。

 ゲルからボードを外したので、ガランとした状態になった。それを見、話を聞いていたスフエさんが自宅に戻って壺と台、桶を持ってきてくれた。台はゲルにおいて大切なものを置き、その上にテレビ、古い写真などを置くためのものだが、スフエさんが持参したものはかなり古いものだということだった。壺も中に金魚の絵が描かれたなかなか良いものだった。


左から、台と壺、壺の内側、馬乳を入れる木製の桶


 フフルにはパネルをつけた。この大きさだと近くまで来ないと読めないので、貴重品は並べないで、ゲルに入ってもらうことになるだろう。


フフルとパネル


 用意されていた家畜の頭骨は煮沸洗浄が不十分だったので、私の泊まった部屋で改めて煮ることにした。ヒツジとヤギの頭骨は夏にしたため脂肪が残っていて鍋のお湯に脂が浮かぶので、表層のお湯をすくっては取り出すことを繰り返した。2日をかけてガスバーナーのカートリッジを9本使ってほぼ十分なところまでクリーニングした。


宿泊した部屋で頭骨を煮る


 ドライブ中にウマの頭骨を見つけたので、拾ってきて、下顎の臼歯部分をスフエさんに外してもらった。スフエさんは金工をするので電動の回転ノコを持っていて、巧みに外してくれたので良い標本ができた。


回転ノコを使ってウマの下顎を切るスフエさん(左)と完成したウマ下顎の標本もつ私(右)


 頭骨標本は背景に黒い布を置いて撮影し、パンフレット資料用とした。


家畜の頭骨標本


 最終的に、台にラベルをつけてきちんと並べたら比較的見応えのある展示になった。背面のパネルは英語版だけなので、今後。これにモンゴル訳をつけてもらう。この部屋は人の写真や表彰状などが貼ってある「資料室」のような部屋で、その一角を使うことになった。


家畜の頭骨コーナー


 展示室となる部屋は、現在は緊急避難的に役場の机などが入っているが、10月には役場が再建されて撤去される予定である。正面にゲルがあり、右壁にアカシカの角があり、ウマなどの写真(A3サイズ)を貼った。背後の壁には野草の写真(A4サイズ)を貼った。


今回の訪問で進めた「展示室」のようす


手前の壁に貼った野草の写真


 これらとは別にポストカードを5種類(野草のスケッチ5つとウマの写真3つ)を印刷してきた。これを1枚1000Tgで販売し、収益は博物館の展示に使うこととした。




ポストカードに使った野草のスケッチ(上)とウマの写真(下)


 また、馬具などを含め、博物館資料の提供を依頼する用紙を配布してもらうことにした。今後は収蔵品の寄贈を待ち、充実させたい。これらを登録し、データベース化してゆくことも重要な作業となる。

収蔵品リスト


以上の作業をして9月3日にモゴドを後にした。
 ウランバートルではパンフレットの原案を作った。今後、肖像権の了解を取る予定である。


パンフレット(案)のカバーページ


<まとめ>
1) モゴド・アイラグ博物館の準備をするために2019年9月にモゴドを訪問し、カルチャーセンターの1室を展示に使うことになった。さらにもう一つの部屋の一角を家畜頭骨の展示コーナーとすることになった。
2) 展示室にはゲルの半分を使ったコーナーを置き、その中にアイラグ関係の展示品を置くことにし、現在はフフル、台、壺、桶を置いた。
3) 壁面に家畜などの写真(A3サイズ)と野草の写真(A4サイズ)を貼った。
4) 別室にボードと台を置いて家畜(ウシ、ウマ、歯が見えるようにしたウマの下顎、ヤギのオスとメス、ヒツジのオス2頭、メス2頭)の頭骨を展示した。
5) パンフレットの原案を作成した。
6) 展示品の協力を求める用紙を配布することにした。
7) 所長は夏休みなどに子ども教室を計画したいとの意向であった。
8) ポストカードを8種類販売(1枚1000Tg)することとした。
9) 収蔵品登録リストを作成した。
10)  パンフレットの原案を作った。

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モンゴルでの天気予報教室の記録

2019-09-04 22:19:15 | イベント

モゴドでの「天気予報教室」の記録
- 2019年9月2, 3日、モンゴルブルガン県 –

 私はモンゴルで動植物の調査をしてきたが、ここ数年は明治大学の森永由紀先生の馬乳酒プロジェクトのメンバーとして、群落調査や家畜の食べ物を調べてきた。その知見を地元に還元したいという気持ちがあったが、今回森永先生が小さいながらも博物館を作ることにし、モゴドのカルチャーセンターの一角に展示をすることになった(こちら)。この機会に森永先生は子供達に天気予報の重要さを教えたいということで、小学校で天気予報教室を開催することになった。これは森永先生のアイデアだが、たまたまこの学校はエコスクール指定校で、これまでも植林事業体験などもしているので、学校としてもぴったりの企画だったようだ。私は記録者として参加した。以下はその記録である。

2019.9.2
 9月が新学期ということで、校舎の入り口は飾りがしてあった。


飾り付けをした校舎

 先生のいる部屋に通されてアイラグを勧められた。いかにもモンゴル風だ。それから実験をする部屋に行くと、子供たちが三々五々集まってくる。皆頬が赤く元気一杯だ。
 森永先生がモンゴル語で自己紹介をした。


挨拶をするモリナガ・バクシュ(森永先生、右)と通訳のバトユンさん

それを聞いて、子供たちの表情が明るくなった。「いい先生らしい」と感じたようだ。その後「ここからは英語にしますね、OK?」という言葉に子供が「オーケー!」と答え、すでに授業に「入って」いた。


教室の子供たち

 「今日は天気の勉強をします」
 「天気予報を確認した?」には多くの子が「はい」と答えていた。外国の先生だから物怖じするとか、声を出して返事をするのは恥ずかしいという感じは全くない。

「天気にはどういうのがある?」には多分「晴れ、とか曇り」とか答えていたようだ。それから気圧の話に入り「空気は見える?」の問いには「見えない」と答えた。「見えないけどあるんですよ。手のひら10cm2に100kgもの重さがかかっているけど、そうは感じません」
というところまで話してから、「実験をしましょう」と、「やりたい人」と言ったらたくさんの子供が「やりたい、やりたい」と手を挙げた。女の子は肘から腕をあげるようだった。


手をあげる子供たち

一人の背の高い男の子が選ばれて、照れ臭そうに前に出てきて、水の入ったペットボトルを両手に持ってから「どちらが重い?」「同じ」「では片方を水に入れてみましょう。」とバケツに入った水にボトルをつける。「どちらが重い?」「こっち」と空中の方をいう。


選ばれて実験をする少年

「はい、ということは水の中にいると重いとは感じないけども、確かに重さはあるんですね。空気は見えないけど、あって、重さがあるんです」
と、森永先生らしい、透明な声で歯切れの良い話しかたに、子供たちは頷き、興味を持っていた。
「では、自分でもやってみましょう」と各机にバケツを置いて、それぞれが体験をすることになった。楽しみながら学ぶということがとても良い形で進められていた。


嬉しそうに実験をする少女


アドバイスする森永先生

 私がおかしかったのは、この年頃の子供にある「男女の関係」だった。女子が実験をするのを男子がからかう。女子は本当に嫌だと言い返し、終わってからその男子の背中を力任せに叩いた。座って隣の女の子に話していたが「本当、あいつ大嫌い」と言っているに違いない。

 話は天気に戻った。「空気に重さがあることがわかりました。私たちは日本の東京から来ました。モゴドは東京より高いです。ではどっちがたくさんの空気に押されていますか?東京だと思う人?」多くの子が手を挙げた。「モゴドだと思う人?」こちらに手を挙げた子もいた。
 黒板にイラストを描いて気圧を矢印で描いた。黒板が日本のもののように表面にざらつきがないので、白墨のノリが悪かった。絵が好きなことが意外なところで役に立った。

「みなさん、ヒマラヤを知っている?」「知ってる!」「ではモゴドとどっちが空気が多いですか?」「モゴド」「そうですね。私たちは東京から来たので、空気が少ないから少し頭が痛いことがあります」


気圧を説明する板書

 と高さの違いと気圧を説明した後、一カ所で気圧が変化する話に移った。
「気圧が高いと天気が良くて、低いと悪いのです。気圧の高いところと低いところがあったら、空気はどう動きますか?」これには意見が分かれた。時間もなかったので、高い方から低い方に風が吹くということを「教える」形になった。


気圧の違いと空気の動きを説明する板書

 ボトルにストローをつけ、色のついた水で目盛りを読む教材を配り、それを記録して明日比較をする説明になったが、ノートを出して書いた子は半分以下の女子だったように思う。実験を楽しんだが、記録をとるのは面倒というか、そういう習慣があまりないのであろう。
 「明日は風を調べます」とプロペラのついた風速計の教材を出すと、特に男の子は興味津々で拍手をする子もいた。


「明日はこの風力計で勉強します」

 こうして第一日目、子供たちはとても満足感を持って授業が終わった。

9月3日
 森永先生たちは気象台に行き、私は部屋でヒツジなどの頭骨を煮る。運転手のアユシュさんが迎えに来たのが12時過ぎで、すでに授業は始まっていたが、参加する。昨夜、アドバイスとして、1日目のおさらいと今日の目標を明示したほうがいい、それと感想文を書いてもらうと、子供たちが授業をどう感じたかがわかって、今後の参考になると言っておいたが、それを反映して、板書がしてあった。



 1日目のまとめとしては1)空気には重さがある、2)高気圧なら晴天、低気圧なら悪天候ということであった。
 今日の目標としては1)天気予報の重要さ、2)どうして予報をするか、3)実際に測候をしてみよう、であった。


説明する森永先生(左)と通訳のバトユン

 天気予報の重要性については、モンゴルで2000年の正月に天気予報では嵐が来ると報じていたが、青空だったので「大丈夫」と考えて宴会に行ったが、雪が降り始め2日間続いたために、家畜が多数死んだという話と、日本のサンゴ採りがやはり青空だけら大丈夫と考えて嵐にあった人がたくさんいたが、ある漁師は気圧計を持っていてそれを信じて出かけなかったので助かったという話だった。それに続けて人はこうであってほしいということを信じる習性があるという話もあった。


授業を聞く子供たち

 子供たちは正月の宴会の話まではよく聞いていたが、サンゴの話と人の習性あたりになると明らかに退屈して集中力を欠いていた。私はその話を聞きながら、天気予報の重要性と主観的判断の危険性ということを伝えるのであれば、モンゴルの宴会の話だけでよかったと思った。
 それから話は予想の仕方に移ったが、最初にあったのは雲の話であった。雲は空の高いところにある。それは低気圧では空気が上昇するためである。一方、標高が高くなれば気温が低くなる。寒くなるとペットボトルの外側に水滴がつくことは子供たちは知っていると返事をしていた。その水が雲で、高いところでは凍るから雪となって落ち、落ちる途中で溶けて水になる、これが雨であるという説明であった(と私は聞いた)。この辺りはかなり難しくて、子供たちは昨日のように「そうだそうだ」とか「うん、知ってる」というような話に入り込む感じはないように感じた。
 それから世界中で測定されており、同じ測定がされているから、地球上の天気予報が広範囲に可能であるということで、測定の重要性が説明された。これも多分、話を拡大しすぎていて、測定項目がなぜ予報に役立つかを説明して、「ではそれを実際に測定してみましょう」でよかったのではないかと思った。

 それから外に出て、測定をすることになった。



 外に出て私が感じたのは、空が広い、校庭から遠くの丘が広く見える環境の違いだ。モンゴルの子供にはこれが当たり前の景色であり、取り立てて恵まれているとも思わないだろうが - 少なくともモゴドの学校が特別ではないわけだから – 日本の学校といかに違うかを感じた。


校庭の測器に集まる

 子供たちは班に分かれて、各班が教材の測器を与えられた。何と言っても風速計が人気で、どの班でも最初に手に取ったのはこれだった。


風測器を使ってみる

 風が弱いために、なるべく高いところに持ち上げる子、塀に登る子、走りまわる子と様々だった。風速計は少し鈍感なようで、一度回り始めれば順調のようだったが、最初の「回り」がないようだった。この辺り教材としてひと工夫欲しいと思った。


風速計を高く上げる子


走り出す子


柵に乗って風速計を回そうとする子供たち

 そのほかの測器も説明されたが、聞いていることそうでない子が半分くらいという感じだった。


説明するバトユンさん

気象観測器の使い方を説明する。


 最後に感想文を書いてもらおうと紙を配った。おもしろいことに、友達の背中を台にして書いていた。


数珠つなぎになって感想文を書く

<感想>
 全体としてこの教室はどう評価されるだろうか。森永先生側の、心情を含めた実施背景は、これまでの調査を地元に還元したいということの一つの表現形といえる。それはアイラグ博物館も同根である。それと、次の世代に環境のことを考えてもらいたいという気持ちもあり、実際には得意の気象学を取り上げて天気予報の大切さを伝え、気象の基礎を理解させるということがあった。

 記録係として参加した私の感想を言えば、たいへん素晴らしかったと思った。成功の大きい要素としては子供たちが素直で、伸びやかな子供らしさがあり、そのことがそのまま知的好奇心につながるこの企画にフィットしたと感じた。授業を聴きながらふと机に置いてあった生物学の教科書を見たが、「これはたまらん」という感じの難しいことを羅列したようなものだった。これでは学習好きでも勉強嫌いになる。その点、この企画では、日常に体験する気象という親しみのある現象を、原理を説明し、教材を使って体験的に考えながら学ぶ工夫がされていた。それには森永先生の話の作りの巧みさや、教材を持参した教育的情熱が最大の必須条件であった。それなしには成功はなかったが、しかし、それがあっても覇気のない子を対象にすればうまくいかないことがあるから、やはりその双方がうまく化学反応を起こしたのだと思った。
 反省点としては、やはり少し話が難しかったこと、子供たちがのびのびしていただけ、ざわついて説明が聞けない場面があったことであろうか。この要因としては人数がやや多かったということはあるだろう。ただ、普段はもっとざわつくのかもしれないので、この教室が特に騒がしかったかどうかの判断は控えたい。
 私としては、この出来事 – モゴドの子供にとっては日本という国から先生が面白そうな教材を持ってきて天気の話をしてくれた – は子供たちに強い印象を残したと思う。企画の趣旨である天気予報を認識するということにはもちろん役に立ったであろう。ただ、それだけではなく、説明を聞いて、実際に日本は低い場所だということを知り、「ああ、そういう違う国に暮らしている人が今、ここに来てくれているんだ」という思いや、日頃考えない日本を想像する刺激にもなったであろう。
 子供たちは授業の後、満足げな表情を見せていたが、何かをプレゼントされたときの満足とは違う、知的な興味を持ったことの満足は子供たちの心に何かを残したと思う。「科学者っていいな」と思った子もいるだろうし、「女性で科学をしているんだ、私もなりたいな」と夢を持った女の子もいるかもしれない。
 それと同じほど大切だと思ったことは、善意のおこないということである。今、世界は政治家が経済の原理で競い合い、いがみ合っている。それに比べれば、このささやかな試みは、無意味なほど小さなことであるかもしれない。だが、本当にそうだろうか。巨大な組織としての国は確かに大規模なことをする。だが、その底流にあるのは、自分の利益を得ようということであり、相手を信じないということである。それは虚しく、醜い。それは生身の人ではなく、組織を実態と思う虚構ゆえのことだと思う。人にとって真に大切なことは、相手を信じ、その目を見て交流することであるはずで、そうであれば、上記の政治家のすることは虚しく、このような活動こそが讃えられるべきものであろう。モゴドの子供たちも、毎日のニュースで大人とは強い者が大きい声を出して得をしようとするものなのだろうと思うようになっているだろう。この教室に参加した子供たちは気象学を学ぶと同時に、全体の雰囲気から、そういう大人たちの中に善意で自分たちに接してくれる大人もいると感じたはずだ。私は日本の先生の話を聴いて瞳を輝かせながら頷く子供達を見て、そのことを確信した。


瞳を輝かせながら授業に聞き入る子供たち

 子供の心に種を蒔く、そのことはどれほどの形で実を結ぶかはわからない。しかしその一粒でも芽を出し、実を結ぶとすれば、何ものにも代えがたい大きな意味を持つと思う。そう考える私はあまりにロマンチックであるのかもしれないが、私にとってこの活動はそういう清涼感のあるものであった。

  この活動は、一般財団法人WNI気象文化創造センターの研究助成によって行われている。私は動植物の生態学を研究しているので、気象のことは普通の知識しかないが、日本からモンゴルに行けばその違いを認識しないではいられない。モンゴルの乾燥気候は植生を特徴づけ、そのことがモンゴル牧民の生活を形作ってきた。日本の農民が台風などに敏感であるとは違う意味で、モンゴルの牧民は気象に敏感であり、実際それは家畜の命につながり、人の生活につながる。「気象文化」という言葉は知らなかったが、日本とモンゴルを往復すると、気象は間違いなく文化に影響を与えることを実感する。森永先生とバトユンさんの授業を見ながら、この活動はそのことがよい形で教育に活かさていると感じた。

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