高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

バイリンガル

2018-06-01 01:13:51 | エッセー
深刻な問題というのではないのだが、子供の頃から「自分はほかの子と違うんだな」と思っていたことがある。物事に熱中するために、周りのことがわからなくなったり、忘れ物をしたりするので、自分には何かが欠けているのかなと思った。そういうことは劣等感となった。それから4歳のときに生まれ育った(といってもわずか4年だが)町から少し離れた町に引っ越した。山陰では町が違えば言葉が違う。私が生まれた倉吉は因幡だが、引っ越した米子は伯耆だから、言葉がかなり違うのだ。通じないということはないが、アクセントも言い回しも(一部だが)単語も違うので、「あ、地元の人でないな」とすぐにわかる。
 引っ越したとき、周りの子供の話す言葉が、それまで馴染んでいた言葉と違うということを知った。子供の私はすぐに習得したが、親はそのままだった。思えば、父は九州出身で、倉吉出身の母とは違う言葉を話していたから、それ以前から言葉は人によって違うということはなんとなく感じていたのかもしれない。学校に行くようになり、友達の家に行くとおじいさん、おばあさんがいるのにうちはいないことも違うということもわかった。そういう風に自分は他の子と違うのだなと思っていた。

 さて、言葉である。私が生まれた倉吉という町では「あの子はしょうからだけえ、かなわんなあ」という。「あの子はいたずらで困ったもんだ」という意味である。文字で書くとあまり違わないが「あの子」も東京では「の」が高いが倉吉では平板にいって「あの子は」の「は」が高くなる。「しょうから」というのは「性」がカラい*、つまり性格がきついということから、大人の言うことを聞かない子のことを言う。引っ越した米子では「あの子はしょうからだけん、かなわんわ」という。その後、島根県の松江に引っ越したが、ここは出雲だから、さらに違い「あのさんはいけずだけん、かなわんねえ」という。「いけず」は「いけない」で、関西では意地悪のことをいうが、出雲弁ではいたずらっ子のことを言う。
 これは一例だが、全体の音の流れや、言葉の強さなども違い、倉吉が一番おっとりしており、松江は上品な響きがあり、米子が一番カラッとしている。

* 「からい」は山陰ではもっぱらしょっぱいの意味で使い、「辛い」は「胡椒がらい」という。味噌汁の味噌が多すぎると「からい」というが、少なすぎて水っぽいと「あまい」という。「甘い」のではなく、「あいつは仕事の詰めがあまい」の「あまい」ににて、程度が足りないというニュアンスだ。で、「しょうから」の「から」は逆に程度がきついことだ。

 英会話の勉強でマスターするためといっていろいろ理屈を言うが、子供はそんな理屈は知らなくても、単語もフレーズも、どう言う状況でどう表現されるかをトータルに覚える。というのは、子供にとって一緒に遊ぶと言うことは、同じ言葉を使うことが前提となり、違う言葉を使う子は「よそ者」になるからだ。そうなるとどこかよそよそしい雰囲気、心を開けないものが生じる。別に意地悪でそうなるのではなく、ごく自然にそう感じるにすぎないのだが・・・。
 ともかく私は4歳にしてこの世の中には違う言葉を使う人がいるということを知った。そして友達はそうではなく、一つの言葉しか使わないことも。幼い私は、家では倉吉の言葉を使い、玄関を出ると米子弁を使った。だから、我が家に友達が来て私が米子弁で会話しているのを聞いた母は目を丸くしていた。
 中学生になると英語を学ぶようになった。あまりおもしろいとは思わなかったが、ラジオから流れてくるアメリカンポップスを聞くのが好きになり、その英語は大好きだった。初めは意味もわからず聞いていたが、学校で習う英語の文法などがわかるようになったら、辞書を引いて歌の意味を理解するようになった。学校の英語の先生の発音は全然違うと思った。家では英語の教科書もポップス風に読んだが、学校では歌のように発音するのは恥ずかしいので、カタカナ英語にしていた。その感じは外で米子弁を使い、家で倉吉弁を使うのと似ていた。
 「言葉を変える」というのは、文法を考えながら文章を組み立て直すということではなく、雰囲気全体のチャンネルを切り替えると言う感じだった。だから、大学で仙台に行った時も、仙台弁を楽しんだし、違う地方から来た友達の方言を聞くのも好きだった。テレビなどで地方の人の話すのを聞いてその地方を当てる訓練をし、かなりの正解率になった。

 そういうわけだから、私は外国語を・・・、とは言えないが、「違う言葉」を使い分けられる人間だと思っている。それは程度の違いはあれ、地方から大都市に出た人が必要に迫られてしていることだ。

 ジャレド・ダイアモンドは驚くべき博学で、生態学で人類史を語り尽くす人だが、最近読んでいる本にバイリンガルのことを書いていた。それによるとアメリカで一つの言葉しか使わない子と、バイリンガルの子の成績を比較したら、後者の方が成績が悪いと言う結果が出たそうだ。私はちょっと意外であり、不満でもあった。だがそれは経済環境などが大きく違う集団を比較したものなので、比較として不適当だったということを明らかにし、後半では適切な比較をしたら、むしろ逆であったという。その理由は、脳の訓練にあるという。バイリンガルの人は毎日どっちの言葉を使うかを判断するから、脳をトレーニングしているのだという。実際、バイリンガルの人はアルツハイマーになりにくいという。

 自分の腹の中の言葉が口から出る言葉と同じものであるとしか思えない人と、そうでないことを知っている人では、大げさに言えば世界観が違うと思う。
 ある東京の下町に生まれ育った人が東北弁を聞いて「なんで普通に言わないんだろう」と言った。その人は、自分がそう感じることにつゆほどの疑いも持っていないようだったが、東北人は思ったことをわざわざわかりにくく話すとでも思っているのだろうか。同様のことはアメリカ人からも感じる。彼らは自分の話す言葉は世界中で通じると思い込んでいる。東京人やアメリカ人は、自分たちと違う言葉の人を気の毒に思っているようだが、私に言わせればそれは逆で、違う人の立場になれないという意味で気の毒なことだ。

 「せごどん」では薩摩や奄美の言葉が字幕付きで語られるが、リアリティがある。しかしこうなったのは最近のことで、長い間ドラマは東京弁だった。私は前々から思っていたのだが、赤穂浪士は赤穂の言葉、つまり神戸市あたりの方言で喋っていたはずだ。討ち入りが関西弁だとするとだいぶ雰囲気が違うはずだ。

 人はお母さんのお腹の中にいる時から耳にした言葉を聞いて心地よいと感じる。生まれてからは、それがどういう状況でどう使われるかを体得してゆく。それが「腹にある言葉」であり、多くの場合、それが「口から出る言葉」でもある。しかし、事情によりその両者が違う人がいる。そちらの方が少数派だから、そちら側の人が多数派に合わせる。そして多数派が哀れんでくれる。私はその少数派だったから、周りに合わせることをしてきた。そのことを「大変だねえ」と同情してくれる人もおり、曖昧な返事をしていたように思う。だが腹の中ではその方が良いと思ってきた。だから方言が好きだった。東京弁にはない表現があると嬉しかった。東京人が持たない感じ方や物事の捉え方をする世界があるのは当然であり、それは素晴らしいことであり、標準化することはそのすばらしいことを失うことだから、してはいけないと思ってきた。
 それを見事に表現してくれたJ・ダイアモンドを読んで溜飲を下げる思いがした。私は「他の子と違」っていたのは事実であった。それをコンプレックスに感じていたが、いまではそうではないと思っている。

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