観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

最終講義を拝聴して ― あれはカラタチ?ー

2015-03-01 16:46:37 | 15
岸本真弓

 最終講義お疲れさまでした。懇親会でもお話をしたかったですが、たくさんの方々が先生とのお話を楽しんでおられる、また待ち望んでおられるよう入り込めず残念でした。
 最終講義は大変楽しく拝聴いたしました。先生の研究に対する情熱と姿勢、そしてそのバックボーンとなる幅広く深いご見識は存じ上げているつもりでしたが、お子様の頃からのものなのだということを再認識できたのは、最終講義に出席させていただいたからこそと、大変嬉しく思いました。時に私さえも胸が詰まり涙腺が緩む時もありました。いかに、お心のこもった講義であったかということだと思います。
 懇親会でお話ししたかった、最終講義にあったお話で思い出したことをひとつ。私も時代的にか、虫取りに興じた子供時代を送っています。
小学校2年生までは兵庫県高砂市の海岸近くにあった父の会社の社宅に住んでいました。その頃は周囲に自然があまりなく、学校でカタツムリをとって持ってくるようにという宿題に難儀したことを覚えています(夢の中では見つけたらしく、寝言で「おった、おった、でんでんむし」と叫んだそうです)。ささやかな虫取りの対象はチョウの幼虫でした。家の近所にはモンシロチョウのアオムシしかおらず(? いたかもしれないけれども気づかず?)、唯一アゲハチョウの幼虫がいるのが、特定の場所で、今でもはっきり覚えていますが、少し離れた幼稚園の近くの古い集合住宅の生け垣でした。その生け垣には棘があり、暗い緑色でした。その生け垣に行ってはアゲハチョウの幼虫を探すのですが、棘がいたくて奥までは見れないのを悔しく思っていました。小学校3年生になって田舎に転校し、生物が多種多様にいるようになり、アゲハチョウの幼虫を捕ることはなくなりました。
 最終講義で、はっとしました。あの棘のあった生け垣は、あれはカラタチだったのではないか、と。植物までちゃんと調べてチョウの種類との関係性を幼い頃から見極めた先生と、棘がある生け垣にアゲハの幼虫がいるというだけで終わっていた、その差が、今の先生と私の差なのだなあ、と深く思った次第です。

 もうひとつ、ついでといってはなんですが、『唱歌「ふるさと」の生態学』を読んで。内容については、先生のあまりの博識と洞察の深さにただただ感銘を受けたのですが、唱歌好きの余談を少し。講義が終わった時に少しお話ししましたが、私も大変唱歌が好きです。
実は大変な音痴なので決して人前で歌いませんが、車の中などでは大いに歌っております。子供の頃、家に同様・唱歌のレコードがあったのと、母がよく口ずさんでいたからかもしれません。(そうそう、昭和9年生まれ京丹後育ちの母は子供の頃、学校総出で山狩りをしてウサギを捕ったと言ってました)唱歌の何か好きといって、流れるような日本語の美しさが好きです。子供の頃は意味もわからず口ずさんでいたようにも思いますが、簡潔でそして美しい。情景が目に浮かぶ。『唱歌「ふるさと」の生態学』は大変専門的でしたが、是非もっもっと軽くてわかりやすい、小学生が楽しめるような、そして唱歌とにほんの里を愛おしめるようなご本を書いてください。自分がそういう本を書いてみたいと思いますが、能力的にも時間的にも到底できそうにもありません。

 私が口ずさむもうひとつのものは、校歌です。先の高砂時代の高砂小学校の校歌が一番好きです。メロディをここでお示しすることはできませんが、とても溌剌としていて気持ちのよいメロディです。
歌詞は
~~~~~~~~~~~~~
八重の潮路のはて遠く
ながめはるけき瀬戸の海
大船小船荷積みする
港の岸の波の音
新興の市高砂の
学びの舎につどふ子よ
つねに正しくすこやかに
守れわれらのこの舎を

流れゆたけき加古川を
海に迎ふる播磨灘
砂浜白く空高く
吹くは千歳の松の風
伝統の市高砂の
学びの園にあそぶ子よ
いつもやさしくおほらかに
歌へわれらのこの園を
~~~~~~~~~~~~~

 私が小学生だった頃には、海岸のほとんどに工場が建ち、船が荷積みする港はなかったと思いますが、遊びに行っていた岩場の海岸や、砂浜の先には広く(瀬戸内なんですが、子供にはそう見えた)穏やかな海がひろがり、違和感なくこの校歌を受け入れていました。
校歌にも、その地域の懐かしい情景や、地域の大人たちが大切にしてきたものが謳われているのだなあと、『唱歌「ふるさと」の生態学』を読み、気づいた次第です。

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