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高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

成島悦雄

2015-01-19 07:42:19 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』

『唱歌「ふるさと」の生態学』、一気に読み終えました。
「ふるさと」の作曲者は先生と同郷ですね。ご著書により里山生態学を親しみやすく、わかりやすくお教え頂けたと思います。
 一時代前まではあたりまえであった自然に生かされ、命のつながりを感じるという感性が現代日本では通用しなくなっていることを再確認させていただきました。それ故に、これからの日本の動物園がよって立 つところはどこなのかを考える大きなヒントを頂けたと思います。

高槻:ありがとうございます。先日、孫をつれて貴園にうかがいました。園長みずから解説しておられたので、お邪魔にならないように話しかけませんでした。そうですね、動物園は子供が動物に興味をもつ入り口としての機能をもっているので、よい展示が大きな意味をもっていると思います。

2015.1/19

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中野景介

2015-01-13 07:33:03 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 正月休みに『唱歌「ふるさと」の生態学』を拝読しました。共感しつつ、ページを繰るのがもどかしいほどだったり、熱い思いとともに考え込んだまま前に進めなくなったりでした。しばらく動けないほどの読後感というのは何十年かぶりです。ありがとうございました。このようなヤマケイ新書、ヤマケイ文庫をこれからも待っております。読者の一人が大変喜んでいたと高槻さんにもよろしくお伝えください。

2015.1/13
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前田雄一

2015-01-07 07:37:55 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 唱歌「ふるさと」の生態学。分かりやすいのと、テンポの良さでスーッと読めました。兎や鮒がいなくなったのも、鹿や猪が増えたのも人の生活が変わり過ぎました。マツやナラ枯れも同じ構図ですね。3番の歌詞(都会で成功して故郷に錦を飾る)を見ていると、現代の状況を予言していたように感じました。欧米の列強に追いつこうと、しゃかりきになっていたことが伺われます。
 しかし、欧米は農業も強いですよね。以前、フランス人に聞いたら農作物の自給率は130%以上だと言っていました。欧米は、ポイントはしっかりと押さえています。戦後の日本はどんどん自給率が減少して現在は数10%でしょうか。里山で活動する人は激減です。炭や薪に依存しなくなった現代社会では「ふるさと」のような時代に戻ることは無いでしょうが、少なくとも農業に携わる人が、これほど減少しなかったら、里山の現状は違ったものになっていたと思います。政策が先を見越していないのでしょうか?
 原発も同様の事がいえそうです。世界の地震発生頻度の色分け図を見ると、原発国のフランス、ロシアは穏やかな色合いで、地震の発生はなさそうです。東海岸に原発の多いアメリカも、東海岸には地震がなさそうです(西海岸は地震が多い)。最低限、自分の国の事は考えています。一方、地震が異様に多い日本の濃い色を見て愕然としました。全く先の事を考えていないことが分かります。無責任ですねえ。話が飛びました。現在の里山・・少しでも人が関わるようにすれば、新たな形の里山ができると思います。それには多くの人に、里山の現状を(科学的に)知ってもらう事、関心を持ってもらう事が大切だと思いました。勉強になりました。



高槻:たいへん、ありがたい感想をありがとうございます。テレビなどでフランスの農家の豊かさを見ると、「産み出す」ものをもつ国と消費する国の自力の違いを感じないではいられません。震源分布の地図をみて、改めてショックを受けました。

2015.1/7

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植原彰

2015-01-03 07:24:28 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 唱歌に目をつけたところがさすがです。
 文部省唱歌とは,1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』から1944年(昭和19年)の『高等科音楽一』までの教科書に掲載された楽曲のこと。簡単にいうと、昔の小学校の音楽の教科書に載っていた、文部省お墨付きの歌です。今の音楽の教科書にもそのいくつかが載っているんですよ。たとえば,小学校1年生の「うみ(♪うみはひろいな)」「かたつむり(♪でーんでんむーしむし)」、2年「春がきた」「虫のこえ」、3年「春の小川」「ふじ山」、4年「まきばの朝」「もみじ」、5年「こいのぼり」「冬げしき」、6年「おぼろ月夜」「われは海の子」などです。いずれも日本の昔ながらの風景や季節感があふれている歌だと思いませんか?
 ぼくは「観察会や小学校での環境教育はこれらの歌をきっかけにできるよ」と提案しています。たとえば、初秋・夕方の観察会で「♪あれマツムシが…」で始まる「虫のこえ」には5種類の鳴く虫が登場するけど、そのうち聞いたことあるのは?…といった感じです。
 高槻さんが本を出されたことで,あらためて「ふるさと」(高槻さんは本のタイトルだけひらがなの「ふるさと」で、本文は「故郷」と表記していますが、小学校学習指導要領には「ふるさと」とあるし、高槻さんご本人も書いておられますが,「故郷」だとどうしても「こきょう」と読んでしまうので,ここではひらがな表記にします)の歌詞をよく読んでみて、驚きました。長い年月、多くの人といっしょに、自然とじかに関わりながら、その中で「関係性(いろいろな意味があります。気候と植物との関係、植物と動物の関係、動物と動物の関係、それら自然と人間(社会)との関係、そして、その関係性の時系列的な変化)」を探ってこられた高槻さんのよう
な方にとって、「ふるさと」は、まさに当時の自然・当時の生態系が閉じ込められたタイム・カプセルです。このタイム・カプセルを掘り出して紐解き、現状と比べることによって、高槻さんには保全生態学上の課題が見えてきます。高槻さんはそれを目次で表現されています。6章が異質なものに見えるかもしれませんが,これについて
は後述します。
  1章 「故郷」を読み解く
  2章 ウサギ追いし-  里山の変化
  3章 小ブナ釣りし-  水 の変化
  4章 山は青き-    森林の変化
  5章 いかにいます父母-社会の変化
  6章 東日本大震災と故郷
  7章 「故郷」という歌
  8章 「故郷」から考える現代日本社会

 ところで、皆さんはウサギを追いかけたことがありますか? ぼくはノウサギを見かけたことがある程度で、「(子どもが)追いかける」対象の動物だとはとても思えません。ところが、高槻さんは「ウサギはどこにでもいた」といいます。ウサギの棲息地は茅場です。茅場つまり乙女高原みたいなところが減少したことが、ウサギの減った原因だと述べています。そして、茅場の減った背景には日本の人々の生活様式の変化に伴う里山の変化があったといいます。「ウサギ追いし」からどんどん話が発展し,他のことにつながっていく様は,まるでミステリーのよう。「ウサギ追いし」から今のウサギの減少までを説明するのに、ウサギの生態・生息場所の説明、茅場の説明、茅場のある里山の説明、里山の現状の説明など,説明しなければならないことがいっぱいあるのですが、これら全てを説明するのに高槻さんくらい適役の人をぼくは知りません。
 さて、目次を読んで違和感のあった「東日本大震災と故郷」です。いくらご自分の調査フィールドだったところが被災したからといって、感情的に「ふるさと」と東日本大震災を関連づけるのは無理があるだろうと、読む前は思いました。でも、以下の文章を読んで「うーむ」とうなってしまいました。言われてみれば、その通りです。
原発事故後の福島の里山で起きたことは、原発事故というきわめて特異なできごとによる特殊なことであるには違いない。しかし、里山に人がいなくなると何が起きるのかという意味では、現在過疎化が進んでいる日本中の里山に共通の課題を先取りしたことでもあり、その意味では普遍性をもつできごとでもあった。
 東日本大震災と「ふるさと」の関係性までも探り当ててしまったのは、やはり東北で四半世紀を過ごした生態学者である高槻さんだからこそだと思います。
 以上,述べてきましたように、この歌は高槻さんに出会うために生まれた歌なんじゃないかと思えるほどです。これから高槻さんに会うたびに、高槻さんが「ふるさと」(の化身)に見えてしまいそうで、コワイです(笑)。
 最後に、この歌がタイム・カプセルとして高槻さんに紐解かれて本当によかったと思いました。大げさに聞こえるかもしれませんが,この本には、「ふるさと」から導き出された、ぼくらのこれから進むべき道も記されています。高槻さんだから、タイム・カプセルだったから、掘り起こすことができましたが、もう少し後だったら,「ふるさと」は化石になっていたかもしれません。いや、もしかしたら、もうすでに…。

もったいないような文をありがとうございます。著者としてこういう感想を聞かせてもらうことほど嬉しいことはありません。植原さんとは乙女高原(山梨県)でススキ群落の調査をしているので、茅場の話題はつながりがあります。動植物にはなんでも興味あり、で通じ合うものがあります。

2015.1/3

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読後感想

2015-01-01 09:28:33 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
末次優花
平塚 明(岩手県立大学)
庭野三省(新潟市)
三谷雅純(兵庫県立大学)
田村俊和(元立正大学)
辻村東國(元山形大学)
林良博(国立科学博物館館長)
植原 彰(乙女高原ファンクラブ)
前田雄一(鳥取市)
中野景介
成島悦雄(井の頭自然文化園園長)
日本農業新聞
西野嘉章(東京大学総合研究博物館館長)
伊藤文代(前小平市教育委員会委員長)
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林良博

2015-01-01 09:21:45 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
高槻成紀 先生

あけましておめでとうございます。
『唱歌「ふるさと」の生態学』を拝読しました。
これまで仰っておられたことに日本文化の特性を織り交ぜ、簡潔な文章で纏めておられますので、多くの人びとに感銘を与えることと存じます。
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辻村東國

2015-01-01 09:19:34 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
「ウサギおいしい」よりも「ウサギ老いし」この頃・・。拝読後に、今夏読みました江戸初期の仮名草子の一節を思い出しました。
「紀の河の大きな鮒を 山家なる人はこれをや鯉と言ふらん」
 伊勢物語のパロディー本で、本物と違って文章至って俗なのですが、俗が却って普通な身の回りを教えてくれるようで、私は気に入っております。この内容が本当だとしたら、500年前も(は)鮒がそれだけ身近だったいうことで、貴兄の本のおっしゃる通りだと思いました。
 また、パロディー、本物(1500年前!)両方に、罪人を捕まえるために野原に火をつけようとするシーンもありました
「武蔵野は今日はなやきそ浅草や 妻もころべり家もころべり」
「武蔵野は今日はな焼きそ若草の 妻もこもれり我もこもれり」

これは茅場ですかね・・・・

高槻:茅場だと思います。
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田村俊和

2015-01-01 09:16:47 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
<総論的感想>
 里山の景観とそれを作り維持してきた農業システムについて、秣場とウサギの関係から説き起こして、勘どころを具体的に示し、そのシステムが、背後にある伝統社会とともに、まさに崩壊しているという指摘は、きわめて重要と考えられる。その崩壊を導いた、より大きな社会変動にも言及する意義は十分あると思われるが、近代化開始期の熱気(?)からグローバリゼーションまでいろいろと筆を走らせた結果、一見口あたりのよい常識論あるいはそのように誤解されやすい論調に流れた感のある部分(たとえば、農村での長男相続慣習(近世までは必ずしも一般的ではなかった らしい)など)か)やや無批判に混在し、精粗さまざまといった感がある。そのような一見常識的俗論の中に貴重な指摘が埋没し見過ごされてしまうとすれば、まことに残念。また、里山創出・ 維持行動の根源の探索を「自然への畏敬の念」で止めているのは、今西錦司の議論がどこかで日本人の土着的倫理観に安住している(ように私には思われる)のを連想させる。「畏敬」の奥にある「自然」の特質、およびそれとその「利用」との関係をもっと抉り出すべきではないか。なお、「保全生態学」として、里山崩壊の圧倒的動きに抗する論理(の発端)および手立ては提示しなくてもよいのか。たとえば、いわゆる「市民」による里山復(?)の動きや、断片的に紹介されている多摩丘陵での田極さんらの実践等に対して、何らかの評価や批判をするのかしないのか。

<質問を含む各論>
1 里「山」は、人家や田畑のすぐ近くにある「林地」であって、秣場等の草地を含むが、草地だけがひろがっている空間を里「山」とは言わないのではないか。田畑そのものも、モザイク状に里山に入り混じっていることはあっても、それを積極的に里山に含むことはないと思われるが。
高槻:里山は定義がまだまだ混乱しています。私は農耕地を積極的に含む立ち場で、その理由は本書に書きました。
2 里山の特徴は、限られた空間における植生の多様性にあり、それに適応した独特の動物相が成立している(いた)ことが、わかりやすく述べられている。その多様性を助長するものとして人為の(適度の)介入があり、そのような介入を許容した(あるいは必要とした)生産・生活様式、 それを包み込んだ社会(当然家族関係も含む)、そこで育まれた自然観が、里山の特徴を形成し維持してきたことがよくわかる。それに加えて、そういう環境および環境利用を可能あるいは容易にしたフィジカルな「場」の条件があるはずで、そのうち、気候については言及されているが、 地形的条件(の多様性)への注目が足りないのではないか。
高槻:正論です。しかし私の地形についての知識は「日本は山国だ」くらいのもので、動物にとっての日本の自然環境の特徴を考えると、雨が多いことにより、植生が豊かであり、遷移が速いことをいえば6、7割は説明がつくのではないだろうかと思います。火山国で山が多ければ、大陸とは谷が違い、沖積地が違うことは想像しますが、改めて書くほどの力はありません。地形学のご専門からすれば物足りないことは十分わかりますが、ご容赦ください。
3 上記の社会的背景の変化、すなわちいわゆる「近代化」(さらにはグローバリゼーション)は、 遅速の違いはあれ、まさにグローバルに進行している現象とみてよいが、それがなぜ日本では「里山の喪失」のような形をとったのか。欧米に起源を持つ近代化~グローバリゼーションと、日本 列島の多くの地域での(おそらく弥生時代頃以来の)土地利用傾向(いわゆる伝統)との「相性」の問題があることは確かだが、その追求が「自然への畏敬の念」に向かうのは、やや安易で、スジが少し違うのではないか。
高槻:これも私の力に余る課題です。もしこれに言及すれば、さらに拡散すると思います。「自然への畏敬」に向かったのは自然の流れだったように思っていましたが、よく考えると確かに安易であったかもしれません。
4 原発事故による里山(システム)の破壊は、日本における里山喪失過程を時間的に圧縮して具現化しているというようにとれる指摘は、まさに「時宜を得た」もので、重要と思われる。一方で、最近 30 年間くらいのいわゆる「里山ブーム」(?)(その中で里山の語義が拡散し、類語・派生語が続出した)は、敢えて無視したのか?
高槻:いわゆる「里山ブーム」は本物だとは思っていません。都会人のリゾート感覚ではないでしょうか。自然観察をする場ではなく、生産活動をする場としての里山がもどって来なければ本当の里山復活にはなりません。その意味では、田村さんのいう意味でのブームについては無視したといってよいでしょう。生き物を通してみると里山はこう見えるということを言うのが私の役割かと自認し、それは書いたつもりです。

<小さな誤りあるいは不正確な点>
・ 「メダカの学校」は「唱歌」ではなく「童謡」。
・「金肥」とは、農家が金銭を払って購入する肥料の総称で、少なくとも近世に(とくに都市近 郊で)は下肥がその重要な構成要素であったが、同時に油粕や干鰯なども貴重な「金肥」であっ たはず。近代化の中では化学肥料が金肥の中心に取って代わっていったのではないか。
・「アルプス以南の地中海は降水量が 300~400mm 程度」というのは、年降水量を指しているとすれば、イベリア半島南東部など一部を除き、実態よりかなり少ない。
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三谷雅純

2015-01-01 09:12:52 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 「日本列島に生きた里山の人びとは、どのような人生観、どのような自然観を持っていたのか」。高槻さんの目を通じて見えて来たこと、感じてこられたことを、咬んで含めるように教えていただいた気がします。
 すらすらと流れるような文章は、さすがたと思いました。それでもいくつか、筆禍かったところがありました。
 そのひとつに「家」の概念がありました。例えば130ページから132ページになけて、林家の育てる木の生長と、抽象的、象徴的な「家」制度やその崩壊が描かれてます。しかし、歴史的には、大多数の人びとに「家」概念は存在しなかったように思っていました。高槻さんが描かれた「家」概念が成立したのは近世になってからではなかったでしょうか?私は歴史にはまったくの素人ですが、素人なりに、そんなことを思いました。
 ふたつめは、日本列島に生きる人びとの呼称です。現在のように日本は単一民族で構成されているという考え方は、明治期になって創作されたものだと思っていました。それまでは、例えば東北であればアイヌなどのシベリアから続く分布を持つ人びとと(必ずしも平和に共生していたというつもりはありませんが)、言うなら「混住」していたように思います。また日本列島の中でも、地域によって、また通行手段の発達ー普通は船、あるいは舟だったと思いますーによって、文化圏が独立し、幾重にも重なったものがリージョナルに独立を果たしていたように思っておりました。
 通行手段の発達ではー高槻さんも言及されておられたように思いますし、また島根県の出雲も含まれますがー、環日本海文化圏、いまふうに言い直せばロシアも含む東アジア文化圏のような、国境には縛られない文化圏が成立していた。それが、明治期以後の国策によって文化圏は否定されて現在に至っている。そのような気がしています。高槻さんのイメージされる日本列島の概念より、わたしのイメージしている概念は、文化的に、よりモザイックであるのかもしれません。

高槻:本書で私が対象としたのは近世以降のつもりです。この本を読んで東アジア文化圏や民族構造にまで言及されるのはややポイントがずれると感じます。
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「唱歌『ふるさと』の生態学」の感想

2015-01-01 08:15:11 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
伊藤文代

 「唱歌『ふるさと』の生態学」を正月の三が日に読み終えました。
いつかもお話したかメールに書いたかもしれませんが、大抵の本を速く読む癖のある私ですが、高槻さんのご本は自然とゆっくりと読むのです。そうさせる何かがあるのでしょう。
「ふるさと」の作詞者が長野県出身、作曲者が鳥取県出身なんて、高槻さん!奇遇ですね。
 私は昭和28年生まれの長野県育ちですから、兄や姉と山へ登って隠れ家を作ったり、沢蟹の動きをじっと見つめたり、夕焼けをずっと眺めていたり、近所の人たちにかわいがられたり、と本当に良き豊かな子ども時代を過ごしたと思います。60歳を過ぎて、なおのことそのことが宝物のように思えてきました。
 そんな子ども時代を思い出しながら、一方でこの数年で行ったヨーロッパの風景を思い浮かべ、また、30年間通い続けている長野県長和町の別荘周辺の変化をたどりながら、「そうだ、そうなのよ」と頭の中で叫び、呟きながら読み進めました。
 「これをオレが書かないで誰が書くんだ」と考えられたとのことですが、まさにご専門の学問とお人柄からして、高槻さんしか書けないものだと思いました。
 私の若い知り合いは「うさぎおいし」を「うさぎ老いし」と思っていたといいますが、結構そういう人は多いかもしれません。しかし、高槻さんのうったえたかったことは、歌の言葉が正しく理解されることのもっと先にある大事なものだと思います。それこそ、薄っぺらな扇情的なナショナリスムなどではない、本当に自分たちの場所と自分たちの来し方、行く末を見つめた、この国への愛だと言えると思います。

 また、この本を読んで「目から鱗」だったことがあります。それは、日本の自然がいかに豊かで多様性に富んでいるかということです。
 「赤ずきん」のくだりはなるほどと思いました。というのは、以前ストーリーテリングを図書館などでしていたころ、「赤ずきん」は私の持ち話のひとつでよく語りましたが、いつも日本の子どもたちって「森」ってどう想像するのだろうか、それに日本の「森」の中なんてこんな風に歩けないよ、と実は頭の片隅で思いながら語っていたものです。でも、森の中を歩いておばあさんの家に行く、森の中にはきれいな花がいっぱい咲いてる、それらを素敵だなあとも正直思ったものです。
 昨年の6月にイギリスを旅行したときも、あおあおとした牧草地や農地にはあまり雑草もなさそうで、ハイキングした山でも邪魔になるような、たくましい低木や草花もなく、そのことをまた素敵だなあと思いました。そして、日本の野山にはいろんな草木があってときにかっこ悪いとさえいう思いが恥ずかしながら自分の中にあったと思います。
 でも、ご著書で意識が変わりました。北ヨーロッパの自然がむしろ弱く多様性に欠け、日本の自然はいかにたくましく多様性があるかと。
 そして自分自身の思いから、やはり次に教育のことを考えました。日本の子どもたちに本当にこの国の自然のことが伝わっているだろうか、気づきを促しているだろうかと。移動教室などの場でも、この国の自然に対する見方も教えられたらいいのではと、思いました。

 短絡的な部分もあるかもしれませんが、感謝を込めて以上のような感想を送らせていただきます。
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庭野三省

2015-01-01 07:33:51 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 本屋さんでおもしろい本がないかと、追いかけるように書棚に視線を動かしていくと、この本がすぐに目にとまった。書名の『唱歌「ふるさと」』が私をつかまえたのだ。
 私は副題「ウサギがなぜいなくなったのか?」が気になった。新潟県十日町の片田舎に生まれ育った私は、冬になると真っ白になった野ウサギをよく見た。また鉄砲撃ちの型が射止めたノウサギを食べたこともある。さらに家でもほかの家畜とともにウサギを飼っていて、ウサギは身近な動物だった。ウサギはツブしてその肉を食べることだったからウサギがされる場も幾度となく見た。
 子供の頃、たしかに「故郷」の歌のように追いかけた。雪の上をすばやく走る姿は今も脳裏に鮮やかである。ウサギを沢にできた雪のトンネルに追いつめたり、針金でワナをかけたりして遊んだ。ただし、私が中学生の頃になるとこういうすっかり遊びはなくなっていた。
 本書にはウサギの林業被害のことが書いてある。それがある時代から被害が減る。それは野生のウサギが減ったからだということを、著者は専門の立場からデータを示して説明している。それはウサギの生息地である茅場が減ったからだという。こんなことは今まで考えたことがなかったので仰天した。私の子供の頃に住んでいた家は茅葺きで、屋根の葺き替え工事も見たし、茅場で作業の手伝いもした。その茅場に亡き父がスギを植えたので、確かに茅場は消滅している。

 各章のタイトルは唱歌「故郷」の歌詞のキーワードを示しながら、環境の変化をにつながることを示唆する。

2章 ウサギ追いし 里山の変化
3章 小鮒釣りし 水の変化
4章 山は青き 森林の変化
5章 いかにいます父母 社会の変化

 6章の「東日本大震災と故郷」を読むと、涙が溢れてしまう。著者は里山を「壮大な作品」と書いている。

 私の眼前には田んぼがあり、その一枚一枚に石垣が築いてあった。ここに住んでいた先祖の人たちが、どれだけの時間をかけて、どれだけの重労働をして、重ねた石であろうか。豊かな里山の自然は、ありのままの原生自然ではない。農地は農作物を作るために、雑草を刈り、手入れをして作られたものであるし、丘の雑木林は炭焼きのために管理されてきたものであるし、谷のスギ林は材木のために植林したものである。そこには、みんなが協力して農作業をし、祭をするというおだやかな生活があった。子供の笑う声がし、農作業のあいまに田んぼの畦に腰をおろして世間話をし、子供の成長をよろこび、家庭の平和を祝いあう生活があった。

 山に向かう途中、石垣が積まれた田んぼを見ることがあるし、登山道の脇に炭焼き後を見ることもある。先人の苦労を想像できる。著者の里山が作品だという考えに共感した。

 この里山が東日本大震災でどうなったか。阿武隈山地のある春の里山風景の描写を読み、それを書き写しながら胸に込み上げてくるものがあった。

 私は小高い丘に登った。そこから見える阿武隈の里山は実に美しかった。民家の脇にはサクラが咲いており、すぐうしろの山には濃い緑色のスギ林があり、背後の山々は淡い新緑に被われ、その緑も濃さや色合いがさまざまで、淡い水彩画のようだった。ここは避難地域ではなかったから、農業がおこなわれ、牧草地はすでに濃い緑色で、山のうす緑とコントラストを見せていた。農家は新緑の山に抱かれるようにその麓にあり、その山の東側には同じような集落があるに違いない。そこは福島原発に近いため、今人が住めなくなっている。台風も地震もそのほかの天災も乗り越えてきたこの里山に、原発事故は人が住むことができないという理不尽なことをしたのだ。

 私の場合、雪が消えれば山菜採りで里山の風景を見ることができる。「緑の濃さや色合いのさまざま」は、まちがいなく里山が創り出した作品である。しかし福島原発近くの里山は、行くことすらできないのだ。動物が犠牲者だということにも同感した。
 本書の結びは次のようになっていた。

 私が本書で考えたことではっきり言えることがある。それは、里山を構築した伝統の底に流れる、自然と対峙するのではなく、自然に寄り添い、生き物を畏敬せよという先人の精神を正しく継承すべきだということである。日本人の自然観は、少なくとも二〇〇〇年の歴史の中で洗練され、不適切なものは淘汰されてきたものである。それは、物やエネルギーを粗末にするなと正しく教えて来た。それを旧弊として捨て去ってきたこれまでの愚かさを見直す、それが我々に課された最低限のつとめであるように思われる。
 私は「故郷」にうたわれた動植物や山川について考え、その意味を読みとろうとした。そしてその底流に見いだしたのは、すばらしい自然の中で暮らしてきたわれわれの祖先の生きる知の深さに気づくべきだということであった。


 私は趣味の山歩きを通じて、自然に寄り添う姿勢がいくらかわかるようになってきた。確かに日本人は山を神様と敬い、山岳信仰の歴史を持っている。山に感謝できる感性を日本人はもっていると思う。
 私は偶然にも里山で生を受けた。中学3年まで田舎暮らしをした。ウシやウサギに食べさせる草を刈った。皆で田んぼに入り、田植もした。川遊びもした。そして冬には近くの里山で白ウサギが駈けるのを見ていた。「故郷」にうたわれた内容そのものの体験をしたわけだ。そういう環境の中で生活できたことに、今は感謝しなければならない。そういう日本人の心を大切にしなければいけないと思った。
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平塚 明

2015-01-01 07:29:07 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 平塚です。ご著書『唱歌「ふるさと」の生態学 ウサギはなぜいなくなったのか?』を本日、盛岡で二番目ぐらいに大きな本屋で購入しました。新書コーナーで見つからず困りましたが、登山コーナーでようやく見つけました。(まさか、釈由美子の隣にあるとは)
 先ほど読み終わりました。題名から受ける印象が似ていた「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山節)が、途中からあらぬ方向に流れてしまったのとはちがい、さすがに生態学の本道を行く内容でした。
 ご存じのように、遠野高校には100年以上の歴史を持つ行事「ウサギ狩り」がありますが、1979年を最後にウサギを見かけなくなりました。現在は、着ぐるみを着た生徒がウサギ役を演じています。講座にいる卒業生から教わりました。
また、岩手県の学校林について少し調べたことがあり、昔、地方では自分たちの学校を支援するために、将来を見据えた森づくりをしていたことを知りました。現在は多くが廃れてしまいましたが、環境教育林として再利用している場合もあります。環境基本計画に「田園」と冠している町の生物多様性地域戦略作成にかかわっていますが、高槻さんの御本をヒントに、今一度考えてみようと思っています。
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末次 優花

2015-01-01 07:24:16 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
末次 優花
はじめまして。私、2年前から建設コンサルタントに勤務しております、末次と申します。私は高校生3年の時、先生の著書『野生動物と共存できるか』を読ませていただき、非常に感銘を受けました。
 私は幼少から「野生動物と一緒に住める社会をつくりたい」と思い、獣医師になろうと受験勉強に励んでいた時のことでした。先生の著書を読むまで、私にとっての野生動物保全は、野生動物を直接治療する獣医師の道しか考えがありませんでした。しかし、先生の著書を拝読し、野生動物を治療することも大事だけれど、野生動物が傷つかないような環境や社会の仕組みづくりも大事だと気付くことが出来ました。
 そのため、鳥取大学農学部に進学し、保全生態学に取り組む研究室で野生動物(オオタカ)の研究をさせていただき、2年前にコンサルタントに就職いたしました。また個人的に、大阪府野生動物リハビリテーターという団体で微小ながら野生動物のリハビリ活動にも参加しております。
 私が、この道に進み、野生動物に対して保全生態学からのアプローチを行おうと決心したのは、先生の著書を拝読したおかげです。本当に、ありがとうございます。
 私も先生に負けないよう、一生懸命勉強して、野生動物と良い関係を保てる社会をつくる一助となれるよう、今後もがんばっていきたいと思います。
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2015年の記録

2015-01-01 01:32:21 | アーカイブ
2015.12.28
朝日新聞の夕刊に「となりの野生動物」(ベレ出版)がとりあげられました。



また「シカ問題を考える」(ヤマケイ新書)はアマゾンの「環境問題」ジャンルで入り上げ一位になったそうです。



2015.12.25以下の本が1月6日に出版されます。
たぬき学入門-かちかち山から3.11まで』2016, 誠文堂新光社


 タヌキのポンタといえば愛らしいキャラクターですが、「かちかち山」に出てくるタヌキはおばあさんを騙した上に鍋にしておじいさんに食べさせるというひどいことをする動物と描かれています。この違いは何を意味しているのでしょうか。いずれにしてもタヌキはわれわれになじみの深い動物で、里山だけでなく大都会にでも生きています。私たちはタヌキの食性や種子散布について調べ、タヌキのおもしろさに気づきました。玉川上水という都市緑地での群落利用や東京近郊での交通事故の実態も調べましたし、東日本大震災で津波で全滅したはずの仙台の海岸に2年後にはもどってきたことの意味も考えました。こうした体験を通じて、タヌキと私たちがこれからどういう関係を築いていけばよいのかを考えてみました。この本を読むと分類学、形態学、生態学、動物と植物の関係、保全生態学などが学べるように工夫しました。

以下もくじです。
序章
1章 タヌキの基礎知識
2章 タヌキのイメージを考える
3章 タヌキの生態学
4章 東日本大震災とタヌキ
5章 タヌキと私たち
タヌキのQ & A

さらに興味のある人へ、以下は本文の最後の部分です。

 タヌキに関する情報をまとめてみて、タヌキという動物の存在は、我々日本人にとってなかなか大きいものだということことが改めて確認できた。同時にタヌキが時代、時代で違う動物になってきたこともわかった。もちろん動物学的な意味でのタヌキは不変であり、変わったのは我々のほうだ。憎き害獣とみた時代もあれば、人を化かすあやしい動物をみた時代もあり、平和な現代はかわいい動物とみるようになった。その意味で動物に抱くイメージそのものが、人間社会を投影しているといえる。
 タヌキの持ついくつかの性質があるから、現代の都市でも生息が可能になっている。トキやコウノトリの復活に一喜一憂し、ゴリラやホッキョクグマなどの絶滅を心配する私たちは、一方でタヌキを珍しくもないありふれた動物だとみなし、その将来のことを思うこともない。だが、私はそういう姿勢が、あれだけいたメダカを絶滅危惧種に追いやり、気づいたら雑木林がなくしてきたのだと思う。
 本書でながめてきたように、タヌキは実におもしろく、またすぐれた動物でもある。私は植物にしても動物にしても、貴重だから守るのではなく、ありふれたもの、身近なものの存在意義を考えて大切にするということのほうがよほど大切だと思う。それは災害があって初めて平凡な日常のありがたみがわかることと似ている。今ありふれていると思われているタヌキも決して安泰ということではない。その未来は我々がいかなる社会を作ろうとしているかにかかっている。私がこの本を書きながら到達した思いは、私たちはタヌキの生活を思いやる程度にはゆとりを持ちたいということであった。

2015.12.15
川崎市のかわさき市民アカデミーで「唱歌フルサトの生態学」という講義をしてきました。受講者は私より年配の人が過半数なので、がんこおやじの話が通じやすくてよかったです。一番反応があったのは、「1日どのくらい水をつかていると思いますか?」という質問をしたときでした。「5リットルくらい?」というのからはじまって、「飲むだけじゃないですよ」というと、「50リットル」という声。「実は世界平均が50リットル」といったら、「じゃあ100リットル」という声。「なんと320リットルなんですよ」というと「エーッ!!」というどよめき。「私はがんこおやじだから、ペットボトルの水は買いません。ああいう水商売にだまされてはいけません。」私は実際専門家に質問して確認しましたが、今の東京の水道水はペットボトルとまったく遜色のない水質だそうです。浄水技術が飛躍的によくなったのだそうです。そう説明してから、「日本は水が豊かな国なんですから、フランスの水を買うなどという馬鹿なことはやめましょう」というと、頷く人が多かったです。ギターを持参して、最後にみなさんと合唱しました。


2015.12.7
「シカ問題を考える- バランスを崩した自然の行方」(ヤマケイ新書)が出版されます。


http://www.yamakei.co.jp/products/2814510090.html

 最近、シカが増えており、野生動物管理あるいは自然の保全シーンでも重大な問題になっています。本書ではシカが増えると何が起きるのか、その何が問題なのか、そもそもシカはなぜ増えたのかといった問題を広い読者層に知ってもらうために書きました。そのために動物学的、植物学的、生態学的に重要な項目をできるだけ具体的に解説しました。シカの増加の背景には温暖化、森林伐採、オオカミの絶滅、ハンターの減少などさまざまな要因が考えられていますが、そのどれもシカの増加とはタイムラグがあり、うまく説明できません。こういう解析を通して、私は農山村の人口減少による土地管理など農業形態の変容がキーポイントになることに気づきました。そしてシカ問題の解決はこのことの解決なしにはありえないことを指摘しました。

2015.11.29
静岡にある日本平動物園に招かれて動物の話をしました。この動物園で「動物園博士」になった子供を含む人にお話をしてほしいということででかけました。自分の子供の頃のことをふくめ、動物に関心をもちつづけることの大切さを話しました。


2015.11.21

「となりの野生動物」が出版されました。9種の動物を紹介します。動物の解説をしながら、その動物に対して我々がもっているイメージがどこから来ているのかを考えるという試みをしました。



その上で、動物の言い分を語らせました。たとえば、アライグマ
「おれっちはペットじゃないからさ、イヌやネコみたいに人間にべったりはしないわけよ。そうだろ?野生動物ってのはそういうもんさ。いつまでも尻尾をふれっていわれても、そいつはできないね。そしたらさ、「もう、いらない」だと。ひどいもんだぜ、手放すってわけ。・・・。おれっちは、目の前にある環境でせいいっぱい生きるしかないんだ。遠慮なんかしていらんない。遠慮しろって言うくらいなら、はじめから日本なんかに連れてくるなってんだ。そうだろ?連れて来といて、増えちゃいかんとは道理が通らないだろうよ。こういうのを、なんだろ、ジゴウジトクとかいうんじゃないの?日本語、よくわかんないけどさ。」

あるいはサルは
「・・・人がおいしいものは俺たちにだっておいしいさ。だけど、人は、俺たちだけじゃなく、動物と見ればなんでも捕まえて、殺したりする。野獣とか猛獣とかいうけど、野蛮なのはどっちだい。・・・昔は絶対農家の周りには行かなかったけど、最近じゃあ、それもできるようになった。なんせ、人がぐっと少なくなったもの。それにたまに見かけても、じいさんかばあさんだ。ダッシュすればどうってことない、カボチャのひとつくらいはくすねて来らぁ。あんまり悪気はないんだけどさ、ばあさんだったら、ちょっと唸ってやりゃあ、怖がってビビるから、そのスキに逃げればなんってことないのよ。・・・でも言っとくけど、俺たちの性格が変わったわけでもなんでもないぜ。おいしいものがあれば探して、できるだけたくさん食べる。できるだけそうするってのは動物ならみんなやってることさ。ようするに人間のほうのワキが甘くなったってことよ。・・・」

この2つはちょっとガラが悪い。東北のクマさんは
「おらたちは体がデケえから、腹が減る。とくに秋は冬眠さそなえて腹がへってしょうがねえ。んだからドングリのなる林さ行って食えるだけ食う・・・うまい。・・・悪い奴がいて、おらたちを蜂蜜でおびき寄せて檻でつかまえることを考えた。おらたちは蜂蜜には目がねえから、だめだ。蜂蜜の匂いがしたらフラフラと檻さ入ってしまう・・・困る。昔は里山さ人がいっぱいいて、怖くて行けなかったんだと。んだども、今はあまり人がいねえし、藪がたくさんあるし、カキの実やカボチャなどが残されてっから、ついつい里山さ行くことになっちまうだ。とくに山さドングリのなんねえ年は、しかたなしに里さ降りる。そうすっと、無理もねえが、人は大騒ぎをするのさ。山狩りをしておらたちを撃つ・・・困る。」

おもしろいもので、そのつもりになって書くと、ことばが出てくるんですね。ま、そういう動物の側からみたら、人間ってなんとも理不尽なんじゃない?という本です。文章も楽しみましたが、イラストも楽しみました。


 こういうマジな図も


こういうユルいのもあります。



ご一読いただければ幸いです。ベレ出版です。







2015.9.29
「動物のいのちを考える」が出版されました。いまどき珍しい地味ともいえる表紙で、気に入っています。ぜひ手にしてみてください。下記の案内をみて注文いただくと、多少便宜をはかってくれるようです。



2015.8.1
文一出版から「シカの脅威と森の未来」という本が出ました。編集を手伝いました。シカの影響が日本列島を覆っていますが、私が研究を始めた40年前は予想もできないことでした。今では各地で深刻化し、植物研究者が調査地の継続に危機感を持つまでになりました。各地でさまざまな研究おおこなわれるようになり、柵を作って内外の植物を比較することもおこなわれています。そうした状況で、関係者がいま日本の森がシカによってどうなっているかをまとめて知ってもらいたいという思いでできたのがこの本です。私は編集をするとともに、「シカ学事始め」「シカという動物」「植物への影響」という3節と、前迫ゆりさんとの共著で「「シカ柵の有効性と限界」を書きました。前迫さんが「あとがき」に私のことをとりあげて「きびしい添削もされたが」と書いておられます。私にそのつもりはないのですが、学生でも大先生でも、腑に落ちないことは直言するようにしています。私は大学院生の頃に、のちにいっしょに英語のニホンジカの本を編集することになったD. R. McCulloughさんに論文原稿を読んでもらったことがあります。それは「真っ赤」になって返ってきました。日本では「けっこうな原稿でございます」と当たり障りのないことをいうほうが「礼儀正しい」とされますが、科学する精神からすればまちがっているといわなければなりません。そのとき以来、私はできるだけよいものにするために必要であれば、そうした「深謀遠慮」は捨てて、直言するようにしています。普段の私を知る人は当惑するようですが、気心が知れ、真意が理解されれば誤解はとけるものです。前迫さんは「あとがき」で、そのことばに続けて書いています。「それはこのテーマを真剣に考えておられるゆえんでもあると理解した」。ちょっと香辛料がききすぎたかもしれません。
 内容でいえば、北海道から屋久島まで、各地での実情が記述され、力作が多く、読み応えがあります。植物研究者が書いているというのもユニークです。興味のある方はご一読ください。




2015.7.13
「たくさんのふしぎ」というシリーズがあり、わがやの娘たちが小学生のとき読んでいたので、ときどき目にしていました。良心的な出版物だと感心していました。2年くらい前に、シカと植物のことで書いてほしいという話をもらい、シバとシカについて書きました。福音館はずいぶん時間をかけて本を作るようで、絵描きさんと編集の人が金華山まででかけたり、何度もなんども修正をしたりして、ようやくこの9月に出ることになりました。表紙は印象的なシカの顔、中ではわたしが「登場」します。何がわかったかというより、そうしてわかったかの過程を書いたような感じです。子供がお世話になったことへのお礼のような気持ちもあるし、昔から考えていた子供に生き物のことを伝える本を書きたいということが実現したよろこびもあります。2015.7.5
「シカの脅威と森の未来」という本の準備をしています。副題は「シカ柵による植生保全の有効性と限界」となっており、北海道から屋久島まで、全国各地で植生調査をしている研究者に執筆してもらい、前迫ゆりさんと私が編集しました。たぶん今月中に出ると思います。

2015.6.6 オオカミのシンポジウムがあり、聴きに行きました。アメリカ(イエローストーン)とドイツでの再導入成功例が紹介されました。主催者である日本オオカミ協会の発表では、日本でのオオカミの再導入についてのアンケート調査は10年くらいまえは「再導入したほうがよい」という意見は1割くらいだったのに、今では6割を超えるほどになったそうです。その「意識」の内容はどういうものなのか、たとえばシカが増えすぎて起きている問題解決のために必要だというのか、もともといたのだからもどしてやるのが責務だというのか、オオカミという魅力ある動物がいたほうがよいというのか、そのあたりは知りたいところです。会場からの自由な発言を受けると収拾がつかなくなるとの判断からか、それが許されませんでした。また会長の丸山先生は「日本の研究者は呼びたくない」とのことでした。その意図もわかりかねましたが、それでは明るい展望はもてないのではないかと思いました。


2015.6.4 神奈川県環境審議委員会

2115.6.1-2 アファンの森で調査と会議。この春卒業して白川郷で働いている望月さんがわざわざ来てくれて、楽しくアファンの餅を歩きました。

5月30日 今日は、東京都公園協会の「緑と水の市民カレッジ」で講演をしてきました。日比谷公園にある「カレッジ」で「保全生態学で読み解く唱歌<ふるさと>ーウサギはどこへいったのかー」という講座名でした。25人くらいの受講者がきておられました。私としては「ふるさと」の内容を実感を持って感じられた70歳以上の人を想定していたのですが、50歳を境にそれ以上と以下が半々くらいでした。「ふるさと」の何番が好きですかという質問には1番が半分くらい、次は3番で、2番は2、3人でした。内容はヤマケイ新書の内容をわかりやすくスライドで説明しましたが、時間が足りない感じでした。ウサギを見たことがあるという人が11人もおられて驚きました。実はもっとご高齢の方が集まって、私が話すというより、私のほうから昔の東京や、ひとりひとりの「ふるさと」のことを聞きたいと思っていたのですが、それは叶わず、もしそういう機会があれば、ぜひそうしたいと思いました。
 少しためらいがあったのですが、ギターを持参して、最後に皆さんといっしょに合唱しました。「恥ずかしがって歌ってくれないかも」というオーガナイザーの心配をよそに、皆さん楽しそうに歌ってくださいました。

2015.5.30 日比谷公園で「緑と水の市民カレッジ」があり、保全生態学で読み解く唱歌「ふるさと」ーウサギはどこへいったのかー」というテーマで講演をしました。

2015.5.24 明治大学でモンゴルの馬乳酒についての研究打ち合わせ会議がありました。

2015.5.21 日文教という出版社で私と樹木医の石井誠司さんの対談をしました。

2015.5.15-17 山梨県早川でシカの影響調査をし、研究室の親睦旅行に合流しました。

2015.4.30-5-4 金華山で調査をしました。

2015.4.26 「唱歌ふるさとの生態学」の書評(池内紀氏)が毎日新聞の「今週の本棚」欄にのりました。

2014.4.26 高尾の白山神社に植物の調査に行きました。

2015.4.24 アファンの森に調査に行きました。アズマイチゲやキクザキイチリンソウが溢れるように咲いていました。

2015.4.19 アースデーのニコルさんのサイトで対談しました。

2015.4.15 帝京科学大学で講義をしました。

2015.3.24 宮城県の牡鹿半島のシカの会議に出席しました。

2015.3.23 福島県でアドバイザー会議があり、イノシシの胃内容物分析の結果を報告しました。

2015.3.21 大正大学でアファン友の会があり、講演しました。

2015.3.17 アファンの森財団で今年度の調査報告会があり、岩田翠さんと望月亜佑子さんが発表しました。

2015.3.7 最終講義をおこないました。

2015.2.14 前田禎三先生を偲ぶ会に参列しました。前田先生とは鳥取県米子が同郷で、親しくしていただきました。

2015.2.1 乙女高原フォーラムで「シカが植物群落におよぼす影響:草原への影響は複雑」を講演しました。

2015.1.24 人の動物の関係学会関西支部主催の例会「野生動物から家畜への道」で発表しました。
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