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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

文献

2021-06-08 07:16:34 | 研究
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Enomoto,T.,M. U. Saito,M. Yoshikawa & Y. Kaneko,2018. Winter diet of the raccoon dog (Nyctereutes procyonoides) in urban parks,central Tokyo. Mammal Study 43:275-280.
濱野周泰・中武禎典・沖沢幸二. 2013. 明治神宮の毎木調査. 鎮座百年記念第2次明治神宮総合調査報告書, pp.13-28. 明治神宮社務所.
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高槻成紀・立脇隆文. 2012. 雑食性哺乳類の食性分析のためのポイント枠法の評価:中型食肉目の事例.哺乳類科学, 52: 167-177.
高槻成紀・山崎勇・白井聰一.2020.東京西部の裏高尾のタヌキの食性–人為的影響の少ない場所での事例–. 哺乳類科学, 31: 67-69.
高槻成紀・安本唯・辻大和,2015. テンの食性分析における頻度法とポイント枠法の比較.哺乳類科学,55: 195-200.
手塚牧人・遠藤秀紀,2005.赤坂御用地に生息するタヌキのタメフン場利用と食性について.国立科学博物館専報,39: 35-46.
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柳澤紀夫・川内博. 2013. 明治神宮の鳥類 第2報.鎮座百年記念第2次明治神宮総合調査報告書, pp. 166-221. 明治神宮社務所.
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用語解説

2021-06-08 07:05:57 | 研究
用語解説
※1 ギンナン:イチョウの種子をギンナンという.ギンナンは一般にはイチョウの「果実」とされるが,イチョウは裸子植物であるから果実を持たない.種子の外側にある種皮が肥大して「被」となり,カルボン酸を含むので不快な匂いがする.タヌキはギンナンを丸呑みし,種子は消化されずに排泄される.
※2頻度法:糞分析の例では,試料集団のうちある食物を含んでいた糞が何例あったかを表現する方法で,「あり,なし」だけを表現し,糞内での量的な占有率は問わない.
※3ポイント枠法:食物の占有率を表現するには重量,体積,面積などがあるが,ポイント枠法は面積を簡便に表現するため,資料を格子の上に広げ,ある食物が格子を何点覆ったかを計数する方法である.重量や体積のように食物を取り上げる必要がないし,実際の面積を測定しなくて良いので,短時間で評価が可能である(高槻・立脇 2012).
※4占有率–順位曲線:食物の成分は平均値で表現されることが多いが,例えば占有率が同じ50%でも全サンプルが50%前後で平均値が50%である場合と,半数が大きい値,半数が小さい値で平均値が50%になる場合では意味が違う.占有率–順位曲線はこのことを表現するために工夫した表現法で,成分ごとに上位から下位に占有率を並べることにより,その曲線がとる形で集団内での占有率の分布が把握できる(高槻ほか 2018).
※5疥癬:ヒゼンダニ(学名:Sarcoptes scabiei var. hominis)の寄生による皮膚感染症.ヒゼンダニは体長0.3-0.4mmで,メスが皮膚の角質層の下にトンネルを掘る.罹患したタヌキの皮膚は角質化し,脱毛するため,タヌキは痩せ,衰弱する.
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明治神宮の杜のタヌキの食性

2021-06-08 06:52:16 | 研究
明治神宮の杜のタヌキの食性
Food habits of raccoon dog in the forest of Meiji-jingu Shrine
高槻成紀・釣谷洋輔
Seiki Takatsuki and Yosuke Trusty

抄録
明治神宮の杜で2017年3月から2019年2月までの間に67個のタヌキの糞を採集し,ポイント枠法で分析した.その結果,果実と種子がもっとも重要であり,全体占有率がそれぞれ31.1%と19.7%であることがわかった.果実・種子は秋にもっとも多くなった.中でもギンナン(イチョウ)とムクノキが重要で,皇居や赤坂御所に比べると果実・種子の種数が少なかった.これに次いで昆虫(18.5%)が重要で,特に夏に多くなった(44.8%).注目されたのは鳥類で,頻度(53.7%),占有率(12.5%)とも他の場所よりも多かった.人工物は1.2%(頻度9.0%)に過ぎなかった.これらの結果は明治神宮の杜が大樹からなる鬱蒼とした森林であり,一部の果実は豊富に供給されるが,明るい場所に生える低木,草本の果実は乏しいことを反映していると考えられた.

A total of 67 droppings oh the raccoon dog (Nyctereutes procyonoides) in the Meiji-jingu Shrine was collected during the period from March,2017 to February,2019,and analyzed by the point-frame method. Among the contents, fruits and seeds were the most important foods,accounting for 31.1% and 19.7%,respectively. They were most abundant in autumn. Among them,Ginkgo biloba andAphananthe aspera were exclusively abundant. Fruit composition was much less diversified than other places including Imperial Palace and Akasaka Imperial Gardens. Insects followed fruits and seeds,accounting for 18.5% in total,and 44.8% in summer. It was noteworthy that birds found frequently (53.7%) and accounted for 12.5%,which were greater than those at other places. Artificial materials including plastic bags and robber bands accounted for only 1.2%,suggesting a small contribution for the raccoon dogs. These results seem to reflect that the forest of the Meiji-jingu Shrine is composed of large trees producing abundant fruits while fruits of sunny shrubs and forbs are poor.

はじめに
 タヌキは北海道から九州に至る日本全土に広く分布し,しかも山地から海岸まで多様な環境に生息する.それだけでなく,自然林,里山の雑木林,さらには都市にも生息し,人間の生活空間にも入り込んでいる.それには食性が雑食性であること,生息地利用についても融通がきく性質を持っていることが関係している(佐伯2008).
 タヌキは東京郊外の里山的環境にも広く生息し,その食性はよく調べられている(Hirasawa et al. 2006,Takatsuki et al. 2017,高槻ほか 2020).これらによれば,里山的環境のタヌキの食性は次のような明瞭な季節変化を示すことがわかっている.春は果実類が少なく,昆虫も限られているため,タヌキの食物において哺乳類や鳥類などが相対的に多くなる.夏になるとサクラ属やキイチゴ,ヤマグワなどの果実,昆虫が多くなり,秋になると果実が非常に多くなる.とくにギンナン(イチョウの種子※1 こちら),カキノキの果実がよく食べられる.冬になると果実も昆虫の少なくなるが,果実はやはり重要で,他に人工物や哺乳類などが混在するようになる.
 タヌキはその可塑性により,里山や都市郊外だけでなく大都市の市街地にも生息するが,東京も例外ではない.その東京にすむタヌキが何を食べているかはタヌキの可塑性の典型例であり,興味の持たれるところである.これまで東京都のタヌキの食性については皇居(酒向ほか2008,Akihito et al. 2016),赤坂御用地(手塚・赤坂 2005),新宿御苑(Enomoto et al. 2018)などで調べられている.皇居における2006-07年の調査では,昆虫(95%),多足類(56%),鳥類(37%)の出現頻度が高かった(酒向ほか 2008).中でも昆虫が重要であった.タヌキが食べた果実には,サクラ,クワのように一時的に食べられるもの,エノキ,ムクノキなど結実後も継続的に食べられるもの,ドングリ,ギンナンのように他の食物が乏しい春にだけ食べられるものの3タイプがあった.人工物は少なく,皇居の森林の豊富さを反映していた.その後おこなわれた2009〜13年の調査でも明瞭な季節変化があり,1月にムクノキ,2月にイイギリ,5,6月にキイチゴ類とサクラ類,6月にクワ,7,8月にタブノキ,9月にイヌビワ,9〜12月にムクノキ,12月にエノキが食べられていた.3,4月はギンナンやドングリ,動物質が増えた.こうした食性は5年間ほぼ安定的に繰り返された(Akihito et al. 2016).
 一方,赤坂御用地では昆虫の出現頻度がつねに90%以上と高く,果実も夏はやや低くなったものの,80%以上の高頻度であったほか,多足類や冬の鳥類も高頻度であった(手塚・赤坂 2005).ここでも人工物への依存度は低かった.
 この2カ所は都内ではあるが広大な緑地であり,しかも人の出入りは制限された特殊な場所である.これに対して新宿御苑で冬に行われた調査(Enomoto et al. 2018)では果実の出現頻度は96.8%と非常に高かったが,昆虫は41.9%であり,赤坂御用地での90%以上とは大きな違いがあった.一方,鳥類は58.1%とかなり高く,著者らはこれを都市のタヌキに特徴的である可能性があるとしている.なお皇居での種子(果実)と鳥類の出現頻度はそれぞれ90%以上と40%前後であった(酒向ほか2008,Akihito et al. 2016). 
 ところで,これら東京の都心で行われた調査で採用された分析方法は「頻度法」(※2こちら)で,ひとつの糞にその食物があったかなかったかを表現する.したがって糞に大量に含まれていても,微量に含まれていても同じく頻度1と評価される.タヌキの場合,果実が大量に含まれているが,昆虫はごく微量であることがよくあるが,頻度法はこの違いを区別しない.また鳥類や哺乳類は出現する場合は大量であることが多いが,これらの出現頻度は低いことが多い.このように頻度法は量的な評価をしないため,実際の重要度とは違う評価をすることがある.そこで重量,体積,面積などを用いて量的評価をする試みが行われている.本調査の分析ではその一つであるポイント枠法(Stewart 1967)という方法を採用した(※3こちら).この方法は糞中での量を投影面積で表現するもので.この方法を用いれば,頻度もわかるし,重量や体積を評価するよりも時間を大幅に短縮できる利点がある(Sato et al. 2000,高槻ほか 2015, 2018).
 本調査を行なった明治神宮の森は皇居,赤坂御所と同様に市街地にある広大な緑地であり,タヌキの食性もこれらと共通している可能性がある.同時に,この森には一般人,観光客が多数訪れるという違いもある.来訪者は森林には立ち入りを禁じられているものの,タヌキは人の出入りがある中で暮らしていることになる.また明治神宮の杜の南西部は代々木公園と接しており,明治神宮の杜のタヌキは代々木公園と行き来している可能性が非常に大きい.
 本調査ではこのようなことを背景とし,大都市東京にある大きい緑地である明治神宮の杜におけるタヌキの食性をポイント枠法で評価し,その結果を皇居や赤坂御用地,新宿御苑などと比較する.同時に東京郊外の里山的環境のタヌキとの比較も行う. 

方 法
明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祀る神宮で渋谷区にある.面積は73ヘクタールほどあり,神宮に造成当時植えられた樹木が森林を形成し,現在ではクスノキ・スダジイを主体とする自然度の高い森林となっている(奥富ほか 2013).造成当時植林された12万本の樹木が,1970年には17万本になったが,2019年時点では大幅に減少して約36,000本となり,巨木が育っている(濱野ほか 2013).明治神宮の杜は都心には少ない大面積の緑地であり,これに匹敵するのは,皇居,赤坂御用地,新宿御苑などである(図-1).なお明治神宮は代々木公園と隣接する.


図-1 明治神宮とその他の都心の大緑地.Google earthより作図.

 2016年7月から明治神宮の杜を広く歩いてタヌキのため糞を探したが,当初は発見できなかった.同年11月に神宮の杜の南西部でようやくため糞を発見することができた(図-2).


図-2 明治神宮の杜で発見されたタヌキのため糞.糞の位置を水色の輪で囲った.

その場所は明治神宮の杜の他の場所同様,大きなイチョウの木やクスノキ,ムクノキなどがあり(図-3),低木層にはネズミモチ,ヒサカキ,アオキ,ヤツデなどの常緑樹,シュロなどが多く,草本層は貧弱で,シダ類やヤブランなどが散生していた.


図-3 明治神宮の杜の様子(2016年9月26日)

タヌキの糞は2017年3月から2019年の2月までほぼ毎月1回調査地を訪れ,そのうち13回で67サンプルを確保して分析した(図-4).


図-4 タヌキの糞を採集する様子

 採集にあたっては,糞の大きさ,色,つや,新しさなどから同一個体による1回の排泄と判断されるタヌキの糞数個を1サンプルとし,それを複数採取した.
 糞サンプルは0.5 mm間隔のフルイで水洗し,残った内容物を次の15群に類型してポイント枠法(Stewart 1967)で分析した.昆虫(鞘翅目,直翅目,膜翅目,幼虫など),節足動物(多足類など),無脊椎動物(甲殻類,貝類など),鳥類,哺乳類,脊椎動物の骨,その他の動物質,果実,種子,緑葉(イネ科,スゲ類,単子葉植物,双子葉植物など),枯葉,植物その他(コケ,キノコなど),人工物(輪ゴム,ポリ袋,紙片など),その他,不明.「脊椎動物の骨」の中には一部に鳥類,両生類の骨とわかるものもあるが,多くは不明であり,哺乳類の骨の破砕された小片も含まれる.
ポイント枠法では,食物片を1 mm格子つきの枠つきスライドグラス(株式会社ヤガミ,「方眼目盛り付きスライドグラス」)上に広げ,食物片が覆った格子交点のポイント数を百分率表現して占有率とした.1サンプルのポイント数は合計100以上とした.
季節は,植物が芽生える3〜5月を春,植物の葉が濃く, 硬くなる6〜9月を夏,果実類が結実する10,11月を秋,落葉樹が紅葉・落葉し,多くの草本類が枯れる12〜2月を冬とした. 分析結果は年を通して季節ごとに平均値を出した.つまりある季節のデータは複数年の結果が含まれている.季節変化は占有率の平均値が5%以上になった食物を主要食物とし,その占有率をクラスカル・ウォリス検定(スティール・ドワス事後検定)した(α= 0.05).
 主要食物について占有率を大きい値から順に並べる「占有率-順位曲線(※4こちら)」(高槻ほか 2018)を描いた.
 なお,ため糞がタヌキのものであることは確信があったが,確認するためにセンサーカメラ(Reconix HC550)1台を設置して撮影を試みた.

結 果
タヌキの生息
 センサーカメラの記録によれば,タヌキは3日に1回程度の頻度で撮影された(図-5).同時に2頭撮影されたこともあったし(図-5C),7月には幼獣が撮影されたことから(図-5D),繁殖をしていることも確認された.また少数例ではあるが,ハクビシンも撮影された.


図-5 センサーカメラで撮影された明治神宮の杜のタヌキ

糞組成
 糞組成の季節変化をみると,春は特に多い食物はなく,昆虫,鳥類,果実が20%程度を占めていた(表-1).夏になると昆虫が44.8%と大幅に増加した.秋にはると昆虫は減少し,果実が50.7%と大幅に増え,種子も29.1%を占め,果実と種子が大半を占めるようになった.冬になると果実(33.3%)と種子(22.9%)は減少し,昆虫(11.0%)と鳥類(10.3%)がやや増えた.
 このように明治神宮の杜のタヌキにとっては果実がもっとも重要で,春に鳥類,夏に昆虫が増えるという季節変化を示した.
 全体を見ると,占有率の平均値では果実(31.1%)が最大で,種子(19.7%)と昆虫(18.5%)がこれに次いだ.鳥類が12.5%であったほかは10%未満であった.出現頻度は果実が85.1%と最高で,昆虫(70.1%),種子(68.7%),緑葉(65.7%)が高かった.鳥類も53.7%で高かったが,それ以外は50%未満であった.果実,種子,昆虫は占有率,頻度ともに大きい値をとったが,緑葉と鳥類は占有率は小さく高頻度であり,評価法による違いがあった.その点で言えば,昆虫は果実に匹敵する高頻度であったが,占有率は半分程度であり,やはり表現法の違いを反映していた.なお,人工物は占有率がわずかに1.2%,出現頻度も9.0%に過ぎず,明治神宮の杜のタヌキは人工物への依存度は小さいことがわかった.

表-1 明治神宮の杜のタヌキの糞組成(%)と出現頻度(%).ただし「動物その他」のように異質な生物群を含むものは出現頻度を算出していない.


主要食物
 占有率の全体平均値が5%以上であった主要食物について季節変化を比較した(図-6).昆虫は夏に44.8%と非常に大きい値をとり,秋に7.1%と大きく減少した(有意差あり,クラスカル・ウォーリス検定,χ2= 20.33,P < 0.01, スティール・ドワス検定, t2 = 3.33, P = 0.005).秋から冬への微増も有意差があった(t2 = -2.60, P = 0.046).果実は夏に16.8%と最小で,秋に50.7%と有意に増加し(χ2= 12.72,P = 0.005,),冬でも33.3%を維持した(有意差なし, t2 = 1.64, P = 0.35).種子は季節を通じて10〜30%と比較的安定していた(有意差なし, t2 = 5.92, P = 0.12).鳥類は春に23.0%と比較的大きい値をとったが,夏,秋は5%未満に減少し,冬に10.3%になった(ただし有意差なし, χ2= 5.57,P = 0.13).緑葉は10%未満で,季節変化も不明瞭であった(有意差なし, χ2= 1.62,P = 0.65).


図-6 明治神宮の杜のタヌキの主要食物の占有率の季節変化

占有率−順位曲線
主要食物の占有率−順位曲線を図-7に示した.果実は最大値が大きく,そのまま直線的に右端まで続いた.種子は最大値は果実と同様であったが,初期に大きく減少し,折れ曲がって裾野を引く曲線を描いた.昆虫は10位くらいまではなだらかな勾配であったが.その後17位くらいまで急激に減少し,その後裾を伸ばす曲線をとった.このことは,昆虫を多く採食した一群とごく少数した採食しなかった群の2極化があったことを示唆する.鳥類はその傾向がさらに明瞭で17位くらいまで直線的に減少してから大きく折れ曲り,裾野を引く曲線を描いた.緑葉は最大値が50%台と小さく,上位4位くらいまで急激に減少して大きく折れ曲り,長い裾を引く,L字型になった.
 このように最大値が大きく,高頻度の果実,最大値は大きいが中頻度の種子,昆虫,鳥類,最大値が小さく中頻度の緑葉に分かれた.


図-7 明治神宮の杜のタヌキの糞における主要食物の占有率–順位曲線

果実・種子
 果実の多くは種名まで特定することはむずかしかったが,種子は可能であった.そこで種子の占有率の月変化を図-8に示した.これによると,5,6月にサクラ属(ヤマザクラを含む),6月にヤマモモ,9月以降にムクノキとギンナンが出現し,占有率も比較的大きかった.とくに10月のムクノキ,11,12月のギンナンは単独で20%を超える大きい値をとった.しかもムクノキもギンナンも出現月が長期に渡った.とくにギンナンは3月や5月にも検出され,タヌキは前年に落ちた果実(イチョウの場合は外種皮)を食べるものと考えられる.タヌキによるムクノキとギンナンへの強い依存性は明治神宮の杜のタヌキの食性における大きな特色と言える. 


図-8 明治神宮の杜のタヌキの糞から検出された種子の占有率(%)月変化

考 察
著者の一人釣谷は2011-12年に哺乳類の調査を行ない,10カ所のタヌキのため糞場を確認した(釣谷2013).しかし2016年に本調査を開始すると,発見がむずかしかった.また,前回の調査当時はタヌキの姿を見ることもあったが,本調査期間中はまったく見られなくなった.これらを考えると明治神宮の杜では2010年代の前半で明らかにタヌキの頭数が少なくなったことは確実と考えられる.東京都内では2000年代から2010年くらいにかけて,疥癬(※5こちら)に罹患したタヌキの報告が多くなったので,明治神宮の杜のタヌキも疥癬に罹患して減少した可能性がある. 
 本調査によって初めて明治神宮の杜のタヌキの食性が量的に評価された.これによりいくつかの特徴が明らかになった.まずここのタヌキは果実依存度が非常に高かったことである.とくにギンナンとムクノキへの依存が強いことが特徴であった.イチョウは神宮の杜には大木が多く,秋から冬にかけてはその下には大量のギンナンが落ちており,タヌキにとっては安定的に得ることができるものと考えられる.いくつかの糞はギンナンだけしか入っていないものもあった.そのほか,サクラ属やヤマモモも検出されたが,郊外の里山的環境のタヌキの糞によく出てくるキイチゴ類,クワ属,ヒサカキ,ジャノヒゲなどは検出されなかった.里山のコナラを主体とする雑木林には明るい林に生えるこれら低木類・草本類が豊富であるが,明治神宮の杜は常緑樹を含む巨木が多く,鬱蒼としており,林床にはそのような植物がほとんどない.糞組成はそのことを反映していると考えられる.
 同じように都心にある広大な森林でも,皇居ではギンナンやムクノキ,サクラ属の他にも,イヌビワ,クワ科,キイチゴ類,ミズキ,エノキ,ヤマボウシ,カキノキも高頻度で検出されている(酒向ほか 2008).また赤坂御用地のタヌキの糞からはイチョウ,エノキ,ムクノキ,クスノキ,サクラ属,キブシ,ミズキ,カヤなどが比較的高頻度で検出されている(手塚・遠藤 2005).これらに比較すると,明治神宮の杜では検出種数が少なく,糞サンプル数が少なかったことを差し引いても,果実の多様性に乏しいといえる.この違いは皇居や赤坂御用地に比べて明治神宮の杜の方が巨木が多く,林内が暗い森林が連続的にあることを反映していると考えられる.ただし,夏は探索にも関わらず糞が発見されなかった.センサーカメラには夏にもタヌキが撮影されていたから,糞はしているのだが,糞虫により分解されてしまい,糞サンプルを確保することができなかった.したがって明治神宮のタヌキの夏の食性にはやや不明な部分が残る.
 昆虫は出現頻度も70.1%と高く,平均占有率も18.5%と果実,種子に次いで大きい値をとった.これは想定されたことであり,他の場所とも共通していた.糞中の昆虫は粉砕されており,種群の詳細は不明であるが,森林の変化を考えると,かつては草原的な環境にいた昆虫をたべていたが,現在では森林生の昆虫を食べている可能性が大きい.
 注目されたのは鳥類の平均占有率が12.5%と昆虫に次いで高かったことである.ただし出現頻度は53.7%と昆虫の70.1%よりはかなり低かった.このことは鳥類は出現あたりの占有率はさらに高いということを意味する.タヌキの糞には冬から春の果実と昆虫が乏しい時期に鳥類と哺乳類が増加することは多くの事例で知られており,その傾向は明治神宮の杜でも確認されたが,ここでは哺乳類の平均占有率は2.1%,出現頻度も25.4%にとどまり,いずれも鳥類よりは大幅に小さかった.鳥類の出現率は皇居では21.9%,赤坂御用地では39.4%であり,明治神宮の杜の53.7%はこれらより大幅に高かった.Enomoto et al. (2018)は都市のタヌキは鳥類をよく利用するとしており,これらの例はそれを支持する.しかし,同じ市街地でも小平市の津田塾大学では鳥類の占有率は5〜10%に過ぎず,状況により大きく違うようである(高槻 2017).津田塾大学では哺乳類の方が多く,6〜27%を占めた(ただし秋は鳥類も哺乳類もごく少なかった).本分析では鳥類の種は特定していないが,羽毛は黒色のものが多く,羽軸の太さからしてもカラスの可能性が高い.実際,我々は明治神宮の林内を探索していてカラスの死体を数例発見した.明治神宮の杜にはカラス(主にハシブトガラス, 柳澤・川内 2013, 唐沢ほか 2015)が多く,林内にカラス捕獲用の装置があって捕獲されている.タヌキが生きたカラスを襲うかどうかはわからないが,糞中の羽毛は春に多いことを考えると,死体を食べている可能性が大きい.
 輪ゴム,ポリ袋などの人工物が検出されたが,占有率の全体平均は1.2%に過ぎず,頻度も9%にとどまった.このことはタヌキにとって果実類や昆虫が豊富であり人工物に頼らなくても良いということと,来訪者がゴミを捨てないというマナーの良さを反映していると思われる.ただし,代々木公園との境界部では菓子袋,タヌキの噛み跡と思われる穴の空いたマヨネーズ容器などが散見された.これらは明治神宮の杜の中央や東側ではほとんどなかったから,おそらく代々木公園で食べたものが持ち込まれたものと推察される.
 以上,明治神宮の杜のタヌキは1)果実食であること,2)その果実の種類は限定的でギンナンとムクノキが特に多いこと,3)夏には昆虫が増えること,4)鳥類の重要度が他の場所よりも大きいこと,5)人工物への依存度は低いこと,などが明らかになった.明治神宮の杜は植栽されたものであるが,100年の年月を経て自然林の状態に近づいており(奥富ほか2013),構成樹も細い木は大幅に減って大樹が育っている(濱野ほか 2013).これに伴い鳥類は草原的な環境のものから森林生のものへと推移してきた(柳沢・川内 2013).このような変化を背景にタヌキの食性を考えると,明るい場所に生える低木・草本類の果実は乏しく,大木に育ったイチョウやムクノキなどの果実が大量に供給される森林の状態が反映されていると考えられる.

Summary
It is amazing that the raccoon dog,a wildlife,inhabit Tokyo,the biggest city of Japan. The Meiji-jingu Shrine is a large green comparable to the Imperial Palace or the Akasaka Imperial Gardens,and known as a habitat of the raccoon dogs. However,the food habits is unknown. We analyzed 67 droppings collected from March,2017 to February,2019 and analyzed by the point frame method. It was found that fruits and seeds were most important accounting for 31.1% and 19.7%,respectively. They were most abundant in autumn. Among them,Ginkgo biloba and Aphananthe aspera were exclusively abundant. Fruit composition was much less diversified than other places including Imperial Palace and Akasaka Imperial Gardens. Insects followed them,accounting for 18.5% in total,and 44.8% in summer. It was noteworthy that birds found frequently (53.7%) and accounted for 12.5%,which were greater than other places. Artificial materials including plastic bags and robber bands accounted for only 1.2%,suggesting a small contribution for the raccoon dogs.


謝 辞
調査を許可いただいた明治神宮に篤く御礼申し上げます.この調査を実現するには(株)環境指標生物の新里達也氏にご尽力いただきました.また許認可などについては同社の池田英彦様にお世話になりました.これらの方々に御礼申し上げます.

文 献 こちら

付図-1


付図-1A 検出された植物質の例


付図-1B 検出された動物質の例


付図-1C 検出された人工物の例

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文献(乙女高原、ススキ)

2021-06-05 08:41:31 | 論文

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山梨県の乙女高原がススキ群落になった理由 – 植物種による脱葉に対する反応の違いから -

2021-06-05 08:35:48 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
山梨県の乙女高原がススキ群落になった理由 – 植物種による脱葉に対する反応の違いから -
高槻成紀・植原 彰
植生学会誌, 38 : 81- 93. こちら

■摘要

1.山梨県の乙女高原は刈取により維持され,大型双子葉草本が多い草原であったが,2005年頃からススキ群落に変化してきた.この時期はシカ(ニホンジカ)の増加と同調していた.
2.主要11種の茎を地上10 cmで切断し,その後の生存率と植物高を継続測定したところ,双子葉草本9種のうち6種は枯れ,生存種も草丈が低くなった.これに対して,ススキとヤマハギは生存し,植物高も減少しなかった.
3.ススキを,6月,9月,11月,6,・9月に刈取処理をし,5年間継続したところ,ススキの草丈は11月処理は180-200 cmを維持し,6月区はやや低くなったまま維持した.これに対し,9月区は草丈が経年的に減少した.
4.シカの採食は双子葉草本には強い影響があるが,刈取処理よりは弱いから,ススキにとっては影響は弱く,乙女高原でのススキ群落化はシカの影響と考えるのが妥当であると考えた.
5.ススキ群落内に設置した15 m×15 mのシカ防除柵4年後の群落はススキが大幅に減少し,双子葉草本が優占した.群落多様度は柵外はH’ = 0.85だったが,柵内はH’ = 2.64と3倍も大きくなった.
6.上層の優占種が大型双子葉草本からススキに変化することで,ヒメシダのような地表性の陽性植物が増加し,ミツバツチグリの場合,ススキ群落では低い草丈で面的に広がったが,双子葉草本が密生していると被度は減少して葉柄を伸長させた.
7.シカの影響は1)シカの嗜好性(不嗜好植物は食べない)の違い,2)採食に対する植物の反応(成長点のいちの違いによる再生力など)の違い,3)その結果による上層の優占種の変化による下層植物への間接効果,という異なるレベルで起きていることを示した.

Abstract: Historically, the vegetation of Otome Highland, Yamanashi Prefecture, central Japan, was maintained by mowing and dominated by tall forbs. However, forbs have been replaced by Miscanthus sinensis, a tall grass, since around 2005, coinciding with an increase in the sika deer population (Cervus nippon). Eleven representative plant species were cut 10 cm above the ground. Among nine forb species, six species died after cutting, and the surviving three species regrew to a shorter height than that of the control plants. Conversely, M. sinensis and Lespedeza bicolor, a shrub, not only survived but showed no decrease in height over the long term by cutting. M. sinensis was cut in June, September or November, and both June and September. These treatments were continued for 5 years. November cutting did not affect grass height. June cutting reduced grass height, but this height was maintained over 5 years. September cutting and June/September cutting steadily reduced the height over 5 years. Grazing by deer affected the survival and height of forbs, but M. sinensis was slightly or not affected, which explained the replacement of forbs by M. sinensis in Otome Highland. A deer proof fence of 15 ×15 m was set in the M. sinensis community. After 4 years, M. sinensis was reduced, and tall forbs had greatly increased or recovered inside the fence. This resulted in an increase in diversity among the plant community inside the fence (H’ = 2.64), which was three times greater than that outside (H’ = 0.85). Changes in dominant plants in the upper layer of the plant community from tall forbs to M. sinensisaffected low-growing ground plants. Thelypteris palustris, a short fern, was increased among clumps of M. sinensis. Potentilla freyniana, a prostrate forb, also increased with M. sinensis outside the fence but was decreased with an elongated petiole height inside the fence. This study demonstrated that deer grazing affects plant communities by three different mechanisms: 1) deer preference (unpalatable plants are untouched), 2) plant response (e.g., ability of plants to recover after defoliation or physical removal of plant parts), and 3) indirect effects of canopy-forming plants on ground plants. From these results, we concluded that the replacement of tall forbs by the M. sinensis plant community since 2005 was a result of sika deer grazing.

Key words: deer grazing, herbivory, Miscanthus sinensis, Otome Highland, sika deer

■はじめに
 乙女高原は山梨県北部にある草原で,標高は1670 m前後であり,もともと森林であった場所が刈取によって維持されてきた草原だと考えられている.このような草原は中部地方,北関東地方に広くあったが,現在では少なくなっている(湯本・須賀 2011; 須賀ほか 2012).乙女高原は太平洋戦争後,1985年まではスキーゲレンデとして刈取によって草原が維持されてきた.それ以降スキーは下火になったがゲレンデとしての維持は継続され,2000年以降は市民グループである乙女高原ファンクラブが中心になって毎年11月に草刈りがおこなわれている.この草原はアヤメIris sanguinea,キンバイソウTrollius hondoensis,トウギボウシ(オオバギボウシ)Hosta sieboldiana,クガイソウVeronicastrum japonicum var. japonicum,マツムシソウScabiosa japonicaなど美しい野草が豊富なことで知られ,訪問者も多かった.ところが2005年くらいを境に,これらの野草が減少し,ススキMiscanthus sinensisが優占する群落に変化した(図1).


図1. 乙女高原の2カ所(AとB)の景観写真.A1は2003年8月5日,B1は2002年7月23日,A1とB1は2014年8月2日撮影.A1ではタムラソウ,シシウド,クガイソウなどが,B1ではシシウド,キンバイソウなどの大型双子葉草本が目立つが,A2,B2ではススキだけが目立つ.

 その原因は増加したシカ(ニホンジカ)Cervus nipponの採食によるのであろうと推定された.というのは,2005年前後からススキ群落化が目立つようになったのと同調して,シカの糞,足跡,植物に残された食痕などが目立つようになったなったからである.乙女高原の草原群落とシカの関係については東京農工大学によって植物社会学的調査がおこなわれている(大津ほか 2011).この調査は秩父多摩甲斐地域の草原群落全体と対象としたもので,1980年代のデータと2008年のデータを比較している.これによれば,この20数年間で中大型草本が減少し,グラミノイド(イネ科,カヤツリグサ科)など小型草本と木本が増加したとしている.この論文ではススキと大型双子葉草本はまとめられ,ススキも減少したとされている.しかし著者(植原)は2000年頃から年間数十回,乙女高原を訪問して詳細な生物観察をしているが,2005年前後を境に明らかに大型双子葉草本が減少し,ススキが増加するのを観察した.この草原は観光資源でもあったので,関係者は大型双子葉草本の減少を深刻に危惧したほどである.このことから推察されるのは,おそらくシカの影響が弱かった2000年までは草原群落全体が弱い影響を受けてススキを含めて大型草本が減少し,その後シカの影響が強くなって種ごとの反応の違いが顕在化したということである.
 Takahashi et al. (2013a)は2012年に乙女高原においてシカの影響に注目して,設置後2年目のシカ防除柵の内外の植物の草丈を比較し,多くの種が柵外で草丈が低いが,ススキの草丈には違いがないことを示すことで,シカによる採食の影響が種ごとに違うことを示した.
 本論文ではこの大型双子葉草本の減少とススキの増加という群落変化がシカの影響であると仮定した場合,どの程度説明できるかを野外実験によって示すことを目的とした.
 シカなど草食獣の採食によって生じる群落変化は複雑なので,影響の段階を整理しておきたい.これにはおよそ次の3つの段階が考えられる.まず第1段階として,シカ側が植物を食べるか食べないかがある.これには植物が有毒であるとか,不快な味がするなどの防衛適応が関係する(高槻 1989; 橋本・藤木 2014).その例として,アメリカの五大湖地方の針葉樹林ではオジロジカOdocoileus virginianusが増えた結果,森林構成種の更新が阻害され,不嗜好植物であるシダが増加した研究がある(Rooney & Dress 1997).第2段階として,シカに食べられることに対する植物側の反応の違いがある.例えば双子葉植物は成長点が茎頂にあるので,採食されると枯れたり,枯れないまでも再生して小型化することが多い.これに対してイネ科は成長点が節にあるため,植物体上部が採食されても再生力があるので影響が小さい(Langer 1972, Coughenour 1985; Bedunah & Sosebee 1997).前記の五大湖地方の調査例で,オジロジカの採食に対して,双子葉草本は減少したが,イネ科は再生力があるために増加した.第3段階として,植物間の関係に及ぼす間接効果(Rooney & Waller 2003)がある.例えば,シカの採食によって草原の上層植物が減少することで,地表生の小型種が増加することがある(Bullock 1996; Hester et al. 2006).実際の群落においては,これらの関係は複合的に作用するため,シカ影響下の群落変化のメカニズムを理解するためには,これらの3つの段階をできるだけ区別して把握するのが有効であると考えられる.
 本論文ではシカの影響下にある乙女高原での草原構成種の増減のメカニズムを野外実験で説明することを目的とし,その植物種の増減を上記の3つの段階に区別して説明することを試みた.

■調査地の概要
 乙女高原は山梨県の北部(北緯35°48’,東経138°38’)に位置し,標高は1670 m前後である.気象は冷涼で,年平均気温は6.2℃(乙女高原ファンクラブ測定.温度データロガー「サ-モクロンGタイプ」による),年降水量は1470 mm程度(気象庁のアメダスデータ,乙女湖,北緯35度48.4分;東経138度39.3分,標高1465m)である.この草原は江戸時代から茅場として採草により維持してきたと考えられており,太平洋戦争後から2000年にかけてはスキー場として維持され,その後は乙女高原ファンクラブが中心となって市民活動として草刈りがおこなわれている.草刈りは11月下旬におこなわれ,木本類の成長が抑止されて,遷移の進行が抑制されて草原が維持されている.周辺にはミズナラQuercus crispula,ブナFagus crenata,ダケカンバBetula ermaniiなどからなる森林が広がり亜高山帯に属する.本調査は乙女高原のほぼ中央部にあるススキが優占する草本群落でおこなった.この場所はシカがおり,植物を採食する可能性がある.また草原の東部に設置されたシカ防除柵の内外でも調査をおこなった.

■方法

個体切除処理の効果
 2013年6月16日に以下の11種(マルバダケブキLigularia dentata,ヨツバヒヨドリEupatorium chinense subsp. sachalinense,タムラソウSerratula coronata subsp. insularis,ヤマハギLespedeza bicolor,クガイソウ,シシウドAngelica pubescens,ワレモコウSanguisorba officinalis,チダケサシAstilbe microphylla,キンバイソウ,イタドリFallopia japonica var. japonica,ススキ)の茎10本を切除し,反応を追跡した.11種の選定には2005年以降減少した双子葉草本を主体とし,増加した種の代表であるススキ(イネ科)と,乙女高原でもっとも多い低木であるヤマハギも含めた.このうち,マルバダケブキとヨツバヒヨドリはシカが好まず,食べ残すことがわかっている(Takahashi et al. 2013b;橋本・藤木 2014).
これらの植物を乙女高原の中央部の平坦地において,地上10 cmの高さで剪定バサミにより切除した.この高さにしたのは,これ以上高い位置で刈り取ると,枝葉が残り種ごとに再生可能性が不揃いになるためであり,またこれより低いとマーキングがしにくく,マーキングができても継続調査の時に発見しにくくなると判断したからである.残った茎に針金で番号を書いたプラスチックの札をつけてマーキングした.また対照として切除しない茎10本を選び,同様にマーキングした.その後,同年7月14日,8月11日,9月12日に生存状態を調べ,生存個体の植物高を0.5 cm精度で計測した.双子葉草本は9月下旬に枯れたので計測をやめたが,ススキだけは10月3日まで継続測定した.なお調査のたびに追跡個体に対するシカの採食を観察したが,食痕は認められなかった.
 個体切除処理をした個体と処理をしない対照個体の植物高をMann-Whitney検定で比較した.

継続刈取に対するススキの草丈の変化
 乙女高原中央の平坦地のススキ群落に10 m × 10 mの方形区を5個とり,異なる刈取処理を5年間継続しておこない,その効果を評価した.刈取処理は10 m × 10 mの方形区をエンジン付き草刈り機でススキを含むすべての植物を地上約10 cmで刈り取った.刈取時期を6月,9月,6月と9月の2回,11月とし,11月は乙女高原の草原維持のためにおこなわれている「草刈り行事」としておこなった.これらの処理区を例えば6月に刈り取ったものを「6月区」のように名付けた.これとは別に刈り取りをしない「対照区」をとった.ススキの植物高は9月に方形区内でランダムに20本を選んで測定した.6月区の効果はその年の9月に評価し,9月区と6, 9月区,11月刈りの効果は翌年の9月に評価した.なお最初の刈取をした2013年6月には,各処理区の開始時の草丈を測定した.これらの処理区はシカの影響がまったくないとは言えないが,観察した限りではシカの食痕はなかった.草丈はKruskal-Wallis検定(Steel-Dwass事後検定)で比較した.

継続刈取に対するススキ群落の変化
 刈取4年目の2017年9月23日に各刈取区の中央部に1 m × 1 mの方形区をとって出現種の出現種の被度(%)と高さ(cm)を測定し,被度と高さの積をバイオマス指数(高槻 2009)とし,植物を以下の7つのタイプ(大型双子葉草本:成長した個体の高さがほぼ50 cm以上になるもの,小型双子葉草本:成長した個体の高さが50 cm未満のもの,グラミノイド:イネ科,カヤツリグサ科,単子葉草本(イネ科を除く),シダ,低木,高木)に分けて,各タイプのバイオマス指数を算出した.

防除柵内外の群落の種組成とその量の比較
 2010年5月9日に乙女高原の東部に設置された一辺15 mのシカ防除柵の内部と外部に1m四方の方形区を5個とり,出現種の被度(%)と高さ(cm)を測定し,バイオマス指数を算出した.この防除柵内部の植物は11月の草刈りの時に刈り取られるので管理法としては柵外と同じである.この調査は柵設置4年後の2014年9月13日におこなった.各植物タイプのバイオマス指数の合計値をKruskal-Wallis検定(Steel-Dwass事後検定)で比較した.
群落のShannon-Wienerの多様度指数H’を算出し,柵内外の値をMann-Whitney検定で比較した.

間接効果
 シカの採食によって草本群落の上層を構成する大型草本の量が変化することが観察されたので,その間接的影響が下層の植物に及ぶ可能性があると考え,柵内外の下層を構成する小型双子葉草本とシダのバイオマス指数の合計値をMann-Whitney検定で比較した.
 著者らは群落調査をする過程で,柵内外の下層植物のうち,生育型が匍匐型であるミツバツチグリPotentilla freynianaの生育状態が違うことを観察したので,間接効果の指標植物として,ミツバツチグリを取り上げた.2013年9月13日にシカ防除柵の内外でランダムに20枚の葉を採集し,高さを測定して,柵内外でMann-Whitney検定で比較した.

 植物名は原則として米倉・梶田 (2003-)「BG Plants 和名-学名インデックス」(YList),http://ylist.info, 2021.3 参照)によった.

■結果
個体切除処理に対する生存率
 2014年6月に切除した各植物の9月時点での生存率を表1に示した.


 クガイソウ,ススキ,ヤマハギの3種はすべての個体が生存していた.ヨツバヒヨドリとイタドリは一部の個体が生き残っていたが,その他の6種はすべての個体が枯れた.生存個体は不定芽を伸ばして再生したが(図2),全く開花しなかった.


図2. 切除処理後,不定芽から枝を再生したクガイソウの例.2013年9月12日撮影.

 表1にはシカが好まない不嗜好植物であれば「不嗜好」であること,双子葉草本でない種にはそのことを記した.これを見ると,生存率が高かったものに,これらの特性を持つものがあった.すなわち,クガイソウとヨツバヒヨドリは不嗜好植物,ススキは再生力のあるイネ科,ヤマハギは再生力のある低木であった.ただしマルバダケブキとキンバイソウは不嗜好植物であるが,生存率は0%であった.なお刈り取りをしなかった個体は全種とも生存率100%であった.


切除処理に対する植物高の推移

 6月の切除した時点では切除個体と対照個体の高さはほとんどの種で違いがなかったが,ヤマハギだけは切除個体のほうが有意に高かった(Mann-Whitney検定,U = 4, P = 0.001,付表1).切除処理以降は多くの植物は草丈が低くなり,6種は8月時点で枯れた(図3).対照個体はキンバイソウ,ワレモコウ,ススキ,ヤマハギなどのように徐々に高くなったものもあれば,チダケサシ,シシウド,イタドリ,クガイソウ,ヨツバヒヨドリなどのように7月までに急に丈を伸ばして,その後,安定したものもあった.各月で切除個体と対照個体を比較したが,双子葉草本は全種で7月以降,切除個体の方が有意に低くなった(付表1).しかしススキはどの月も有意差がなかった(図3,付表1).またヤマハギは6月には切除個体(刈取前)の方が高く,7月には切除個体が低くなったが(U = 7.5, P = 0.002),9月以降は有意に高くなった(図3,付表1).


図3. 刈取後の植物高の推移.黒丸実線:対照個体,白丸破線:刈取個体.詳
刈取に対するススキの草丈と群落の経年変化

 2013年6月13日時点での6月区,9月区,6, 9月区,対照区のススキの高さは60 cm程度であり,有意差はなかった(Kruskal-Wallis検定,χ2= 4.7, df = 3, P = 0.194).
 その後2014年以降は図4のような経年変化を示した.刈取をしなかった対照区は200 cm前後で安定していた.6月区は120-140 cmで推移した.9月区は2014年には平均142.3 cmであったが,年々減少していき,2017年には平均85.7 cmになった.6, 9月区は減少の程度がもっとも著しく,2014年には平均108.3 cmあったが,2016年には平均10.7 cmとなり,2017年には少し回復して35.1 cmとなった.2017年には4つの処理区すべてで平均高に有意差があった(Kruskal-Wallis検定,χ2= 73.6, df = 3, P = 0.000, 付表2).

図4. 異なる刈取処理に対するススキ草丈の経年変化. 誤差バーは標準偏差.

 各刈取処理を4年継続した結果,バイオマス指数は図5のようになった.目立つのは6, 9月区と9月区では合計値が少なく,内訳においてもグラミノイド(大半はススキ)が大半を占め,双子葉草本は少なかったことである.これに比べると6月区と対照区ではバイオマス指数合計が10000前後となり,双子葉草本が1400ほどあった.いずれかの処理区でバイオマス指数が200以上であった双子葉草本はヤマオダマキAquilegia buergeriana var. buergeriana,ヨツバヒヨドリ,イタドリ,ヨモギArtemisia indica var. maximowiczii,コウリンカTephroseris flammea subsp. glabrifolia,アキノキリンソウSolidago virgaurea subsp. asiaticaであった(付表3).


図5. 異なる刈取処理を5年継続した時点でのバイオマス指数.種ごとの値は付表3参照

シカ防除柵内外の群落比較
シカ防除柵の内外で優占種の違いが認められ(図6),そのことは植物タイプ別のバイオマス指数に明確に示された(図7,表2).柵内では大型双子葉草本が61.3%ともっとも多く,グラミノイドは35.1%であった.これに対して柵外ではグラミノイドが優占し,87.8%を占めた.種としては柵内では突出した種はなく,多かったのはススキ(19.7%),ヨモギ(14.3%),アキノキリンソウ(10.2%),タムラソウ(8.7%),シラヤマギクAster scaber(7.5%),アブラススキEccoilopus cotulifer(7.5%)などであった(表2).柵外のグラミノイドの主体はススキ(85.8%)であった.つまり,柵内では多様な種が生育していたのに対して,柵外ではススキが優占していた.
図6. シカ防除柵内外のようす.柵内には双子葉草本が多いが,柵外はススキが優占する. 2013年9月7日撮影

表2. シカ防除柵設置後4年目(2014年9月)内外の出現種のバイオマス指数.プロット数は柵内外とも5. NS: 有意差なし.


 そこでShannon-Wienerの多様性指数H’を算出すると,柵内では2.64,柵外では0.85であり,前者が有意に大きかった(Mann-Whitney検定,U = 0, P = 0.009).
草本群落の上層を形成する大型草本類はシカの大きな影響を受けていたが,それが地表植物に間接的な影響を与えている可能性を検討するために,小型双子葉草本とシダのバイオマス指数を比較した.これらの合計値は柵内で247,柵外で1378と5.6倍の違いがあり,柵外が有意に多かった(Mann-Whitney検定,U = 2, P = 0.028).
ヒメシダThelypteris palustrisもバイオマス指数が柵内では172であったが柵外では1020あり,後者が有意に多かった(Mann-Whitney検定,U = 2.5, P = 0.036).



図7. シカ防除柵設置4年後(2014年9月)の内外の植物タイプごとのバイオマス指数.

 地表に生えるミツバツチグリは,バイオマス指数は柵内が16.0,柵外が36.0であり両者に有意差はなかったが(Mann-Whitney検定,U = 12, P = 0.918),被度は柵内では0.6%に過ぎなかったのに対して,柵外では7.0%であり,後者が有意に大きかった(Mann-Whitney検定,U = 0, P = 0.008).一方,葉の高さは柵内では20.0 cmあったが,柵外では4.4 cmに過ぎず,前者が有意に高かった(Mann-Whitney検定,U = 0.5, P = 0.000,図8).

図8. シカ防除柵設置4年後の柵内外のミツバツチグリPotentilla freiniana.腊葉標本のスキャン
 
■考察
乙女高原の代表的な植物11種について切除処理をしたところ,多くの双子葉草本が枯れたが,クガイソウのように一部には再生力があるものもあった.ただし,生き残った個体も不定芽による再生であり,草丈は低かった.これに対してススキは再生力があり,切除が植物高にマイナスの影響を与えないことがわかった.このことはイネ科の形態学的特徴に関係しており,双子葉草本の成長点が茎頂にあるのに対して,イネ科では節にあるため,切除されても残った節から成長するとともに,地下茎でつながる隣接する芽から分げつ(tillering)することができるためである(Langer 1972; Dahl 1995; Bedunah & Sosebee 1997).またヤマハギも再生力があり,植物高は切除処理によっても変化しなかった(図2).しかし柵内外の比較調査ではヤマハギのバイオマス指数は柵外が小さかった(表2).これは柵が1辺15 mの小さなものであったため,1 m四方の方形区が5個しか取れず,草本類に比較すると散生する傾向があるヤマハギではばらつきが生じがちであり,柵内で大きめのヤマハギ個体が評価されたためと推察される.
 異なる時期の刈取処理効果として,11月に刈取をした対照区のススキの草丈はその後も160-200 cmであった(図4).栃木県那須郡でおこなわれたススキ刈取実験でも,11月に刈り取った場合,12年間,草原の最優占種はつねにススキであり続けたという(山本ほか 1997).これは成長が終わり,生産物を地下部に移動した後の11月の刈取はススキにはマイナスの影響がないことを示している.また,本実験でも6月刈りを繰り返すだけならススキは120-140cmとやや低くなって安定的に維持されたから,影響は軽度であると言える.この段階のススキは前年の貯蔵物質を利用し(吉田 1976),また光合成によって成長するから,草丈は低くなるものの,経年的に減少してゆくことはなかった.しかし,9月区では150 cm程度から徐々に減少し,4年後には100 cmを下回った(図4).もっとも減少したのは6月と9月の2回の刈取を繰り返した場合(6, 9月区)で,3年目からは30 cm以下になった.9月はススキが生産物を地下部に移動して貯蔵する時期であるから(吉田 1976),このタイミングで刈り取られると翌年の生産が阻害されるためと考えられる.Rooney & Dress (1997)はアメリカの五大湖地方の針葉樹林の1950年代の群落調査の結果と現状を比較して,オジロジカが増加してからイネ科とシダが増加したことを明らかにした.そしてシダはシカが食べないからであり,イネ科は成長点が低いために再生力があるからである(Coughenour 1985)と,本研究と同じ解釈をしている.
 図4に見るように,刈取はススキの草丈に明らかな効果があったが,このような刈取処理は,すべてのススキを地上10 cmで刈り取るという強い処理である.これに比べれば,シカの採食はススキの葉の先端部をつまみ食いする程度であることが多く,しかもシカに採食されるのは若い葉の段階が多い(ただしシカ密度が高く,食糧不足である宮城県金華山のような場所では葉の基部まで食べることがあるし,双子葉植物であれば葉身全体を食べることが多い).ススキの葉は8月くらいになると硬くなるだけでなく,葉縁にある棘が鋭いため,この段階になるとシカはススキをあまり食べなくなる.乙女高原でシカの糞分析をしたTakahashi et al. (2013a)によると,シカの糞組成は冬にはミヤコザサが重要になるが,初夏にはイネ科の稈が多くなり,葉はイネ科を主体としたグラミノイドが20%前後,7月には10%程度であった.このグラミノイドすべてがススキであったとしても,シカの食物に占める割合は小さい.したがってススキに対するシカの脱葉(defoliation)効果は本実験の6月区よりもはるかに弱いものであり,草丈でいえばほとんど影響がないと考えられる.したがって,シカの採食は双子葉草本に強いマイナスの影響を与えたが,ススキには影響はほとんどないため,両者の優劣関係に大きな影響を与えたと考えられる.
 個体の切除実験によれば双子葉草本の多くは致命的なダメージを受けるのに対して,ススキは再生力があることが示されたが(図3),ススキ群落の刈り取りでは6月区,9月区で大型双子葉草本がある程度生育しており(図4),一見矛盾する.大型双子葉草本のバイオマス指数は6月区で18.6%,9月区で11.9%であった.量的に多かった種としては6月区でヨツバヒヨドリ(不嗜好植物),イタドリ,アキノキリンソウなどで,9月区には多い種はなかった.ヨツバヒヨドリは個体切除実験の生存率は50%,イタドリは20%であり(表1),アキノキリンソウは対象としなかったので生存力は不明である.個体切除実験と群落刈り取り実験の一見矛盾する結果の理由は次のように考えられる.第1は個体切除では1本ずつを丁寧に切断し追跡したが,群落刈り取りでは草刈機で10 m × 10 mの方形区を刈り取ったため,切除高が多少高くなったことはありうる.このために回復がよくなった個体があった可能性は否定できない.また個体切除は11種を選んでおこなったが,実際の群落にはそれ以外の種も多く生育しており,再生力のある種もあるかもしれない.上記の3種でいえば,ヨツバヒヨドリとイタドリは切除されたあと新しい茎を再生して回復した可能性もある.このように2つの実験の結果は一見矛盾するように見えるが,乙女高原で大型双子葉草本が減少し,ススキが増加したことを十分説明できるものと考えられる.
 シカ防除柵では設置4年後に内外で大きな違いが生じていた(図6).最大の違いは柵外ではススキがバイオマス指数で85.8%もの高率で優占していたのに対して,柵内では双子葉草本が61.5%を占め,ススキを主体とするイネ科は35.1%であったことである(図7).つまり柵内では,この4年間でススキの減少と双子葉草本の増加という変化が起きたことになる.これはその前の状況を考えれば「乙女草原の豊富な花が戻ってきた」ということになる.本論文の序で「美しい野草」と主観的な表現を用いたが,それはこの草原を訪問する人々の実感であり,あえてそう表現したが,生物学的に言えば「美しい野草」とは虫媒花である.柵内には21種の双子葉草本が出現したが,そのうちヨモギ(風媒花)を除く20種は虫媒花であった.双子葉草本のバイオマス指数は柵内で5916だったのに対して柵外は703(12%)にすぎなかった(表2).この理由がすべてシカによるものとはいえないし,2005年以前にシカの影響がまったくなかったとも言い切れない.しかし,柵設置後の4年間に柵内で双子葉草本が大幅に増加・回復したことは事実である.シカ以外の要因は変わったとは考えにくいから,その理由はシカの影響であるというのがもっとも自然な解釈であろう.実際,大津ほか(2011)も1980年代と2008年の群落比較をして,この間にシカの影響によって大型草本が減少したとしている.
 シカの採食が植物の変化を介して,他の生物の影響を与える間接効果(Rooney & Waller 2003)は知られており,シカの採食により樹木が枯れて草原的な環境に住む鳥類が増えた大台ヶ原での事例(日野ほか 2003),シカの採食により森林の下層植生が乏しくなってヨナキドリLuscinia megarhynchosが営巣しなくなったなどの英国での事例(Fuller 2001),同様な影響でアカネズミApodemus speciosusが減少した対馬での事例(Suda & Maruyama 2003),地表の温度や湿度が変化して地上徘徊性の昆虫が減少した東京都奥多摩での事例(Yamada & Takatsuki 2014)などが明らかにされている.群落の変化の記述は多いが,草本層の上層植物の増減が地表生の草本類に与える影響について,考え方としてはBullock (1996)やHester et al. (2006)が指摘しているものの実例は紹介していない.ただし島根県の三瓶山のススキ群落では刈取や火入れをすることでススキを抑制すると,地表生のオキナグサPulsatilla cernuaが増加するという報告がある(内藤・高橋 1998).本調査ではその一例としてススキの下に生えるミツバツチグリを調べた.ミツバツチグリは地表に生え,匍匐性であるため,その生育は上層の植物の影響を強く受ける.刈取や草食獣の採食によって上層の植物が少なくなって明るくなると地上茎を伸ばして被度を広げるが,これらが密生して上層が鬱閉すると光を求めるように葉柄を伸ばして縦方向に伸びる.したがってミツバツチグリの葉の高さは刈取やシカの採食影響を反映する指標と見ることができる.本調査の場合,シカ防除柵の外ではススキが多いものの,株と株の間は隙間があり,そこにミツバツチグリやキジムシロPotentilla fragarioides var. major,オオヤマフスマMoehringia laterifloraなどのロゼット型,匍匐型の草本類が多くなるのが観察された.そしてミツバツチグリは柵外の方が被度が大きく,地上茎を伸ばし,葉の平均高は4.4 cmに過ぎなかった.これに対して柵内は大型草本類とススキが繁茂して地表は暗く,ミツバツチグリの被度は小さくなり,縦方向に伸びて葉の高さが平均20.0 cmもあった(図8).このような状態はミツバツチグリの本来の生育地よりは暗く,このままの状態が続けばさらに減少して,消滅する可能性がある.この例はシカがミツバツチグリを直接採食するのではなく,草本群落の上層の大型草本を採食することが,間接効果として地表植物の生育に影響することを示している.
 群落上層の優占種の変化の間接効果として柵外でのヒメシダの増加も挙げられる.ヒメシダはシカの不嗜好植物であり(橋本・藤木 2014),高さ20 cm程度の小型植物であるから,シカと植物の関係でいえば第1段階の不嗜好植物であるということと,第3段階の大型の双子葉草本がシカの採食で減少して地表が明るくなった間接効果の双方の影響によって増加したものと考えられる.
 以上の結果を総合的にとらえると,乙女高原では以下のようなことが起きていたと考えられる.戦後から2000年くらいまでのスキー場としての採草管理と,それに続く市民活動としておこなわれている11月の草刈りは木本類の生育を阻止し,乙女高原を草原状態に維持してきた.1980年代と2008年に秩父多摩甲斐地域の草原を比較した調査によると,この30年近くのあいだにススキを含む大型草本が減少したという(大津ほか 2011).乙女高原ではシカの影響が強くなり,2005年くらいからマルバダケブキ,ヨツバヒヨドリ,ヒメシダ,ヤマドリゼンマイOsmunda cinnamomea subsp. asiaticaなどの不嗜好植物を除けば,多くの双子葉草本はシカの採食影響を受けて減少した(植原の観察).とくにアマドコロPolygonatum odoratum var. pluriflorum,アヤメ,トウギボウシ,オミナエシPatrinia scabiosifolia,ハバヤマボクチSynurus excelsusなどは2010年頃にはほとんど見られないほど減少した.シカの採食は旺盛な分げつが可能なススキにとってはマイナスの影響は弱いため,相対的に増加した.したがって本調査で課題とした,乙女高原がススキ群落になったことの最大の理由はシカの採食に対する植物の反応が双子葉草本にとっては大きなマイナスになったが,ススキにとってはマイナスにならなかったことにある.このことを図9に模式的に示した.

図9. 乙女高原での群落変化を示す概念図.A: 双子葉草本が多かった状態,B: シカが採食した状態,C: 採食に対する反応の違いによって双子葉草本が少なく,ススキが多くなった状態

 ただし,双子葉草本でも上記の不嗜好植物は,シカの増加によって相対的に増加したものと考えられる.またシカの採食影響下のススキ群落は株同士が間隔を空ける状態であるため,ミツバツチグリ,キジムシロ,オオヤマフスマ,アリノトウグサHaloragis micrantha,ヒメシダなどの小型植物も相対的増加をしたと考えられる.ただし,これらの増加はあったとしても,ススキの優占度は非常に大きくなり,群落多様度は低くなった.
 以下にはシカが増加した2005年前後以降に乙女高原で起きた植物の変化を現象のレベルを考えながら考察する.第1段階のシカの嗜好性と植物との関係によって起きる現象については,シカが植物種ごとに採食するかしないかを直接的に調べてはいないが,群落が変化した後,ススキ群落の中で目立ち,食痕がほとんどないものに,ハンゴンソウSenecio cannabifolius,ヨツバヒヨドリ,マルバダケブキ,ヤマドリゼンマイなどあった.これらはシカの不嗜好植物であることが確認されている(橋本・藤木 2014).
第2段階の脱葉(物理的植物体の除去)に対する植物ごとの反応の違いによって起きる現象は,切除実験により,多くの草本類は枯れ,生き残ったものも小型化したが,ススキとヤマハギは生存し,しかも植物高が変化しないことが示された.しかしススキは地上10 cmですべてを刈り取るという強い継続的な刈り取りをおこなうと,6, 9月区では草丈を大幅に減少させた.実際のシカの採食は葉の一部を食べる程度であるから,ススキの減少にはならなかった.乙女高原におけるススキの増加は,脱葉に対する回復力によるところが大きいが,ススキは不嗜好植物とは言えないもののシカの採食は弱く,第1段階の採食でも多くの大型双子葉草本よりは有利である可能性がある.
第3段階の現象は第2段階の草本群落の上層の変化が群落の下層植物に及ぼす間接効果で,大型双子葉草本の減少とススキの再生力によりススキを優占させたが,ススキの株の間は広く,地表が明るくなった結果,下層の植物(小型双子葉草本とシダ)のバイオマス指数が増加した.柵外ではススキの株の間はヒメシダが多く生育していた.また,ミツバツチグリは柵外で草丈が低く,被度が大きかった.
シカ防除柵設置4年目の柵内外の群落比較により,柵外ではススキが優占する多様性の低い群落になり,柵内では双子葉草本が回復して多様性の高い群落になったことが示された.これはシカの採食の群落レベルでの影響である.
以上の結論として,乙女高原において主に虫媒花で構成される大型草本類群落が2005年前後にススキ群落に入れ替わったのはシカの採食影響によると考えることに矛盾はないとした.また群落の変化を異なる段階の現象として捉えることが有効であることも示された.

■謝辞

調査では麻布大学学生(当時,敬称略)の加古菜甫子,大竹翔子,鷲田茜,須藤哲平,髙田隼人,野々村遥,富永晋也,矢野莉沙子,山本楓,鈴木沙喜,宮岡利佐子と乙女高原ファンクラブの宮原孝男様,三枝かめよ様,井上敬子様,岡崎文子様はじめ延べ30名の方々に協力いただきました.また山梨県峡東林務環境事務所県有林課は本調査の意義を理解され,調査許可をいただきました.これらの方々にお礼申し上げます.


■引用文献 こちら





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