秋田市営バスの路線車両の「座席」に注目したい。
路線バスの座席といっても、バス会社や年代、用途(運用距離や観光路線かどうか等)によってさまざま。
路線バスに詳しい人たちの間では、秋田市営バスの座席は「グレードの高いものを採用していた」とされることが多いようで、実際に乗っていた者の感想としても、同時期の他社(特に中央交通)より高級感があるものだった。だが、その中でも、導入時期やメーカーによる差はあった。
秋田市営バスの座席といえば、
これを連想する人が多いかもしれない(293号車。詳細はおいおい)
まず、大前提として、昭和末期~平成以降に在籍していた市営バスの路線バス車両は、すべて前向きの座席が基本。
大昔や最近のバスのような、窓を背にして座るロングシートタイプの座席は、最終年度導入車両以外にはなかった。※最後の導入となった1996年度車は若干例外(続編にて)
中ドアより前は左右とも1人掛けで通路を広く取り、中ドア後方が2人掛け(最後列は5人掛け)が基本。ただし、大型車の一部の貸切兼用「ワンロマ車」は、前と中のドア直後だけが1人掛けでほかはすべて2人掛け。
また、座席表面は布を張ったもので、大昔のようなビニール張りのものは、(少なくとも昭和末期以降は)なかった。
※以下、車両が導入された年は購入した「年度」で記載しています。「年式」ではありません。
毎度恐縮ですが、記憶と資料が少ないため1985年度以前導入の旧塗装の車両を最初に簡単に。
1984年頃導入の日野レインボーCITY(168~174号車のどれか)。中型車としては初の冷房車
この時期の車両は、当時としてはオーソドックスな路線バスらしい座席だった。すなわち、エンジ色単色の布地で、背もたれは窓枠の下辺にかかるかどうかくらいの高さ(着席した人の肩甲骨より下辺りまでカバー)で、わずかなクッションがある程度の薄いもの。
※中央交通に来ている、1999年度までの小田急中古の背もたれよりはマシ。あれはただの板に布を張ったような硬さでヒドイ。
ワンロマ車でも、色は同じ。背もたれは路線専用車よりも高くて肩くらいまでをカバーし、いくぶんクッション性があったかも。背もたれの途中で角度が付いていたり、座布団部分も厚みが途中で変わるなどしていて、座り心地に多少の配慮はされていたようだ。
(再掲)ワンロマ仕様のいすゞ製187号車
上の写真に写っている、緑色の座席は「善意の席」。
一般的にはシルバーシート(当時)、今で言う優先席に相当する座席として、市営バスでは「善意の席」を1974年6月20日から設置していた。※徳島市営バスでは「公徳シート」と呼んでいる。
「善意の席」表示(192号車)
中ドアの真向かいの1人掛け2席(=最近のバスで車椅子スペースとして折りたたみ席がある部分)が善意の席に指定され、座席の形状は同じながら緑色(よもぎ色というのか、ややくすんだ緑色)の布地になっていた。※ワンロマ車や古い車両など、表示だけでエンジ色のままの車両もあったはず
1984~1985年度辺りの中型車の座席の違いを簡単に。
上と同じ170号車辺りの日野レインボー。背もたれの低さ・肘掛けの形状に注目
1985年? 導入の192号車。同じく日野レインボーながら肘掛けの形状が変わった
同年導入の三菱エアロミディ198号車。日野とは肘掛けが微妙に異なり、背もたれはやや薄い感じもする
1986年からは、車体の塗装を新しくして続々と新車が導入されたが、座席(色・柄と形状)も一新された。ここからは詳しく見てみる。
まずは布地(シート生地、シート表皮)から。
末期の市営バスの座席といえば、記事冒頭の写真のような濃淡の緑色系統の規則的な格子柄のものを連想する人が多いかもしれない。
秋田市交通局の特注というわけではなく、全国の他のバス会社でもたまに見ることがある柄。
従来はエンジ単色だった座席が柄入りに変わって、明るく感じられたものだ。
欠点としては、10年、15年と使っていると、経年で色あせること。現在も中央交通に譲渡されて一部残っているが、以前の写真と比べると、かなりくすんだのが分かる。
色が緑色の濃淡なのは、1人掛けと2人掛けの窓側、最後列の中央。2人掛けの通路側は色違いになっていた。
通路側が濃淡のエンジ色だったのをご記憶の方は多いと思うが、実は最初に導入された車両は別の色だった。
逆光ですが1986年導入日野ブルーリボン204号車※背もたれ上部の白いカバーは後年被せられたもの
1986年度に導入された大型車の7台(202~208号車)だけは、通路側は、カラシ色というかキツネ色の格子だった。
台数がわずかだった上、大型車だけだったので運用路線が限定され、さらに比較的早期に廃車になったので、市営バスを利用していた人でも、知らない人が多いかもしれない。
1987年度は路線車の導入なし。中型車も新塗装で導入された1988年度からは、なじみ深い緑色とエンジ色の格子の組み合わせとなった。
1992年度導入の日産ディーゼル277号車
この座席柄は1994年度まで続き、大中小型96台で採用された。
1992年度導入の初のオートマチックトランスミッション車(上の277号車など)、同年の「秋田八丈」カラーの大型ワンロマ車も、1993・1994年度に1台ずつ導入された小型バス(日野レインボーRB。60・61号車)もこの布地だった。※形状には差あり
市営バスの座席の柄はこの格子で決まりかと思っていたら、1993年度に違う柄が登場。
1993年度には従来の格子の車両も8台導入されたが、5台は別の新たな柄。色としては緑とエンジの組み合わせながら、従来よりやや明るい色調で、柄は等間隔でなく大きな格子のチェックのようなものになった。
その5台(116~120号車)は初めて導入した日産ディーゼル製ワンステップ車(当時は超低床バスと呼ばれた)。目新しさを強調するため、柄を変えたのだろうか。(2人掛け座席の配置も特徴的なものだったのだけど、続編にて)
車内がさらに明るく感じられた
翌1994年度はいすゞ製のワンステップ車(126~129号車)も同じ柄で導入。(同年の中型車は従来の格子)
以後、ワンステップ車は導入されなかったので、9台だけの柄になった。
なお、徳島市営バスでは、この緑色の柄が4年前の時点では主流のようだった。
1995年度は、中型車と小型車だけの導入となるが、ここで柄がリニューアル。(座席がややグレードダウンしたり、横向き座席が登場したりしたのだが、続編にて)
1995年度導入三菱エアロミディ130号車
窓側が水色系、通路側が濃いピンク(赤?)色系に色が変わり、柄は細かく太さが違う格子を市松模様状に配置(?)したものになった。
翌1996年度を最後に市営バスでは新車を導入しなかったので、結局は2年間・14台(中型130~138号車、小型62~66号車)だけの中途半端に終わってしまった印象。
1997年度以降も新車を購入するつもりでいたのに、民間移管の話が出てきて、やむなく購入しなくなったということだろうか。
以上、新しい車体塗装後の布地の柄に着目すれば、3タイプが存在した。色の組み合わせとしては4タイプ。
どの柄でも、直線を基本にして組み合わせた柄で、窓側が寒色系・通路側が暖色系だったことになる。窓側と通路側で色を分けていたのは珍しいのかもしれないが、視覚的なアクセントや着席位置の明示(2人掛けを独り占めされないように)の意図があったのかもしれない。
改めて、1人掛け席・2人掛け窓側の柄をまとめてみる(3つの画像で縮尺は同一ではありません)。
1986、1988~1994年度。96台
1993、1994年度。ワンステップ車9台
1995、1996年度。14台
いずれの柄でも、善意の席は区別されなかった。(というか、初期は善意の席の表示だけはあったが、後年導入された車両ではなくなっていた気がする。善意の席の制度自体、自然消滅したのか?)
最後に、秋田市営バス亡き現在の路線バスの座席の柄に触れておく。
横浜市営バスでは、横浜市の観光名所をデザインしたオリジナルの柄を採用している。秋田の中央交通でも、10年くらい前に、竿燈をモチーフにした青系統の柄をいすゞエルガミオで採用していたが、現在はやめている。【25日追記】三平バスもオリジナル柄だ。
専用柄でないにせよ、例えば共通設計のいすゞ・日野の大型・中型バスでは、標準仕様で5種類の中から選択できるようになっている。
昔のような暗めの単色の座席にしようとすれば、オプションというか特注になるだろうから、わざわざそんなことをするバス会社などないのだろう。
ただし、ユニバーサルデザイン対応として色調が配慮がされているらしく、どれも青系統ばかりで、かつての秋田市営バスよりはおとなしめにも感じられる。
いすゞ自動車ホームページより
中央交通ではイアーゴブルーが多いはずだけど、キサラブルーも(マーチブルーも?)あるような…
【2015年4月11日追記】小田急から中古で譲り受けたバスでは、キサラブルーの色違いの水色系のものに張り替えた車両が見られる。三重交通の新車でも採用されていた柄(この記事最初の写真)。
また、他社の中古車を導入する地方のバス会社では、種々雑多な色や柄の車両が混在している。
柄が違っても形状が同じならば使い回しできるため、中央交通では廃車になった車両の座布団部分だけを持ってきて部分的に交換したものまである。
こうした現状をかんがみれば、秋田市営バスでは、3種類「しか」バリエーションがなかったと言えるかもしれない。
市営バスの座席の「形状」については、続編にて。
路線バスの座席といっても、バス会社や年代、用途(運用距離や観光路線かどうか等)によってさまざま。
路線バスに詳しい人たちの間では、秋田市営バスの座席は「グレードの高いものを採用していた」とされることが多いようで、実際に乗っていた者の感想としても、同時期の他社(特に中央交通)より高級感があるものだった。だが、その中でも、導入時期やメーカーによる差はあった。
秋田市営バスの座席といえば、
これを連想する人が多いかもしれない(293号車。詳細はおいおい)
まず、大前提として、昭和末期~平成以降に在籍していた市営バスの路線バス車両は、すべて前向きの座席が基本。
大昔や最近のバスのような、窓を背にして座るロングシートタイプの座席は、最終年度導入車両以外にはなかった。※最後の導入となった1996年度車は若干例外(続編にて)
中ドアより前は左右とも1人掛けで通路を広く取り、中ドア後方が2人掛け(最後列は5人掛け)が基本。ただし、大型車の一部の貸切兼用「ワンロマ車」は、前と中のドア直後だけが1人掛けでほかはすべて2人掛け。
また、座席表面は布を張ったもので、大昔のようなビニール張りのものは、(少なくとも昭和末期以降は)なかった。
※以下、車両が導入された年は購入した「年度」で記載しています。「年式」ではありません。
毎度恐縮ですが、記憶と資料が少ないため1985年度以前導入の旧塗装の車両を最初に簡単に。
1984年頃導入の日野レインボーCITY(168~174号車のどれか)。中型車としては初の冷房車
この時期の車両は、当時としてはオーソドックスな路線バスらしい座席だった。すなわち、エンジ色単色の布地で、背もたれは窓枠の下辺にかかるかどうかくらいの高さ(着席した人の肩甲骨より下辺りまでカバー)で、わずかなクッションがある程度の薄いもの。
※中央交通に来ている、1999年度までの小田急中古の背もたれよりはマシ。あれはただの板に布を張ったような硬さでヒドイ。
ワンロマ車でも、色は同じ。背もたれは路線専用車よりも高くて肩くらいまでをカバーし、いくぶんクッション性があったかも。背もたれの途中で角度が付いていたり、座布団部分も厚みが途中で変わるなどしていて、座り心地に多少の配慮はされていたようだ。
(再掲)ワンロマ仕様のいすゞ製187号車
上の写真に写っている、緑色の座席は「善意の席」。
一般的にはシルバーシート(当時)、今で言う優先席に相当する座席として、市営バスでは「善意の席」を1974年6月20日から設置していた。※徳島市営バスでは「公徳シート」と呼んでいる。
「善意の席」表示(192号車)
中ドアの真向かいの1人掛け2席(=最近のバスで車椅子スペースとして折りたたみ席がある部分)が善意の席に指定され、座席の形状は同じながら緑色(よもぎ色というのか、ややくすんだ緑色)の布地になっていた。※ワンロマ車や古い車両など、表示だけでエンジ色のままの車両もあったはず
1984~1985年度辺りの中型車の座席の違いを簡単に。
上と同じ170号車辺りの日野レインボー。背もたれの低さ・肘掛けの形状に注目
1985年? 導入の192号車。同じく日野レインボーながら肘掛けの形状が変わった
同年導入の三菱エアロミディ198号車。日野とは肘掛けが微妙に異なり、背もたれはやや薄い感じもする
1986年からは、車体の塗装を新しくして続々と新車が導入されたが、座席(色・柄と形状)も一新された。ここからは詳しく見てみる。
まずは布地(シート生地、シート表皮)から。
末期の市営バスの座席といえば、記事冒頭の写真のような濃淡の緑色系統の規則的な格子柄のものを連想する人が多いかもしれない。
秋田市交通局の特注というわけではなく、全国の他のバス会社でもたまに見ることがある柄。
従来はエンジ単色だった座席が柄入りに変わって、明るく感じられたものだ。
欠点としては、10年、15年と使っていると、経年で色あせること。現在も中央交通に譲渡されて一部残っているが、以前の写真と比べると、かなりくすんだのが分かる。
色が緑色の濃淡なのは、1人掛けと2人掛けの窓側、最後列の中央。2人掛けの通路側は色違いになっていた。
通路側が濃淡のエンジ色だったのをご記憶の方は多いと思うが、実は最初に導入された車両は別の色だった。
逆光ですが1986年導入日野ブルーリボン204号車※背もたれ上部の白いカバーは後年被せられたもの
1986年度に導入された大型車の7台(202~208号車)だけは、通路側は、カラシ色というかキツネ色の格子だった。
台数がわずかだった上、大型車だけだったので運用路線が限定され、さらに比較的早期に廃車になったので、市営バスを利用していた人でも、知らない人が多いかもしれない。
1987年度は路線車の導入なし。中型車も新塗装で導入された1988年度からは、なじみ深い緑色とエンジ色の格子の組み合わせとなった。
1992年度導入の日産ディーゼル277号車
この座席柄は1994年度まで続き、大中小型96台で採用された。
1992年度導入の初のオートマチックトランスミッション車(上の277号車など)、同年の「秋田八丈」カラーの大型ワンロマ車も、1993・1994年度に1台ずつ導入された小型バス(日野レインボーRB。60・61号車)もこの布地だった。※形状には差あり
市営バスの座席の柄はこの格子で決まりかと思っていたら、1993年度に違う柄が登場。
1993年度には従来の格子の車両も8台導入されたが、5台は別の新たな柄。色としては緑とエンジの組み合わせながら、従来よりやや明るい色調で、柄は等間隔でなく大きな格子のチェックのようなものになった。
その5台(116~120号車)は初めて導入した日産ディーゼル製ワンステップ車(当時は超低床バスと呼ばれた)。目新しさを強調するため、柄を変えたのだろうか。(2人掛け座席の配置も特徴的なものだったのだけど、続編にて)
車内がさらに明るく感じられた
翌1994年度はいすゞ製のワンステップ車(126~129号車)も同じ柄で導入。(同年の中型車は従来の格子)
以後、ワンステップ車は導入されなかったので、9台だけの柄になった。
なお、徳島市営バスでは、この緑色の柄が4年前の時点では主流のようだった。
1995年度は、中型車と小型車だけの導入となるが、ここで柄がリニューアル。(座席がややグレードダウンしたり、横向き座席が登場したりしたのだが、続編にて)
1995年度導入三菱エアロミディ130号車
窓側が水色系、通路側が濃いピンク(赤?)色系に色が変わり、柄は細かく太さが違う格子を市松模様状に配置(?)したものになった。
翌1996年度を最後に市営バスでは新車を導入しなかったので、結局は2年間・14台(中型130~138号車、小型62~66号車)だけの中途半端に終わってしまった印象。
1997年度以降も新車を購入するつもりでいたのに、民間移管の話が出てきて、やむなく購入しなくなったということだろうか。
以上、新しい車体塗装後の布地の柄に着目すれば、3タイプが存在した。色の組み合わせとしては4タイプ。
どの柄でも、直線を基本にして組み合わせた柄で、窓側が寒色系・通路側が暖色系だったことになる。窓側と通路側で色を分けていたのは珍しいのかもしれないが、視覚的なアクセントや着席位置の明示(2人掛けを独り占めされないように)の意図があったのかもしれない。
改めて、1人掛け席・2人掛け窓側の柄をまとめてみる(3つの画像で縮尺は同一ではありません)。
1986、1988~1994年度。96台
1993、1994年度。ワンステップ車9台
1995、1996年度。14台
いずれの柄でも、善意の席は区別されなかった。(というか、初期は善意の席の表示だけはあったが、後年導入された車両ではなくなっていた気がする。善意の席の制度自体、自然消滅したのか?)
最後に、秋田市営バス亡き現在の路線バスの座席の柄に触れておく。
横浜市営バスでは、横浜市の観光名所をデザインしたオリジナルの柄を採用している。秋田の中央交通でも、10年くらい前に、竿燈をモチーフにした青系統の柄をいすゞエルガミオで採用していたが、現在はやめている。【25日追記】三平バスもオリジナル柄だ。
専用柄でないにせよ、例えば共通設計のいすゞ・日野の大型・中型バスでは、標準仕様で5種類の中から選択できるようになっている。
昔のような暗めの単色の座席にしようとすれば、オプションというか特注になるだろうから、わざわざそんなことをするバス会社などないのだろう。
ただし、ユニバーサルデザイン対応として色調が配慮がされているらしく、どれも青系統ばかりで、かつての秋田市営バスよりはおとなしめにも感じられる。
いすゞ自動車ホームページより
中央交通ではイアーゴブルーが多いはずだけど、キサラブルーも(マーチブルーも?)あるような…
【2015年4月11日追記】小田急から中古で譲り受けたバスでは、キサラブルーの色違いの水色系のものに張り替えた車両が見られる。三重交通の新車でも採用されていた柄(この記事最初の写真)。
また、他社の中古車を導入する地方のバス会社では、種々雑多な色や柄の車両が混在している。
柄が違っても形状が同じならば使い回しできるため、中央交通では廃車になった車両の座布団部分だけを持ってきて部分的に交換したものまである。
こうした現状をかんがみれば、秋田市営バスでは、3種類「しか」バリエーションがなかったと言えるかもしれない。
市営バスの座席の「形状」については、続編にて。
そう感じるころの座席。
それだけ、私もバスを利用していたんだな~!って
思います。
(グリーンの格子あたりまでは、記憶にあります)
最近(グリーンのチェック以降)のは、
「今はこんなのなのね!」という感じ。
そういえば、(秋田の)バスに全然乗っていません。
(東京では乗っています!)
秋田では、どうしても自家用車に頼ってしまいます。
当時の車両も今は数を減らし、残ったものは色あせてしまい、往時を知る者としては寂しいです。