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最後のセンター試験 秋大会場

2020-01-20 00:22:37 | 秋田の季節・風景
最後の大学入試センター試験が終わった。1990年から31回続き、来年から「大学入学共通テスト」へ移行する。受験経験者として、多少の感慨はある。
現在、秋田県内では秋田市、大館市、横手市の3都市に、5つの試験場(試験会場)が設けられている。秋田市内は、秋田県立大学秋田キャンパス、ノースアジア大学、そして秋田大学手形キャンパス。

試験場には、大学入試センター側から「○○試験場」という名前を与えられるようだが、その法則は一定ではない。秋田県立大学は、本荘と大潟にもキャンパスがあり、試験場になるのは秋田キャンパスだけで「秋田県立大学秋田キャンパス試験場」。
秋田大学は、本道(医学部)と保戸野(附属校)は試験場にならず、手形キャンパスだけ。それなのに「秋田大学試験場」であり、「秋田大学手形キャンパス試験場」とはならない。
弘前大学も文京町地区だけが会場で「弘前大学試験場」。
一方、東北大学、東北学院大学【20日追記・東北工業大学、東北福祉大学も】、山形大学などは、「○○キャンパス」「○○地区」が付く試験場名【20日追記・山形大学は複数のキャンパスが試験場になるが、宮城の各大学はそれぞれ1つのキャンパスだけが会場なのに、その名称】。キャンパス間の距離とか知名度でケースバイケースということだろうが、ややあいまいでもある。


センター試験開始当初(から1990年代後半まで?)は、秋田大学が秋田県内唯一の試験場であった。県立大の開学や私大の参加、そして受験者増加や秋田市外受験者の負担軽減のため、会場が増えたのだろう。なお、青森県では共通一次試験時代から2市(弘前とおそらく八戸?【20日訂正・八戸という根拠はないので訂正します。県庁所在地でやらないのもおかしいとも考えられ、青森市だった可能性もある】)で実施しており、現在は5市で実施【20日追記・弘前、青森、八戸、十和田、むつの各市。1990年代中頃は弘前・青森・八戸に十和田が加わったかどうか程度だったか?】。
初日・18日の秋田大学試験場周辺(外側)の風景を少し。
行ったのは試験時間真っ最中。思い返せば、センター試験中の試験場周辺を通るのは初めてで、試験前後の時間帯でも、自分が受けた25年前以来か。
手形キャンパス正門向かい側から
雨の気配すらない薄曇り程度で積雪ゼロ。この時期の秋田とは思えない状態。

当然受験生はおらず、付き添いというか生徒応援・激励の高校の先生らしき人が1人だけいただけ。
しかし、構内や門周辺のみならず、周辺の道路にまで警備員が、けっこうな人数動員されており、ある意味物々しい雰囲気。
正門の県道を渡った小路を1ブロック進んだ、大学体育館~手形街区公園の辺りに3~4人はいた。開始・終了時には、保護者の自家用車による送迎、あるいは路上駐車もあり得るから、その対応だろう。雪なら警備誘導は大変だろうけど、この時は車もなく寒くもなく皆さん手持ち無沙汰。

大学の構内への立ち入り規制も、予想以上に厳重だった。
この時は正門に警備員と大学職員らしき人が(詰め所ないでなく門横に)立っていて、プラカードを持っていたがそれは「車の乗降禁止」「車(で入る場合)は許可証提示を」という内容。
立て看板には「金曜17時半から日曜の終了まで、試験関係者以外入構できない」旨。
ただし、試験開始前や終了後は、高校の先生が構内に入っているようだけど。
でも、テレビで見る東京大学などでは門に受験生が列を作って、中に入っていくところまでしか放映されなかったり、あるいは試験場前の道路上で高校の先生と話したりする場面も見たから、もっと厳密に規制されているのか? この点は、広さや寒さ・雪などを考慮して、土地や会場によって対応が違うのだろうか。

正門から手形山方向へ一直線に通り抜けて出るのが「東門」。近くの建物が試験室になっているはず。
門が閉まっている!

では、通称「教育門」と呼ばれる「南門」は、
やっぱり閉まっていて、「立入禁止」の札とロープも張っている!
右側の石の表示板は、なくなった「教育学部」の名が残っていた。左の立て看板で隠れたところに、現行の「教育文化学部」の金属板の表示。
立て看板は正門のものとは異なり、「金曜17時半から日曜の終了までこの門を閉鎖。ただし、関係者入出構のため土日の8時から9時と土曜の18時15分から19時05分のみ開門」という内容。受験しない科目があるなどで昼に出入りする受験生は、正門からということか。

普段は黙認してくれている部外者の通り抜けも、これではできない。(北方向の小さい門の状態は未確認)
それ以前に、国立大学の門なんて、いつも開けっ放しだと思っていたから、閉まっているのにびっくり。というか、閉まる構造の門だったのか!
ただし、雪が多い年は、積雪で門が動かない場合もあろう。

じゃあ弘前大学ではどうだったっけと、ストリートビューを見てみたら、正門以外では、閉まらない作り(門柱だけ)の門もあった。
それに、20年前の記憶では、少なくとも文京町地区のうち3番地側は、試験室がないことからノーチェックで通り抜けできた気がする。

再び秋田大学正門。
正門には2枚の立て看板(左の小さい「お知らせ」は自転車に関する常設看板)
今年もそうだったが、ローカルニュースで「センター試験会場準備」が報道される時、大学職員がこの立て看板を立てる風景がよく使われる。
ほぼ同サイズで2枚ありサイズは同じだが、少し違う。どちらも昨年以前から使われていた。
左の規制時間を書いたのは日付の漢数字と午後「六」時を上張りしている。仕様は東、南門のものと同じで、フォントは平成角ゴシック体の太いのをやや扁平にしているようだ。

そしていちばん大事な「大学入試センター試験 秋田大学試験場」。銀色の部材で縁取りされていて、細い丸ゴシック体。
「大学入試センター試験 ○○試験場」は、すべての試験場で設置が義務付けられているようだが、サイズや書体に指定はなさそうで、おそらく各大学で用意するのだろう。縦書きで白地に黒文字単色なのは共通。
ネットでざっと見た限り、秋田大学よりもっと大きいサイズで、角ゴシック体のものが多い。手書きだったり【26日追記・あるいはパソコンで印字した紙にカバーをかけたり】、福井大学では「令和2年度」と正式名称である「大学入学者選抜大学入試センター試験」としていたり、これも差が大きい。
【26日追記】弘前大学試験場では、近年は正門向かって左の門柱に、白いバンドのようなもの2本でくくりつけて設置。表示板は秋田大学のものと似た感じの銀色の枠のあるもので、若干大きそう。書体は太い角ゴシック体(モリサワ「新ゴ」?)で、小さく上寄せで「大学入試センター試験」、大きく下寄せで「弘前大学試験場」と、秋大とは大小が逆転している。。


過去の秋田大学試験場の(少なくとも)正門にはもう1つ立て看板があった。「~試験場」と同じ、縁取りあり・丸ゴシック体で「試験室棟の下見時間は、(改行)午後五時までです。(改行)秋田大学」。句読点の位置が中央に寄っておかしく、時刻の「五」は紙貼りだった。
2017年は、その看板を今年の2枚の看板の間にはさんで立てていた。2018年は、左端に立てていた。いずれも3枚をぴったりくっつけて立てていた。下見だから土曜朝までには撤去されていたはず。今年2020年は、金曜の準備段階のニュース映像で設置していないことが確認できた。

さて、この看板の丸ゴシック体。「学」やカタカナの形状から判断して、写研「ナール」だと思われる。昔は多分野で多用され、メーカーのパソコンへの対応をしない方針(?)により、今は青地の道案内など道路標識くらいでしか使われなくなったフォント。
最近になって昔ながらの書体で発注したのかもしれない(道路標識でできるのだから、不可能ではない)が、年に3日しか使わない看板だし、まだナールが普通だった時代に作ったものを大事に使い続けていると考えたほうがよさそう。
ひょっとしたら、25年前に僕が受験した時も、いや第1回から、これが立っていたかもしれない。
センター試験開始当初だとすれば、手書きの看板でもおかしくなった頃で、そこでナールを使ったのであれば、柔らかい印象を与えるとともにちょっとシャレて見えたかもしれない。
なお、25年前も下見についての看板もあった記憶はあるが、「建物内には入れません」という内容があったような気がするから、別物か?

これを「大学入学共通テスト」に書き換えるには無理があるから、今年で御役御免となってしまうのだろうか。

二次試験の風景
翌年の共通テストの風景
コメント
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