ネタを温存していたら、急にタイムリーなことが分かったのでチャンスとばかりに記事にします。
4月20日は1871(明治4)年に飛脚制度に変わり郵便制度が始まった「逓信(ていしん)記念日」。なお、逓信省が郵政省になった1950年から2000年までは「郵政記念日」と呼ばれていたが、郵政事業の公社化や民営化を見越して、郵“政”ではそぐわないから再び逓信記念日になったそうだ。
さらに逓信記念日の前1週間(4月14日から20日)は「ポスト愛護週間」となっている。ローカルニュースでは、記念切手展や幼児によるポスト清掃・感謝行事が紹介される。
今回は郵便ポストのお話。
Wikipediaや逓信総合博物館のサイトで調べた。正式名称は「郵便差出箱」。2005年に当時総務大臣だったアソーさんが「全国に99456個ある」と発言したそうだ。
ポストの形式は「郵便差出箱○号」と通し番号が付けられている。「丸ポスト」とも呼ばれる、昔懐かしい投函口が1つの円筒形のものが「郵便差出箱1号(丸形)」で、以降は大きさや投函口の数で区別されている。1996年登場の現行の濃い赤色で大型郵便が入れやすいのものは10号から14号。
当ブログの過去の記事のポスト(こちらとこちらとこちら)の画像を調べると、
熊本中央郵便局、富山駅前:7号、鷹ノ巣駅前、弘前市りんご公園、陸奥鶴田駅前:10号、弘前市役所前:12号、弘前駅前:13号 だった。
秋田市中心部のポストは、僕が物心ついた頃は1号(丸形)で、1985年頃に投函口が2つに分かれた四角い8号にほぼ一斉に取り替え、気づいたらほとんどが13号になっている。
まずはかわいそうなポストを2つ。
秋田市の歓楽街川反(かわばた)。その通りにも13号ポストがある。
ポスト側面に銘板があり、製造したメーカーと時期が分かる。これは1999年の設置
汚い!
全体的に白っぽく、深い傷はないようだが擦れたような跡がある。このタイプの新型ポストは鉄に塗装したものでなく、アルミに特殊な着色をしているようなので、耐久性は向上しているはずだけど。
もう1本向こうの通りの同型ポストは、よそと同じく普通の状態。このポストだけ酔っぱらいにいじめられているのだろうか。ポストとしての機能や安全性には問題がないが、一般人のモラルの問題だろうか。
次は、通町から新国道へ出る保戸野鉄砲町の通り。
周辺のポストは7号【訂正】8号から13号に代わったのに、ここだけなぜか古い7号【訂正】8号のまま。
古くても、きれいにメンテナンスされているのなら問題ない。でも、これは、
縁石と比べて左に傾いてませんか?
サビサビ。年賀状投函シールのはがし方も汚くて残っている
なんと投函口上の庇(ひさし)が取れてる!
一度再塗装されたようで、銘板が塗りつぶされていたが、「昭和60年」と製造年が読み取れた。秋田は雪が積もるから、鉄製の旧型ポストには過酷な条件なのは分かる。でも、これを使い続けるのは疑問。倒壊する危険だってあるかも。何よりポストが痛々しくてかわいそうだ。
ここは郵便事業会社秋田支店などが入る秋田中央郵便局のすぐそば。多くの郵便関係者が出退勤で通るだろうし、第一、回収担当者が気づかないのだろうか。もうちょっとプロ意識や愛社精神を持ってほしい。少人数で効率的な業務をという郵政民営化の弊害・ひずみの現れかもしれないが。
もちろん、道路の不具合のように、我々利用者や周辺住民がもっと目を向けて、気づいたら教えてやるべきだけど。後で郵便事業会社にメールしようと思う。
保育園児に「ポストさんありがとう」って掃除させるパフォーマンスより、一般市民や自社社員への啓発活動の方が必要だ。川反で酔っぱらいに「ポストさんありがとう」って言わせるのもいいかもね。
今度は幸せなポスト。
丸ポストこと「1号(丸形)」は、今も全国で5000本程度は残っているらしい。東京都小平市や兵庫県芦屋市のように、特に多い場所もあるが、東北は少ない。積雪地であるため、痛みが早いのかもしれない。秋田県内では仙北市角館に5台ほどあるようだ。
秋田市内では、千秋公園の中土橋と寺内地区の旧国道にあるのは知っていたが、もう1台、秋田市民市場近くの裏通りにもあるそうだ。探せばほかにもあるのかもしれない。
秋に撮った寺内のポスト。
酒屋さんの前にある(この日は定休日)
後日向かい側から。看板もいい雰囲気
こういう店の前にあるポストは、お店の意向で残される場合もあるらしい。このポストも屋根の下とはいえ、とてもきれいだったので、酒屋さんに大事にしてもらっているのだろう。
最後は11月の静岡旅行で見たもっとすごいポスト。
静岡市東部の宿場町、清水区興津地区も丸ポストが多い。海沿いのJR興津駅から山梨へ向う身延道の旧道を徒歩約20分(隣の国道は路線バスも走る)。東名高速の下をくぐり、新幹線の高架や山が近くなってくる。
たばこ屋(こちらも定休日)さんの前にそのポストがあった
「たばこ」の看板も味がある
これも普通の丸ポストに見えるけど…
秋田市の中土橋の1号ポストと比較してみましょう。(色合いの違いは天候や塗装の都合)
興津 秋田
高さはほぼ同じ(1号は135センチ、こちらは132センチ)。でも1号ポストとは全体的なフォルム、頭の帽子状の部分、回収口の位置などが違う。「郵便」の記載位置も下でしかも右から左へ「便郵」。
これは「1号」よりも前のポストなのだ!
その名も「丸形庇付ポスト」とそのまんま。1912(明治45)年に製造開始されたそうだ。使い勝手が良かったようで、基本的な部分は「1号」に受け継がれたのだろう。
ポストの上には清水郵便局名の達筆な解説板があり、「現存するポストの中では最も古い時代のもので、旧街道筋に今も残る貴重なポストとなっております」とある。具体的な設置年は分からないようで、隣の愛知県にも同型のものが残るとのこと。
雨で郵便物が濡れないよう、初めて庇が付いたポストだったというが、それがその後の標準になったわけだ。じゃあ秋田の庇の取れたポストは明治に退化したことになっちゃう。
見にくいけど、投函口周辺にラーメンのどんぶりのような模様が施されている。
東海地方ではポスト側面に管理番号を書いていた。もちろんこのポストにも。現役の証。
おそらく戦時中の金属供出ではポストも対象だったのだろう。お店の立て替えなどもあったはず。このポストはそれらを乗り越えて、100年近くここを通る人や車を見てきたことになる。
モノは大事に、大切に使うべきです。
【4月28日追記】その後対処してくれた様子はこちら
※近くの別のポストについての記事
※13号ポストの製造時期による差異についてはこちら
4月20日は1871(明治4)年に飛脚制度に変わり郵便制度が始まった「逓信(ていしん)記念日」。なお、逓信省が郵政省になった1950年から2000年までは「郵政記念日」と呼ばれていたが、郵政事業の公社化や民営化を見越して、郵“政”ではそぐわないから再び逓信記念日になったそうだ。
さらに逓信記念日の前1週間(4月14日から20日)は「ポスト愛護週間」となっている。ローカルニュースでは、記念切手展や幼児によるポスト清掃・感謝行事が紹介される。
今回は郵便ポストのお話。
Wikipediaや逓信総合博物館のサイトで調べた。正式名称は「郵便差出箱」。2005年に当時総務大臣だったアソーさんが「全国に99456個ある」と発言したそうだ。
ポストの形式は「郵便差出箱○号」と通し番号が付けられている。「丸ポスト」とも呼ばれる、昔懐かしい投函口が1つの円筒形のものが「郵便差出箱1号(丸形)」で、以降は大きさや投函口の数で区別されている。1996年登場の現行の濃い赤色で大型郵便が入れやすいのものは10号から14号。
当ブログの過去の記事のポスト(こちらとこちらとこちら)の画像を調べると、
熊本中央郵便局、富山駅前:7号、鷹ノ巣駅前、弘前市りんご公園、陸奥鶴田駅前:10号、弘前市役所前:12号、弘前駅前:13号 だった。
秋田市中心部のポストは、僕が物心ついた頃は1号(丸形)で、1985年頃に投函口が2つに分かれた四角い8号にほぼ一斉に取り替え、気づいたらほとんどが13号になっている。
まずはかわいそうなポストを2つ。
秋田市の歓楽街川反(かわばた)。その通りにも13号ポストがある。
ポスト側面に銘板があり、製造したメーカーと時期が分かる。これは1999年の設置
汚い!
全体的に白っぽく、深い傷はないようだが擦れたような跡がある。このタイプの新型ポストは鉄に塗装したものでなく、アルミに特殊な着色をしているようなので、耐久性は向上しているはずだけど。
もう1本向こうの通りの同型ポストは、よそと同じく普通の状態。このポストだけ酔っぱらいにいじめられているのだろうか。ポストとしての機能や安全性には問題がないが、一般人のモラルの問題だろうか。
次は、通町から新国道へ出る保戸野鉄砲町の通り。
周辺のポストは
古くても、きれいにメンテナンスされているのなら問題ない。でも、これは、
縁石と比べて左に傾いてませんか?
サビサビ。年賀状投函シールのはがし方も汚くて残っている
なんと投函口上の庇(ひさし)が取れてる!
一度再塗装されたようで、銘板が塗りつぶされていたが、「昭和60年」と製造年が読み取れた。秋田は雪が積もるから、鉄製の旧型ポストには過酷な条件なのは分かる。でも、これを使い続けるのは疑問。倒壊する危険だってあるかも。何よりポストが痛々しくてかわいそうだ。
ここは郵便事業会社秋田支店などが入る秋田中央郵便局のすぐそば。多くの郵便関係者が出退勤で通るだろうし、第一、回収担当者が気づかないのだろうか。もうちょっとプロ意識や愛社精神を持ってほしい。少人数で効率的な業務をという郵政民営化の弊害・ひずみの現れかもしれないが。
もちろん、道路の不具合のように、我々利用者や周辺住民がもっと目を向けて、気づいたら教えてやるべきだけど。後で郵便事業会社にメールしようと思う。
保育園児に「ポストさんありがとう」って掃除させるパフォーマンスより、一般市民や自社社員への啓発活動の方が必要だ。川反で酔っぱらいに「ポストさんありがとう」って言わせるのもいいかもね。
今度は幸せなポスト。
丸ポストこと「1号(丸形)」は、今も全国で5000本程度は残っているらしい。東京都小平市や兵庫県芦屋市のように、特に多い場所もあるが、東北は少ない。積雪地であるため、痛みが早いのかもしれない。秋田県内では仙北市角館に5台ほどあるようだ。
秋田市内では、千秋公園の中土橋と寺内地区の旧国道にあるのは知っていたが、もう1台、秋田市民市場近くの裏通りにもあるそうだ。探せばほかにもあるのかもしれない。
秋に撮った寺内のポスト。
酒屋さんの前にある(この日は定休日)
後日向かい側から。看板もいい雰囲気
こういう店の前にあるポストは、お店の意向で残される場合もあるらしい。このポストも屋根の下とはいえ、とてもきれいだったので、酒屋さんに大事にしてもらっているのだろう。
最後は11月の静岡旅行で見たもっとすごいポスト。
静岡市東部の宿場町、清水区興津地区も丸ポストが多い。海沿いのJR興津駅から山梨へ向う身延道の旧道を徒歩約20分(隣の国道は路線バスも走る)。東名高速の下をくぐり、新幹線の高架や山が近くなってくる。
たばこ屋(こちらも定休日)さんの前にそのポストがあった
「たばこ」の看板も味がある
これも普通の丸ポストに見えるけど…
秋田市の中土橋の1号ポストと比較してみましょう。(色合いの違いは天候や塗装の都合)
興津 秋田
高さはほぼ同じ(1号は135センチ、こちらは132センチ)。でも1号ポストとは全体的なフォルム、頭の帽子状の部分、回収口の位置などが違う。「郵便」の記載位置も下でしかも右から左へ「便郵」。
これは「1号」よりも前のポストなのだ!
その名も「丸形庇付ポスト」とそのまんま。1912(明治45)年に製造開始されたそうだ。使い勝手が良かったようで、基本的な部分は「1号」に受け継がれたのだろう。
ポストの上には清水郵便局名の達筆な解説板があり、「現存するポストの中では最も古い時代のもので、旧街道筋に今も残る貴重なポストとなっております」とある。具体的な設置年は分からないようで、隣の愛知県にも同型のものが残るとのこと。
雨で郵便物が濡れないよう、初めて庇が付いたポストだったというが、それがその後の標準になったわけだ。じゃあ秋田の庇の取れたポストは明治に退化したことになっちゃう。
見にくいけど、投函口周辺にラーメンのどんぶりのような模様が施されている。
東海地方ではポスト側面に管理番号を書いていた。もちろんこのポストにも。現役の証。
おそらく戦時中の金属供出ではポストも対象だったのだろう。お店の立て替えなどもあったはず。このポストはそれらを乗り越えて、100年近くここを通る人や車を見てきたことになる。
モノは大事に、大切に使うべきです。
【4月28日追記】その後対処してくれた様子はこちら
※近くの別のポストについての記事
※13号ポストの製造時期による差異についてはこちら