田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

M君の思い出

2018年02月21日 | 日記
 たった今ハローワークを終えたM君から電話があった。M君の思い出は今から35年前、私は独立のため会社を辞める意志を固めた。重役の引き止めはあったが、自分の夢を実現する独立の意志は固かった。
 
 前年から教えていたY君、大学は留年したが要領は良く、物の覚えはとても早く、社内の独り立ちはできそう、私には責任を果たした爽快感があった。
 
 残務整理をしていた私を、専務が食事に誘った。専務は私の師匠にあたり、長く教えを頂いたことにお礼も言いたかった。薄暗い酒場で専務が笑いながら「この春入社のM君が君の下で働きたがっている。一年だけ面倒を見てもらうわけにはいかぬか」と思いがけないことだった。
 
 他の会社で働いていたM君は1月半ばから会社に顔を出していた。M君をY君の横に座らせ、短期間だが新人教育の2ヶ月の間に、M君はすっかり私の弟子になっていた。私は退社を一年延長したのだった。
 
 一年後Y君とM君に「君らが会社を辞めるときは、必ず一人を育ててから辞めて欲しい」と言い残した。縁故入社だったY君は、長く社員ではいられず、家業を引き継ぐため、私の後を追うように辞めた。
 
 あれからの35年はアッという間に過ぎた。先生方三人で創業した会社は分裂、力の最も大きかった先生が別会社を立ち上げた。もっとも世話になった先生だったが、おいそれとは与し得えなかった。その後のM君は出世の道を歩き続け、重要案件の発議をする立場にもなった。
 
 結局のところ、私もM君も師匠も、この世の流れには乗れなかった。分裂した会社もジリ貧、社員は激減、M君は若い世代の軋轢に悩み、追い出されるように会社を辞めざるを得なくなり、最後の仕事をこなす気力も無くなったらしく私を頼った。
 
 私と会社の関係は良くも悪くも無い。私はS君の父上に並々ならぬ世話になった。少しばかり物足りない先生の子息には恩返しのつもり、S君は私を先輩と扱ってくれるし、年金暮らしの私にはありがたいお給金を頂く関係なのだ。
 
 還暦を過ぎたM君、まだまだお金が必用らしい。M君ガンバだ!。

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