続・蛙独言

ひとりごと

12月

2011-12-09 14:55:57 | 日記
本格的な冬の到来、痩せ蛙には骨身に応えるシーズン。
生命活動がぐんと落ちている。
今年も残すところ後僅か。
最高に厭な一年だったことになる。
全能全知の神ならぬ生身には、「問い」の答えを見出し得ない「難問」の数々。
或いは「神」にも分からぬのではないかとさえ思われる情況は続く。

「世界」、とりわけその「経済的展開」は如何。
蛙の考えによれば、1980年代に登場する「新自由主義」、サッチャー・レーガン、この国では中曽根から小泉が取った選択、規制緩和・民営化推進・金融緩和などなど、それ以前に抱えていた困難を一定程度・短期的に「解消」するかに見えた政策が直接の原因となって、現在の困難をもたらしたのだろう。
彼らの処方箋は、既に「死に体」となった「資本主義」のカンフル剤でしかなかったわけで、その副作用が、更に深刻な危機の深化に繋がってきたわけだ。
残念なことに、「その後」を引き受ける「機構」は無い。
世界経済の混乱は、当分、克服される見込みはない。
99%の「苦難」はなお続く。

「フクシマ」はどうか。
ひとつには、第一原子力発電所の内部は、未だに誰も知り得ない状況にある。
したがって、「放射能」は際限もなく吐き出され続ける。
東電も政府も言を左右にしながら、納得いく説明をしないばかりか、自身の無力を覆い隠すことに懸命で、人々、とりわけ子どもたちのいのちの危険をかえりみることさえしようとしない。
被災民を放置したまま、この国の民衆が「諦め」に慣れきる、そういうことを目指しているかのようだ。

我が「同盟」はどうか。
これもまた、自らの進むべき進路を明確にすることができずに、停滞から後退への道を歩むばかりに見える。
せめて「狭山」だけはなんとしても「勝利」にむすびつけなければならないが。

蛙の怒りや焦りは、とどまるところを知らない。

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