続・蛙独言

ひとりごと

名前のこと

2009-10-13 17:13:22 | 日記
「田所蛙治」宛で郵便物は届いていたのだけれど、「郵便事業自由化」ということで、宅配の業者の参入ということになって、こちらのは「送り主」に返送されてしまうようになった。
「札幌自由学校『遊』」の「準会員」になってるんだけど、これは「クロネコ便」を使ってて、「本名」の方も併記して「○○方」っていう具合にしてる。
「ここ」の取り組みはとても素敵で、勉強になるんだけど、まさか神戸から札幌にはおいそれと行くわけにいかない。
残念なことだけどね。
「ここ」から送られてくる「資料」は随分勉強になるから、年間3000円の会費で「準会員」登録するのはお薦めだ。

2004年の12月、旧ブログ開設の折に「名前について」ということでUPしたのを再録しておこう。

 ぼくが「田所蛙治」という名前を名乗ったのはもう30年以上も前のこと。

 当時、ベトナム戦争は凄惨な状況を極めていた。

 ぼくは為す術もなくウロウロしているばっかりだったけれど、そして結局何かができたわけではないけれど、「考え得ること」はやってきたと思う。
 立ち止まったことは一度もない。

 その頃の中心メンバーのひとりだった吉川さんのHPは

http://www.jca.apc.org/~yyoffice/

 今も現役の最前線でご活躍中だ。

 チェ・ゲバラは「第2、第3のベトナムをッ!」って叫んでいた。

 この時のスローガンに「ベトナムはベトナム人の手にッ!」というのがあった。

 今なら「アフガンはアフガンの人々の手にッ!」「イラクはイラク人の手にッ!」ということになる。(民族問題など複雑な状況もあるから単純にはいかないかも知れないけれど)

 「田所蛙治」はこのスローガンの翻訳ということだ。
 「田んぼは蛙にッ!」ってわけ。

 「蛙」についての「思い入れ」が、ぼくにはあった。

 芥川龍之介の「河童」では、河童は「お前は蛙だッ!」という「差別的言辞」を吐かれて、悩み苦しみ、ついには「死」に至ることになる。
 高校生の時に読んだのだ。

 当時のぼくにとっては「蛙」は「エタ」に当たる。

 「そこ」を突き抜ける「思想」が若かったぼくには必要だった。

 うまく「想い」は表現できないが、「田所蛙治」という名前は、ぼくにとっては相当重い意味がこめられている。

 サッカー人気の中で、小中生の中には韓国プレイヤーの名前も浸透してきている。
 今では、在日の3世・4世が「二つ名前を持っている」ことについて、若い世代に「かっこいいじゃんッ!」という雰囲気もあると聞いた。

 けれども、当事者にとって「本名を名のる」ことは今でもたいそう重い。

 「アイヌモシリ」でも「ウチナー」でも「チョソン」でも、「名前」は「日本国」の権力によって奪われてきた。
 「名前」を取り返すこと、「文化」を奪い返すこと、それらは重要な課題であるだろう。
 「千と千尋」でも、支配は「名前を奪われる」ことで貫徹をされ、「名前」を取り戻すことによって「自由を奪い返す」ことが可能だったというテーマも重要な伏線として置かれている。

 それだから、「ハンドル」とか「ペンネーム」などと「ヤワ」な話は「やめてくれッ!」ということも分からないではない。

 けれどもちょっと待って欲しいとぼくは思う。

 「名前」とは何だろうか。

 親は我が子の誕生を言祝(ことほ)ぎ、その生涯に「幸多かれ」との「想い」を込めて「命名」をするのだろう。

 けれども、それは「戸籍」に登録をされ、「支配の枠組み」に組み込まれていくことでもある。

 「名前」なんて「識別記号」に過ぎないとぼくは思う。

 昔、「幼名」というものがあって、「元服」の折に「名乗り」があったのではないかとぼくは思っている。

 それだから、誰もが、自由な意志で「自分の名前を選んでいく」、そういう風になればどんなにいいだろうと思うのだ。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (吉田向学)
2009-10-14 00:15:04
名前って、難しいですね。私は、ペンネームに曾祖父(吉田向学)か祖父(吉田永学)を使用することにしたのですが、私の名前は天皇制の象徴たる<元号>のひとつですので、同姓同名は数多く存在します。しかし、曾祖父と祖父の名前、インターネットで検索しても同姓同名の人はいません。すいぶん変わった名前をつけたものです。曾祖父・吉田向学は、近世と明治の両方を生きたので、筆者のルーツを知る上では最適と思って使用することにしたのですが、曾祖父の名前や祖父の名前を公開しても、何の情報も入手することはできませんでした。吉田は、私の父の養子先でしが、父の実家と母の実家の姓は公表していません。公表する意味がありませんので・・・。私の本名より、ペンネームの方が<有名>になったためか、筆者が出た岡山県立児島高校(現在鷲羽高校)の卒業者名簿には、吉田向学として掲載されています。80歳を超えたら、吉田永学を名乗ることにしています。元号の実名は、なにとなく私の生き方にあいません。
返信する
Unknown (吉田向学)
2009-10-14 00:15:06
名前って、難しいですね。私は、ペンネームに曾祖父(吉田向学)か祖父(吉田永学)を使用することにしたのですが、私の名前は天皇制の象徴たる<元号>のひとつですので、同姓同名は数多く存在します。しかし、曾祖父と祖父の名前、インターネットで検索しても同姓同名の人はいません。すいぶん変わった名前をつけたものです。曾祖父・吉田向学は、近世と明治の両方を生きたので、筆者のルーツを知る上では最適と思って使用することにしたのですが、曾祖父の名前や祖父の名前を公開しても、何の情報も入手することはできませんでした。吉田は、私の父の養子先でしが、父の実家と母の実家の姓は公表していません。公表する意味がありませんので・・・。私の本名より、ペンネームの方が<有名>になったためか、筆者が出た岡山県立児島高校(現在鷲羽高校)の卒業者名簿には、吉田向学として掲載されています。80歳を超えたら、吉田永学を名乗ることにしています。元号の実名は、なにとなく私の生き方にあいません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。