続・蛙独言

ひとりごと

「同盟」は変われるか 7

2010-04-25 19:22:44 | 日記
「解放同盟」の運動が「時代に応じたもの」に変わって行かなければならないという想いは真面目に活動を続けている同盟員の共通のものなのだろうとは思う。
けれども、この「時代」というものが実はよく分からないのだ。
実際、戦争の終わりから長らく続いた「政治」の在り様が「この国」を腐りきったものにしてきたということがあるのだろうし、「政党」も「労組」も「企業」も、「社会」を動かしてきたような様々な「組織」の全てが「腐敗の極み」というところに至っているのではないだろうか。
「政治」の場面では、最も犯罪的なのは「自民党」と「共産党」だろうと蛙は考えている。
証拠など無いが、このトップって東大閥で占められてきたのだし、「誰も知らない裏側」で相互の「利益」を護るために通底してきたのだと思っているわけだ。
「あの時代」の「米ソ」間だって、「対立」は「演出されたもの」だったと思うし、それぞれの支配者の側で最も都合のよい「選択肢」という展開だったんだろうと思っている。

「人間」というものを冷ややかに突き放して見る蛙の立場からは「おおよそ人類は滅亡に向かって疾走しているのではないか」などと思われたりもする。
「それが運命(さだめ)だというならそれもよし」というところだ。
それでも自分としては「ジタバタ」だけはしていたいと思う。
「内容」が伴うかどうか、よく分からないままにでも…

今のところ、「解放同盟」は「変わる」兆しさえ無いようだ。
「中央」の「規約・綱領改訂」も「問題の所在が奈辺にあるか」を明らかにし得ないままに「変更」だけが自己目的化されているに過ぎないように蛙には見える。
「福岡」の事件も内容的に変わることのない「こと」は繰り返し起こる可能性は否定できない。
「似非」などというけれど、そんなものが通用すること自体が「おかしな話」なのだ。
「同盟」組織内にも「似非とどこが違うのか」という「動き」をするものは後を絶たないし、「全国水平連盟」などといった「まことしやかな名前」を名のってするする「団体」も雨後の筍ばりに跋扈するが、それは「この社会」が「差別を容認する構造」を払拭し切れていないということに他ならない。
尊敬する先輩で既に退職をされている元高校教師に聞いた話だが、或る時、教え子の親から「わしゃ〈〉やが」などと凄まれて「それがどないしてんッ!」って切り返したことがあって「後の展開」で良好な関係を構築してきたことがあったという。
〈〉と聞いただけで、それがたとえ理不尽な〈要求〉だったとしても〈屈服〉をしてしまう傾向は確かにあった。
今も、無いわけではない。
「同和問題資料」などという「本」を送りつけられて「高額な請求」に応じるケースなど、未だにあるようだ。
そのような「対応」をすることが「差別そのもの」であることが理解されない。
理不尽な要求には毅然と対抗することができなければならないはずだ。

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1 コメント

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綱領改正案は時代錯誤 (平河 秀樹)
2010-04-25 21:10:48
 今年の大会で提案され、今年一年間をかけて来年の大会で決定するとされる綱領の改正案には、被差別、部落住民、出身者を定義するとしているが、何をいまさら定義する必要があるのか。先日の参議院法務委員会で松岡書記長は、現在は同和問題に関する国の窓口がないので早急に設置すべきと千葉法務大臣にけしかけていたが、上記の定義することを併せて勘案すれば、事業法と個人施策の復活を望んでいるとしか思えない。
 じり貧の解放同盟の再興を事業法や個人施策でと考えているとすれば、解放同盟の存続だけを考えているだけで、まさしく運動論で差別の解消という解放論には立っておらず、時代錯誤で噴飯ものである。
 しかし、このことに傍観は許されず、の固定化と、並びに、関係者と市民との分断を図ることになるので、断固、粉砕せねばならない。
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