続・蛙独言

ひとりごと

苦悩の日々

2012-09-16 14:11:35 | 日記
あまりに酷い状況は続いて蛙は言うべき「ことば」を失ったまま。
全ては「アメリカの顔を伺う」だけの政治家連ばかりであることもあるし、それを許してきた自身を含めての「反権力の側」の「無責任」ということであるのかも知れない。

沖縄にこれまでもたいへんな犠牲を強いてきて、なお一層「オスプレイ配備」などという暴挙でもって応える「本土」とはなんであるのだろう。
まるで「福島原発事故」など無かったかのように、大飯再稼働から三つの建設途上の原発を計画通り進めるとか、「もんじゅ」の扱い、「核燃料サイクル」の推進などなど、正気の沙汰とも思えない政府の対応。
「福島第一・4号炉」の危機的状況は明らかにされないまま。
最悪の場合、北半球の壊滅的破壊がもたらされるという警告さえ無視されたまま。
あいかわらずの「政争」に明け暮れていたりする、政治の状況。
19兆もの巨額の「復興予算」も「被災地」とは無関係なところに使われているということも報道されている。

「憲法9条」を葬り去るための石原の挑発はものの見事に成功し、日中関係は最悪の事態に立ち至っている。
言ってみても仕方がないが、石原が「尖閣」購入を持ちだしたときに政府が取るべき対応は、それを強権的に押しとどめ、粘り強い外交折衝で問題の解決を目指すということ以外に選択肢は無かった。

マスコミもまた、「大本営発表」に後戻りしてしまった。
本来、批判的精神こそ報道者の魂でなければならなかったというのに。
「万朝報」が日露戦争反対を降ろして権力に屈服した時、幸徳秋水らは「平民新聞」
を立ち上げたのだったが、今、そのような骨のある人間は皆無に近い。
(東京新聞とか、沖縄の琉球新報、沖縄タイムスなどなど、抵抗はあるが、蛙はこれを購読していない)
新聞・テレビなどでの「橋下・維新」の扱いなどを見ていると反吐さえ出る。
こんな馬鹿げた、論理もへったくれもないゴミ虫をなんで持ちあげたりするのか。

ただ、これほどにも閉塞感に囚われている状況では、かくのごときファシストへの同調はありうることかも知れない。
恐ろしい限りだ。

11月11日には「反原発100万人集会」が企画されている。
先が全く見えないが、「この日」には東京に出向いてみようと思う。