所在地 寺町通り 福井県大野市寺町通り
山間の小京都とも言われる落ち着いた静かな寺町通りです。
「大寶寺」の境内の塀内には88ヶ所の尊像が祀られています。88ヶ所の砂踏みができますよ。
小山の阿難祖(あどそ)村より文明二年(一四七〇)土橋庄へ転寺した古寺である。
代々の領主の信仰が厚く、末寺も六坊あり。朝倉義景が自害した賢松坊は末寺の一つであるといわれます。
皆さんがよく見る松葉は2本だと思いますが、この「大寶寺」の松葉は3本生えています。
『三鈷松(さんこくまつ)』
「長興寺」は、大野市内で唯一の臨済宗のお寺です。
松平直良の母君、長興院通応妙円大姉の菩提を弔うため寄進を受け建立されたという。
長興院の墓碑も僧堂の後ろにある。ひときわ大きな尾崎琴洞の墓のほか、歴代の尾崎家の墓が並んでいます。
水戸天狗党の一員であった松崎貞蔵も眠っています。
「奥之院」は、平成2年に新築建立されるまで、6間通りにあったようです。尼寺です。
石畳の綺麗な寺町通りです。
「善導寺」境内の庭は、ゆっくりと楽しめる美しい風景です。
幕末の大野藩主、土井利忠公のお墓もあります。
大野藩主土井家の御成門(おなりもん)がある善導寺の寺域は広く、墓地は寺町通りと
五番通りの間を占めており、墓数も多い、ほぼ中央に笏谷石で造成された小廟があり、結城秀康の重臣であった
大野城代土屋正明(昌春)の墓が安置されています。
「長勝寺」は、寺町通りの撮影ポイントのようです。
はじめ北袋の野津又村(勝山市野向町野津又)にあり、元和年間に現在地に移ったといわれ、
松平出羽守直政より寺地拝賜の由緒書が伝えられています。
「浄勝寺」です。町の南郊の金塚にあったが、金森長近の命で金塚の鍛冶工が四番へ移るとともに
転寺したと伝えられ、近年門徒一同の希望で山号が変えられました。
江戸時代、幕府の統制は宗教にまで及んで、四番下町の四ヵ寺も寺請制度により、
先祖の眠る菩提寺として寺と門徒宗との結び付きが強く、法蓮寺をはじめ、寺々は立派に新築・改修が行われていました。
「誓念寺」です。平成7年に本堂が改修され内陣・欄間・天井の絵が美しいです。
大野市の寺町通り、小京都のようで静で心の癒される町です。また、来たい町です。
次回をお楽しみに では またね