hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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智頭町・西光寺  2014.04.16

2014年04月18日 06時47分46秒 | 神社・寺院


  所在地   西光寺   鳥取県八頭郡智頭町大内179 

 智頭急行・恋山形駅行く途中に標識が、そこには、「後醍醐天皇の事跡を伝える 古刹西光寺」と書かれています。ちょっと狭い道を上っていきます。

 駐車場に車を止めて、そこには、綺麗な桜の木が見頃を向かえています。

 この石段を上がると西光寺です。(行基菩薩千二百五十年御遠忌記念誌「行基菩薩」記載の行基ゆかりの寺院)です。

 本堂の側から 中央の下に見える屋根が鐘楼です。そばには、素晴らしい桜の木があります。綺麗だね~

 由 来:
 元医王山・吉祥院・相現寺と号し、神亀年間、行基菩薩開創の古刹。行基菩薩当地方に巡鍚の折、同菩薩発願による「布施屋」の設置に伴い、山陰各地に宗教活動の場として創設したのが始まり、当地賀喜ケ原に至って、高台にある覧勝の地を結界して、一宇の僧坊を建て一本の木から二体の薬師尊像を刻んで、一体を船越山瑠璃寺へ、一体を当寺へ安置し、民衆の願いを叶えるため布教の場と定めました。

 元弘年間、後醍醐天皇が隠岐に配流され、その後、赤松円心らの働きによって六波羅が潰減し、隠岐より還幸される途中に滞在したのが、名刹【西光寺】と伝えられている。

 後醍醐帝当寺に行在し賜い、村名を大内と改め、西から帝が来られたのに因み以後西光寺と称するようになった。その後、秀吉の中国平定に際して、鳥取城主吉川経家を陥し、南に侵攻の途中当寺も兵火に逢い、堂宇、寺宝を失う。その後、仮堂を建て焼失を逃れた本尊を発掘し安置しました。暫くして、慶長三年(1598)高野山金剛三味院より、永算(空算)上人が来山し、後醍醐帝行在所跡に堂宇を再建する。寛延の頃火災に遭い明治三年に復興し、現在に至ります。
 次回をお楽しみに  では またね

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