hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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波賀城遺跡公園 2016.07.23

2016年07月29日 10時12分56秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地    波賀城址       兵庫県宍粟市波賀町上野2-51

 国道29号線を北上して波賀市民局前交差点を右折し、正面に見える宝殿神社右折れして道なりに坂を進むと波賀公園内の左側に波賀歴史伝承の家があります。ここから下り、道なり走りさらに上っていくと大きな駐車場があります。

 駐車場から西へ200mほどの道のりを歩く途中には、左手に登り石垣が見えたり、右手に堀っぽいものが見えたりして高低さが少ない道を歩いていくと

 城址碑や冠木門がありトイレも完備され、ここが入口のようです。

 冠木門をくぐると遊歩道が整備されていますが、その外側に石がゴロゴロしていたり、堀っぽいものが見えたり途中には東屋もあり、ちょっと休憩することもできます。

 史跡公園としての整備事業により、山麓から山頂の城郭に至る遊歩道が造られ後を振り向くとこんな感じ、山頂の二層櫓は内部を歴史資料館「波賀城学習資料館」として公開しております。

 この城は山陽道と日本海側を結ぶ因幡街道や、それと千種を結ぶ街道、三方に通じる街道を眼下にする戦略的な位置にあります。ほとんど独立した山に築かれたために麓から本丸間までの距離が短いので、途中多くの「郭(くるわ)」を作って縦堀をとっています。

 波賀城は弘長年間(1261年 - 1263年)に芳賀七郎が築城し13世紀中頃から戦国時代末期まで播磨国の中村氏が城主として拡張した山城で、因幡街道と千種を結ぶ街道を眼下に望む独立峰の城山(標高458m)の山頂に位置するお城です。

 現在の波賀城蹟は、このような歴史を持つ城を戦国時代末期にさらに拡張・整備した時のものと考えられます。羽柴秀吉が播磨を制圧した時に、北の守りの拠点としたものである可能性も考えられます。

 城山(458m)には、麓にある宝殿神社の奥の宮があります。

 ここの石垣は 天正年間(~1572)以前のもので 石材は レンガ状の節理にそって割れた横長石が多く、 コーナー部を 角石、角脇石といった用途の意識は まだ なく 算木積みは未発達で、現在の石垣は 当時の積み方を 復元したものです。
 次回をお楽しみに では またね