所在地 極楽寺 兵庫県西脇市黒田庄町岡593
西脇市の極楽寺へ睡蓮・蓮の花を見に行きましたが、時期が早いのか遅いのか、ほとんど花がありません。残念です
前には、極楽寺の門が、
門を入ると本堂があり、極楽寺は、山号は西岡山、臨済宗妙心寺派の寺院で、羽柴秀吉が天正年間、三木城を攻略した際、大志野に陣にあり、兵主神社に戦勝を祈願して、燈明田を献じました。当時は極楽寺ではなく、兵主神社の境内だったようです。
本堂の左を曲がり、渡り廊下のある下を頭を打たないようにくぐると、その前に社があります。
太閤腰掛石と呼ばれる庭石があります。太閤腰掛石由来記には「羽柴秀吉、天正年間三木攻略のとき、大志野に陣し、兵主神社に戦勝を祈願して、燈明田を献せり」とあります。現在の極楽寺は、その頃まだ建てられておらず、そこは兵主神社の森続きの境内であったと考えられています。
兵主神社の境内だったこのあたりに、兵を駐め、自らも下馬して傍らのこの石に腰掛けて下知采配をとりました。やがて秀吉が天下を統一し、太閤の尊称を得ると、里人はこの岩を珍重し、秀吉の果報にあやかろうと、競って開運を祈願し、霊験を喧伝しました。しかし、天下は徳川のものになると、極楽寺が福谷の故地よりこの地に移り、寺の開基源太少広直の一族が遠祖と仰ぐ具平親王社を勧請し、この太閤石を申し受けて社殿に保存しました。
この先にある、荘厳寺の文書や地元の伝承から、この地で官兵衛が生まれたという話が今も語り継がれているのですが、官兵衛ゆかりの神社といわれる兵主(ひょうす)神社。官兵衛は戦の先勝祈願のためにここを訪れ、その際に納めた奉納金で拝殿が改築されたと伝わります。兵主神社の近くには、秀吉が三木城攻めの際に腰かけたという石も極楽寺に残されていたんですね。この町には、今でも戦国のロマンが息づいているようです。
次回をお楽しみに では またね