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気になる事  blueのためいき

日々気になる事を記します。共感してくださる方もそうでない方もちょっと立ち止まって考えて頂ければ、うれしいです。

西村眞悟の時事通信より  経済ではない、外交だ 2013・06・17(月)

2013-06-17 17:56:52 | リンク




経済ではない、外交だ
 横浜市戸塚区の佐藤忠士氏が、「F機関、アジア解放を夢みた特務機関長の手記、藤原岩市」という本を送ってくださった。
 そして、この本を手に取ったとき、やはり、書いておこうと思った。それは、安倍内閣の外交である。

「F機関」とは、大東亜戦争中に、陸軍中野学校出身者やマレーのハリマオなどの少数精鋭を率いてマレー、スマトラそしてインドの独立を促す活動を展開し、インド独立の英雄であるチャンドラ・ボース迎え入れた藤原岩市少佐の創った機関である。

 この「F機関」は、昭和十六年十一月十五日に大本営政府連絡会議で決定された我が国の基本戦略である「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」を実現するために行動した。
 その基本戦略とは、
①東亜作戦・・・極東の米英蘭の占拠する資源地帯の制圧による自存自衛体制の確立、つまり今のアセアン地帯の制圧
②西亜作戦・・・インド洋制圧によるインド独立と英の屈服を計り、同時に援助ルート切断による蒋政権の屈服を計る
 
 「F機関」は大東亜共栄圏の夢を愚直に実行し①②の作戦地域の民族独立を実現せんとしたのである。
 そして、①の東亜作戦は劇的に成功し、シンガポールは昭和十七年二月十五日に陥落する。
 ところが、②の西亜作戦は海軍が勝手にインド洋から出てミッドウェーに行ってしまったのでインド洋制圧はならず、中途半端に終わる。
 しかし、この西亜作戦が成功してインド洋を我が国が制圧しておれば、「F機関」の目的通りインドはイギリスから独立する。そして共にインドから送られる物資に頼っていた西のイギリスと東の蒋介石政権は、ドイツと日本に屈服していたのである。
 つまり、大東亜戦争に、我が国は負けなかったのだ。
 西亜作戦を貫徹しなかったことが、大東亜戦争最大の敗因だ。

 我が国には、「戦略」がないという人が多いが、東条内閣が大本営政府連絡会議で決定した「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」こそ我が国を勝利に導くもっとも優れた戦略であった。
 仮に、この戦略が、その時イギリスの首相チャーチルの耳に入ったならば、チャーチルは即座にイギリスの敗北を悟ったはずだ。

 そこで、安倍内閣の外交を振り返ってほしい。
 安倍内閣は、「腹案」通り、東亜作戦の対象地域から西亜作戦の対象地域に外交を展開してきたと思われないか。
 特に、ミャンマー訪問は、十五年前からたびたびミャンマーを訪れて、ミャンマーの戦略的重要性を指摘してきた私にとって、よくやってくれたと感慨深かったのである。
 現在、安倍総理は、サミットの開催地であるイギリスのアイルランドに入っているが、その前に東欧四カ国を訪問し普遍的価値の共有と連携を確認している。
 
 以上の、安倍総理の訪問地である東亜、西亜そして東欧の我が国に関する共通点は何か。
 それは、二十世紀初頭の日露戦争に日本が勝利したことに覚醒した地域だということである。
 東亜・西亜は、日本の勝利を知って、自分たちも白人の植民地支配から脱却できると思い始め、東欧はロシアのくびきからの脱却を模索し始めた。
 しかも、東亜と西亜地域では、その四十年後に自分たちのみている前で日本軍が米・英・蘭の軍隊を打ち破ったのである。

 この日本に対する強烈な歴史の記憶をもっている地域を安倍総理が訪問してきたということは、近い将来劇的な効果を揚げるであろう。この安倍内閣の外交は、麻生外務大臣が提唱したアセアンからインドを経る繁栄のリングに発するものであるが、
 ここは、つとに、明治以来の日本の歩みが友邦として指し示してきた地域であり、加えて東条内閣の「腹案」とその劇的な実行の遺産によって、実は日本の真に連携すべき国々となっていたのである。
 従って、「日中友好」、「日韓友好」そして「日朝友好」、つまりあのルーピー(アホ)が言っていた「東アジア共同体」ではなく、
 政権獲得後直ちに、このアセアンからインドそして東欧を外交の対象地域とした安倍総理は、
「外交における戦後からの脱却を果たしつつある」
と評価できるのである。
 この地域との連携は、我が国の国際的存在感の源泉である。

 安倍内閣になってアベノミックスなどの言葉で代表される経済の成果だけが強調されているが、
あれほど馬鹿馬鹿しい総理大臣が三人も続いた後ならば、
誰が総理になっても、国民は明るくなったと感じるものだ。
 そして普通のことをいえば、ご祝儀相場で株は上がり円は下がる。

 しかし、安倍内閣の六カ月間の外交は、経済以上に安倍総理の最大の特徴であり功績である。
 何故なら、安倍外交は、さりげなくやっているが、戦後から脱却した国家戦略をもっているからである。
 株の上がり下がりや円の高い低いは、国際的投機の動きに左右される。従って、余り一喜一憂せずに、国家の存立に直結してくる「外交」に関心を高めるようにしたいものだ。
 従って、本日の題を「経済ではない、外交だ」とした。
 

 

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【拡散希望】櫻井よしこ氏 従軍慰安婦の嘘を暴く!

2013-06-17 14:50:04 | 動画

 

【拡散希望】櫻井よしこ氏 従軍慰安婦の嘘を暴く!

 

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武田邦彦氏のブログより 反日日本人・発生の経過と原因(2) ロシアの侵略

2013-06-17 14:23:56 | リンク

http://takedanet.com/2013/06/post_2f6c.html

 

20世紀の初め、ロシアは雪崩のごとく極東に勢力を伸ばし、モンゴルの領地を取って、さらに満州北部に来て、「ウラジオストック(東の支配)」を建設した。その後、満州を南下して旅順に軍港を作り、さらに現在の韓国・釜山の近くの鎮海湾を軍港にすると宣言した。

 

 

 地図でわかるとおり、モンゴル(韃靼)、中国(清)、朝鮮の領土を次々と侵略していくロシア・・・今では考えられないことだが、それが20世紀初頭の白人のやり方だった。そして有色人種は圧倒的な白人の軍事力に屈していた。中国(清)は戦わずして満州をロシアにあげ、ロシアが鎮海湾に来るのも間近になった。

もともと鎮海湾は自然の良港で日本に蒙古が襲来したときに軍船が出航した場所である。ロシアは、鎮海湾に軍港を作ったら、ウラジオストックから新潟へ、鎮海湾から佐世保港へ、さらに台湾に進出する計画だった。

今では考えられないことだが、「侵略」とはこういうものだった。ロシア陸軍は最強だったから、陸伝いに韓国の南まで進出するのに妨害できる国はなかった。

当時、ロシア皇帝はニコライ二世だったが、あまりに強引なやり方にドイツ皇帝が「やり方が乱暴ではないか」と注意をしたとき、ニコライ二世は「東洋のサルなど反抗してくるはずはない。余が戦争を為ないつもりなので、戦争など起こらない」と言った記録がある。

日本は日清戦争で朝鮮を独立させ(当時、朝鮮は独力では独立できなかった)、共同でロシア進出を止めようとしたが、朝鮮は戦うことは嫌ったので、鎮海湾にロシアは軍港を作る計画を示したのだ。

日本としては、鎮海湾から佐世保港、台湾、それに新潟を取られるか、それとも戦うかの選択を迫られたのだった。ちょうど、玄関に強盗が来て扉を叩き、あと10分もすると玄関が破られて強盗が家の中に入ってくる・・・家には幼い子どもや女がいる・・・という状況に至ったのだった。

これはアジアの植民地となった他の国とまったく同じだった。植民地になると女性は乱暴され、優れた若者は両手首を切り取る・・・それが当時の白人のやり方だった。

反日日本人はロシアはもちろん、女性を自由に乱暴したポルトガルも、手首を切り落としたイギリスも非難しない。

(平成25年6月16日)

 

 

武田邦彦

 
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【845】 反日日本人・発生の経過と原因 (2) ロシアの侵略 / 武田 邦彦

2013-06-17 14:21:21 | 動画

 

【845】 反日日本人・発生の経過と原因 (2) ロシアの侵略 / 武田 邦彦

 

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武田邦彦氏のブログより 反日日本人・発生の経過と原因(1) 開戦を罵倒する日本人

2013-06-17 14:12:51 | リンク


http://takedanet.com/2013/06/post_b161.html


反日日本人・発生の経過と原因(1) 開戦を罵倒する日本人

実に不思議!? 世界を旅しても日本ほど自分の国を悪く言う国民に会うことはない。多くの国民は自分の国に誇りを持ち、祖先を敬い、国旗や国歌に尊敬の念を示す。

それに対して、日本では日本のことを悪く言う人、日本の歴史をことさら学びたくないと思っている人、国旗や国歌を軽蔑している人が多い。なぜだろうか? 明らかに異常でもあるし、「正しい歴史認識」にはこの問題を解決しておかなければ正しい認識に到達することはできない。

これほど深い先入観があるのだから、ちょっとでも「日本人が日本からみた見方」をすると批判されるが、それにもめげず、真実を目指したい。まず、もっとも中心的なところから踏みこんで見たい。それはほとんどの反日日本人が「大東亜戦争を開戦したのは悪だ!」と叫ぶ理由はどこにあるかということだ。

反日日本人は、「日本が大東亜戦争を始めたのは悪だ」と言い、「アメリカの真珠湾攻撃やイギリス東洋艦隊への攻撃は不当だ」、「軍部の暴走だった」と強調する。しかし、敵将でアメリカ軍の司令長官で日本占領軍のトップだったマッカーサー将軍は、後にアメリカ議会で証言している。

「日本は絹産業以外には固有の天然資源はほとんど何もない。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い。錫が無い、ゴムが無い。それら一切のものがアジアの海域にあった。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを日本人は恐れていた。したがって、彼らは戦争を始めた動機は大部分が安全保障に迫られてのことだ」(下はマッカーサーが話した英語)

“"There is practically nothing indigenous to Japan except the silkworm. They lack cotton, they lack wool, they lack petroleum products, they lack tin, they lack rubber, they lack great many other things, all of which was in the Asiatic basin.

They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore in going to war was largely dictated by security."

(昭和26年5月3日米国議会上院・軍事外交合同委員会)

マッカーサーの証言そのものを示したが、日本が「侵略」を目的として戦争をしたのではなく、「自衛(安全保障)」だったと言っている。日本と戦った敵の司令官が「日本の開戦はやむを得なかった」と言っているのに、日本人が「侵略戦争を始めた」と言って日本を非難するのは実に奇妙だ。

さらに、マッカーサーはアメリカ人だから失業というのを重視しているが、日本人の私には「日本が破滅するのを防いだ」のではないかと思う。それは、当時の日本にとってアメリカが石油を禁輸したのがもっとも衝撃的だったからだ。

アジア・アフリカ諸国の中で完全な独立を保っていたのは当時は日本だけだったが、もし石油が入らなくなったら、7ヶ月以内に日本は実質的に軍艦も戦闘機も使えなくなる。そうなると他のアジア諸国と同じく植民地になる可能性が高かった。

植民地になると、女性は乱暴されるのを防ぐことはできないし(ポルトガルの支配例)、優れた人は両手首を切り落とされる(イギリスの統治)。それは日本人にとって耐えがたいことだったに相違ない。

もちろん、アメリカは日本に対して石油を禁輸することによって日本が戦争をせざるを得なかったことを知っていた。マッカーサーはアメリカ議会でそこまでは言わず、日本が「自衛のために戦争をせざるを得なかった」という理由だけを述べている。

反日日本人はなぜ、大東亜戦争を「侵略戦争」と呼ぶのだろうか? そこには深い歴史の闇がある。

(平成25年6月14日)

 

 

武田邦彦


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