たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
この珈琲は見るだけですのでお代は要りません。

おしゃまで可愛い小さなお母さん♪

2012年10月27日 | Weblog
先日の昼休み歩道を歩いていると、向こうから母子の三人連れが反対側から横一列になって歩いてきた。

向かって一番左には子供のお母さん、真ん中には一番したの弟(3歳ぐらい)、そして一番右には男の子のお姉さん(4歳ぐらい)が仲良く手をつなぎ、真ん中の男の子は母親と女の子の手にぶら下がるようにして楽しそうに歩いてきた。

僕はその光景がとても微笑ましく思え、三人に向かった笑顔ですれ違おうとした。

その時 目が合った母親が僕に軽く頭を下げながら、にこやかに『』すみませんと挨拶をしてくれた。

母親は歩道を大きく占用しながら歩いて来たことに対して僕に軽く詫びてくれたのでしょうが、その間も男の子は嬉しそうに母親とその子の姉の手にぶら下がっている姿が可愛かった。

僕は母親に軽く会釈をしながら、その子にニッコリと微笑みながらすれ違った。


すると手を繋いでいた小さな女の子が、お母さんと同じように僕に向かって『すみません』と言いながらすまし顔で僕の横を通り過ぎた。



僕は振り返って三人が楽しそうに過ぎ去るのを見送りましたが、暖かで幸せな気持ちにさせてくれた母子の三人でした。

日本人よ!目を覚ませ!!

2012年10月26日 | Weblog
少し長いですが、まず下の文章を読んでください。


「日米対中国」と考える愚かさ
2012年9月24日 The JOURNAL
 尖閣諸島の国有化を巡り、日中が衝突すればアメリカは日本の側につくと考える日本人が多いようだ。アメリカがその地域を「日米安保の適用範囲」と発言しているからである。しかしだからと言ってアメリカが日本の側につくとは限らない。アメリカは自らの国益を考えて利益のある方につく。それが国際政治の現実である。
 
 まず現在の日本の領土がどのように確定されたかを考える。確定させたのは1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約である。第二次世界大戦で連合軍に無条件降伏した日本は領土についてすべての権利を放棄し処分権を連合国に委ねた。
 
 そこで日本が支配していた朝鮮半島をはじめ日清、日露、第一次大戦で領有した台湾、澎湖諸島、南樺太、千島列島、南洋諸島、南沙諸島のすべての権利を日本は放棄させられた。また北緯30度以南の南西諸島や小笠原諸島はアメリカの信託統治領となった。その南西諸島の中に尖閣諸島はある。
 
 一方、サンフランシスコ講和条約と同時に日米は安保条約を締結し、米軍が日本国内の基地に駐留する事になった。領土問題とは言えないが日本国家の主権が及ばない米軍基地が首都近郊を含め日本の至る所に作られた。
 
 現在日本が抱える領土問題の相手国は、北方領土がロシア、尖閣諸島が中国、竹島が韓国といずれも第二次大戦の戦勝国か戦勝国の側である。そして今回の竹島への韓国大統領上陸と尖閣諸島への香港活動家の上陸は、日本が敗戦国である事を思い出させる8月に決行された。
 
 中国の習近平国家副主席がアメリカのパネッタ国防長官との共同記者会見で、日本の尖閣諸島国有化を「第二次世界大戦以降の戦後秩序に対する挑戦」と発言したのは、まさに日本は敗戦国、中国とアメリカが戦勝国である事を指摘し、領土問題で米中は同じ側に立つことを強調したのである。
 
 これに対してパネッタ長官が「日米安保の適用範囲」と言うのは、サンフランシスコ講和条約から1972年までその地域をアメリカが統治し、その後日本に返還したのだから当然である。しかしそれはこの問題でアメリカが日本の側に立つことを意味しない。
 
 なぜならアジア地域でのアメリカの基本戦略は日本に近隣諸国と手を組ませないようにする事だからである。日本がアメリカだけを頼るようにしないとアメリカの国益にならない。そうした事例を列挙する。
 
 アメリカはまず北方領土問題で日ソ間に平和条約を結ばせないようにした。そもそも北方領土問題を作ったのはアメリカである。真珠湾攻撃の翌年からアメリカはソ連に対日参戦を要求し、その見返りとして日露戦争で日本に奪われた南樺太と千島列島を返還する密約をした。
 
 サンフランシスコ講和条約で領土が確定された時点での日本政府の認識は千島列島に国後、択捉島を含めており、日本領と考えていたのは歯舞、色丹の2島だった。従って2島返還で日ソ両国は妥協する可能性があった。
 
 ところが米ソ冷戦下にあるアメリカのダレス国務長官はこれを認めず、4島返還を要求しなければアメリカは沖縄を永久に返さないと日本に通告した。これに日本は屈し4島返還を要求するようになり日ソは妥協する事が出来なくなった。
 
 小泉政権の日朝国交正常化に横やりを入れたのもアメリカである。日本は200億ドルともいわれる援助の見返りに北朝鮮と国交を結ぼうとしたが、アメリカのブッシュ大統領はこれを認めなかった。国交正常化の可能性ありと見て金正日総書記がいったんは認めた拉致問題もそれから進展が難しくなった。
 
 韓国の李明博大統領がしきりに持ち出す従軍慰安婦問題にもアメリカの影がある。2007年にアメリカ下院はこの問題で日本政府に謝罪を要求する決議を行った。中東のメディアは「アメリカは日本と中国、韓国の間にわざとトラブルを起こさせようとしている」と解説した。
 
 日本がアメリカの戦略に反した唯一の例が日中国交正常化である。中ソの領土紛争を見て分断を図れると考えたアメリカは、中国と手を組めば泥沼のベトナム戦争からも撤退できると考え電撃的なニクソン訪中を実現させた。しかし台湾との関係をどうするかで国交正常化に手間取る隙に、先に中国との国交正常化を成し遂げたのが日本の田中角栄総理である。中国と極秘交渉を行ってきたキッシンジャー国務長官は激怒したと言われる。それがロッキード事件の田中逮捕につながったとの解説もある。 

 アメリカは中国に対し日米安保は日本を自立させない「ビンのふた」であると説明し、中国はそれを共通認識として米中関係はスタートした。従って尖閣周辺の海域で米中が軍事的に睨み合う形になったとしても、それは日本のためにではなく、米中双方の利益のために何が最適かを導き出すための行動となる。
 
 ところでパネッタ長官の訪中は米中の軍事交流を深めるのが目的である。その一方でアメリカは日本に対し中国の軍事力の脅威を宣伝し、オスプレイの配備など日本領土の基地機能強化を進めている。中国の脅威を言いながらアメリカは中国との軍事交流を深めているのである。小泉政権時代の外務大臣が米中軍事交流に抗議するとアメリカから「そういう事はもう一度戦争に勝ってから言え」と言われたという。
 
 領土問題は力の強いものが勝つ。それが国際政治の現実である。話し合いで解決するにしても力の強い方に有利になる。力とは軍事力だけを意味しない。むしろ経済力、外交力、そして国民の意思の力が重要である。ところが「日米安保の適用範囲」という言葉にしがみつく日本人は何の保証もないアメリカの軍事力にしがみついているのである。それは日本が経済力、外交力、国民力に自信がないことを露呈しているに過ぎない。
(田中良紹)

日本はアメリカの飼い犬となり、F-35戦闘機購入問題にしても、大切な血税をアメリカ企業に湯水の如く垂れ流させられるレール仕組みを作られてしまっています。

日本が今後頭に置かなくてはならない事は、軍事的にアメリカから独立する道を歩むことであり、その為には日本が核武装を行なうことです。

その為にも、安全な場所に原発施設を造り継続させることです。

また、国産戦闘機を何が何でも独自開発させることです。



今の議員は、アメリカの言いなりになって満足しています。

尖閣諸島に近づく中国船に威嚇射撃するぐらいな覚悟がなくてはいけません。
 

さすがです♪

2012年10月23日 | Weblog
今日は名古屋も雨ですが、わが社は雨も関係なしに外の仕事をしていました。

僕は現在施工計画書作成なのでこの一ヶ月は内業が続いていますが、職人さん達は今日も外の作業に出かけました。

不思議なことに誰も嫌がらず、殆どの職人さんが当然のように出社してきました。


どうも手持ちの仕事はしっかりあるので、警報が出ない限り仕事をするのだそうです。(儲かる儲からないは別として)

まるでバブル期を思い出させます。



社長も今朝は、ヘルメットを被って軽四に乗りやる気満々でした。

外注の下請さんが休んだので空振りに終わりましたが、社長は外注さんの手伝いをするつもりつもりだったらしいのです。

おめでとう吉松育美さん♪

2012年10月22日 | Weblog




ミスインターナショナル優勝おめでとうございます。


いや~彼女は本当にきれいなお嬢さんです。


この何年かの日本代表は確かにきれいではあったのですが、日本人というよりも東南アジア系の顔立ちで、日本の選考委員が世界の選考委員の美的感覚に媚びたような感じがしていました。


日本はやはり日本人の美しさを世界にアピールするべきです。


その点、今回の吉松さんの美しさは納得できます。

彼女の着物姿を見てみたい。


昔の名古屋の繁華街

2012年10月21日 | Weblog
今の名古屋の繁華街は中区栄ですが、昔は中区大須という地名の街です。

この街は古くからの店が多く人情味の溢れる街です。






そこで今日の僕の一こまを、小説風に書いてみました。

【登場者】
私(たーさん)
古本屋の女主人


私は大須商店街の近くにある古本屋の立ち寄った。

この店に入るのは確か二十数年ぶりになると思うが、店のたたずまいは昔と全く変わったいなかった。


店に入ると狭い通路の両側には、天井近くまで古本が所狭しとならんでいたが、私は趣味のバイクか空手の古本が無いかと探していた。


探していると風邪ではないが、急に軽く咳き込みが始まった。

暫くすると私の上着を指でツンツンとつつく人がいた。

振り返ってみると、この店の奥さんらしい六十代半ばぐらいの品の良さそうな女性がにこやかに微笑みながら、何か手に持ったものを私の方に差し出してきた。

急なことでもあり私はその手のモノをじっと見つめると、その女主人は優しい声で『よろしかったらどうぞ』と差し出したものは、彼女の手のひらに飴が一つ乗っていた。

おそらく私が咳き込んだので、その女主人は気を利かせて飴を渡そうとしたのだろう。 私は遠慮なしにその好意に甘えることにして、礼を言いながらその飴を戴いて口に入れてなめ始めた。

彼女に『僕は気管支が弱くて…』と一言言うと、その女主人は『まだ沢山有りますからどうぞ』と言いながら、今日の英傑行列を見に行かないのかと訊ねてきた。

『今日は行きません』と答えると、女主人は急に『前の英傑には、私の娘の婿が秀吉に選ばれたので嬉しくて』と話し出したが、私はその正直な笑顔に好感を抱き『そうですか、それは名誉なことですね』と言うと、彼女は嬉しそうにうなずいた。



私は、こんな会話が自然に出来る大須の街が好きだ。

まずは蒸らしの技術

2012年10月21日 | Weblog
珈琲焙煎を始めて10ヶ月ぐらい経過しただろうか、最近は焙煎時の蒸らし技術を探求しています。

焙煎における蒸らしとは、豆から水分を適度に抜き取る工程のことをいいますが、僕は出来るだけ水分が抜けるようにと、ラーメンザルの蓋を取って加熱するようにしtげいます。



時間的には20分程度ですが、やや弱火にて加熱しています。

正直、まだ蒸らし加減の結論は出ていません。

※今は、豆がやや黄色味をおび始めたらヨシとしています

※写真は改造前のラーメンザルなので、下部の網の部分が現在より少ないです。




強味

2012年10月20日 | Weblog
僕は61年生きて今に至りましたが、3~4億円かけてメタボになると同時に会社を解雇されて現在になりますが、せっかくお金をかけて今の僕になった限りは、その投資を十分に生かさねば損だと思うようになりました。

つまり、人生はこれから長くて30年、満額ではありませんが年金受給年齢に達しているので、どんな仕事をしてでも生きていくことができ、この二十年の荒波でそれなりの風貌になっているようにも思いますので、これらの特性を十二分に生かした生きた方が面白いと思います。





もちろん僕は紳士なので乱暴な態度や行動は好みませんので紳士的な態度に徹しますが、これからは自分の味を思う存分に出し切った社会生活を送ります。

ただ、わが女房には←こんな対応で行くしかありません。

正直 期待はしてないが…

2012年10月20日 | Weblog
維新が全国遊説開始 橋下氏「根こそぎ体制を変える」関連トピックス橋下徹
街頭演説で支持を訴える日本維新の会の橋下徹代表=20日午前11時13分、鹿児島市呉服町


 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は20日午前、鹿児島市中心部の繁華街で街頭演説した。次期衆院選に向けた全国遊説のスタートで、日本維新への支持を全国に広げたい考えだ。

 橋下氏は数百人の聴衆に向け、鹿児島を遊説の出発地に選んだことについて「明治維新で今の国の形をつくったのはこの鹿児島から立った維新の志士たちだ。幕藩体制が明治政府に変わり、国の体制を変えたから、我々はここまでやってこれた」と強調した。

 そのうえで「3年前の政権交代で多くの国民は期待したが、うまくいかなかった。単に政治家のメンバーが代わっただけでは国は変わらない。古くなった体制は根こそぎ変えていくのが政治の役割。自立する個人、地域、国家、自立を肝に据えた新しい日本をつくっていきたい」と統治機構改革の必要性を訴えた。「我々は高齢者の皆さんにも地域にも負担を求める。それをやらなければ日本は沈む。若い世代が力を込めて日本を立て直すことができるような予算の配り方をする」とも呼びかけた。

僕は正直言うと橋下氏には期待していないが、彼は、ここまで地に落ちた日本の政治の起爆剤になって欲しいと願っています。

民主党は野田や鳩山みたいな馬鹿と蓮舫みたいな見栄っ張り議員の集団、自民党はおじいちゃんやお父さんの威光を背景にして、それを自分の実力を誤解しているアホが多い。

公明党は池田一家の意のままに動くカルト政党だし、民社党は売国政党だし、共産党の偏った考え方では政治はできないし、その他の政党は落ちこぼれ集団政党と言っても過言ではない。

これらの全ての政党に共通する事は、サラリーマン政治屋集団という事だ。

次回の選挙で落選した議員は自分の履歴書や表札に、金文字で【元国会議員】とでもデカデカと書いておきなさい

社長自慢

2012年10月20日 | Weblog
今度の会社の社長(僕より5歳先輩)は、昔はバイクが好きで暴走族の親分をして柔道でも国体の選手だったのだそうです。

会社は自分で起こしたもので、今では小さくても経営基盤もしっかりして無謝金経営会社としてやっていますが、一番早く出勤するのは社長で、一番遅く退社するのも社長で、また一番出勤率がいいのも社長です。

かと言って、社員にハッパをかけてこき使うタイプの社長ではなく、社員や職人さんたちが自発的に一生懸命に仕事をする雰囲気の会社の社長です。

社長は朝六時半に出社しますが、社員や職人さんたちは7時前後に出社します。(因みに僕は6時45分です)

朝会社に着くと、時には社長はバックホウに乗ったりして何かしている事がありますが、社員や職人さんたちは、手伝える人は手伝うし、雑談している人はしているような雰囲気が実に自然です。

タイムカードはあるとはいえ、時には忘れる人もいるので、時々社長がその人たちのタイムカードを打っている姿も見えます。

今度の国交省の仕事では、社長が石積みをする担当らしいのです。



国交省の現場で嫌がらせの苦情が入って、現場担当者が悩み社長に電話が入ったときに僕は近くで聞いていましたが、社長は役所の言いなりになって書類をいくら書いても無駄だから、早く帰って酒でも呑んで寝るように説得していました。

しかし担当者はだいぶマイっているらしく、社長のいう事があまり理解できなかったので、最後に社長は電話口で『がんばれ~』と心から叫んでいました。

この問題も、社長はじめ皆の努力で良い方向に向かって動き始めたようなので、おかげさまで担当者の顔色もよくなってきました。


前の会社の社長は、ただ自分のストレスを社員にぶっつけたり、現場での仕事を知らないので、まるで大企業の経営者みたいな言い方で社員にプレッシャーをかけたり、何しろ話にならない大馬鹿野郎でしたが、ただ給料だけはきちんと払って貰えただけは感謝しています。


前の会社の社長も今度の会社の社長も、僕にはいろんな面でいい教師になります。


僕は自分の色を最大限に出して、今の会社で働こうと思います。