平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

対話力

2014-02-17 09:52:47 | 牧師室だより

牧師室だより 2014年2月16日 対話力

 先週の火曜日、湘南台教会で、連合の「2・11集会」が行われ、会堂に入りきれないほどの参加者(71名)があり、有意義な集会となった。講師の加藤誠先生(大井教会牧師)は戦前・戦後のキリスト教会の歴史を概観しながら、今、私たちに問われている課題について講演された。

 その課題の一つとして、「対話力」に言及された。日本の社会全体の「対話力」が落ちている。自分の関心や世界に閉じこもり、「異見」を許容できない社会になり、一人ひとりの「孤立」が深まっている、と指摘。だからこそ、聖書を真ん中に、お互いに聴きあい、建設的に語り合っていくプロセスが大切だ、と語られた。また、「異見」を受け止めながら、批判(非難ではない。課題を冷静に整理する)しつつ、対話を通して、教会の志と徳が高められていくプロセスの大切さをも話された。

 聖書(神)との対話、人との対話。今はやりの言葉でいうならば「ガチンコ勝負」の対話。それは誠実で真摯な、忍耐を要する「対話力」を必要とするだろう。私たち日本人はすぐ白黒をつけたがり、深く物事の本質を掘り下げて考えない。面倒なことは「臭いものにはふた」で、すぐ水に流して終わり、すべて「あいまいなまま」やり過ごしてしまう。民主主義の前提の議論を尽くす、対話を重ねるが成り立たない土壌にある。だからこそ、その「対話力」を養成していく教育や訓練が求められる。

 実は、昨年の「2・11集会」でも講師の吉高叶先生が、平和を構築していくには「対話力」が必須だと語られている。憲法9条に関連して、紛争の解決を武力でもってしないのだから、私たちには対話の道しか残されていない。その対話を培う教育を戦後してきたのか、と問われた。その時、元教師だった私は、確かにそうだ、平和教育はしたが、それはたいてい「ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ」であり、戦争体験を聞くというものであった。対話力の育成、確かに意識してこなかった、という反省がある。「対話力」、時間をかけて取り組まなければならない宿題である。