平塚にあるキリスト教会 平塚バプテスト教会 

神奈川県平塚市にあるプロテスタントのキリスト教会です。牧師によるキリスト教や湘南地域情報、世相のつれづれ日記です。

罪と恥

2013-12-10 18:19:56 | 牧師室だより

牧師室だより 2013年12月8日 罪と恥

 1946年米国の文化人類学者ルース・ベネティクトは、日本人の精神を西洋と比べた日本文化論『菊と刀』を著した。彼女は日本を定義して「恥の文化」といい、西欧の文化を「罪の文化」とよんで比較した。

 「罪の文化」は神と自分との関係において物事をとらえ、人が見ていようといまいが、絶対者なる神の前における自分の態度を問う。一方、「恥の文化」は他人の目に自分がどのように映るかを考えて行動する。

 半世紀以上昔のこの日本文化論は今も通用するだろうか。気になるのは、「他人」が現在ではさらに狭められて、「仲間うち」の目しか気にしないことである。例えば、若い女性が電車の中で化粧をする、などということはもう日常的光景となっている。電車の中の人は「他人」ですらないということか。

 一方、ごくごく狭い範囲では、ことさら「他者の目」を気にするようになった。その場の空気が読めないとか読めるとか、それが基準となって人を判断したり、行動する。ますます息苦しく、生きづらい社会となっているように思われる。

 もともと「罪」意識が薄いといわれている日本人が「恥」意識さえ捨ててしまったら、あとに残るものは何か。損得勘定だけのような気がする。悲しいかな、もう毎日のようにテレビに映し出される「申し訳ありませんでした」という謝罪の記者会見。もう日本人は「恥の文化」を失ってしまったのだろうか。
 
 「恥かしい」感情も失い、神に対する畏れもない日本人は、自尊心さえも無くし、ただただ損得勘定に走っているのか。特に政官財界の指導者たちの倫理観のお粗末さはそれこそ「恥かしい」。彼らには「矜持」(きょうじ:自分自身をエリートだと、積極的に思う気持ち)という言葉はもう死語か。エリートはプライドと同時に重大な責任を負っているということを忘れないでほしい。

 愛の神によって生かされ、愛するようにと励まされているキリスト者の存在は少数であっても貴重であり責任は重大である。世の光、地の塩として。