牧師室だより 2012年9月23日 バプテスマってな~に?
「お宅の教会は?」と聞かれ場合、当然、「平塚バプテスト教会です」と答える。すると、まず「それなんですか」という顔をされる。「バプテスト」と一回で発音できる人もほとんどいない(かく言う私もかつてはそうだった)。そこで怪しげな団体と誤解されないように「キリスト教会です」と急いで付け加えることになる。
バプテストとは、幼児洗礼を否定し、聖書に示された洗礼、すなわちバプテスマは信仰告白に基づく「浸礼」であるとする教派の名前である。しかし「バプテスマ」って言っても先ほどと同じで、けげんな顔をされるが、「洗礼」と言うと少しはわかってくれる。
しかし「バプテスマ」を「洗礼」と訳したことによって、洗い清めるというイメージが強くなって、本来の意味が誤解されている。バプテスマとは、水に浸されて罪に死に、水から起き上がらされて復活のいのちに生きるという意味だから、「浸礼」の訳のほうがよい。
罪に死に、新しいいのちによみがえることを象徴するために水による儀式を行う。キリスト教事典によると「水によって行う聖礼典で、父と子と聖霊のみ名によって授けられる。福音を信じ悔い改めてこれを受ける者は、罪の赦しと新生を与えられ、キリストの死と共に古き人に死に、彼の復活と共に新しき人によみがえらされるのである。その新しき人はキリストの体の肢となって教会に加えられ、キリストによる救いを確かにされる」とある。
バプテスマを受けることは、信仰生活のスタートである。スタートを切るにはやはり決断が大切である。ともかく、すべて神にお任せして飛び込むことである。神が導いて下さるから飛び込めるのである。主は言われた。「父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない」(ヨハネ福音書6章44節)。今日の2人の兄弟のバプテスマ式に神の祝福と主の執り成し、聖霊の導きがあるようにと祈る。