こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
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葬儀屋さん現る。

2012-01-10 22:58:53 | 訪問看護、緩和ケア
訪問看護ステーションの事業所には、いろんな人が訪ねてきます。
うちの場合、ケアマネもいるのでさらに訪れる職種は増えます。

多くは、居宅がらみの事業所さんが、サービスの実績を持ってくるのが一番多いようです。
訪問入浴やヘルパー、デイサービス、福祉用具の担当者は、入れ替わり立ちかわりやってきます。

専任のケアマネは一人いますが、看護師でケアマネを兼任している人も5人いますから、それぞれを訪ねてきます。

実績を持ってくる事業所や、空き情報を持ってくる事業所、新規開設の有料老人ホームやグループホームなどの営業も多いです。
それから、訪問のご相談に来られる方。ケアマネさんや包括の方。

合間に、「新しいマットが出ました。ぜひ、デモ見てください。」みたいなメーカーさんや、布団のセールス、たまに漬物や果物の押し売りまでやってきます。

最近は、この中に葬儀屋さんが入るようになりました。

実は、ご自宅で亡くなられた患者さんのご家族から、「どこかいい葬儀屋さんを紹介してください。」と言われることが意外と多いので、葬儀屋さんの話はなるべく聞くことにしています。

葬儀屋さんは、かなりの部分オプションで金額が吊り上るので、ちゃんと意思表示をしないと、あっというまに数百万円も支払う事になってしまうので、予算を抑えた良心的な葬儀屋さんをご紹介できるのも、訪問看護ステーションの役割になりつつあるのかもしれません。

訪問看護の場合、ほとんどが死後の処置と呼ばれるケアを、ご家族と行います。
この料金は、ステーションごとに設定が違いますが、使用するエンゼルセットなどにもより、10000円前後から20000円くらいまでが一般的だと思います。
これを葬儀屋さんにお願いすると、現在ほとんどの場合湯かんと呼ばれる死後の入浴の儀式みたいな形になるようです。
これもだいたい10万円くらいが相場のようです。
さらに、エンバーミングと呼ばれる、遺体処理を勧められることもあります。
もともと、長時間ご遺体を保存するために、体内の血液を全部抜いて、保存液を注入するものらしいのですが、これはかなり高額な請求をされるようです。

何を選んでもご家族の意思なので、私たちはいいのですが、時々あとから葬儀屋さんに「これをやらないと、皮膚の色が悪くなって、きれいじゃなくなります。形が崩れて汁が出たりします。」と言われたから・・なんてことを聴くことがあります。

これは、ちょっと問題ですよね。
湯かんにせよ、エンバミングにせよ、かなり強引に「これをやらにと大変なことになって、かわいそうだ。」みたいな脅し文句を言って契約させるのは、いかがなもんかと思ってしまいます。

実際、亡くなられてから葬儀までの時間が2日か3日程度なら、通常のドライアイスで全く問題ありませんし、夏場ならご遺体を預けたりもできますから、顔が崩れたり顔色が極端に悪くなるなんてことはありません。
私たちとご家族とのお化粧で、今までひどいことになったという話は聞いたこともありませんし、あとで確認をしても、ずっと綺麗でしたよ。と言われています。

そんなわけで、強引なオプションの押し付けをしない、ご家族のご要望に合った葬儀を誠意を持ってやって下さる葬儀屋さんを、ご紹介できるようにしておきたいと思っています。

最近は不況の折、葬儀も家族葬が増えて、うちわでアットホームなお別れ会をされる方が多くて、ちょっと前の高額な葬儀が減っていて葬儀屋さんも大変なのかもしれません。

私たちは、なんにしても良心的に対応してくれる事業所で、一生懸命さが伝わってくる事業所を大切にしたいと思っています。

と、正月明けから葬儀の話ですみません。

今日は連携先のケアマネさんから、またしても「困難事例ですみません・・。」という患者さんのご依頼を受けましたので、新しい年もなかなかハードな幕開けとなりそうです。

成人式も終わったので、今年一年頑張りましょう。

3日間お勉強

2012-01-09 22:54:31 | 大学の事
この3日間、発達心理学のお勉強に集中できました。

最初は、3ページ読むと睡魔が襲ってきて、こりゃあどうしたものかと思いましたが・・・。

(あ・・もちろん、睡魔には逆らいませんでしたが・・^_^;)

でも、思春期のあたりから、すごく興味深くなってきて、成人期あたりで「なるほどー」となり、一人で「ほほー」とか言っている私を、夫が「大丈夫??」とか言って気味悪がっていました。

教科書は、通信教育用のもので、発達心理学Ⅰ・Ⅱは放送大学の客員教授の書いたものでした。

全体に哲学的というか、文学的な表現が多くて、私的にはその抽象的な文面や、いろんな作家の引用などもちりばめられていて、面倒くさい内容の割に面白かったことで、集中できたのかもしれません。

でも、私が興味を持ったのは、試験にはあまり関係ないことばかりでしたが・・。

そのなかで、とりあえず書き出した言葉。

成人(おとな)になることは「愛することと、働くこと」   フロイト

シンプルだけど深いと思いなぁ・・と。

発達理論で有名なエリクソンさんが、人間のライフサイクルを8段階の自我発達図式にあらわしたのですが、その中で成人期の決定的転換期を「生成継承性(ジェネラティビティ)」としています。
何のこっちゃ。ですが、こういう事です。

成人期の25歳から40歳くらいまでを成人前期、40歳から60歳くらいまでを世人後期と考えます。
成人後期は、中年期とも言います。

そうです私です。

人生前半は、大人になることが課題で、自己のアイデンティティを確立し、家庭においても仕事においても「一家をなす」ことだといいます。
このことを、フロイトは「愛することと働くこと」と言ったそうで、エリクソンさんは「この簡単な公式は熟考に値する!!」と言ったとか・・。

で、成人になった後は、どのような発達が考えられるのか。
エリクソンさんは、「生成継承性」と「停滞」の対立によって特徴づけられ、そこから身につく力が「ケア」なんだと言っています。

この時代は、すでに子育てが終わっている人も多くて、自分が子供を産み育てるという文字どうりの意味を超えて、さらに広い意味で次世代に残す子供や仕事や作品を生み出し、育み、次世代へと継承していく、すなわち創造や生産性に関わるのだという概念なんだそうです。

そして、「ケア」とは自分が生み出したもの、想像したものを大事に思い、責任を持ってひき受け、それを見守り育んで継承していく生き生きした力の事なのだとか。

成人期の発達は、次世代に向け責任をもって、育み育て、継承すること。
さらには、ケアのプロセスは一方通行ではなくて、相互的である。ほほー


と言う事が、もろもろ書かれておりました。

ま、これだけじゃやはり「なんのこっちゃ。」とは思いますが、赤ちゃんから発達の経過を読み進みながら、今の自分の時期に至った時に、あんまり考えたことがなかった自分の今までの人生をそれに当てはめてみたのです。
そうしたら、たしかにその各期の区切りのあたりで、転換期らしきことが思い当ったわけです。
自分の意識の中でですが、確かに自分の立ち位置が変わってきていることが、明確になりました。

ふ~ん。こういう学問なのか・・。
なんとなくですが、ストンと理解したというか、今までも何度も感じてはいた事。

今、私のなすべき事。
昔と違う今の自分。

わははは。

そんなこんなで、理屈っぽくなってしまいましたが、とりあえずお勉強しながら、ちょっと納得できてうれしかったので、書いてみました。

3連休が終われば、またいつもの生活です。
久しぶりに、緊急当番もまわってきます。

明日から、気持ちを切り替えて、また頑張りましょう!

そろそろ、お勉強しないと。

2012-01-07 23:45:59 | 大学の事
秋ごろから、いろいろあって自分の勉強どころではなくなっていましたが、気が付けばそろそろお勉強しないと、単位が取れなくなってしまう事に気が付きました。

そういえば、下書きだけしておいたレポートも出さないと、あっというまに締切が近づいています。
あわてて、昨日郵便局に駆け込みました。

そして、単位認定試験とスクーリングの申し込み期間となっていて、これも期間内に選ばないと、どんどん遅れてしまいます。

スクーリングは、3日間週末をまるまる潰さないとダメなので、スケジュールが合わなければ受けられません。
しかも、早朝から夜まで2時間近い通学が必要で、年休の兼ね合いもあり、翌日の仕事にも影響します。
それに、家族にも迷惑をかけることになります。

そのリスクを承知で始めたことなのですが、やってみるとかなりシンドイです。

もちろん、スクーリングは出席すればすごく面白くて、自己学習に比べてわかりやすいし、興味も尽きません。

当初、3年次編入で、頑張って2年で認定心理士の資格を取ろうと意気込みましたが、無理をすることで家庭にも仕事にも影響が出たり、なにより自分自身の負担になっては本末転倒なので、2年半を目指すことに目標変更しました。

単位認定試験を受けるためには、WEB上での到達度テストで合格点をとる必要があります。

今月の目標は2教科の単位取得です。
一つは申し込みが出来る点数をクリアしましたから、もう一教科webでのテストで合格点をとらないといけません。
現在、発達心理学を自己学習中です。

スクーリングは、2月に学習心理学を申し込みました。
このペースだと、どうしても来期に持ち込みになりますが、それも致し方ありません。
自分のペースで頑張ります。

通信大学で資格を取ろうとする人はかなりたくさんいて、年齢もすごく開きがあります。
私は、認定心理士だけとれればいいと思っていますが、ちゃんと大学院にも行って、臨床心理士までとると頑張っている方も多くて、みんなすごいなぁ・・と感心します。
まして、遠距離からスクーリングや試験の度に、宿泊して受けに来る人たちのパワーにも圧倒されます。

日本はこうして、いくつになっても学びたい人が学べる国なのだとおもうと、すごく有り難いですね。

実際、認定心理士をとったからって何も変わるわけではないし「とりあえず心理学を広く浅く一とうり学びました。」という程度のものです。
それでも、心に興味を持って、浅くても心のメカニズムを勉強できるのは、幸せなことだと思います。

去年から始めて、まだまだいろんな障害が立ちはだかると思うけれど、絶対にあきらめずに頑張ります。
きっと、私はチャレンジすること、そのものが好きなのだと思います。

自分の現状で、周囲にあまり迷惑をかけない範囲で、次は何にチャレンジするのか。

まだまだ、知りたいことはたくさんあるのです。

受け継がれていくもの。

2012-01-06 23:43:00 | 訪問看護、緩和ケア
3日に次いで、今日また99歳のおばあちゃんが旅立って逝かれました。

うちのステーションでは、100歳前後の患者さんが、比較的多くいらっしゃいます。

けれど、その方々が少しづつ逝ってしまいます。

今、90才以上の方々は、私の感覚ですがみなさんすごく体力があるように思います。

全体に老衰と言われる経過はたどるのでしょうが、基礎体力と言うか、逞しさが現代の私たちに比べてはるかにあるように感じます。
それは、体力だけにとどまらず、精神力も合わせての強みに感じます。

「それは、年を重ねたから強いんだ。」と言われればそれまでなのだろうけれど、きっと今頑張っているご高齢の方が、私たちと同じ年齢だったとしても、やっぱり強いんじゃないかと思います。

明治、大正、昭和、平成と時代を生き抜き、その時代の波にもまれながら、ここまで生きぬいた強さは、頑固と言う言葉と共に、「すごいな~。」という畏怖の念を抱かせます。

状態が悪化して、少しぐらい寝付いたかと思っても、突然回復して驚いたり、いよいよと思っても、そこからまたしばらく頑張れたりすることが多いようです。

もちろん、ここまで来れるのは元が元気だからなのでしょうが、それでもみなさん気力も体力もすごいです。

以前、私たちの年代は、そんなに長生きできないと聞いたことがあります。
環境ホルモンとか、いろんな意味でぬるま湯に生きているからなのでしょうか。
確かに、こんな体力を温存できる自信はありません。

日本は、自殺者が年間3万人を超えると言います。
こんなにも物があふれ、自由と言われる中でも、その社会の間で失望し、生きるすべをなくす人たちがたくさんいるのです。

もしかしたら、激動の中で翻弄されることこそが、生きるパワーとなったのでしょうか。
お年寄りが「死ぬなんて考える暇もなかった。」と言っていたことがあります。
もしかしたら、本当にそうなのかもしれません。

精神力でいえば、今の子供たちは確かにとてももろいです。
些細な言葉で傷つき、必要なことが言えない。
誰にも話せず、逃げ場を失い、一人で苦しんでしまいます。

社会人になっても、仲間とのコミュニケーションがうまく築けなかったり、ちょっとした失敗を引きずったり、どうしてもポジティブになれない。
そうかと思えば、独りよがりで周囲の空気が読めない。
そんな人もたくさんみてきました。

ウーン。
どこでこんなに違ってきちゃうのかな。

最近、すごく思うのは、失敗経験や辛い経験がある人の方が、やはり強いし優しいと思います。
苦しみや悲しみや、社会の波に翻弄されて、そこを乗り越えられた人のみが持つ、強さとおおらかさを、きっとあの年代の人に感じるのかもしれません。

私たちは、どんな老人になるのかな?
若い人たちに、何かを残せるような年の取り方をしないとダメですね。

話は変わりますが、今日先延ばしにしていた胸部のCTを撮ってきました。
いくつかあったスリガラス様陰影が、「小さくなって減ってるよ。」とYamamoto先生に言われました。
やった!!「あとはほくろみたいなもんだよ。」とのこと。
これで、一つ気がかりが減りました。
そして、ちょこっと世間話して、すごく元気を貰いました。
先生、ありがとう。すごく嬉しかった。

人は、ちょっとした言葉かけや、気にかけて貰っているんだというだけで、すごく嬉しかったり安心したりします。

私がうれしかったことを、今度は私が誰かにする。
そう言うバトンをずっと持っていたいなと思います。

もったいないのはわかるけど・・(~_~;)

2012-01-05 23:06:47 | 訪問看護、緩和ケア
昨日のことです。

いつも元気な90代夫婦。
そうです。
いつも裸のあの方です。

今日も裸で恵比須顔。

「あけましておめでとうございます!!」
「ほほーおめでとう!」
「お正月、お元気でした?」
「元気だよ~。」
「おせち料理、食べました?」
「おせち料理ね~。食べるの忘れたんだよ。でもね、今夜食べようって奥さんと話してたんだよ~。」
「そのおせちって、いつ届いたの?」
「31日。大丈夫だよ、冷蔵庫にあるから。あ、そうだ。ちょっと見て行ってくれる?」

冷蔵庫には、大きな2段重が入っていました。
明けてみると、ほぼ手つかづの豪華なおせち料理が、冷え冷えと詰まっていました。
5日近く立ちますね・・。

タコは三杯酢かな??
ホタテの煮物、貝に当たったらまずいかも・・。
エビは茹でてあるけど、頭もついていてこれも心配・・。
蒲鉾だって、切った時点で加速度的に悪くなるでしょうに・・。

「大じょーぶだよ~。冷蔵庫だし。」

でも、私は知っています。
この程度の日にちで、この年代の方が、食べ物を捨てるわけがないと言う事を。
しかも、相当古くても平気だっていう事は、うちのおじいちゃんとおばあちゃんで立証済み・・。

「あ・あのね、お父さん。食べるときにお皿にとって出来ればレンジでチンして食べてほしいのだけど。」
「いいよ。わかったよ。そうするよ~。」(いや、絶対にしないとおもう・・)

そうです。今これ以上言っても、最後は逆切れされるに決まってます。
うちの爺ちゃんばあちゃんで立証済みです。
絶対に、食べる。(きっぱり)

しょうがないので、そこは引き下がり、かえってケアマネのAさんに連絡しました。
「ええー!?全然食べてませんか?暮れに配達されてるのに・・。わかりました。明日対処します。」とのことで、私もほっと一安心しました。

このくらいは、平気な年代なんですが、そうは言っても100歳近いご高齢。
あの、貝とか練り物で万が一あたってお腹を壊したら、脱水で命とりってこともあり得ない話じゃないでしょう??

いつも思うのだけれど、もったいないって、どこが限度なんでしょうか・・。

ちなみに、今日そのケアマネさんに聞いたら、ずっと冷蔵庫にあったわけではなくて、ヘルパーさんが食べるように出して行って、でも食べるの忘れてまた入れてを繰り返していたことが分かったそうです。
その時点で、大事をとって1段目はごめんなさいをして破棄したそうです。

でも、イクラだけはどうしても譲らず、あきらめて帰ってきたそうな。

でも、イクラは塩が効いてるし、色は悪くなかったから、きっと大丈夫だと思います。そう信じましょう。
強いんですよ。あの年代。

それにしても・・
は~。
高そうなお重。
もったいないなかったなぁ・・。

仕事始め

2012-01-04 22:31:38 | 訪問看護、緩和ケア
仕事始めで挨拶をしながら職場にはいったとたん、昨日1月3日に患者さんが一人旅立たれたことを知りました。

緊急当番は、たまたまその患者さんの主担当のSaさん。

亡くなられた患者さんは103歳。

103才とはいえ一人暮らしで、お風呂の浴槽もついこの前までまたげていた方です。
こんなに早く逝かれるとは、誰もが思っていませんでした。

Tさんは、いつも学生さんを気持ちよく受け入れてくれて、ここ数年うちに来た学生さんの半分以上は同行訪問させて頂いていました。

いつもにこにこ、気づかいの方で、とってもかわいらしいおばあちゃまでした。

担当ナースの話だと、年末から風邪気味でちょっとぜいぜいしていたため、受診もして頂いたり、明けてから介護に来ているご家族に電話をかけたりしてたそうです。
でも、ご家族は「全然元気ですよ。いつも変わりません。」と明るく答えてくれたとか・・。

安心していたら、昨日緊急電話に「おばあちゃんが亡くなりました。」と電話があってびっくりしたそうです。

ご家族が、ちょっと用事を済ませて見に行くと、すでに呼吸も心臓も止まっていたとか・・。

103才。
それはそれは大往生ですね。

もしかしたら、うとうとしながら自分でも気づかづに逝ってしまったのかもしれませんね。

穏やかな、とても安らかなお顔で、エンゼルケアのあとは、とっても素敵な身支度が出来たそうです。

眠るように、誰にもそれがわからないくらい静かに旅立つ。

そんな最後は、ちょっとうらやましくもありました。

あらためて103年間、いくつかの時代を生き抜き、国のため、家族のために働いてこられたことに敬意を表します。
ご苦労様でした。合掌。


そんな仕事始めでしたが、始まると同時にいろんな問題が出てきました。

はてさて、明日からは何が待ち構えているのでしょうね。

あっという間にお正月終わり。

2012-01-03 23:02:31 | 日々のあれこれ
24年となって、あっというまにお正月は終ってしまいました。
明日から、また訪問看護師としての一年が始まります。
今年は、ナースSaのおかげで緊急当番も持たず、すっかり仕事のことは忘れてお正月を過ごすことが出来ました。

今年は、さらにスタッフが増えそうなので、いろんなことを分担しながらお仕事が出来そうです。

でも、スタッフが増えるにつけ、それぞれが抱える家族背景や心の葛藤なども増え、管理者としてちゃんと対応できるのかはとても不安です。
今でも、小さな不安やちょっとした駆け引きなどに、振り回されたり自分を責めたりして、揺れ動くスタッフも多いのです。
ただ、今私の周りには、それをフォローしてくれるスタッフもたくさんいて、みんなで後輩を育てようという気持ちが高くて、とっても温かい職場でもあります。

誰かが、不安をまき散らしたり、不満ばかりを呟いていると、それは伝染病のように全体の雰囲気を悪くしてしまいます。
でも、今はみんなが前向きに、明るく仕事を楽しんでくれています。

患者さんとの出会いや別れの悲しみも、そのたびにスタッフの心を育ててくれているのだと思うのです。

私は、苦しみに添うとか、よい援助者になるという目標はあっても、実際は本当の苦しみなんてわかりませんでした。
もちろん今でも、それぞれの人の苦しみなんてわかるはずもありません。
だって、私は私でしかありえないのですから。

ただ、この半年で私が体験した悲しみや不安や恐怖感は、きっとこれから先、どこかで役に立つ。
そんな風に思えてならないです。

以前、「100%のフォロー出来ないのなら、告知なんて口にするな!」というコメントをもらった事があります。

人が人を100%フォローなんて出来るはずがない。
だからこそ、人は人を知ろうとするわけだし、寄り添おうとする。

人の心がわかっちゃったら、人間関係なんて崩壊しちゃうでしょう?
わかるなんて言ったら、絶対にウソです。
だから、「患者さんの気持ちを理解する。」なんて看護計画はあり得ないんです。

でも、黙って傍にいてくれる。
憶測や意見をするのではなく、じっと聞いてくれる。
そっと、手を握ってくれる。

黙って聴いてくれて「いつでも話を聞くよ。」と言ってくれて、憶測で物を言わず、口外しない友人がいたら、それってすごく自分が楽になる。
実際、苦しみにたいしてどう向き合い、どう行動するかは、自分で考えるしかないのです。
そうして自分で乗り越えるしかない。
100%のフォローを待っていては、何も乗り越えられない。

そんな事を、改めて考えされられた年初めとなりました。

ちなみに、年末に古本で大人買いをした漫画にはまっています。
かなり古い漫画で1989年に第一巻が発行された「天才柳原教授の生活』全31巻です。

現在24巻まで読みました。
何故急に大人買いをしたかといえば、テレビ放送の放送大学の心理学概論かなんかで、このコミックを興味深い解説で使っていたのです。

しかも、読んでみると主人公柳原教授は、相鉄線希望ヶ丘駅で降り、どうも善部町あたりに住んでいる人らしい・・。

そして、「なんでこんなすごいコミックを読んでいなかったんだろうか?!」とショック。

すっかりはまり、毎日コミックを読みふけっています。

感想は、全部読んだらまた書いちゃいますが、柳原教授の影響も多分に受け、ちょっと前向きに自己分析できた気がしますし、きっといい方向に向かえると思えるようになりました。

さあ、いよいよ明日から頑張りますか!!

今日が初詣

2012-01-02 23:06:24 | 日々のあれこれ
近くの氏神様に初詣に行きました。(^^)v

いつもは、31日の夜に家族で並ぶのですが、今年はみな風邪気味でパス。

おふだも返さないといけないし、お礼を言ったりお願いしたりもしないといけないので、今日行ってきました。

息子は出かけてしまったので、夫と娘と3人で出かけました。

諏訪神社の裏から入って車を止め、そのままお参りと思ったら、娘に「神社は、ちゃんと鳥居の下の端っこをくぐって入らないとダメなのよ。」と指導が入り、鳥居までぐるっと回って入りました。
そういえば、テレビで以前「鳥居は真ん中をくぐってはいけません。神様の通る道です。」と言っていたたことを思い出しました。
娘は、鳥居の前で一礼して端をくぐり、「二礼二拍手一礼だよ。」と教えてくれます。
夫曰く「ガラガラは神様に来たことを伝えるために、大きく鳴らすって聞いたけど。」娘は「ええ~?私は静かに鳴らすって聞いたけど。」なんて話をしています。
何で娘が詳しいかと言えば、興魂太鼓の代表の方が神官をされているからのようで、よく奉納太鼓などもしていたからなのです。

ガラガラをどう鳴らすかはよくわかりませんが、どの人も大きな音を立てています。

娘曰く「私、今年本厄なんだよね・・。」と。

おみくじ売り場に張り出された厄年の紙を見ると、確かに平成6年生まれが本厄になっています。

ええー!!それってすごく嫌です。
今、いろいろな苦しみが、そのせいのようにも思えてきて、おもわずおみくじ売り場のお姉さんに聞いてみました。

「どうすればいいですか??」
「お祓いですね。」
「お・・お願いします!!」

苦しい時の神頼みとか、溺れる者は藁をもつかむとか・・。
いろいろ言われるかもしれないけれど、私はゲンを担ぐ人なんです。

それに、やはり日本の神様は神社にいるでしょう??

それに、住んでいる土地の氏神様にお願いするのが一番いいって聞きましたので、即お願いしました。

お祓いは10分程度のものでしたが、親としてはわが子の無病息災と、心穏やかに明るい高校生活が送れることを一心にお願いしました。
ちなみに、来年は受験生でもありますが、深く頭を垂れる娘が何を祈ったのかは、全く知るよしもありません。

そして、明日からはもういつもの生活が始まるのです。

そういえば、息子が大学の講義で「日本人は、八百万の神に対する信仰心が根底にある。宮崎駿の作品は、日本人の八百万の神に対する信仰がなければ発想できないものである。だから、外国人はそれを高く評価するのだ。」
みたいなことを言っていたよ、と以前話してくれましたが、土地の氏神様にせよ、便所の神様にせよ、ありとあらゆるものに対して、敬い祈る気持ちはやはり日本人特有なんでしょうね。
クリスマスまで祝っちゃうのも、結構その流れなのかもしれません。

奉納されていた見事な白菜を見ながら、そんなことが頭の隅をよぎりました。

とにかく、今年はこんな形で明けましたが、絶対に悪い流れを断ち切って、未来に向けて歩いて行かなくちゃいけません。
強くならないと。


謹賀新年 恒例の・・・

2012-01-01 20:57:11 | 日々のあれこれ
明けましておめでとうございます。

23年は、怒涛のように過ぎていき、今年も波乱の予感が・・・

とはいえ、あっというまにお正月です。

今朝は、例年通りお雑煮を作り、簡単なおせち料理も並べて家族で元旦を祝いました。

子どもたちも、おじいちゃんやおばさんたちからお年玉をもらってご機嫌な感じ。

毎年恒例なのは、私の実家というか、今は両親も他界し、引っ越しもした弟夫婦のところに新年のあいさつに行くことです。
私は、そこにある母の仏壇に手を合わせること、子供たちはおじさんからお年玉をもらう事が第一目標で、もう一つは弟夫婦がかわいがっているワンコに逢えるのも楽しみの一つです。

弟は、津久井湖の先の山のふもとに住んでいて、かなり広い庭と大きな石造りの家に住んでいて、そこは娘の憧れの場所でもあります。

子ども達の小さい時からいるシーズー犬ムクは、よく娘についてっ回っていましたが、今ではすっかり老犬で椅子の上で丸まって終日ウトウトしているようです。


かわりに、一昨年からこの家の家族になったチョコが、私たちを大歓迎してくれました。


そこでの情報で、10分ほど走るとイルミネーションのすごくきれいな場所があると聴き、さっそく帰りがけに行くことになりました。

もと相模湖ピクニックランド。
今は、プレジャーフォレストというレジャー施設になっていて、年末11月から相模湖イルミリオンという、イルミネーションの名所になっているのです。
入場料は一人500円、駐車場代が500円、4人なので2500円をゲートで払い入場します。
夕方5時前に到着して、5時の一斉点灯を待ちました。

さすがに山の中なので、寒い~。

どんどんと日が暮れて、山の稜線が薄紫に染まるころ、一斉にイルミネーションが点灯します。

      
          

テーマごとにエリアがあって、青いエリアは宇宙のようです。
真中の白いところは、まるで天の川が流れているように見えます。
小惑星がところどころに見え、一面の銀河って言う感じ。

次のエリアに、お城のようなものが見えてきます。



そこからは、シンセサイザーの奏でる魅惑的な音楽が流れてきます。
近づくと、真ん中の黒く見える門の中から、いきなり光のタワーが見えます・・・

中に入ると、もう光・光・光の洪水です。
音楽に合わせて、その光は色を変え姿を変え、点滅を繰り返します。
もう、圧倒的な光と音の饗宴です。
          

500円でこれは、なかなかの物です。
1月9日までは毎日営業で、それ以降は4月まで土日と特定日の営業だそうです。

横浜からでも1時間ちょっとなので、ドライブがてらお勧めですよ。帰りは、やはり恒例になってしまった、つきみ野のレッドロブスターで食事をして、20時には帰宅することが出来ました。

さて、これからの1年、どんな年になるのでしょうか?

とりあえず、新年くらいはポジティブに考えて行きたいものです。