老人(としより)の目(『ある年寄りの雑感』)

「子どもの目」という言葉がありますが、「年寄りの目」で見たり聞いたり感じたりしたことを、気儘に書いていきたいと思います。

東北関東大震災

2011-03-21 15:19:00 | インポート
2011年3月11日午後2時46分に起こった大地震には、津波の恐ろしさをあらためて認識させられた。
津波は、単に海水が陸地に浸入してくるだけのことではない。それの持つ巨大なエネルギーが、地上のすべてのものを破壊しつくして去るのである。津波が去った後の廃墟のさまは、目を覆うばかりである。被害に遭われた方々には、かけるべき慰めの言葉もない。

元暦2年(1185年)7月9日に起こった大地震について、鴨長明が次のように書いている。

 「また、同じころかとよ、おびたゝしく大地震(おほなゐ)ふること侍(はべ)りき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて川を埋(うづ)み、海は傾(かたぶ)きて陸地(ろくじ)をひたせり。土裂けて水涌(わ)き出で、巌(いはほ)割れて谷にまろび入(い)る。なぎさ漕ぐ船は波にたゞよひ、道行(ゆ)く馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舍廟塔(だうしやたふめう)、一つとして全(また)からず。或はくづれ、或はたふれぬ。塵灰(ちりはひ)立ちのぼりて、盛りなる煙の如し。地の動き、家のやぶるゝ音、雷(いかづち)にことならず。家の内にをれば、忽(たちまち)にひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや、雲にも乗らむ。恐れのなかに恐るべかりけるは、只(ただ)地震(なゐ)なりけりとこそ覺え侍りしか。
かく、おびたゝしくふる事は、しばしにて止みにしかども、その余波(なごり)、しばしは絶えず。よのつね、驚くほどの地震(なゐ)、二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過ぎにしかば、やうやう間遠になりて、或は四五度、二三度、若(もし)は一日(ひとひ)まぜ、二三日に一度など、おほかたその余波(なごり)、三月ばかりや侍りけむ。
四大種(しだいしゆ)のなかに、水(すい)・火(くわ)・風(ふう)はつねに害をなせど、大地にいたりては異なる変をなさず。昔、齊衡(さいかう)のころとか、大地震(おほなゐ)ふりて、東大寺の仏の御首(みぐし)落ちなど、いみじき事どもはべりけれど、なほこの度(たび)には如(し)かずとぞ。すなはちは、人みなあぢきなき事をのべて、いさゝか心の濁(にご)りもうすらぐと見えしかど、月日かさなり、年經(へ)にしのちは、ことばにかけて言ひ出づる人だになし。」(『方丈記』)

昔から、地震は人々にとって恐ろしい存在であった。今回は、その上に、放射能の恐怖が加わった。原子力発電については、「想定外」という言葉は許されないのである。あらゆる事態に備えて初めて、核を扱うことが許されるのではないか。


(付記) 
『国民百科事典 6』(平凡社、1977年)の「日本のおもな地震」によれば、方丈記に記された元暦2年の地震は、
   「発生年月日: 1185年8月13日(元暦2年7月9日) 
    地域: 近江、山城、大和 
    マグニチュード: 7.4 
    被害: 寺院、民家の倒壊多く、琵琶湖の水位低下」
とあります。(注に、「理科年表(1977)を参考にして作成」とある。)
因みに、1995年(平成7年)1月17日に起こった阪神・淡路大震災は、
    震度 7、
    マグニチュード 7.3
だったそうです。