桜の花の季節になると、桜の花をうたった詩が思い浮かぶ。
例えば、武島羽衣の「花」という詩は、瀧廉太郎の名曲によって
知らぬ人がいないくらいに、知れわたっている。
春のうららの隅田川、
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る、
ながめを何にたとふべき。
……
三好達治の「甃のうへ」も、愛唱する人が多い。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
……
私の子どもが小学生のときに使った国語教科書に、
「花ふぶき」という題の、次のような詩が載っていた。
サクラの花の散る下に、
小さな屋根の駅がある。
白い花びらは散りかかり、
停車場の中は、
花びらでいっぱい。
花びらは、男の子の帽子にも、
背負った荷物の上にも来てとまる。
この村のサクラの花びらをつけたまま、
遠くの町へ行く子もあるんだな。
待合室のベンチの上にも、
白い花びらは散りかかり、
旅人は、花びらの上に腰かけて、
春の山脈を眺めている。
(詩の表記は、教科書のまま)
いかにものどかな、田舎の駅の桜である。
作者は、阪本越郎。
ところで、こうした形での詩の紹介は、著作権法に触れるのだろうか。
武島羽衣、三好達治、阪本越郎、いずれも没後50年を経ていないので、
まだ著作権が残っている。
夏が来て卯の花が咲き始めると、佐佐木信綱作詞の「夏は来ぬ」という歌が
口をついて出てくるが、この歌はどういうわけか、作詞者のほうが知られていて、
作曲者のほうは、あまり知られていない。
うの花のにほふ垣根に、時鳥
早もきなきて、忍音もらす 夏は来ぬ。
さみだれのそそぐ山田に、早乙女が
裳裾ぬらして、玉苗ううる 夏は来ぬ。
………………
しかし、これもまだ作詞者の佐佐木信綱の著作権が残っているので、
清々と歌詞を紹介することができない。
この歌は、明治29年発行の『新編教育唱歌集(5)』に出ている由である。
因みに、作曲は、小山作之助。
営利を目的としない場合の、こうした詩の全詩の紹介は、
著作権法外に置いてほしいものである。
例えば、武島羽衣の「花」という詩は、瀧廉太郎の名曲によって
知らぬ人がいないくらいに、知れわたっている。
春のうららの隅田川、
のぼりくだりの船人が
櫂のしづくも花と散る、
ながめを何にたとふべき。
……
三好達治の「甃のうへ」も、愛唱する人が多い。
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
……
私の子どもが小学生のときに使った国語教科書に、
「花ふぶき」という題の、次のような詩が載っていた。
サクラの花の散る下に、
小さな屋根の駅がある。
白い花びらは散りかかり、
停車場の中は、
花びらでいっぱい。
花びらは、男の子の帽子にも、
背負った荷物の上にも来てとまる。
この村のサクラの花びらをつけたまま、
遠くの町へ行く子もあるんだな。
待合室のベンチの上にも、
白い花びらは散りかかり、
旅人は、花びらの上に腰かけて、
春の山脈を眺めている。
(詩の表記は、教科書のまま)
いかにものどかな、田舎の駅の桜である。
作者は、阪本越郎。
ところで、こうした形での詩の紹介は、著作権法に触れるのだろうか。
武島羽衣、三好達治、阪本越郎、いずれも没後50年を経ていないので、
まだ著作権が残っている。
夏が来て卯の花が咲き始めると、佐佐木信綱作詞の「夏は来ぬ」という歌が
口をついて出てくるが、この歌はどういうわけか、作詞者のほうが知られていて、
作曲者のほうは、あまり知られていない。
うの花のにほふ垣根に、時鳥
早もきなきて、忍音もらす 夏は来ぬ。
さみだれのそそぐ山田に、早乙女が
裳裾ぬらして、玉苗ううる 夏は来ぬ。
………………
しかし、これもまだ作詞者の佐佐木信綱の著作権が残っているので、
清々と歌詞を紹介することができない。
この歌は、明治29年発行の『新編教育唱歌集(5)』に出ている由である。
因みに、作曲は、小山作之助。
営利を目的としない場合の、こうした詩の全詩の紹介は、
著作権法外に置いてほしいものである。