No.3511 |
昼過ぎに1本の電話。
「鈴木やす子議員さんのお宅でしょうか」
以下、はしょって報告してみると・・・
稚内出身、Tさん。31歳。
母子家庭で育ち、父親の顔は知らず、他に親戚もいない。本人は喘息とパニック障害という持病を抱えている。
その彼を支えて無理を重ねたこともあってか、母親が5年前にクモ膜下出血で急死。それまでの借家にもいられなくなった。
なんとか派遣で職を得て、一人で大阪に移り住んだのが、3年前。しかし持病もあって解雇され、それからは職を転々としながら、ネットカフェやあいりん地区で暮らしてきた。
いよいよどうにもならなくなって、ふるさとの親友を頼って稚内に戻ることにした。
今年の正月は、名古屋のネットカフェだった。たまたま隣のブースには、乳飲み子を抱えた若い母親が夫のDVから逃れてきていたりもした。
東京に入る前、藤沢あたりで見た海はきれいだった。
稚内で生まれ育って、はじめてみる大阪や東京の人の多さには驚いた。それを見ただけでも貴重な経験だったと思いたい。
途中、警察や役所の窓口を訪ねたりもしたが、どこも助けてはくれなかった。
東京の上野で、ある政党にも電話してみた。そしたら「そのあたりで死ぬ準備でもしていれば、誰かが何とかしてくれるだろう」と切られてしまった。政党というものも信用できなくなった。
北へ向かってたどりついたのが、たまたま北茨城市。ただし本人は、いったいどこなのかもわからなかった。
もう3日も食事をしておらず、JRの駅でも相手にされず、もはやこれまでかと観念しかかって、ふと頭をかすめたのが去年の選挙。非正規雇用の若者を守れと演説をしていたのが共産党だった。
話を聞いてくれるかもしれないと思い、市役所を訪ねた。議会事務局の窓から見えた海がきれいだった。もう海に入ってしまうつもりにもなっていた。最後の最後に、助けてもらえるという期待もなかったわけではないが、それよりも「自分のような目にあう人をつくらない社会にしてほしい」と訴えたかった。
「すいません。こんなご飯食べるの久しぶりだから、お母さんを思い出してしまって・・・」
と、涙をぬぐう。
飛行機に乗せてやるか、車で送っていってやるか・・・。しかし、パニック障害の発作が心配だから鈍行列車で帰りたいと強く固辞するので、北海道フリー切符にする。
ふるさとで待ってくれている親友ともしばらく連絡が取れず、心配していると思う。難聴で電話は使えないので、メールアドレス・・・。
少しでも北に近づきたいというTさん。時刻表を持たせ、大粒の春の雪が舞う福島県いわき駅まで送った後、さっそく友人の方にメールを送った。
はじめまして。
茨城県北茨城市の鈴木と申します。
きょうTさんが、うちに立ち寄りました。
少しゆっくりしてもらいたかったのですが、
先を急ぎたいとのことで、送り出しました。
親友のJさんに連絡しておいてほしいとのことでした。
とりいそぎメールを送らせていただきます。
また、何かありましたら連絡いたします。
夜中に返信が届いた。
初めまして。北海道稚内のJと申します。
Tの事は最近連絡もなくずっと心配していたので、鈴木様のご連絡で無事という事が分かってホッとしました。
助けて頂き有難う御座います。
Tと私は高校時代からの友人でして、既にお聞きしたかとは思いますが、私は生まれつき難聴の障害を持っておりまして、
小、中とイジメを受けて来た為、高校時代も一人でいようとクラスメイトになじめないでいた私をTはずっと話しかけてきてくれて、小学校から高校までの間でようやくできた大事な友達なのです。
本来ならば、迎えにでも行ければ良かったのですが、シフト制の仕事な為、なかなか休暇が取れずに自分の力のふがいなさを悔いていました。
仕事、家の面でも、私が責任を持ってTの世話を自立出来るまで支援することをお約束致します。
また何かありましたらご連絡お願い致します。
と、とりあえず中間報告。(つづく)
|
南もすばらしい
命どぅ宝