日刊「NOCUSる」

たとえば5年後、あなたは何を食べている? それは、どこで誰が作る?

2007-07-29 | ひと

どうぞ読み飛ばしてください。
私信ですらない、つぶやき。


ある「偲ぶ会」で。
映されたスライドの中の1枚が気になって、
帰ってきてから探してみたら、やっぱり!
うちにネガがあった。撮ったのは25年ほど前・・・
本人にもプリントは渡してたんだなぁ。


ちかく発行されるという追悼文集に寄せた
拙文だけど、


 山中式ムービング案山子(かかし)

 都立大学B類人文学部での先輩後輩。ともに茨城県人で、農家の出身という共通項があった。思い出すのは、古い学生会館の一室。あるとき、それぞれの関わりで農業を自慢しあったことがある。
 私のほうから何を言ったのかは覚えていない。いっぽう、彼が偉そうに話してくれたのは「ムービング案山子」。実家で農業を継いでいる彼のお兄さんが考案・製作したという画期的?な案山子のことだった。自動車のワイパーの部分を利用して、腕が動くようにした案山子を作り、それが地元紙だか農業新聞だかの記事になったというのだ。
 たぶん当時は、農業という仕事、あるいは茨城という田舎に、いわば見切りをつけて東京に暮らしていたはずだった。彼も、もちろん私も。それなのに、自分と農業との関わりや農業への思い入れを披瀝しあったのだ。どんな拍子だったのだろう。
 大学を卒業して10年は過ぎていたろうか、それぞれが郷里に戻って、それぞれなりの居場所を開きつつあるころ、再び出会うことができた。そして、農業や地域というキーワードを共有することができることもわかってきた。
 あらためて面白いつきあいができるようになった。なのに、さっさと逝かれてしまい、憎まれ口をたたくこともできなくなってしまった。
 おいヤマナカ、例のモヤっぽい髪の毛、そろそろ閻魔様に見つかって切られでんだっぺ。




ともに夜間部で学んだ年月。それよりも
ずっと永いときは過ぎて。偲ぶ会では、
彼の人となりが、こもごも語られた。

故人が寄せたと、ある図書館の館長さんが
涙をこらえながら紹介していた文章・・・
検索したら見つかった。→こちら
下記は無断転載。



   伝えることの大切さ
   ―あるいは『父と暮せば』の事―
               山中 治雄
 今年は戦後60年の節目の年であり、あの惨劇ヒロシマ・ナガサキからも60年である。かつて、戦後50年の時も、多くのメディアが「戦後」を問い直したことがあった。そして、それから10年。何が変わって、何が変わらなかったのだろうか。日の丸・君が代は法制化され、現在石原都政下では、日の丸に不起立した教職員が処分されている。また自衛隊はついに海外まで派兵されるまでに至った。更に、「愛する心」を口実に戦後教育の精神的支柱としての教育基本法が「改正」されようとしている。また、憲法論議も盛んである。思うに、ここ1、2年の間、戦後平和運動及び教育の真価が問われようとしているのではないだろうか。
 さて昨夏、東京・神田神保町岩波ホールで黒木和雄監督の映画『父と暮せば』を観た。映画は言うまでもなく、井上ひさし原作の名舞台の映画化である。
 1945年夏、広島。図書館に勤める一人暮らしの娘・美津江は、原爆で生き残ったものとして負い目を抱き、幸せになることを拒んでいる。そこへ、父・竹造がひょいと現れる。(実は、原爆によって死んだ亡霊なのだが。)父・竹造は、どうにか後ろ向きな生き方をしようとする美津江を諭し、勇気づけようとする。また、大学教員をし、原爆資料を収集している青年・木下が美津江に思いを馳せる。(劇では、青年・木下は登場せず、美津江と竹造の二人芝居である。)つまり、美津江が生き残った被爆者であり、竹造が原爆で亡くなっていった者であり、木下が一般日本人で、それぞれの思いの代弁者なのであろう。市井の一人の娘の悲しみを人類共通の悲しみとして受け止め、引き継いでいく。ラストシーンは、静かながら圧巻である。

 竹造:「そいじゃけえ、おまいはわしに生かされとるんじゃ」
 美津江:「生かされとる?」
 竹造:「ほいじゃが、まことあよなむごい別れが何万もあったちゅうことを覚えてもらうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそげなことを伝えるところんとちゃうんか」
 美津江:「……」
 竹造:「人間のかなしかったこと、たのしかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。それも分からんようだったら、…(以下略)」

 何をどう伝えていくのか。教育学的には、“何を”は教育内容論であり、“どう”は教育法論と言うことになるだろう。また、教育は価値の実現だとも言われる。図書館も例外ではない。決して教師のように声を枯らして大声を出すわけではないが、図書館は、ただ資料が静かに座っているだけである。しかし、その資料のひとつ一つに職員の「伝えるべきこと」への熱い思いが語りかけているのである。最後に、県西地区も、ここ10数年、図書館オープンが相次いだ。建物も立派である。しかし、私の胸の中では、明野町立図書館は、小さいながらもいつもキラリ!と光っているのである。
(やまなか・はるお/図書館サポーター八千代町在住)



合掌。