気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

清六さんのこと

2020-01-31 20:15:00 | 昭和レトロ
NHKの「チコちゃんに叱られる!」を見ています。
「コロッケはなぜ肉屋で売られている?」を見てなるほどと思いました。
阿部清六さんという洋食のコックが、肉屋に転身した際に出来たメニューなのだとか。
清六さん、気前が良くて、同業者に無償でレシピを教え、見る見るうちに全国に広まったらしいです。
私も、肉屋のポテトコロッケが大好きです。
これは、清六さんに感謝しなければね。



清六さんと言えば、思い出すのは斉藤清六。
欽ちゃんファミリーですよね。
40年くらい前に放送していたテレビ朝日の「欽ちゃんのどこまでやるの!」。
皆さん覚えていますか?
伊那市出身の放送作家・大倉利晴氏も構成陣の一員でした。
見栄晴とか、のぞみ・かなえ・たまえが、萩本欽一と真屋順子の子供でしたね。
藤本正則が見栄晴に芸名を変更したのもこの番組。
のぞみ・かなえ・たまえの高部知子・倉沢淳美・高橋真美が「わらべ」というユニットでデビューしたことも懐かしいです。



NECがスポンサーだった影響で、茶の間にはNEC製のテレビがいつも置いてありました。
そのテレビ、突然映り「たよりないアナウンサー」役でニュースを読んでいたのが斉藤清六。
「村の~、時間の時間です~」というフレーズが今でも耳に残っています。



今から20~30年前、たまに大阪へ吉本新喜劇を見に行っていました。
竣工したばかりのなんばグランド花月(NGK)ですよ。
あるとき、隣の席で新喜劇を見ている男性が声を出して笑っていました。
ん!?どこかで聞いたことのある笑い声。
野球帽を被ったその顔を見ると、なんとなんと斉藤清六でありました。
思わず尋ねてしまいました。
「あの~、斉藤清六さんですよね?」。
そしたら「そうです」の返答。
驚きましたね。あの広いNGKで隣の席に清六さんですから。



今度は、15年ほど前の話です。
当時、東京都清瀬市に住んでいた私。
女房と不仲で、とにかく家に居たく無かった時期です。
仕事帰りや休日は、野球観戦ばかりしていました。
あの年見た野球は、プロ野球1軍・2軍・マスターズリーグ・アマチュア、全部合わせると年間100試合くらいだったと思います。
西武ドームに近かったので、良くドーム(当時はインボイスSEIBUドーム)に行ってましたよ。
「クラブ野球選手権大会」という全国大会も毎年西武ドームで開催でしたね。
その大会に、萩本欽一監督率いる「茨城ゴールデンゴールス」が出場していました。
私も観戦に行きましたよ。
勝ったか負けたかは忘れましたが、帰りの西武電車の中でのこと。
私の横に座ったのは、またもや斉藤清六でありました。
きっと、欽ちゃんの激励に訪れたんでしょうね。
もうあの頃は、殆どテレビに出ていなかったので、誰も気づかず---。
以上、大阪難波と埼玉所沢で、二度も斉藤清六が隣に座ったというウソみたいな話でした。


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