家制度と家族、ジェンダー
言葉に残る男尊女卑の儒教文化
日本語は、習得が難しい言語と言われています。漢字、ひらがな、カタカナ。漢字も音読み、訓読みがあるし、長音、濁点。カラスとガラス、おばあさんとおばさん。敬語も丁寧語、謙譲語、尊敬語の使い分けは難しすぎる。日本語は、書いてもしゃべっても主語や目的語は省略しちゃうことも多く、伝わりにくい。
気になるのは、日常言葉に明確なジェンダーがあること。女性語、特に終助詞。小津安二郎の映画なんて「そうですわ」「○〇ですのよ」「できますかしら」「女ですもの」「お話しあそばせ」「素敵よ」とオンパレード。言葉の上にやたら「お」をつけるのも女性だ。「おうどん」「おみかん」「お化粧」。
今は、言葉も中性化してきているけど、女性は嫌なことにたいして、例えば電車の痴漢に「やめろ!」という拒否じゃなくて、「やめてください」とお願い言葉になっちゃう。
外国映画では「NO!」と男女の区別がないのに。日本では女性は下位の者として黙っているか、モノをいうにしても、ご機嫌をうかがいながらお願いしてみるスタンス。
漢字も女へん(や、つくり)は、「嫁」「姑」「妾」。そして「家内」という言い方。いやらしいのは「未亡人」。夫が死んでもまだ死なないからだって。それに女と限らないのに「嫉妬」。これらぜ~んぶ、男尊女卑の儒教文化では美徳なんだよね。
夫が希望する呼ばれ方
いまだに、夫のことは「主人」という女性が多い。「主人」は嫌だと、「連れ合い」「夫」「旦那」。最近は「相方」とか「パートナー」というのもあるが、夫婦仲が悪いと違和感がある。なかには、妻のことをわざと「主人」と紹介したり、夫のことを「うちのおっさん」と言う人もいるが、誤解を招く。英語だと、ハズバンドとワイフ。バイデン大統領が演説の冒頭で「私はジルの夫です」と言っただけで好感度アップ。
英語では、30年近く前からmanで終わる単語は、言い換えたり、manをpersonに変えたりしている。チェアマンはチェアパースン、ポリスマン→ポリスオフィサー、ファイアマン→ファイアファイター、メールマン→ポスタルワーカー、カメラマン→フォトグラファー 。
言葉というのは、社会を映す鏡。社会通念が人々の意識を固定化する。
実は女性は夫のことを「主人」と言いたくないのが本音なんですよ。女性に「あなたのご主人は…」と言わないようにしてください。たとえば「あなたのお連れ合い」とか「あなたのパートナー」と言って、ジェンダーフリーをアピールしましょう。
明治民法の家族
若い人でも結婚することを「入籍する」と表現したりします。入籍とは女性が男性の籍に入ること。日本の戸籍制度は1871年(明治4)に制定されました。明治政府が税金を徴収したり、兵隊に徴用するために、ひとつ屋根の下に住む者を登録する制度で、その長を「戸主」として住民登録したのが始まり。実は戸籍法があるのは韓国と日本くらいのもので、韓国の戸籍は個人単位の登録制度ですが、日本は家族単位。
1898年に明治民法がつくられ、市民(私人)間の関係についての取り決めであり、家族共同体を「家」制度として法制化したもの。モデルとしたのは武士階級の封建的な家族制度で、儒教的な倫理規範(忠、孝など)が基礎となっている。
民法の家族の概念は「戸主の親族にして其の家にある者及び其の配偶者を家族となす」。
六親等内の血族、配偶者、三親等内の姻族と範囲がきまっている。具体的には血族がまたいとこまで、姻族はおい、めいまで。すごい大家族。戸主は男性で、引退するとその長男に家督相続される。結婚すると妻が夫の戸籍に入る。妾(めかけ)の子どもは男子であれば「庶子」として入れてあげるが、女子はダメ。
(血族と姻族)
戸主は絶対権力で、家に入るのも出るのも戸主の同意が必要。外に住む場合も戸主が指定した場所。婚姻や養子縁組も戸主の同意を得る。結婚も居住の自由もない。結婚は家同士の嫁のやりとり。「嫁にもらう」という言い方はその名残り。女性が結婚して家に入れば、その直系家族である夫の両親や祖父母への扶養の義務が発生する。
「子どもを産まない」「家風に会わない」嫁は実家に帰される。子どもを産むまで入籍しない足入れ婚も存在した。
戸主と家族との関係。家の財産は戸主個人の財産であり、農業や自営業などの稼業は家族のアンペイドワーク。戸主は家族を扶養する義務を負うが、服従しない家族を扶養しないで外に出すこともできる。
夫と妻の支配服従関係
女性は結婚して妻になったとたんに「無能力者」とされる。無能力者とは、
①20歳未満の未成年者
➁禁治産者(心神耗弱者、ろうあ者、盲者、浪費者など)
③禁治産者の認定を受けたもの。
根拠として「妻は精神的弱者ではないが、無能力者とし、一定の行為には夫の許しを要する。妻は夫の意思を尊重して夫に従え、家庭の平和を維持せんがためである」。
儒教では「夫を天とも仰げ」という教え。平塚らいてうは同棲していた相手がいたが婚姻届は出さず、事実婚で生まれた子どもを未婚の自分の戸籍に入れて「私生子」として育てた。
夫は妻の財産を管理する権限を持っていた。妻のものは夫のもの。夫は「主人」で、妻は「奴隷」だから権利がない。今でも女性は断り切れない案件の決断をかわすために、「主人に聞いてみます」と言って納得してもらうことができる。
離婚の不平等
家制度のもとでの夫婦関係。離婚原因の不貞行為について、妻は「姦通をなしたるとき」、夫は「姦通罪に因(よ)り刑に処せられた時」。しかも他人の妻との性関係は姦通罪になるが、独身女性相手だと姦通罪にもならないし離婚理由にもならない。男が複数の女性と性関係をもつのは「甲斐性(かいしょう)」だからね。
その他、妻には相続権がない。母は子どもの親権者になれない。
世帯主の弊害
今の「世帯主」は、家制度の「戸主」の名残りで、憲法の「個人の尊重」や「個人の尊厳」とは相反するものだ。しかし、実際は健康保険や税金など世帯単位の制度が存在し、弊害が多い。
たとえば別居中の妻が児童手当を受けられない。会社の扶養届も世帯主でなければもらえない。コロナの給付金も世帯単位だからDVで避難している母子には届かない。
そして、世帯主は97%が男性。女性は3%。私は、夫の収入より圧倒的に収入が多かったときに、私を世帯主とし、夫を扶養控除対象にしようとしたら、会社からも税務署からもあれこれ質問攻めにあった苦い経験がある。
社会通念としての「世帯主は一家の大黒柱」、「世帯の代表者」、「家計を稼ぐ者」というのは根深い。
戸主だけでなく家族の個人としての自由な生き方を妨げていると思う。
また、家という一括りで「家柄がいい」とか、「いやしい家系だ」とか、被差別部落への容赦ない差別とか、国会議員の立候補に家系をひからかすとか、「家」などというわけのわからない「伝統」を深く考えないで、安易に同調していないだろうか?
今、改憲の動きのなかで、個人の尊重、尊厳よりも「家族」を重視する動きが強まっている。その「家族」とは、家制度のなかの「家族」である。
安倍政権以来、与党内で力をもつ宗教右派の日本会議の機関紙「日本の息吹」の表紙を紹介しよう。
(日本の息吹)
この表紙に描かれた家庭のノスタルジー。「夫婦別姓にすると家族が壊れる」という自民党が理想とする家族。でもどこまで古いんだ。
今は、家族と同居していない1人暮らしは約30%で割合がいちばん多い。
家族で住んでいても共稼ぎ率70%。三世代同居率10%以下。戦後を振り返っても、サザエさん一家は2世代で妻の親族同居。クレヨンしんちゃんは核家族。ドラえもんは核家族で一人っ子。名探偵コナンは家族崩壊で別居、分散家族。
家族は多様化している。国家が家族はこうあるべきというのは、明治民法時代の発想です。次回は明治民法のイデオロギー批判をして、戦後の家族の変化と家制度の残滓について、書いてみます。
これから7月のテーマは家制度です。(koki)
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