隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1554.巨人の磯

2015年10月19日 | 短編集
巨人の磯
読 了 日 2015/09/27
著  者 松本清張
出 版 社 新潮社
形  態 文庫
ページ数 249
発 行 日 1977/05/30
書籍番号 0193-110940-3162

 

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いこの前まで、暑い暑いと言っていたのが嘘のように、朝晩は肌寒く感じるようになった。歳をとると暑さ寒さを感じにくくなるというが、僕は反対に暑さ寒さには強いと思っていたのが、暑がりの寒がりになってきた。そんなところも僕の天邪鬼なせいか、などと思うがまさかそんなことはないか。
カミさんと近くのスーパーに買い物に行くくらいしか、外に出ることがなくなり、運動不足を補うために少々のストレッチなどを実行しているが、健康寿命を延ばすのも大変だ。

折を見ては松本清張氏の作品を読み返すようにしているが、若いころ夢中で読んだ当時とは違い、なかなか進まないのが現状だ。もうそのころ読んだ内容はほとんど忘れているから、読んでいて「ああ、これは読んだな」というくらいの記憶だ。
その当時はただただ面白さにかまけて、よく内容を吟味するほどではなかった。と、偉そうなことを言っても、今だってその傾向はあまり変わらないか。
下表のようにこの短編集は、1970年代初めに小説新潮に発表されたものをまとめたものだ。
僕は松本氏の長編も好きだが、短編には凝縮されたミステリーの面白さが詰まっている、という感じを受けて好きだ。松本清張氏の作品ほど映像化されているものは類を見ないだろう。多くの脚本家によるドラマや映画への脚色は、様々な映像を生んでファンを魅了しているが、1992年に惜しまれながら亡くなった後も、作品の映像化はますます植えて、先日僕は所蔵している録画のDVDやブルーレイ・ディスクを数えたら、100枚以上もあることに改めて驚いた。 中には同じタイトルが違う監督や俳優によって、何度も繰り返し映像となっているものもあって、そのストーリーやテーマがクリエイターたちの、想像力や創造力を刺激していることが良くわかる。

 

 

僕が松本清張氏の短編の好きなところは、ラストの突き放したような終わり方だ。例えばあまりいい例えではないが、アラン・ドロン氏のデビュー作でもある「太陽がいっぱい」のラスト。官憲の手が背後に迫ったところでの“Fin”のマークが出てくるシーンは、見るものに想像という余韻を残す。
清張氏の短編にはそれを思わせるラストがいくつもあって、もう事件の犯人が捕まるのは時間の問題だ、そうわかるところで終わるのだ。そうかと思えば、事細かく逮捕に至る過程が示されるストーリーもあって、ストーリーによってその手法を自在に使い分ける。
本書ではそう言ったこととは別に、歴史的な事柄や昔からの伝説への関心が随所に現れて、歴史に疎い僕にもなるほど思わせる作品がそろっている。もっともそうした意図でこの短編集も編まれたものかもしれないが…。

 

 

初の表題にもある「巨人の磯」では、茨城県大串貝塚に伝わる、巨人伝説(大串貝塚ダイダラボウ)と事件を絡み合わせたり、最後の「東経百三十九度線」では、一時期マニアならずとも話題になった邪馬台国に関わるエピソードを絡ませたりと、読み応えのあるストーリーを作っている。
僕は最近CS放送で見た“木星号事件”の真相に迫るドラマ「風の息」(1982 ANB)を見たことを思い起こした。松本氏は古くから古代史であるとか、昭和史発掘などという歴史的事実を掘り起こして、検証するとともに小説として書き起こしてきた。それこそ昭和の巨人とも目されるゆえんだ。
僕は本書を読みながら、そうした著者の偉大なる業績を思いながら、若いころとはまた違った作品への思いに感慨深くなっている。

 

初出(小説推理)
# タイトル 発行月・号
1 巨人の磯 1970年10月号
2 礼遇の資格 1972年2月号
3 内なる線影 1971年9月号
4 理外の理 1972年9月号
5 東経百三十九度線 1973年2月号

 

 

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