降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

●朝日新聞は800 万部を切った←他社はもっと後退。

2008年10月15日 | 新聞
【写真は本文と関係ありません】

新聞部数減と広告費減が、止まらない止まらない止まらない止まらない。
販促費豊富な勝ち組・朝日、読売すら歯止めがかからない。朝日は死守ライン800万部を切った。

販売店への押し紙が多すぎ、本当の部数が分からないのだ(←これ本当。本社販売部でさえコントロール不能)。
以前は約一割と言われていた(←つまり、以前の朝日なら800-80で720万部ぐらいが推定部数)が、最近では四割の社も(と聞いた)。販売店も青息吐息なのだ。

読売も1000万部を切り、朝日も700万部台に落ち込んだけど、以下の社はもっと大幅後退。
ある社は「紙を出す新聞社をやめ、通信社になったほうがいいのでは」という話が社内で実際にあったというけど、となると、僕たち編集部門はどうなる?

●三浦和義元社長と闘った編集局長は絶句した。

2008年10月13日 | 新聞
「彼が自殺した。信じられん」と、僕の新聞社の元編集局長は言った--三浦和義元社長(61)=写真=とさまざまに格闘した人だ。

三浦元社長は2003年、日本で無罪を勝ち取る前から、拘置所などから新聞社などメディアを名誉毀損で540件以上訴えた。
で、当時、社内担当されたのが同元編集局長で、拘置所や平塚などで会い、いろいろ話したという。
なぜか元社長からは何回も手紙が来た、という。

元社長の、新聞社など対メディア勝率は8割という高率で、総額5000万円以上は手にしたはず、という。
「私も記事や裁判でやりあったけど、彼(三浦元社長)はもともと裁判や法律が好きだったのではないか」と元編集局長。

元社長遺体の収容場所が一美さんと同じロスの病院だった--という因縁は、何を意味しているんだろう。

●京都錦市場が壊れていく?

2008年10月12日 | 新聞
先日、京都の台所・錦市場に行って驚いた=写真。今は松茸や京茄子などが店頭を色づかせている。
だけど、最近買い物に来るたびに思うのだ。
――なぜ、たこ焼き屋やドラッグストアがある?

メリヤス下着屋、シューズショップ、ジャンクフード、飲み屋…なんだか分からないけど、錦市場に関係なさそうな店が増えている。
京都の知人は「食べ歩きのスタンド練り物店にはビックリしたわぁ。京都で歩きながら食べるなんて、私らのころは考えられへんかったわ」。

かなり地権が複雑なんだろうけど、ある程度の出店規制は必要では――と、打田の漬け物をパクパク試食しながら、いつも思うのだ。

●ここも詩人・中原中也の愛の下宿!=京都編3

2008年10月10日 | エンターテインメント
【中原中也追っかけシリーズ第3回=10月08日の続きです】

たぶん、中原中也(17)と長谷川泰子(20)が、この椿寺(写真=京都・上京区)を訪れ、2人で何かをお願いしたはず。
2人は当時、中也17歳、泰子20歳。
この椿寺南にあった中也の下宿(現在はありません。京都らしく映画用かつら工房がありました)で、マキノ・プロをクビになった泰子と同棲したのだ。
やるねぇ、ダダイスト。

中也は、小林秀雄らに泰子のことを
「そばにおいといて邪魔にならない女なんだ」
と言っていたという。
中也17歳で、このセリフ。言ってみたいよぉ。詩人は違いますねぇ。

【参考】角川文庫ソフィア『中原中也との愛/ゆきてかへらぬ』長谷川泰子/村上護編/

http://chuya-ism.cocolog-nifty.com/blog/

●「五木親鸞」効果ですね!地方紙微増の秋。

2008年10月09日 | 新聞
各地方紙での連載開始から1か月が過ぎた「小説・親鸞」(五木寛之)が面白い=写真は京都・六角堂頂法寺の親鸞聖人像。
いまどき新聞小説を読みたいから――と新聞購読が増えたというのは奇跡ではないか?

浄土真宗王国の北陸、近畿地方で掲載紙の購読申し込みが数百あった、という。
真宗グループは日本最大1200万門徒集と言われるから数%が購読に動いても、このご時世、地方紙にとってはおいしい。

奈良、京都の知人も奈良新聞、京都新聞を定期購読しはじめたという。
「いやぁ、なかなか面白いですなぁ。挿し絵もよろしい」とは、奈良の元放送ジャーナリスト。朝日新聞を購読中断して奈良新聞にしたという。
――新聞小説で部数増になるなんて、事件です。

●ここも中原中也が住んだ街!=京都編2

2008年10月08日 | 新聞
【中原中也追っかけシリーズ第2回、10月6日の続きです】
夭逝の天才詩人・中原中也を探しに、初秋の京都を歩いた。

立命館中学に転入したばかりの中也が下宿した左京区聖護院西が、現在の八つ橋西尾老舗のあるあたり=写真。
中也も八つ橋ニッキのにおいを嗅いだのかも?

当時16歳(大正12、1923年=関東大震災)の中也少年はここから現在の大谷大学がある立命館中学まで通っていた(と思う)。けっこうある…僕にはきつそう。
すぐ近くに東山が迫り、大文字送り火を見たのかも知れないね(←短期間に洛内転居を重ねているので、たぶん違うところで見たはず)。

関係ないけど、聖護院といえば蕎麦の河道屋養老があり、近所の御殿荘は中坊公平さんの旅館なのだ。高校の修学旅行はココ、御殿荘でした♪( ̄▽ ̄)ノ″

――で、次回は中也と長谷川泰子が同棲した椿寺周辺を探るのだ。続くぅ。
【参考=角川ソフィア文庫『中原中也との愛/ゆきてかへらぬ』長谷川泰子/村上護編】

●ここが中原中也が住んだ愛の下宿!=京都編1

2008年10月07日 | エンターテインメント
ランボーばりの黒ハット、黒いつぶらな瞳が印象的な天才詩人・中原中也。ダダイズムの詩とともに、最近マイブームなのだ。
京都で、彼は何を見たのか、何を感じたのか?
知人と町田康パンク侍に勧められ、中也を秋の京都に訪ねた。

まず、中原中也が立命館中学(注Ⅰ)時代に住んだ、長谷川泰子(注2)との下宿。
現在も御所北東の今出川界隈にあった(当然建て替えられているけど)=写真。二階の掃き出し窓「スペイン窓」が当時を偲ばせる…とはいえ、普通の民家。窓に置かれたガラスマイペットのボトルが生活感を感じさせる。

ここに住み、中也16歳は何を見たのか? --まあ当然、鴨川を泰子お姉さんと歩いたんだろうね。でも、16歳ですよぉ、やるねぇ早熟詩人。

京都には他にも中也の住んだ下宿があるので、ストーカー(?)のごとく追っかけた←オジサンが中原中也を追っかけてナニになる? という声は右において)))ポイッ。
--続くぅ。

注Ⅰ=立命館中学は当時、現在の大谷大学付近にあった。
注2=マキノ・プロの大部屋女優。広島から「大空詩人(?)永井さん」と京都に来た。表現座で中原中也と出会い、下宿に誘われ同棲。のち、日本批評の大家・小林秀雄とも同棲し中也と奇怪な三角関係に。
【参考=角川ソフィア文庫『中原中也との愛/ゆきてかへらぬ』長谷川泰子/村上護編】

●京都の紅葉はまだですよぉ←当たり前。

2008年10月06日 | 新聞
秋の紅葉狩りの「下見」に、京都に来た。新幹線京都駅に降りると、風がやわらかく秋の気配がほんの少しだけ感じられた。

中京区の烏丸~河原町通を歩くと、店のディスプレイは楓の紅葉バージョン。四条通のジュンク堂書店には2009年の手帳コーナーも。早いねぇ。もう年末年始!

池坊本部横の六角堂頂法寺=写真。親鸞聖人の夢告伝説があり、初代住職は小野妹子という由緒ある寺。僕の好きな寺の一つなのだ(←拝観無料だし…)。

御所まで歩いたけど、当然木々は色づいてもいません←当たり前ヾ(・ε・。)。
朝夜の気温が8度以下にならないと色づかないというから、あと1か月ほどかぁ。お楽しみはこれからだ。

●新聞購読料値上げが来るぞ。

2008年10月03日 | 新聞
夕刊紙が即売10円値上げした=写真は130円に値上げした日刊ゲンダイ。
朝刊紙でも購読料値上げが検討されている。

最大収入源の広告代は落ち込み、新聞用紙は17%アップ、運送費は18%上がり、購読家庭は減少…。
毎日新聞の北海道地区、秋田魁新聞などが夕刊を廃止したけど、ぶっちゃけ、大都市以外どの社も廃止したいのが本音。
産経新聞東京本社は英断なのだ。

--で、いつ? いくら? 新聞界勝ち組ANY(朝日、日経、読売)の動向次第だけど、年明けか…。

●敷金の「特約」に気をつけろ!

2008年10月02日 | エンターテインメント
【写真は本文と関係ありません】

転居に伴い、敷金返金を管理会社に要求した。ん? 契約書の最後に小さく「特約」として「ハウスクリーニング代金負担」とあった。
特約と来たかぁ!

以前も書いたけど、国交省や自治体(僕の場合は東京都)賃貸契約ガイドラインでは、リフォーム費用・ハウスクリーニング費用は「貸し主負担」なのだ。
ところが、最近は管理会社や貸し主側が「特約」としてリフォーム費用負担を求めてくることが多くなった。

まあ、対抗手段もあるんだけど、数万円で簡易訴訟を起こすのも割が合わないし…。
早い話、特約をつけられちゃえば、ガイドラインなんか有形無実なのではないか。どうする? 国交省。