降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★大沢在昌さんは中日部長だったかも⁈

2014年03月10日 | 新聞/小説

【 3月6日付の続きのよーな、続きでないよーな…… 】
アノ人の転機は、いつ、どんな時だったのだろう。
『作家の履歴書』(KADOKAWA・角川書店編集、1,365円=写真 )を見ていたら、また大沢在昌さん(58)のページで止まった。

大沢さんの父親が、中日新聞名古屋本社の社会部長、常務、東京本社代表など歴任されていたことは知っていたけど、
同書中「衝撃的2行」にビックリした。
以下、同書から引用します。

「親父は新聞社に勤めていてリベラルな人間なんだけど、作家になるってことだけは反対してて。
夢に取りつかれてダメになる人間のことをよく知ってたんでしょう。
親父が死んで、四十九日が済んだときに、病院に通いながら書いていた作品が小説推理新人賞を受賞します。皮肉なもんだと思ったよ。
新聞社の社長さんがうちにいらっしゃいと言ってくれていたけど、就職は断りました。」

中日新聞にいらっしゃい、と社長が入社のすすめ(→当時の社長は、どなただ? 笑)【 注・下段】
もし、もし、もし、もし、大沢さんが断らずに入社されていたら……………
いまごろ中日新聞or中日スポーツ整理部長かも⁈ ( ←整理部には行かないだろ、笑 )
父子2代、中日新聞社会部長かも⁈
本がお好きだから、東京新聞文化部長かも⁈
あるいは、校閲部長かも⁈
書くのがお好きだから、今ごろ論説委員かも⁈
………人の運命・転機は、ほんと分からないもの( でも大沢さん、中日新聞に入っても小説は書かれていて、直木賞はとっていたに違いないと思うのだ )。

【 社長が入社のすすめ=しゃちょうがにゅうしゃのすすめ 】
昭和のころは、新聞社縁故入社はかなりあった( 枠があったし )。
大沢さんのケース。当時23、24歳。たぶん形だけの試験→役員面接→本社入社だったのではなかろーか。
事実、僕の知り合いはとある新聞社の社会部長の息子で、父親が亡くなったあと突然入社、なぜか整理部に来た。



(・ω・)ノ