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「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★整理部に徒弟制はない=「北海タイムス物語」を読む(157)

2016年08月24日 | 新聞

(8月18日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第157回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。



【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼秋馬(あきば)=北海タイムス整理部部員。眼鏡をかけたガニ股で、空手愛好者
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 354ページから 】
僕が頭を下げると、金巻さんが涙眼❶になった。
「おまえ、いいやつだな。困ったことがあったら何でも言ってこいよ」
「正直いって、僕、秋馬さんみたいに暴力的な人、好きじゃないんです。だからあんなふうに腕力が欲しいって考えなくてもいいと思うんです」
この人ならわかってくれると思った。
「そっか……。秋馬は不器用なんだよなあ。あいつは俺の弟子なんだよ。俺について整理習った❷んだよ。
俺はけっこう面白がって見てるけど、整理部では秋馬を嫌ってる先輩たちも多いんだよなあ」
僕と同じ感性の人たちがたくさんいるということにほっとした。
「よし。夕刊まで時間があるから区役所か消防署の食堂で朝飯❸食うか」
「いえ……かなり眠いんで、一度家で寝ます」
申し訳ないと思ったが、これ以上付き合うと頭がパンクしそうだった。
整理にきてまだ一日と数時間しか経っていないのに、社会部研修二週間以上の濃密さだった。



❶涙眼
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」では、
(眼=漢字表にない音訓)
➡︎目、目新しい、目当て、目移り、目が据わる、目が出る、目が離せない……

新聞表記上ではつかえないので、校閲部は「涙目」にしてしまうところ。
ちなみに、相田みつをさんは
「なみだで洗われたまなこはきよらかでふかい」
という。相田節、全開なり。

❷あいつは俺の弟子なんだよ。俺について整理習った
整理部に徒弟制はない(いくらなんでも平成ですよ)。
秋馬くんが新入社員で来て、たまたまついた先輩整理が金巻デスクだった、ということ。
師匠・弟子という上下関係は無いけど、割り付け(レイアウト)のクセは、不思議に似てしまうことがあるので要注意なのだ。

❸夕刊まで時間があるから区役所か消防署の食堂で朝飯
札幌で発行している「日刊6紙整理部対抗朝野球大会」試合後だから、午前9時ごろか。
当時(1990年)の北海タイムスは夕刊1版制(=複数版をとらない)だったので、社に上がる午前10時30分〜11時ぐらいまで、かなり時間がある。
ファミレスやカフェで朝食をとるのではなく、区役所・消防署の職員食堂に行こうというところに、当時のタイムス社員の経済事情が読み取れる……。

———というわけで、続く。

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