降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★元スポーツ紙の整理記者だね。

2016年08月19日 | 新聞


以下は
「ソレが、どーした?」
「だから、どーなのだ?」
——の話。

写真の紙面を見て、
「あ、系列スポーツ紙の整理部にいた人だね」
と思った。
8月17日付東京新聞(中日新聞東京本社発行)最終面「TOKYO発」。
一般紙の紙面構成はシンプルがいいのだけど、同紙面には随所にスポーツ紙のクセが見える。

❶カザリモノやザブトンが多い
ハートマーク❤️が乱舞している。
記事バックにはシアン、イエロー、グリーン、マゼンタのボカシ(グラデーション)ザブトンが敷かれている。
ページを開いて食指が動かないのは、落ち着かない構成だからだろうか。

❷とにかく100%
小見出しや、下段のM(マゼンタ)100%指定が何となく重たく感じる。
スポーツ紙レイアウトはY(イエロー)やMの100%や、C60+M40%で
〈目立ってナンボ!〉
だけど、一般紙は中間色が基調になる。

❸アキなくピチピチ
一般紙の整理マンはホワイトスペースをとるけど、スポーツ紙整理は余白を嫌う。
余白の美。写真のキリコミでもアキを十分にとったほうが、やはり読みやすい。


わりとゆるい企画面とはいえ、やはり一般紙には一般紙のレイアウト流儀があると思う。
デコレーションな紙面、どーなんだろう、夏は暑苦しく感じませんか。

★整理部は内勤の顔を知っている=「北海タイムス物語」を読む(156)

2016年08月18日 | 新聞

(8月17日付の続きです。写真はイメージです)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第156回。

【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼金巻(かねまき)=北海タイムス整理部デスク4人衆の一人。もじゃ頭の30代中堅。愛車は1968年製カローラ。
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 353ページから 】
会社の裏に巨大な出口のようなものがあって❶、金巻さんはそこに車を入れていく。
「よう、金巻君」と作業着姿のおじさんたちが声をかけてきた。〈発送部〉というプラスチックプレートがいくつか下がっている❷。

(中略)
「逮捕……」
「一人若いのがいて、採用されたときにもうヤクザだったのか、働きはじめてからヤクザになったのかわからないんだけど、会社の人間は誰も知らなかったんだ。
そいつが休みの日にススキノで恐喝と傷害で逮捕されちまった。
社会部のやつらは制作の人間の顔知らない❸じゃん。だから普通に事件ものの原稿書いてきてガン首とってきた。
整理の人間がガン首見てびっくりさ。
『これ、製版の杉山じゃねえか。本物のヤクザだったのかよ』って。
うちの製版ていうのは、そういった怖いやつがけっこうたむろしてんだ」
「その人たちが暗室連れこんで……」


❶会社の裏に巨大な出口のようなものがあって
「巨大な出口」は刷り上がった新聞を自動仕分けし、輸送車に載せるターミナルか。
あるいは、輪転フロアへの新聞用紙ロール紙搬入口なのかもしれない。
新聞用紙ロール紙は直径110㌢・長さ17㌔・重量1㌧のドでかいトイレットペーパーのようなもの。
当時(1990年)の北海タイムス印刷ではタイムス紙のほか日刊スポーツ、日刊サッポロ、聖教新聞などを賃刷り(ちんずり=委託印刷)していたので、新聞によって紙を変える必要があった。
*ロール紙保管庫を見れば部数が分かる(らしい)
総務や印刷局の人間が「見学」として他社印刷センターに行ったとき、ロール紙保管庫をチェックしていた。
見学不可として見せない社もあったけど、分かる人が見るとロール紙の保管量で印刷部数が把握できるという。


❷〈発送部〉というプラスチックプレートが下がっている
おそらく、白地プレートに丸太ゴシック体で書かれていたのでは。
新聞社が地下に印刷工場を併設していた時代、〈発送部〉があった。
朝刊発送時間帯の深夜、夕刊発送の午後1時過ぎ、輸送トラックが停まっていた。
自社便トラックだけでなく「◯◯新聞輸送」「新聞輸送・啓◯社」などのトラックがあった。

❸社会部のやつらは制作の人間の顔知らない
この記述は細かい。指摘のとおり。
出稿部が直接、顔や名前を知っているのは、整理部あたりまで。
出稿記者は、宅送り(深夜帰宅相乗りタクシー)で一緒になっても、校閲部や制作局スタッフまでは知らない。
逆に、整理記者は出稿の顔と名前はかなり把握している(A君は出稿が遅いとか、B君は固有名詞が危ないとか、C君は扱いに文句が多いとか、笑)。

———というわけで、続く。

★新聞社に鳩課があった=「北海タイムス物語」を読む(155)

2016年08月17日 | 新聞

(8月16日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第155回。

【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 352ページから 】
「じゃあ、もしかして玄関のタイムス少年の像に一緒に彫ってある鳩がそうですか?」
「そうそう。よく知ってるな。あれだよ、あれ。
さっき言った親父の権藤禄之助っていう人は、鳩課が無くなったあと制作局へ移って活字拾いの植字工になった❶んだけど、若いときに死んじまった。
だから権藤は小学校んときからタイムス少年やりながら工業高校まで行ったんだ。俺も親父を早く亡くしてるから権藤が可愛い❷だよな」
金巻さんがしみじみ言ってハンドルを右に切った。左側に北海タイムスのビルが見えてきた❸。
会社の裏に巨大な出口のようなものがあって、金巻さんはそこに車を入れていく。
「よう、金巻君」と作業着姿のおじさんたちが声をかけてきた。〈発送部〉というプラスチックプレートがいくつか下がっている。金巻さんは一人ひとりに愛想良く頭を下げた。


❶鳩課が無くなった……植字工になった
「鳩課」は通信伝令用の伝書鳩を飼育していた課。
僕は見たこともないけど、1965(昭和40)年ごろまで実際に新聞社で活用されていたという。
楡周平さんの小説『虚空の冠/覇者たちの電子書籍戦争』(新潮文庫)で読んだ。
通信手段が無かった時代、地方で大事件があったときなど、社会部記者が一緒に鳩課を同行させて写真や原稿を鳩の脚につけて本社まで飛ばしていた、という。
毎日新聞東京本社(東京都千代田区)屋上や外壁には現在も鳩レリーフがとまっている。

❷可愛い
〈可愛〉が漢字表に無い音訓なので、新聞表記ではつかえない。
平仮名にしてね、と記者ハンドブック。
かわいい(可愛い)→かわいい、かわいげがない
かわいそう(可哀相、可哀想)→かわいそう

でも、著作物なのでかまいません、このまま行ってください(と校閲部ではよく言うよね)。

❸左側に北海タイムスのビルが見えてきた
当時(1990年)は札幌・西十一丁目駅近くに社屋(地下4・地上8階建て)があったと小説に記述がある。
野々村くんが近づいたのは、大通公園に沿う大通西10交差点あたりか。
大通公園沿いだから、広々として気持ちがいいあたりだよね(←あ、関係ない)。

———というわけで、続く。

★活字とフォントの違いは/「北海タイムス物語」を読む(154)

2016年08月16日 | 新聞

(8月10日付の続きです。写真はイメージです)

小説新潮に、増田俊也さん(1965〜)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第154回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。



【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 352ページから 】
人通りの多い交差点で右折しながらルームミラーで僕を見た。
「あいつは工業高校で首席で❶、そのままタイムスに入ったんだよ」
「え……」
「なんだ、工業高校卒がミスタータイムスになってるのに驚いてるみたいだな」
金巻さんがぐふふと笑った。
「あいつはさあ、中学んときの成績もトップ高入れるくらいの学力だったんだよ。
でも、タイムスの制作に入るために工業高校行ったんだ。あいつの人生がタイムスそのものなんだ。
権藤の下の名前、克己の克つ、司祭の司って書いて〈克司(かつじ)〉っていうんだけど、この名前、新聞活字の活字❷から取ってる。
あいつの親父❸さん、権藤禄之助(ろくのすけ)っていう人なんだけど、中卒で入社して鳩の飼育係からやってた人だ」
「鳩の飼育係?」
「ん? 鳩が珍しいか?」
「いや、飼育係って何ですか?」


❶工業高校で首席で
たぶん、読みすすんできた校閲部なら
「〜で〜で」
に引っかかるはず。
記事なら一応出稿部デスクにたずねて、文化部出稿ならゲラに付箋を貼って注意書きを記しておきましょうね。

❷新聞活字の活字
記事や文章を新聞紙面に表す文字。
▽鉛活字をつかっていたころは「活字」
▽コンピューター化された現在は「フォント」
と呼ぶことが多い。
朝日、毎日、読売、日経、中日など各新聞社の書体はそれぞれ異なり、1950年代〜60年代にかけて新聞社の活版部母型係が一文字一文字書いた「原字」(げんじ)が基になっている。
明朝体・ゴシック体あわせて計5万枚以上書かれたという。

鉛活字をつかった活版時代は、これらの原字から金属製活字を鋳造していた。
新聞CTS(コンピューター組み版・編集)が始まる前の1970〜80年代、電子データ化作業が始まった。
原字を1文字ずつ撮影して白黒ドットのデータとしてコンピューターに取り込み、手作業でカスレなどを補正していたという。
その後のCTSの進歩によりビットマップフォントから、現在はアウトラインフォントに改良された。
*原字は、どこ?
僕はCTS開発室委員だったけど、この原字は見たことがなかった。見たかった。
おそらく原字5万枚が金庫の奥底に
「門外不出じゃ!」
「社外持ち出し禁止じゃ!」
として保管されているのではなかろーか(笑)。


❸親父
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」では、
おやじ(親父=漢字表にない音訓、親爺=漢字表にない字、親仁=漢字表にない音訓)
→おやじ

……平仮名表記に統一しましょうとしているけど、著作物なのでかまいません、このまま行ってください。

———というわけで、続く。

★「五輪」は読売新聞発だった。

2016年08月15日 | 新聞


へぇ〜!と思った。
「五輪」表記は読売新聞運動部記者〈命名〉だったのかぁ……。

【読売新聞8月14日付@特別面「戦後71年・父の戦争 母の終戦⑦」】=写真
「五輪」名付け親・川本信正
記者から転身、情報局へ

「五輪」と「終戦」。その双方に深く関わった人物がいた。元読売新聞記者・川本信正(のぶまさ)である。
1930年代に運動記者として健筆を振るう。36年のオリンピック・ベルリン大会を前に、次回の東京招致を目指す日本ではオリンピックへの関心が高まっていた。
新聞には連日「オリムピック」の記事が載る。しかし見出しに使うには長い。
そこで川本が「五輪」と表記することを提案、やがて読売だけでなく他紙にも広がっていった
東京招致は成功したものの、日中戦争が起きるなどしたため、日本は開催を返上する。
川本は幻の東京五輪が予定されていた40年に大政翼賛会宣伝部に移籍した。(後略)

➡︎どこの新聞社整理部も記者も、6文字が2文字になるのだから、
「なるほど!5つの輪!こりや妙案なり!」
とパクると思う。イイものはいただきましょう。
てか「五輪」が登場して80年なのだなぁ。

写真エトキ(キャプション)には
「紙面に『五輪』が登場(1936年7月25日付読売新聞夕刊)」
とあり、3段見出し
五輪旗・伯林に着く/驛頭に嚴肅な傳逹式
【ベルリン廿三日發同盟】オリムピツクの輝くシムボル—オリムピツク・ゲームスを守護する五輪の大會旗は一九三二年の第十回オリムピツク大會總裁ウイリアム・メイ・ガーランド大佐に護られて廿三日午後ロサンゼルスよりベルリンに到着した

➡︎80年前の本記は鉛活字組み縦15字どり(行間不明)。
よくみると、現在の新聞でつかわれる単位「倍」の基となる扁平15字活字ではなく、正体(せいたい)活字だったようだ。
さらに、なんと文末に「。」をつけなかった!
*倍(ばい)
倍は新聞編集でつかう単位。
1行15字組み時代の扁平活字1文字の天地サイズ。
現在でも会社人事や異動欄でつかわれている(天地88・左右 110ミルス)。
▽1倍=88ミルス
1980年代以降のコンピューター編集(新聞CTS)では 11ミルスを1U(ユー=ユニットの略)としたから、
▽1倍=88ミルス=8U

★NG見出し、登場が近いね。

2016年08月14日 | 新聞


もうそろそろ紙面に登場するのではないか。
あの、新聞社整理部NG見出しが——。
『感動をありがとう!』
小泉元首相も言わなくなった、恥ずかしい手抜き見出し(でも、リオ五輪全成績や記録一覧のページは外注だから、この見出しは紙面に躍るかもしれない)。

『◯◯◯◯界に衝撃!』
事件や不祥事があったとき、整理部デスクがただちに「使用禁止」にするNGワード。
これも、手抜き見出し。


関係ないけど、この夏、僕的〝衝撃〟な紙面構成は——。
東京新聞(中日新聞東京本社発行)の社会面ヘソ(=中央あたりの目立つところ)に、ドカーンと連日
「全日本学童野球」
がカラー写真つきで掲載していること=写真は8月13日付11版。

少年野球が、ドッカーンとなぜ社会面に——!?
同紙主催(東京中日スポーツ後援)の、いわゆる本社モノ・主催モノだけど、
①ほかに重い記事がなかったのか?
②なぜ、社会面の一等地なのか?
③事業部から強烈な圧力があったのか?
と感じた(なんとなく、数百部単位の③な気がする)。
昔、整理部の大先輩に
「本社モノでも面白ければ、遠慮せずドカーンとやりゃあいいんだよ」
と聞いたことがあったけど、2社面掲載ではダメだったのだろうか。
それにしても、社会面で自社モノ学童野球とは……。

★一ッ橋PR誌は無料?有料?

2016年08月12日 | 新聞

(写真は本文と直接関係ありません。イメージです)

月末になると、書店の一角コーナーに「ご自由にどうぞ」と並ぶ出版社PR誌。
新潮社「波」など年間講読料を払って定期講読しているものもあるけど、下記の一ッ橋2誌だけは有料販売している書店と、無料の書店があるので戸惑ってしまう。

▽朝日新聞出版「一冊の本」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=扱いナシ
▽岩波書店「図書」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=無料
▽新潮社「波」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=無料
▽角川書店「本の旅人」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=無料
▽講談社「本」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=無料
▽幻冬舎「ポントゥーン」次号から電子版に移行
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=扱いナシ
▽角川春樹事務所「ランティエ」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=無料
▽筑摩書房「ちくま」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=扱いナシ
▽小学館「本の窓」
新宿・K書店=少数だけど無料
杉並・S書店=有料 100円!
▽集英社「青春と読書」
新宿・K書店=無料
杉並・S書店=有料 90円!


——東京・神田一ッ橋の小学館と集英社のPR誌だけが、
K書店では「ご自由にどうぞ〜」だけど、
S書店では「お金ください!」
と異なるのだ。
……なぜなんだろう?
まあ、新宿K書店に行けばいいのだけど、杉並S書店で(無料誌だろうと思って)勝手に持って出て
「万引きだ!」
「お客さん、万引きは犯罪ですよ!」
「お客さん、警察に行きましょう!」
「お客さん、明日から前科者ですね!」
と、いつか言われかねないよなぁ……と怖いのだけど。

★「人間の証明」は色々スゴかった/角川映画祭編❶

2016年08月11日 | 新聞
©️KADOKAWA

(8月8日付の続きです)
企画展「角川映画の40年」に触発され、角川シネマ新宿(東京都新宿区3)で開催中の「角川映画祭」に行った。
角川書店2代目社長だった角川春樹さん(1942〜)が、角川春樹事務所を率いて製作した48本が1日4本ずつ交互に上映されている。
まず、角川映画2作目にあたる「人間の証明」(1977年公開、原作=森村誠一、監督=佐藤純彌)を観た。

【「人間の証明」驚きの超豪華出演陣】
文庫・映画・主題歌の、角川メディアミックスが完成した作品。
いま観てもそうそうたる出演者で、若き日のあの人も出ていた(敬称略)。
▽ジョー山中(当時30歳)=2011年死去
▽松田優作(同27歳)=1989年死去
▽ハナ肇(同46歳)=1993年死去
▽岡田茉莉子(同43歳)
▽鶴田浩二(同52歳)=1987年死去
▽三船敏郎(同56歳)=1997年死去
▽地井武男(同34歳)=2012年死去
▽大滝秀治(同51歳)=2012年死去
▽伴淳三郎(同68歳)=1981年死去
▽ジョージ・ケネディ(同51歳)=2016年死去
……ほとんどのかたが鬼籍に入られている。

【読んでから見るか/見てから読むか】
角川映画というと思いだす名コピーは、春樹さんがつくった。
実に巧いと思う(電通の元クリエーティブのかたも「見事です」と絶賛していた)。
角川文庫全般のキャンペーンコピーかと(ウン十年も)思っていたけど、この「人間の証明」だけのものだったのだねえ。

【思い出した、あの西條八十の詩】
ジョニー・ヘイワード(ジョー山中)がニューヨークから携えてきたのは、昭和22年刊の西條八十詩集と汚れた麦わら帽子。
「ママー、ドゥ・ユー・リメンバー……」
のサウンドとともに流れた霧積高原の朝焼けシーンに、不覚にも涙してしまった(→僕は母子ものに弱いのです)。

西條八十「ぼくの帽子」
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。



——「AERA」8月15日号に、KADOKAWA取締役会長・角川歴彦さん(1943〜)のインタビュー記事が出ていた。
(インタビュアーは『角川映画1976-1986増補版』著者の中川右介さん)
「兄・春樹に反対したことはない」
「今後の狙いは中国市場」

角川書店をめぐり、兄と死闘を繰り広げた歴彦さんは余裕だった。

★整理エースは奇数面にいる/「北海タイムス物語」を読む(153)

2016年08月10日 | 新聞

(8月9日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第153回。

【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 352ページから 】
JRの高架下をくぐって札幌駅前に出た。来るときと違い、車がびっしり走っている。
各社とも、整理部のエースは一面と社会面に置く❶んだ。硬派のエースを一面に、軟派のエースを社会面にね。
硬派には硬派の、軟派には軟派の難しさがある❶んだ。
いまは松田に教えるために萬田さんが夕刊一面にときどき座ってマンツーマンやってるけど、嬉しそうだろ。整理部長になる前は『硬派の萬田、軟派の権藤』っていって、うちの二枚看板だったんだよ。他社の連中も萬田に負けるな、権藤に負けるなって必死に紙面で勝負かけてきた」
名前が書いてないのに誰が整理したのかわかる❷んですか?」
「わかるわかる。
俺だってうちの新聞はそれぞれ誰が作ったか、勤務表見なくても、見出しやレイアウトの癖でぜんぶわかる❷もん」
「すごいですね……」
それほどすごいと思わなかったが、そう言った。
「おまえもわかってくるよ、そのうち」
「萬田さんと権藤さんを比べたらどっちが上手いんですか?」
「それは答えにくい質問だなあ。硬派と軟派、それぞれ得意分野があるから。だけど俺は権藤の方が上だと思う。天才だ」
人通りの多い交差点で右折しながらルームミラーで僕を見た。



❶各社とも、整理部のエースは一面と社会面に置く/硬派には硬派の、軟派には軟派の難しさがある
新聞社整理部のエースや、任せて安心整理マンは、フロント1面から奇数面に配置される。
たとえば、重要ニュースが展開されると分かっている「8月9日付」紙面。
メーンには整理部筆頭デスク、サブやスーパーサブには任せて安心デスクが座り、
▽①面面担➡︎整理部エース
▽②面面担➡︎雑報や関連を拾うのでそこそこ整理マン
▽③面面担➡︎1面に次ぐ整理部エース
(面担は、めんたん=紙面編集担当者)
▽社会面面担➡︎軟派グループのエース
▽第②社会面(2社=見開き社会面の右ページ)➡︎軟派グループの、それなり級整理
▽第③社会面(3社=総合社会とも)➡︎軟派グループのそれなり級整理

大きな声では言えないけど……。
整理部勤務表に、重要ニュースが展開されるであろうと分かっている日に〈休〉となっていた場合、
「やったぜ!面倒な日に仕事が『休み』で嬉しいな!ラッキー!」
と、そのまま受け取っていいのか……難しいところですね。

❷名前が書いてないのに誰が整理したのかわかる/俺だってうちの新聞はそれぞれ誰が作ったか、勤務表見なくても、見出しやレイアウトの癖でぜんぶわかる
金巻デスクの発言どおり。
やたらチマチマしたレイアウト、左から右端に小刻みに流れる読みにくい紙面構成、
やたら字数が長い見出し、裸活字がなく扁平地紋見出し多用、
……などの癖で面担は分かるもの。

とくに、スポーツ紙は最下段や欄外に
「レイアウト・安倍晋三」
「紙面編集・黒田東彦」
「紙面担当・小池百合子」
とあるので、3勤2休か〜という勤務ローテまで把握できちゃう(笑)。

———というわけで、続く。

★ミスタータイムスがいた/「北海タイムス物語」を読む(152)

2016年08月09日 | 新聞

(8月6日付の続きです。写真は本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第152回。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【小説「北海タイムス物語」時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬。北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身、早大卒23歳。整理部勤務
▼萬田恭介(まんだ・きょうすけ)=北海タイムス編集局次長兼整理部長。青学英文科卒45歳
▼権藤(ごんどう)=北海タイムス整理部部員。痩せて顔色の悪い、長髪の30代半ば
▼松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期入社の整理部勤務。バイトとして校閲部にいたため社内事情に詳しい。名古屋出身の北大教養部中退24歳。
おそらく小説作者・増田さんの投影キャラ

【 以下、小説新潮2016年2月号=連載⑤ 351〜352ページから 】
「どうよ。権藤先生❶は」
金巻さんが鼻歌をうたいながら聞いた。
「怖いだろ、あいつは。タイムス背負ってるエースだからな。
女子社員たちは『ミスタータイムス』って呼んでるんだ。
あいつは整理だけじゃない、取材でも抜きん出てた。倶知安支局長時代と社会部時代に社長賞❷二十八回、編集局長賞❷五十六回っていう新記録作ってる。
当然、若いときから全国紙から何度も声が❸かかってんだ。本人は否定してるけど、タイムスの記者はみんな朝毎読の連中から聞いてる。
半年前に本人が希望して整理部に戻ってきた。どこ行ってもエース中のエースだ。選挙んときの統括デスクは、他社じゃ取材側がやるけど、うちだけは萬さん、権藤と、二代続けて整理が主導してるんだ」
権藤さんに取材でもそれだけの実績があるとは思わなかった。

(中略)
JRの高架下をくぐって札幌駅前に出た。来るときと違い、車がびっしり走っている。

❶権藤先生
整理部で仕事のノウハウや業務全般を教える役が、先生。
会議は◯時からとか、コピーの取りかたとか、社食の使いかたとか、宅送りの乗りかたなどのほか、
整理部本来の業務である見出しのつけかた、レイアウトのポイント、編集端末の使いかたなど、けっこうたくさんあって〝先生〟のほうが疲れちゃう。

❷社長賞/編集局長賞
賞金額でいうと(整理部の場合)、
①本社代表賞・社長賞
②編集局長賞
③整理部長賞
の順か。いずれも賞の選考委員などはいない(新聞社によってシステムが異なります)。
賞を出すカギを握るのは(だいたい)編集局長ですね。

❸若いときから全国紙から何度も声が
おそらく校閲部なら「〜から〜から」に引っかかるはず。
「『若いときから何度も全国紙から』のほうが良くね?」
と手を入れようとするかもしれない。
だけど赤字直しはせず、著作物なのでこのまま行きましょう。

……ということは、さておき。
他社から引き抜くケースは次のとおり。
①先に転社したAくんルート
転社先の部長「欠員が出たので、もう1人、君の推せるやつ(君がいた社に)いないかな?」
Aくん「う〜ん。いないわけではありませんが、あまり短期間は……」
部長「それもそうだけど、うちも新人を一から教えるのアレだしなぁ……3カ月の時間で考えてみて。頼むよっ、なっ」
このケースはAくんが優秀(=仕事ができる)だった場合のみ。
②編集幹部が一本釣りするケース
社を超えてのコネクションをもつデスクや局次長が暗躍することがある。
僕は以前、とある銀座のバーで局次長と他社部員がコソコソ話し込んでいるのを見た(←市原悦子さんのようにね)。
4カ月後、そのときの彼がネクタイ締めて
「よろしくお願いします」
と入ってきたので、局次長-専務派だなコイツと、局長-社長派の僕は思った(笑)。

———というわけで、続く。