絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ローマ人の物語13

2009-11-25 | 読書
ローマ人の物語13に入りました。

3世紀の危機が過ぎて、ディオクレチアヌスの時代に入りました。それまでは皇帝が入れ替わり立ち替わりであったのが、やっと落ち着きました。その原因は何か?と言えば、ローマ帝国を一人で治めずに、4人で分けたからではないかと思います。四頭政治がおこなわれるのです。

三頭政治なら聞いたことがありますよね。シーザーとポンペイウスとクラッススでしたか?その後の、第二次三頭政治は、オクタビアヌスとアントニウスとレピドゥスでしたね。

私は、その後のローマについてあまり興味を持たなかったので、この四頭政治は始めて知りました。帝政になってからは、常に一人の皇帝だと思っていたのです。

今回読んでいて知ったことの一つは、皇帝は一人じゃなく、次の皇帝が息子である場合は二人で同時に皇帝になって共同統治をしていたり、血縁がなくても信頼のおける部下に同時に皇帝になってもらったりということがあったことです。

この四頭政治は、二人目の皇帝は皇帝と呼びましたが、次の皇帝はカエサルと呼んで、皇帝の次という感覚があったようです。また、二人目の皇帝もディオクレチアヌスの次の位置づけという違いはつけたので、ローマを四分割してしまうという感覚ではなかったそうです。

しかし、一人の皇帝で広大なローマ帝国を守るのは不可能と考えたので、このような分担を持って蛮族の侵入に対処したと書いてありました。

私は、もう一つ読んでいて認識を改めたのは、ヨーロッパの地図でした。良く見ると、古代ローマ帝国は、ライン川とドナウ川で結んだ線から南側と西側なのですね。その二つの川は、ほとんど一つのラインで結ばれているのですね。そして、ドナウ川は黒海にそそぎこんでいるのですね。その認識を新たにしました。
また、カルタゴの位置は、私はエジプトからあまり遠くないような気がしていましたが、よく見ると、かなり遠いのですね。地中海を二つに分けるとき、シシリー島で西と東に分けますが、カルタゴはシシリー島の西になるのですね。イタリア半島の先端である長靴のつま先より、シシリー島は西で、そのシシリー島よりカルタゴは更に西なのですね。
私は、なんとなくその3つは南北にあると思っていました。だから、エジプトからの距離を勘違いしました。

しかし、ローマ帝国の北アフリカの部分は、国境が点線でしかも直線で結ばれているので、砂漠だからだろうと思っていたのですが、その地域にもローマではない部分があって、カルタゴ辺りに攻め込んで来る民族があったのだと知りました。
だから、分担して統治しないと、一人ではあちこち軍隊を連れて動けなかったのですね。動けば、北から蛮族が侵入してくるという危険が常にあったということですね。



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