絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ロビンソン・クルーソー

2011-10-07 | 読書
ロビンソン・クルーソーを読んでいます。

子供の頃、本を読まなかったので、このような子供向けの本をほとんど知りません。
題名はよく聞くけれど、内容は知らないという本がたくさんあります。

それで、図書館で、アラビアンナイトの下巻がなかったので、これを手にしました。

すると、この本は、子供向けに書かれた本ではありませんでした。
生活が苦しかったので、生活費を稼ぐために書いたもので、大人向けに17世紀に書かれたものでした。

へええ でした。

そして、内容が無人島に流れ着いた話なんですね。

読んでいて、横井庄一さんや、小野田さんのことを思い浮かべました。
まだ、戦争が終わってないと思って、隠れながら生き延びていたことは、状況は違っても同じような苦労があったと思います。

つくり話のロビンソンクルーソーですが、現実にも似たような話があるのだと思いました。

また、読んでいると、いろいろなことを考えさせられます。
自分の置かれた状況です。

無人島に流された自分の境遇を不幸とその中での幸いとを箇条書きにして分析してみるなどは、自分にも置き換えて考えられます。

ーーーーーーーーーー

例えば、私は、何が原因かはわからないけれども、足が悪くなって教員を続けられなくなった。これは、不幸である。本当はもっとやりたかったのだから。
しかし、辞めたからこそ、できることがある。
例えば、私が教員を辞めたから、デッサン会が始められた。そのために、15名もの中高年の方々が県展に入選できた。もし、デッサン会がなかったら、この人たちの県展入選は一つもないかもしれない。
そう考えれば、その方たちに一つの喜びを与えられた。

同じように、通信指導も始めたのは、教員ができなくなったからだ。
それによって、栃木のTさんに教えることができた。今回の特選は、そのために実現したことだ。

今までは、日曜祭日休みなし、毎日夜遅くまで部活に取り組んでいた。だから、親の手伝いはできなかった。しかし、今は、父が具合が悪いと言えば、いつでも医者に連れて行くことができる。母の買い物の運転手ができる。仕事を辞めたからこそできることがある。

脚が悪いけれど、手で運転ができるから、自分で何とか行動できる。

と考えてみることができる。

このように書いてみると、良いこともありますね。

脚が悪くて、車いす状態になったことは、私にとってとても悔しいことである。
そのこと自体は、不幸である。しかし、すべてが不幸ではない。
それによって、私の人生が変わり、他の人の人生も変えている。
まだまだ、私にも人のために何かやれることがある。

ロビンソンクルーソーは、まだ読み始めたばかりなので、これから先どうなるのか、少しずつ楽しみながら読んでみます。









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