絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ファーブル昆虫記

2012-09-01 | 読書
今日、図書館でファーブル昆虫記を読みました。

と、書くとあの大人用の昆虫記かと思われますが、実はこども版です。
こんなにやさしく楽しく書いてくれた本があるんですね。有難いです。



実は、ファーブル昆虫記は、面白いと聞いたことがありました。
そして、図書館で見つけたのですが、ズラーッと並んでいて、読むのがとても大変そうに思い、躊躇していました。
だから、このように子供用を書いてくれたことはとても嬉しいことです。これなら結構読めそうです。
そして、私のようにただなんとなく知りたいだけの人にとっては、充分満足できる内容です。

タマコロガシのことがよくわかりました。初めて知りました。しかし、誰に教えられた訳でもないのに、どうして虫はそんなことがわかるのだろうということがありますね。本能という言葉で理解しようとしますが、本能ってなんなのだろう。

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自分は、かつて生まれる前は、たった一個の精子であった。何億という仲間?だか敵だが知れない自分と同じ遺伝子を持ったものと戦いながら、その生存競争の中で勝ちあがった金メダリストなんだ。いま生れて来た人間は、誰もがみんなそういう存在なんだと思うことがある。しかし、その精子が誰に教えられたわけでもなく、たった一個の卵子を目がけてつき進むことをなぜ知っているのだろう。

輪廻転生という言葉がある。また生まれ変われるなら、やはり人間が良いと思う。それは、未来に置いても今と同じように人間が世界の支配者であるのならだが。しかし、私はいつ私になったのであろうか?私とは精子なんだろうか?卵子はただの畑なんだろうか?それは違うともう一人の自分が言う。ということは、生まれ変わるとは、精子と卵子に分裂して生れて、それらがお互いにもう一度出会うことなんだろうか?だとしたらその確率はどのくらいだろう。また精子は金メダルを取らなければならない。そして、卵子もその精子と同時に存在しなければならない。

私が私になるとは、精子と卵子が出会ったからだ。隣の精子が勝って、自分が銀メダルではダメなのだ。では、生まれ変わるとは、もう一度自分が精子と卵子に分裂して、その特別な一個と一個が出会わなければならないのだ。

運命論者なら、そうなるようにできているというだろうか。私が私として生まれ変わるというのは、とんでもない確率の中にある。

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今日は、コロンブスの伝記を読み終えました。
図書館の目につくコーナーに並んでいたので、半分読んで次の日にまた読もうと思ったら、もうそこにはなかったのです。
誰かが借りて行ったんだなと思って、返却されるのを待っていましたが、係の人に尋ねたら奥の方から出してくれました。

コロンブスの卵という話は、卵を立てる話でしたか?
私は、にわとりが先かたまごが先かという話かと思っていました。

やったことを見ると、何だそんな簡単なことかと思うけれど、初めにやるのは簡単じゃないという話でした。
それを初めて知りました。




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