Facebooku で、ご存知の方もおられると思うが今だ興奮が冷めないので、このブログでも報告させてもらう。
昨日 ソーシャルネットワークを通じて、10年以上連絡をとってなかった「息子」と再会を果たしました。
以前にも彼を検索して、らしい人物を見つける事はできていたのだが、プロフィールの内容が乏しく確信を得るまでにはいたらなかった。
昨日 改めて検索してみると、以前発見した人物のプロフィールが大分細かく書き込まれていて、「間違いない!」となったのでした。
しかし、いまさらコチラから連絡をとったところで、「憎悪を感じて拒否されるのでは?」とか「完全に忘れているのでは?」とか「いまさら、何の用だよ!」なんて言われるんじゃないだろうか?とかなり葛藤した。
ドラマや映画でよく言われるセリフで「片時も忘れた事はない。」というのがあるが、コレは実は本当にそうである事を」小生は常々感じていた。
まったくその通りで、小生はことあるごとに「彼」の事を思い出していた。
しかし、小生の中にある「彼」は、決して6歳から成長していないとても寂しい姿だ。
小生の人生に置いて、彼の成長の過程を見逃した事は「後悔」の二文字では語れないほどだ。
しかし、当時の色々な状況を考えると一緒にいたことが正解であるか?どうか?は今となっては.........。
救いは、彼が小生の思っていたより遥かにしっかりとした人間になっていたことだ。
これについては、彼をとりまくご家族や友人知人に感謝の気持ちでいっぱいだ。
10年を越える歳月が埋まるはずも無い事は、充分に解っている。
これからの時間をどぉ使うか?がテーマとなる。
いまさら、父親面はしたくないしされたくもないだろう、しかし友人としてでもいいから何か甘えてもらいたい。
久しぶりに「生きる励み」を感じた夜になりました。
小生は、あのときの「クリック」を生涯忘れないだろう。
同じく、ネットを通じて 今回のことを 祝福して頂いた方々に心よりお礼を申し上げます。
ありがとうございました。 小生は、皆様に活かしてもらっています。
本日の講釈は、ココまで。