現在 大作の準備に奔走している。
作品のバジェットが大きくなればなるほど、そこに関わってくる人間は当然多くなってくる。
多くの人間が集まると?
多くの問題が伴って来るのも?当然。
十人いれば?十人の考えがある。
いろんなパートのいろんなポジションが集合して、出来ているのが映画の現場だ。
各パートを束ねている人間をさらに束ねなければならないのが、監督でありプロデューサーだ。
そこには、絶対と言っていいほどの カリスマ を要する。
特に『 監 督 』と言う職業は、その点に置いて大変である。
作品づくりに集中したくても? 台本直しをしたくとも?
政治的な立場で、いろいろな事象に巻き込まれていく。
自責がなくとも 恨まれてしまったり?
嫌われてしまったり?
そして好かれようと思っても?
嫌われる事を恐れても?それは成立しない。
一度は、やってみたい ポジション だし、「やってみれば?」なんてことも言われた事もある。
確かにやってみたい。
しかし、いま置かれている立場の 美術 や 操演 にも 大きな誇りをもっている。
そして、監督のような 吸人力やカリスマ 、そして責任能力があまり無い事も解っている。
そういった「大きな責任が伴うポジション」に比べると?
小生がやっている ポジション は実にシンプルなものだ。
『人が驚くような?創造』をして
『人が感動するような?破壊』をすればいい。
現在 お仕事をご一緒させていただいている 監督 をみて、こんな事を感じた日だった。
彼は、間違いなく『監督』である。
本日の講釈は、ココまで。