STRONG 遠藤 創造と破壊 銀幕の隙間でひとこと。

映画 TV CM 映像の現場で、いい効果やビジュアルを作り出しながら
ここで喋ったりぼやいています。

another Door.

2010-01-18 21:22:58 | 職業としての映像
昨年の末から、年明けの10日まで「求人」をして一名の応募があった。

人は人生において、いくつかの「ドア」に手をかける。

しかし その部屋の中は、開けて自分で見るまでは「自分が入るべき部屋」か?どうかは判らないものだ。

募集に応募してくれた 若者 にとって、小生達がいる部屋は「入るべき」部屋ではなかったようである。

一度、撮影風景やスタジオ等を見学してもらった後に「本人の判断」を促し、働く意志を拝見させてもらった。

見学させた後日に「やらせてください」と言う申し出が有ったので採用。

しかし 若者は、2日目から連絡も無しに 来なくなってしまった。

おそらく「自分には無理だ」とその日に判断したのだろう。

それは仕方の無い事だ。

たったの一日で、自分の誤りに気づくとはあっぱれと言っていい。

誰でも間違って「ドア」を開けてしまう事はある。

そのことについて 若者 を責めるのは、間違いである。

しかし、すっきりはしない。




では? 想像してみよう。

自分がいま まさにトイレに駆け込みたい体調だとしよう。

そこは、やっと駆け込んだ公園のトイレ。

ドアが4つほど並んでいる。

そのうちの2つのドアは、赤い文字で「使用中」となっている。

何も表示が出ていない残りのドアに彼方は手をかける。

空いていた2つのうち、一つを開くと「掃除用具」だ。

脳裏には、映画「スピード」のテーマ曲がよぎるほど、その時が迫っている。

額に脂汗を浮かべ、たったひとつ残された ドア に手をかけ下半身に負荷がかからぬように

思いっきりの勢いで手前に引く。

しかし、現在使用中の先客がウッカリ鍵をかけ忘れていて、お互いの時間が一瞬止まる。




こんな経験をしたことが、少なからず誰でもあると思う。

その時に 彼方は?

「スミマセン!」とか「失礼!」とか「失敬!」とか
言いながらその「ドア」を閉めますか?

それとも黙って、「バンッ」と閉めますか?

答えは簡単である。

鍵を閉め忘れた 先客にも過失はあるが、

その体勢においてもしている作業においても、 先客が圧倒的に不利だし恥ずかしい。

一言 詫びを入れるのは、ドアを開けた方だと思う。





「やはり、辞めさせていただきます。」

この一言で、我々もよけいな心配をしなくて済むのだ。

こう言った事は、われわれの業界に限らず社会全体の常識の範囲。

若者よ、次の就職先ではちゃんとやるんですぞ。

その点では、業界以外の社会の方が厳しいからね。

元気でやってください。

業界の求人力の無さに心しおれて。

本日の講釈は、ココまで。
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