Straight Travel

日々読む本についての感想です。
特に好きな村上春樹さん、柴田元幸さんの著書についてなど。

「さりながら」フィリップ・フォレスト著(澤田直訳)白水社

2009-04-17 | いしいしんじ
「さりながら」フィリップ・フォレスト著(澤田直(さわだ なお)訳)白水社を読みました。
パリ、京都、東京、神戸。四都市をめぐり、三人の日本人―小林一茶、夏目漱石、写真家山端庸介の人生を語りながら、自身の体験、創作について綴った評論のような、エッセイのような、「私」小説です。
BS2の「週刊ブックレビュー」で以前いしいしんじさんが紹介していたので読んでみました。内容について触れますので、未読の方はご注意ください。

表題は小林一茶の句からとられています。

 露の世は 露の世ながら さりながら

小林一茶は幼くして母と死に別れ、義母とうまくいかず、思春期を迎えた頃江戸に旅立ちます。その後も国中を放浪し、中年になってからやっと故郷に戻り、妻を向かえ子を持ちました。
しかしひとりめの息子は生まれてすぐ亡くなります。
三年後に生まれた娘は最初の冬は越しましたが、その後疱瘡の病を生き延びることができずに、またもやその命を召されます。
その後生まれたふたりの男の子も一歳を越えずに亡くなり、妻の菊も死亡。
三番目の妻ヤヲとの間に娘を授かりますが、その子が生まれたのは一茶自身がなくなったあとのことでした。

一茶が「露の世は」の句を詠んだのは、そのように幼い子を亡くしたときのこと。

私はこの世が 露のように儚いことを知っていった そうではあるのだが

著者のフィリップさん自身も娘さんが三歳の時に定期健診で異常が見つかり、検査の結果、骨癌が判明。闘病の末幼くしてお亡くなりになったそうです。
受け入れたくない、乗り越えられない苦しみ。
著者は「世界の裏側へ逃げたい」気持ちで日本を訪れたそうです。

同じ幼い子どもを持つ私にとっても、もし自分の子どもが同じような境遇になったらと仮定で考えるだけでも辛くなる思いです。
それが実体験である著者の悲しみは本当にはかりしれません。

そして夏目漱石にも幼い娘を失った経験があります。
最初の子を早産し、月に満たずに死亡。
そしてその後数人の子どもに恵まれた後に生まれた末娘のひな子。年は二歳足らず。
彼女は夕食の最中に苦しみを訴えることもなく突然倒れ、そのまま息をひきとり、医者にも原因がわからなかったそうです。
雨の中で行われた葬儀。焼き場で拾い集めた骨。

著者は語ります。
「そのあとにはいつも普通の言葉がやってくる。生のほうへと戻り喪失をできるだけ早く置き換えることを促す言葉が。しかし、別の子どもができたとしても、失われた子供でなければだめなのである。
娘の死を語りながら、漱石はその強烈な悲しみについて語っている。
この悲しみのうちに可能な限りのあらゆる美と純粋さがあり、すでに彼のなかでこの服喪の苦しみを激しく懐かしむ気持ちが大きくなっているかのようだ、と。」

漱石の娘の死は小説「彼岸過迄」に語られています。
著者はその表題を単なる漱石の執筆の予定と捉えず、「死(彼岸)とその先」と捉えます。

「実際、ひとりの小説家にとって、物語が生だけで終わる理由はないのだ。」

そして山端庸介。彼は原爆の翌日に長崎を、そして広島を写真に収めた人物だそうです。
当時すでに日本が降伏を申し入れる打診をアメリカにしていたのに、新兵器実験のために日本に落とされた原爆。無慈悲な暴力により地獄と化した地上の様子が面々と書き連ねられています。

そして著者は山端の写真のひとつ、おにぎりを持つ少年の写真について語ります。

「死が生の周りをすっかり襲うときでさえも生があるということを思い起こすのだ。
虚無については、誰も何も知りたがらない。初めてそれを見たものは、仰天し、愛しいものがみなそこに消えうせていく虚無のうちに自らも陥ってしまう。
世界を真実の正しき光に呼び戻すためには、それを再び見る二度目の視線が必要だ。」

そして95年の神戸の大震災。自然が引き起こす残酷な殺戮。
「大地震の生存者たちは誰を相手にすればよいのか。それはほとんど死そのものを相手に争うようなものだ。」

著者は結びにこう語っています。

「私が唯一理解したことは、生き延びることが試練であり謎であるということだ。」

人が人生で必ず避けては通れない「愛するものの死」。
胸が引き裂かれるような苦しみ。この世の儚さ、むなしさ。
「この世は露の世」、までしか心は進まず、そのまま凍ってしまうのではないでしょうか。
「さりながら」人はその苦しみすら記憶し、生き延びる。
その先には何があるのでしょう。


  露の世は 露の世ながら さりながら




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