森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

冷静さを失うということ

2006年11月08日 22時53分27秒 | 過去ログ
昨日は協同医書出版社の中村さんの3時間に渡り,新著の構想をねる。
とはいうものの,にんげんのとは何か,本質はどこにあるのか,どこに向ける意識なのか,などなど,互いの実体験からきわめて感情的にお話しする。
今度は,「脳」をどう教育していくかという視点で,今までとは違った形で世に問えればいいと思う。

社会問題,教育問題,医療問題,そして全世界の平和へのメッセージを発生学的な視点を踏まえ,何のための「脳」なのかを問えればいいと考えている。

中村さんを見送り,卒論指導を行うが,母親の入院している病院から電話がかかり,2時間ほど,リハ医と話す。その中で今のリハビリの志向性に問題があること,あること,これでは診療報酬があのような形であらわれてもしかたない。5回ほど冷静さを失う。

世間一般の患者の家族は閉口するのみなんだろうな。
「裏切られた期待」
機能回復よりもっと大事なもの,「こころ」,そして,どう生きていくか,それすら考える知能がない。
「私」がつねに,「何」ができるか,ということを自問すべきであるが,そのプロセスがない。
もはや「リハビリ」は思想にもならない。

「だったらどうすればいいのですか」と・・・一番いやなせりふを聞いた。
お前は「馬鹿か」と一蹴した。

0か1かの判断しか下せないのに,どうして学生たちに「問題解決能力」を求めるのか・・・どこか矛盾している。

どうしようもない世界に,わが子を送り出す教育者として,とても許せない気持ちでいっぱいだった。母親の今回のことを契機に,これからどうすべきかを決断できたようだ。

僕として甘かった。

今日,セラピストたちとリハ医のミーティング結果を聞いたが,やはり結果は同じであった。僕という先入観がなければ,それは治療放棄であり,一般企業であれば,クビである。いかに医療者が守られているか,それを痛感した。
他の世界で暮らしてはいけない。
医療者とは悲しいものである。
もう一度,人間教育をやりなおさないといけない。

今の大学で1回生前期から必ず教育するようにする。
3回生からでは遅すぎる。


僕は今,多重人格になっている。
いろんな自分が脳のなかで格闘している。
これが人間なんだろう。

その中の一人が今も執筆しようとがんばろうとしている。


今日もお客様,卒論などで,10行ほどしか進まなかった。

明日には必ずフィニッシュさせる。


学生はまだ卒論がんばっているだろうか。



みなさんから,私が診(看)ましょうか。いや,「みたい」というあたたかいお言葉をいただいております。

だから,僕は心底「認知運動療法/認知神経リハビリテーション」に出会ってよかったと思っている。
人間のあたたかさ,すばらしさを感じれるからだ。

「治療手技」に一喜一憂していた若き日の自分は患者のためといいつつ,そこには本質的な,人間らしさはなかったと思う。

この素晴らしき世界に導いてくれた恩師をはじめ,みなさんに心から感謝している。

だから,僕は闘っていこうと思う。
僕らしい表現の仕方で。

みなさんを守るために,成果を残していきますよ。