隻手の声(佐藤節夫)The voice of one hand clapping.

世の中の片手の声をココロで聴こう。

絆Bond (2)

2010-01-20 08:00:06 | Weblog
絆Bond (2) 平成庚寅廿二年睦月二十日
   
 前述したピアソン首相は1965年4月アメリカの北ベトナム爆撃反対を表明した。
これが、当時のアメリカ大統領ジョンソンの逆鱗に触れた。 ジョンソンはピアソンに、キャンプ・デービットに昼食にくるよう招待した。 「ひどい(Awful),馬鹿だ(Horse shit)」と怒りの表現をし、ジョンソンはピアソンを手すりに押し付け、シャツのカラーをつかみ、首をもって、上に持ち上げた。そして「貴様は俺の立場を台無しにした(You pissed on my rug.)」と怒鳴った。いわゆるカナダ首相の「吊るし上げ事件」であるが、ピアソンはスエズ危機の時、カナダの国連平和維持軍への積極的参加に貢献し、ノーベル平和賞を受賞した人物である。カナダの独自路線の出発点となった。「今日の世界は、もはや、戦争によって防衛しうるものではない。戦争が政治の一つとして使用されるなら、それは全面戦争になる。平和は、力によってではなく、紛争の源を絶つことにより達成される。」と、良いことをいっている。(孫崎亨「カナダの教訓」より)
 ここで、忘れてはいけないことがある。
同盟関係はよく庭の手入れに例えられるという。日々の手入れを怠ると、問題が次々と起きるからだとされる。密約の問題が出てきた。びっくりものである。
非核三原則「持たず、つくらず、持ち込ませず」という分かり易いキャッチフレーズで、核軍縮による平和を目指して、日本は世界にアピールしてきたと思っていた。
そして、その功績で故佐藤栄作首相は、ノーベル平和賞まで頂くことになった。
 ところが、その三原則の内、「持ち込ませず」がどうやら「国のうそ」で「持ち込まれていた」という。核搭載艦船の日本通過・寄港を黙認する「核密約」の存在である。佐藤元首相の「核抜き本土並み」の事前協議は有名無実にされた訳である。しかも、佐藤元首相の遺族が文書を保管していたというから、まあ廃棄処分してなかったからよいという問題でなく、世界中に「うそでした」と発表し、ノーベル賞返納してもらわねばならないことであり、恥ずかしいことである。外務省の有識者委員会(座長・北岡伸一東大教授)は2月中をめどに調査を終えてもらいたい。そうでないと、沖縄の基地の問題も含めて、日米同盟は深化できないように思います。
 
お読みくだされ、感謝いたします。


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